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『束縛』

その日、ユダはラジャや兵士たちと隠れ鬼をしていた。

ここならば絶対に見つからないと邸宅の最奥、大人たちでさえ決して踏み込まない禁じられた場所に身を隠した。

長の寝室だった。

ユダは腹這いで寝台の下に身を潜めた。

しばらくすると荒々しく扉が開き、即座に閉まった。

足音で長だと気づき、お咎めが怖くなったユダは息をひそめてその場をやり過ごす事にした。

すると寝台越しから長の声。


『何をそんなに震えているんだ? おまえもわしが怖いのか?』


自分に言われた言葉かと思い、一瞬ユダは身をすくめた。

しかしすぐに、彼は自分と長以外にもこの部屋に人がいる事を気配で悟った。


『誰にも言うんじゃないぞ』


布を裂く音と、脱衣の音とを聞いた。やがて寝台が軋み始める。


……確かあっちに鏡台があったよな。


ユダは好奇心から鏡台を眺め、信じられない光景を目の当たりにする。


寝台の上、頬を上気させて激しい律動を繰り返す長。恐怖に瞳を見開いたまま相手の動きに翻弄される幼いラニー。


『……助け……て、ママ……』


そのラニーの一言で空気が変わった。


『そうか、おまえもあの女のようにわしを捨てる気だな』


鏡越し、長の目に陰湿な光が宿ったのをユダは見た。


『ならば二度とそんな気を起こせない体にせねばならんなぁ、ラニー』


異様な音が辺りに響いた。


その日、いつものように邸宅中を走り回っていたラニーは『1人で』屋根によじ登り、『不注意から』足を滑らせ、二度と自力で歩けない体になってしまった。





「ネフェルにラニー様の護衛を?」


ユダは思わず立ち上がった。


アマルナの長の部屋。

上座にはラジャ、下座にはユダとミレディ。


「私の決定に不服が?」


玉座からの鋭い視線を目の当たりにし、再びユダはその場に控えた。


「いえ、そういう訳では……」


と前置きし、ユダはやんわりと提訴する。


「ただ今以上の護衛はラニー様には不必要かと」


長の邸宅――その東西南北にはラフィ家を筆頭にアマルナ4大獣士の館、さらに周囲は地下水をたたえた深く大きな人工堀で囲まれている。

門番、見回り、護衛と、多数の兵士が常勤するまさにテル・エル・アマルナ一安全な場所。

ラニーが邸宅の外に出た事は未だなかった。

それが、民がひそかに彼女を『籠の鳥』と呼ぶ所以でもある。


「父を亡くして早2年。長となった私には公務がある。昔の様にラニーの側にいる事ができなくなった。私はラニーに寂しい思いをさせたくはないのだ」


「じゃあ公務の折には俺がラニー様のお側に――」


言いかけてユダはハッとする。


禁じられた長の寝室。

長の地位と共にそれを継いだラジャ。

ラニーの吐息が今でもそこから漏れるのを、ユダだけがひそかに知っていた。


自分以外の『男』はだめなのだ――。


「……だったら俺の従姉妹にでも」


敢えて提案したユダだが――


「それでは有事に足手まといだ」


あっさりと却下されてしまった。


広大なリーファス湖。

その遥かな対岸には数百年前の因縁、かつてアマルナと共に初めの火種となった一族が、そのポリスであるテーベが存在する。

ここ数年、他のポリスでは日照りによる飢饉が深刻な問題になっているらしい。

テーベもまた酷い有り様であると聞いた。

地下水源に恵まれ、飢えを知らないアマルナ。

人の妬みの恐ろしさを思えば、自然ときな臭い空気が大陸中に充満している事にも敏感になる。


「分かるだろう、ユダ」


ニヤリと笑ってラジャが言う。


「ネフェルは『特別』なんだ」




蜂蜜色の夕暮れ。ガルーダと共に帰宅したネフェルを


「やぁ」


と手を振り、出迎えた人物がいる。


「……ルインか」


門を押し開け、ティティ家の敷地に戻ったネフェルは中庭で待つ相手の名を口にした。


ルイン――美女にも勝る容貌、どこまでも優雅な物腰、氷の様に冷たい眼差しを持つ獣士。

ゼリュー家の一人息子だ。


「昨日帰ってきたんだってね。おばさまから聞いたよ」


微笑むルインの肩越し、ネフェルに一瞥をくれて奥へと消えていく人影が見えた。

ネフェルの母、パートラである。


「……何しに来たの」


中庭の隅、ティティ家専用の井戸を目指しながら、ネフェルは背後に問い掛ける。


「ひどいな、ネフェル」


わざとらしく嘆息するルイン。


「未来の夫に向かって、そういう口の利き方はどうかと思うよ」


「……誰が」


呟き、ネフェルは井戸から汲んだ水を頭からかぶった。

2つ目の桶の中身は横にいるガルーダにかけてやる。


「それが君の新しいビーストかい?」


ガルーダを見下ろし、背後から馴れ馴れしくネフェルの肩を抱きしめるルイン。

構わずネフェルは冷たい井戸水を全身に浴びた。


「……冷たいね」


ルインは顔に張りついた前髪をそのしなやかな指先で即座に払った。


「……井戸水? それとも私が?」


問い掛けたネフェルの首筋を、ルインの指が滑り落ちる。



ガルル……ッ。



ネフェルの足元でガルーダが唸った。


「ふん」


薄目でガルーダを見据え、ルインが細い口笛を鳴らした。

瞬間、周囲から異様な殺気が漂ってくる。


コケッ……コケッ、コッ……。


現れたのは石化ガスを吐く特殊な鶏、ルイン御自慢のコカトリス集団、『プレアデス』である。



……1、2、3、4……5、6……。



「……1羽足りない」


数を読み、思わず呟いたネフェル。

その耳元でルインが囁く。


「僕の言う事を聞かなかったからこのウィップでお仕置きしてやったんだ。あっさり死んだよ」


ネフェルの目前に、一振りのウィップが差し出される。

『ローズ・ウィップ』とも『サンダー・ウィップ』とも呼ばれる、有刺鉄線を仕込んだ殺傷力の高いウィップである。


「僕はね、ネフェル」


ルインが言った。


「この3年間、毎日の様に樹海に行ってはこのウィップでビーストと戦い、勝ち続けてきた。確かに3年前の時点ではユダがアマルナ一だった。事実僕は君よりも低い実力しか持ち合わせていなかったしね。でも今は違う。『アマルナ一の獣士』は、長の護衛頭という地位に甘んじるユダよりも、この僕にこそ相応しい呼び名だと思っている」


そこでルインがウィップを振るった。

ネフェルの衣服の一部が裂ける。


「今なら従わせる自信があるよ。どんな獣も女もね」



ガウッ!



思い上がったルインの言葉に、たまらずガルーダが飛び出していく。

同様に行動を起こした『プレアデス』。

その6羽の石化ガスを完全にかわし、冷たい刺を秘めたウィップの軌道を悠然とすり抜けて、ガルーダはルインを押し倒すなりその目前で雄叫びをあげた。


「獣も女も物じゃない」


ガルーダの頭を撫でてやりながら、ネフェルはルインに言い聞かせる。


「恐怖で縛って従わせる者はいつか必ず裏切られる」


その場を後にするネフェルとガルーダ。


「ならば……ならば裏切りを思わせぬ、より強い恐怖で縛りつけるまでだ!」


立ち上がりながら、ルインは去っていく背に向かってそう叫んだ。


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