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第七話 定形外郵便物

 目覚まし時計の音で目を覚まし、クライドはベッドからのっそりと這い出した。七月二十六日、時刻は午前六時五十分。十時までに郵便局にいけば良い。バッグに着替えや昨日買った生活用品をつめながら、クライドは部屋を見渡す。

 天井に貼ったポスターや、壁の穴を隠すポスターは違うものになった。ベッドのシーツも、水色のピンストライプだった物が青の無地になった。カーテンが薄い黄色からビビッドな青に変わり、机に飾った写真も十七歳の誕生日のものになっている。そして、机の上には携帯の充電器があった。

 ここ一年で部屋の内装も随分と変わったが、基本的なスタイルは以前と同じだ。まだパソコンのようなツールは家にないが、それでも携帯があるおかげでクライドの家も以前と比べて随分と近代化した。充電器も持って行くことにして、クライドはコードを束ねてマジックテープで留めてからバッグの中に入れた。あとは、暇つぶしのための本を一冊いれておく。水は漁師の町で手に入れればいいので、今回は持っていかないようにする。極力荷物を削減し、身軽にしようというのが今回の旅のルールだ。

 仕度を終えたクライドは、シャワーを浴びに下へ降りる。シャワーを浴びたら朝食にして、十時に間に合うように家を出よう。階段を降りて居間を通って風呂場へ行こうとすると、父がおきてきた。寝ぼけ眼でクライドを捉えた父は、にっこりと笑った。クライドも微笑み返し、今日の最初の挨拶を父にした。

 シャワーをあびて風呂から出てくると、時刻は七時半をすぎていた。軽装に着替えて濡れ髪にタオルを当てながら、クライドは大きくあくびをした。昨夜はずいぶん食べたが胃もたれはない。ふと見ると、食卓に朝食が用意されている。食卓の上に置かれた四人分のトーストと目玉焼きは、まだ焼き立てだ。

「おはよう、クライド。良く眠れた?」

 キッチンから声がしたのでそちらを向くと、母がベーコンを焼こうとしていた。クライドが頷くと、先ほど起きたくせに再び寝てしまった父を起こしてくるよう頼まれた。父の部屋に行く。

 父の部屋は本当に質素で、このカルヴァート家でおそらく一番色褪せて見える部屋だ。モノトーンのシーツがかけられたベッドに寝ている父をみて、クライドは苦笑した。彼のパジャマは脱げかかっているし、布団はベッドの隅に追いやられている。まるで子供の寝相だ。

「父さん、起きて」

「んー、クライド。もう帰ってきたのか? 速いな」

 クライドが父を揺り起こすと、彼はにこりと笑って顔を上げた。しかし、すぐに再びがくんと力をなくして目を閉じる。クライドは呆気に取られたが、もう一度父を揺り起こす。

「何が? 父さん、帰ってきたって……」

「目的は達成できたのか? 今晩は豪華にしような」

「いや、俺まだ旅にでてないんだけど」

 全く、呆れたくなる。これは新手のジョークなのだろうか。違うだろう。父は完全に寝ぼけている。今の台詞からすると、父はクライドが帰ってくるまでずっと寝ているつもりなのだろうか? 

 クライドは笑いながら、また寝そうになった父を揺する。

「朝飯いらない? なら俺が二人分食うけど」

「飯か? ダメだ、アリシアの愛情たっぷりの手料理をこの俺が食べないわけには」

 この一言で、父はむっくりと起き上がってパジャマの乱れを直した。急にスイッチが入ったように動き出す父を見て、父の母への強烈な愛情を感じる。いつも思うが、これではまるで新婚夫婦だ。十三年間の空白のおかげで、父と母はいつも傍で聞いているほうが恥ずかしくなるような甘い会話をしている。少女のようにはしゃぐ母も、詩人のように気障な甘い言葉を吐く父も、なかなか強烈で直視できない。

「母さん、父さんが起きた」

 言いながら父の部屋から出てくると、母はベーコンを皿に盛り付けているところだった。クライドは自分の定位置に座る。祖母はクライドが父を起こしている最中に部屋から出てきたのか、既にクライドの斜め前に座っていた。

