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『邂逅の時』

ともすれば運命。


必然の偶然だったのかもしれない。


大陸に唯一の淡水湖リーファス。

海を思わせるその広大な湖の辺で、1人の娘と私は出会った。


……ココデ 何ヲ シテイル?


思わず問い掛けたのはその娘が普通ではなかったから。

くたびれた衣服、憔悴しきった顔、腕に抱いた禽の躯はどろどろに腐敗して嫌な臭いを放っていた。

何より額のペインティング。

女の獣士とは珍しい。


「……探しているのだ」


水分を失ってひび割れた唇から、娘は美しい声を紡ぎ出した。


「この子が最も安らかに眠れる場所と、壁を乗り越える方法を」


娘の回答に興味を覚えた。


「私が冷静さを失わなければ、あの時この子は死なずに済んだ。だからこの子は私が殺したんだ」


リーファスを臨む大木の根元に亡骸を埋め、娘は淡々とそう言った。

この場所を捜し求め、恐らくは何日もの間不眠不休で歩き続けたに違いない。

衰弱した手で掘り起こした土を、今度はゆっくりとならしていく。


「冷静さを失ったのは、私が『壁』を自覚したせいだ」


『壁』――?


思わず身を乗り出して聞いた。


「……私の額に獣士のペインティングがあるだろう?」


私はコクリと頷いた。


「これが私の人生の、自覚した『壁』の象徴なんだ」


娘は語った。

自分がある部族の獣士の家系に生まれ、その家には彼女以外の子供ができなかった事。

異常なまでの執念で息子の誕生を望む母の事。


「このペインティングを許されるまで、私は獣士になれば……女の私でも獣士になれば母に認められる。そう思っていた」


愚かだった、と娘は言った。

すでに母との溝は埋めるにはあまりにも広く深くなっていた。

母には娘の父である今は亡き夫と、意地にかけても産むつもりだった幻の息子しか眼中になかった。

かくなる上は娘を強い男と娶わせ、夫の残した獣士の家系を存続させようと考える始末。


「あの人にとって、娘は子供ではなく物でしかない――。それを知っても、私はまだ強く生きていける自信があった。マロワという口の悪い、優しい『母代わり』がいたからな」


娘は摘んだ花を供え、盛り上がった土に向かって両手を合わせた。


「……私が獣士になった理由は3つある。獣士の家系に生まれた為、母に自分を認めさせる為、そして大切な存在を守る為だ」


最初の理由は取るに足りない。

やりたくなければ継がなければいい――。

1つ目は『自分の問題』だと娘は言った。


2番目の問題は少し厄介。

母の人生は母のもの。どんなに自分が求めても、母が『親』であるより『妻』である事にこだわり続けるなら今以上の進展は望めない――。

2つ目は『母の生き方の問題』。


3番目の理由が一番複雑。

やっと見つけた大切な存在。

ただそれを守りたかった。

なぜなら守り続ける間はずっと側にいる事ができるから――。


「不思議だとは思わないか? 多くの者が『友情には性別も身分も種族も関係ない』と言っておいて――」


娘は遠い目で呟いた。


「――『友情以上の感情にはその限りではない』と考えている事」


娘が私の目前に3本の指を突き出した。


「3つ目は『自分と他人の問題』だ」


自分ト 他人ノ 問題?


「性格も人柄も知り尽くしたはずの相手の、その予想外の言動に驚いた事はないか?」


瞬間、遠い日の記憶が蘇る。

それは王宮の女官。

私を傷つける為の刃物を手にした、それが最も似合わなかった女。


「……『自分』は自分と『同一おんなじ』、『他人』は自分と『不等ことなる』。間に隔たりが生じるのは当然だ。相手の感じ方、考え方は自分のそれとは違うのだから」


そう言った娘の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。


「気づいてしまえばそれだけの、他愛ない事なんだ。だが、初めて気づいた時は……っ」


嗚咽が漏れた。

水気を失っていた娘の唇がその衝撃で数ヶ所裂けた。


要するに、そういう事なのだ。

『壁』は確かに存在する。

そしてその向こう側に出ない限り、自覚した者に安息の日々が訪れる事はない。

八方を『壁』に囲まれ、その狭い空間に己だけで在り続ける。

それが『孤独』というものだ。


確か娘はこう言った。『壁を乗り越える方法を探している』と――。


私は血の滲む娘の唇に自分のそれをそっと重ねた。




ともすれば運命。必然の偶然だったのかもしれない。


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