『帰還』
湖畔の都市。
その名をテル・エル・アマルナという。
かの大戦を引き起こす原因を作った一族の子孫たちのポリスである。
当時は存続の危機にあったがこの数百年で何とか『大陸一二の部族』の座に返り咲いていた。
人々は小さな白い家に住んでおり、暮らしは樹海の向こうに点在する他の都市のそれよりかなり裕福だといえよう。
そんな都市の中央には四方に人工の堀を巡らせたひときわ大きな白い邸宅がある。
部族の長の家だ。
朝市の開かれている大通りを抜け、今まさにそこに向かおうとする者がいた。
ネフェル――。
それがその者の名。
白いハイネックのノースリーブに足にフィットする短めの黒ズボン、ズボンと同色のショートブーツが彼女の服装である。
腰に巻いた焦げ茶の幅広ベルトの前方には無数の小さな薬袋がぶら下がり、後方にはウィップ袋が備わっている。
手首から肘もとにかけては左右とも漆黒の革ベルトを巻いていた。
細身の剣を左腰にさげ、額には『獣士』の証明でもある赤茶のペインティングが施されている。
彼女はアマルナに12ある獣士の家系の1つ『ティティ家』の一人娘で、アマルナ唯一の女獣士。
彼女の横には首にネフェルの青いクレストをかけた巨大なホワイトタイガーが影のように寄り添っている。
その名をガルーダ。
現在ネフェルが所有する唯一のビーストである。
「我が名はネフェル。我らが長、ラジャ様の招きに応じ参上した」
堀の手前、対岸に跳ね橋を有する門を望む場所で、ネフェルは門上にいる見張りたちに向かってそう言った。
ほどなく跳ね橋がおろされ、ネフェルとガルーダは邸宅への進入を許される。
「よぉ、誰かと思えばネフェルじゃねぇか」
案内されるネフェルたちの前に、1人と1頭が立ちはだかった。
細身で長身の青年と黄金の雌ライオン。青年の名はユダ=ラフィ。
額に赤茶のペインティングを施した赤髪碧眼の青年である。
彼もまたアマルナの獣士で、その家系は代々アマルナの長の護衛頭を務める名家。
だから自分は獣士の中でも『特別』なのだという絶対の自信がその表情にも表れていた。
案内の女官に遅れまいとユダの前を素通りして回廊を進むネフェル。
無視された形となったユダは通り過ぎるネフェルの右腕を力ずくで引き戻した。
「待てよ」
強引にネフェルを振り向かせるユダ。
「少し会わない間にこの俺を忘れちまったのか? ん?」
「……あぁ、ユダか。ビラビラした服を着ているから獣士とは思わなかった。少し見ない間に獣士を廃業したのか?」
獣士は動きを重んじる。
しなやかにウィップを繰る時も、華麗に剣を振るう時にも、何より獣士にとって好ましいのは動きを妨げない楽な服装である。
その点、ユダの纏うドレープ入りの長衣は明らかに獣士らしからぬ格好だと言えよう。
左耳には肩まで届く黄金のピアス、首もとには黄金の首飾り。
両手首には黄金のブレス。
ここまでくれば軽快さより見た目を重視したとしか言いようがない。
「獣士を廃業? はっ、おもしろい冗談だ。俺はあの日と同様、アマルナ一の獣士のままだぜ。なんならミレディとその白いのを戦わせてみるか? ルビードと同じ目にあうのがオチだがな」
『ルビード』という言葉に、一瞬ネフェルの秀麗な顔つきが青ざめた。
それはかつてのネフェルのビースト、1羽の美しい大鷲の名前。
ネフェルがガルーダと出会う前、今から3年前にユダのビースト・ミレディと戦い、敗れて死んだ。
「俺が18、おまえは確か15だったな。あの日から急に姿を眩ましたと思ったら3年ぶりの御帰郷か」
ユダの右手がネフェルの細腰を無遠慮に抱いた。
ネフェルの耳元でユダが囁く。
「いい加減、おまえが獣士を辞めちまうんだな。さっさと俺の女になってラフィの次期当主を産め。アマルナ一の獣士の俺と、まがりなりにも獣士だったおまえの子だ。最強の獣士ができるとは思わないか」
ヒュッ!
ユダの頬を何かがかすめた。
ネフェルの右手には漆黒のウィップが握られている。
ユダのビースト・ミレディが唸る。
負けじとガルーダも威嚇する。
「……先を急ぐ。おまえの戯言に付き合っている暇はない」
「……今日の所は見逃してやる」
そう言ってユダは右頬から流れる赤い液体を左手の甲で拭い去った。
「この借りは高くつくぞ」
回廊の果てに消えるネフェルの背に、ユダはそう言ってニヤリと笑った。
ドウシテモ 変エル事ノデキナイ 事実ガ アル。