「おはよ、ばあちゃん」

「おはようクライド、良い朝だね」

 祖母はそう言いながら、珈琲を飲む。祖母の珈琲と焼けたトーストやベーコンの匂いが、カルヴァート家の朝の香りだ。毎朝嗅いでいる匂いだから、クライドはこの匂いがとても好きだ。この香りが漂ってくると、不思議と目がさめやすくなる。

「おはよう、あなた」

「おはようアリシア、今日も綺麗だ。世界が輝いて見えるのは君のおかげだな」

「まあ、あなたもよ。世界で一番素敵な旦那さん」

 惚気始める父と母を横目に、クライドは食事を始める。この一家は食事の前に特定の神に祈ったりはしないが、クライドは全てのものに感謝を込めていただきますと呟いた。トーストを齧ると、香ばしいバターの風味がふわりと口に広がる。

 食事の間、家族は終始笑顔だった。そして、テレビで見た映画がどうだったとか、ニュースで珍しい動物の特集をやっていたとか、夢で友達に会ったなどと旅とは何の関係もない話をしてくれる。そうして優しい家族達は、クライドにかかったプレッシャーを和らげようとしてくれているのだろうか。

 食器を下げるのを手伝ったあと、クライドは洗面台で身支度をした。顔を洗ったり歯を磨いたりした後、跳ねた髪を撫で付けてみる。どうせすぐに元に戻ってしまうが、髪が跳ねていない時のクライドはかなり父に似るのだ。父を若返らせて整髪料で髪を跳ねさせれば、きっと元から華奢なクライドをもっと華奢にさせたような少年ができあがる。

「何か落ち着かないな……」

 鏡に映る自分に向かって呟いてみる。髪型のせいで落ち着かないのではなく、これから旅に出るということを考えると落ち着いていられないのだ。胃の底と喉の奥をきゅっと締め付けるような嫌な感覚が、自分が現在緊張しているのだということを思い知らせてくれた。

「クライド、友達がきたわ」

 洗面所に来た母は、もうスーツに着替えていた。母と入れ替わるようにして洗面所を出て、クライドは玄関に向かう。玄関には、アンソニーがいた。軽量化すると昨日言っていたはずなのに、結局去年に近しいサイズの大荷物を持っている。アンソニーは玄関先にその大荷物を降ろして、肩を休めているようだ。アンソニーはクライドを見ると、ほっとしたように表情を和らげた。

 澄んだ、時に未来を見通す目。彼の空色の瞳はこの街を出れば頼もしい武器となるが、今は不安に揺れていた。

「おはようクライド」

「どうしたんだよ、トニー?」

 訊ねてみたが、何となく理由は察していた。クライドと同じように、アンソニーも少し緊張しているのだろう。アンソニーは照れたように笑い、それから想像通りのことを言った。

「ちょっと落ち着かない気分だったんだ」

「似たもの同士かもな、俺ら。待ってろ」

 そう言い置き、クライドは階段を上がって荷物を取ってきた。携帯を持っているが、一応腕時計もしておく。階段を駆け下りて玄関に行くと、アンソニーは重そうな荷物を背負い上げてぎこちなく微笑む。

「もう行く? あと一時間は軽くあるけど」

 クライドは頷いて、家の中を振り返った。父も祖母も母も、クライドを優しい眼差しで見つめている。

「行ってきます」

「気をつけて」

 父に言われ、母に手を振られ、祖母に微笑まれてクライドは家の外に出た。まぶしい夏の日差しが、燦々と辺りを照らしている。白い半袖のTシャツを着た背中に、ひどく熱を感じた。もう夏なんだなと、再認識する。

「うー、暑いよクライド」

 背中に大きなバックパックを背負ったアンソニーは言う。彼のこめかみの辺りには、早くも汗が浮かんでいた。クライドは苦笑し、アンソニーのために少し涼しくなることを考えてやる。

「そうだなあ、怪談でも聞かせてやろうか?」

 クライドはアンソニーの方を向いてそういった。前回の旅で幽霊に免疫ができたように思われるアンソニーだが、未だに心霊現象と呼ばれる現象に弱い。例えば鐘楼にウルフガング以外の霊がいると聞けば、最低でも三日間は鐘楼に近づかないといった具合にだ。

