『背信』
ユダは私室で深い物思いに耽っていた。
思えば今まで、自分は常に一番でいた。
兄弟の中の一番、同年代の中の一番、一族の中の一番を経てついに『アマルナ一の獣士』という最高の一番を手に入れた。
今から3年前の話だ。
当時自分と一番を争っていたのは幼なじみの女の子。
彼女を動揺させ、冷静さを失った所に付け込んで自分は勝った。
冗談じゃねぇ――。
ユダは苛立ち、親指の爪を噛みしめた。
あの時あいつが……ネフェルが冷静だったら、負けていたのは俺だったのか?
未だに疼く頬の傷。
その痛みがユダを更に追い込んでいく。
まさか――。
とユダは思い止まる。
所詮相手は女、しかも3つも年下で格下の家系の出じゃないか、自分が負けるはずはない、と――。
しかしどうも拭いきれない不安。
回廊で3年ぶりに彼女を見かけた時に抱いた思いは何だったのだろう。
記憶を何度も呼び戻し、思い出す限りの情報を分析した。
そして1つの結論を導き出す。
そうだ、あの目だ――。
3年前とは違う、何かを吹っ切った目、強い光を宿した瞳。
獣士と、そのビーストの――。
ユダの口元に笑みが浮かんだ。
あのビースト、あれさえ倒せば今度こそあの女は呪われた自分の運命を嘆き、獣士を辞める。
俺の後ろに従わせる事ができるのではないかと。
「マージ!」
マロワの金切り声がこだました。
突然クー食堂に乱入してきた赤い頭髪の2つの人影。
その一方である男がマージを拘束し、もう1人の女がマロワの目前に立ちはだかる。
男は20代前半、女はマージ同様10代後半といったところか、見慣れない顔だった。
男はマージに当て身をくらわせ、屋外へと走り去る。
「待ちな!」
後を追おうとするマロワを女の一声が即座に制した。
「娘は無事に返してやるよ」
血の色の髪をかき上げ、女は続ける。
「こちらの指示に従ってくれればね」
「何言ってんだい!」
マロワが叫ぶ。
少しは冷静さを取り戻したのか、いつもの口調で強気に言った。
「何で私があんたたちの言い分を聞かなきゃならないんだい。道理がないじゃないか。さぁ、さっさと娘を返しな」
「……確かに道理はないね。けど、あんたにどうしてもやってもらいたい事があるんだ」
女がカウンターに白い薬包を投げ置いた。
「これを白い虎を連れた女獣士に飲ませるんだ」
「ネフェルに!?」
驚くマロワ。
しかし次の瞬間には頬を紅潮させてこう叫んだ。
「そんな事死んでも承服できないね。ネフェルは……あの子は娘も同じなんだよ!」
「死んでも承服できない? 本当に?」
と、女は鼻で笑った。
「その場合、死ぬのはあんたじゃなくてあんたの実の娘だよ」
「ネフェル」
長の邸宅。
ラニーのご機嫌伺いに参上したネフェルを回廊でユダが呼び止めた。
その傍らにはミレディが控えている。
その殺気にネフェルやガルーダは即座に反応した。
「……3年前にも言ったはずだ。同族の獣士の決闘は禁じられている。特に今は時期が時期、戦力の損失は絶対に避けねばならないと思うが」
論理でかわそうとするネフェル。
嫌な笑みでユダは言った。
「禁じられているのは獣士の決闘だろ? 確かビースト同士の偶発的な争いは特筆されてなかったぜ」
途端にミレディが飛びかかる。
ガルーダを組み伏せ、その喉元に牙をむいた。
「やめさせろ、ユダ!」
表情を変え訴えるネフェルの、ユダは細腰を強く抱いた。
「ネフェル、おまえは感受性の強い女だ。また大切なビーストを失いたくはねぇよな? だったら今すぐ獣士を辞め、おまえはこの俺の女になれ」
ユダは言い切る。
次の瞬間、大きな唸り声が回廊に響き、ユダの背に激痛が走った。
悲鳴を上げて振り返ったユダは更に大きな悲鳴を上げる。
「ミレディーッ!」
回廊の隅に虫の息で倒れていたのは自分に忠実な可愛いビースト、そして自分の背後には眉間を寄せて唸り続けるガルーダの姿。
「……だから言ったんだ、やめさせろって」
そう言って興奮するガルーダの首筋を抱きしめるネフェル。
ユダは強く唇を噛んだ。
事実、自分がけしかけたのだ。
偽ってネフェルを訴え、罰を負わせる事もできたが、それはユダのプライドがどうしても許さなかった。
腰に帯びた短剣を抜き、ミレディの首筋にそれを埋めた。
「ユダ!」
驚くネフェルにユダは言った。
「こいつは主人であるこの俺の背に傷を負わせた。幸いおまえのビーストが守ってくれたから良かったようなものの、これは明らかに処罰に値する」
「ユダ……」
「さぁ、後の事は自分で処理する。おまえは行ってラニー様のお相手でもしてろ」
厳しい口調。
「……ふん、どうせこの傷だ。長くはない。いたずらに苦しませるよりはマシだろう」
今度は静かな口調。
「……傷の手当ては念入りにしておけ」
そうとだけ言って、ネフェルはその場から去った。
「――気を落とすな。あの女獣士は他のポリスでは結構有名な存在になっている。おまえが弱いわけではなく、あの女が強いのだ」
ミレディの亡骸の前で跪こうとしたユダの耳にそんな言葉が飛び込んできた。
振り返ると赤毛の男が1人。
「――誰だ、おまえ」
見慣れない顔、全身水浸しとなれば長の護衛頭として警戒しない方が不自然である。
ミレディの首筋から抜き取った短剣を、男の目前に振りかざす。
「地位を選ぶか名誉を取るか」
静かに男が問い掛ける。
「おまえは今こう考えていたはずだ。負けたのは自分のビースト、獣士としての自分の力量ではない。しかし同族の獣士とは戦えない掟だ――」
「……おまえ、アマルナの者じゃねぇな。どこの間者だ!?」
詰問するユダをかわし、男はなおもユダの心境を代弁する。
「獣士として上なのは自分か、それともあの女か。はっきりさせないとすっきりしない――」
「俺の質問に答えろ!」
たまらず叫んでユダは男に短剣を投げた。
その切っ先を右手の人差し指と中指とで器用に捕らえ、男は笑ってこう言った。
「私の名はナイツ。地位より名誉を望むならこの私に協力する事だ」
イツマデモ キット 私ハ 求メ続ケル。