「やめとく。クライドの話、怖い」

 案の定、アンソニーはクライドの申し出を断った。クライドは笑いながら、バッグを持ち直す。これは去年グレンが使っていたようなスポーツバッグで、サッカー部の全員が同じものを持っている。多機能で大きなこのバッグは肩紐をつけたりつけなかったりできるので、肩にかけたほうが楽だが手に持っている。まだ出発まで時間があるからだ。

「怖いか? ノエルのほうがよっぽど怖いだろ」

 アンソニーよりいくらか低い、聴いていて心地が良くなるような声。声の方を振り向けば、声の持ち主であるグレンは口角を上げて楽しげに笑う。彼もクライドの家に向かってくる途中だったのか、大きなショルダーバッグを肩にかけていた。

 黒のタンクトップから覗く少し筋肉質な彼の腕は、街の外に出れば不思議で強力な武器となる。魔法がどのように具現化するのか、誰に与えられた力なのかはわからないが、フィジカルが強いグレンにどこにでも届く手が備わっているのは大正解だ。

「それは僕が語る怪談に対しての感想かい? それとも、僕自身に対しての話かい?」

 穏やかな声。はっきりと耳に届くその声は、何を説得しているわけでもないのに説得力のある声だ。声の主はグレンを見上げ、にっこりと微笑んでいる。彼もクライドの家に来ようとしたのだろうか。新しい大き目のキャリーカートを引いて、ノエルは普段に比べたら動きやすそうな服に身を包んでいる。ただし、やはりいつもどおりの長袖の服だ。こんな蒸し暑い日に、よく長袖など着ていられる。

 グレンはノエルを見て、にんまりと笑う。たった今話題に上っていた本人の登場に驚いていない様子のグレンは、ノエルに向かって言った。

「両方だ」

「怪談を語って怖くないって言われると、ちょっとがっかりするからね」

 グレンが自信満々に言った一言にノエルは頷いて、飄々とした態度で彼から目を逸らす。そしてノエルは、クライドを見る。

 誰よりも賢い彼は、誰よりも難解な魔法を味方につけている。彼の力は物体を分子レベルに分解したり新しく組み替えたりする魔法だから、知識と応用力がなければ持ち腐れになってしまう。

 これから、揃って街を出る。この町を守る結界の外に出る。そうすれば普通の男子学生よりもちょっと特別なことが出来るようになるのだから、緊張を乗り越えたら正直なところ気持ちが浮ついているのを認めざるを得なかった。

「予定時刻より早いけど、郵便局でシェリーを待つかい?」

「そうだな」

 ノエルの声に頷いて、四人で郵便局を目指す。夏休みが始まったからか、子供たちの姿が多くみられた。無邪気にはしゃぐ子供たちの声をBGMに、リヴェリナについたら何を食べたいか話し合ったりする。郵便局はそれほど遠くないので、話しているとあっという間に到着した。

 郵便局の入り口で、痩せた金髪の女性が出迎えてくれた。彼女は笑いながらノエルを見て、それから彼に歩み寄って鳶色の髪をくしゃくしゃと撫でる。彼女がノエルの母親で、フィオナ=ハルフォードという生粋のラジェルナ人だ。何度も彼の家で会ったことがある。代々アンシェントで生まれ育っている家系らしいから、もしかしたら祖先はウルフガングと一緒にアンシェントにやって来た帝王討伐隊の生き残りかもしれない。

「皆、また背が伸びたかしら。いいわねえ、成長期ね」

「僕も同じ成長期だよ、身長はわずかにしか伸びていないけど。気にしてるんだから背のことは言わないで」

 悪戯っぽく笑うノエルの母に、ノエルは彼女の手を掴んで止めながらやんわりと言った。ノエルの母は知的な女性で、フレームの無い眼鏡をかけている。彼女の見た目は典型的なラジェルナ人なので、彼女から外見的にノエルに遺伝した部分は柔和な顔立ちぐらいに思える。ノエルはかなり父親似なのだ。クライドは彼女に軽く会釈した。

「今日はありがとうございます、ハルフォードさん」

「いいのよクライド、そんなに硬くならなくて。いつもノエルと仲良くしてくれてありがとう」

 ノエルの母は笑い、クライドはつられて笑った。彼女もノエルと同様に語学に長けている人で、自宅ではほとんどノエルの父の母国語であるウィフト語を喋るという。ハルフォード家はこんな辺鄙な山間に住んでいるくせに、かなりグローバルな一家なのだ。かくいうカルヴァート家だって、純粋な人間は一人しかいないというかなり奇異な一家なのだが。

 グレンとアンソニーもノエルの母に挨拶をし、にこやかなノエルの母はそれぞれに感謝の意を示していた。感謝するのはこちらのほうなのだが、どうも息子の交友関係が狭いことを案じているらしい彼女はクライドたちにいつもこちらが恐縮するくらいに良くしてくれる。

 わざわざ出迎えてくれたノエルの母は忙しい業務の途中だったようで、職員に呼ばれてカウンターの方へ向かっていった。綺麗な夜会巻きに結い上げられた金髪ときびきびした歩き方で、やはり見るからに賢そうに見える。

「あと三十分かあ」

 アンソニーが呟いた。クライドはつられて自分の時計を覗き込み、時刻を見る。九時三十五分。クライドの時計は五分進めてあるので、実際にはアンソニーの言うとおりあと三十分ほど時間に余裕がある。しかしそれでも郵便局員たちが、少ない郵便物をヘリコプターに乗せ始めていた。ノエルの母は司令系統に回っているのか、せわしなく小走りで職員たちに何か伝えて回っている。

「おい、シェリー遅くないか?」

「まだ三十分もあるんだぜ? 心配するなよグレン」

 荷物の整理を始める局員達を見て、グレンが焦ったように言った。クライドは苦笑し、心配性なグレンを諭した。シェリーのこととなると、他のどんなことよりも敏感になるグレンがとても新鮮で面白い。

「あ、グレン! シェリー来たよ?」

 アンソニーが朗らかにそう言うと同時に、グレンがクライドの隣を凄い速さで通り抜けていった。呆気に取られて振り返ると、心持ち驚いた様子のシェリーの隣にグレンがいた。グレンはシェリーの荷物を持ってやりながら、何事かシェリーに話しかけている。ちゃんと紳士らしい振る舞いもできるではないか。クライドは感心して、浮かぶ笑みを抑えきれなくなった。

 隣でアンソニーの大きなため息が聞こえた。振り返ると、ふてくされた様子でアンソニーが二人を見つめている。

「最近のグレンってさ、シェリーばっかりで僕らに構ってくれてないよね。いつだってシェリーファースト。それで、ファーストの次は存在しない」

「そうかも。シェリーファースト、語呂いいな」

 アンソニーの表情に不満の色が浮かんでいるが、シェリーがグレンにとっての初めての恋人なのだ。クライドは、そっと見守っていてやろうと思う。相当モテていたというのに恋愛に関しては遅咲きだったグレンが、ようやく人並みにデートを楽しめるようになったのだ。

 そのうちグレンも友情と愛情の両立ができるようになるだろうから、今までどおりの関係に戻れるだろう。クライドだって、初めて恋人が出来た時は友人そっちのけで恋人とべたべたしていた。(そして一年と少しで振られた)

「アンソニーは、誰かと付き合ったりしないのかい?」

 ノエルが言った。クライドもそれには興味があったので、アンソニーを見下ろした。アンソニーは照れたように笑って、それからクライドとノエルを順番に見た。

「クライドとね、記録が並んだんだ。失恋記録」

 それを聞いて、ノエルが意外そうな顔をした。クライドはというと、黙り込んだ。失恋記録という言葉に、胸の奥が少し疼く。レイチェルを含めた過去五回の失恋は、未だに癒えることの無い心の傷である。回数からわかるように、クライドはどうにも長期的な付き合いに至る前に彼女に愛想をつかされがちだった。

「僕はいいんだ、恋なんかしなくても」

 にっこりと笑い、それきり何も無かったかのように振舞うアンソニーがどこか痛々しく見えて、クライドは少し心に棘が刺さったように感じた。強がっているアンソニーだが、本当はクライドと同じように失恋を悔やんでいるのだろう。もしかすると、彼女が離れていったことを自分のせいにしていたりするかもしれない。

「準備ができたわ。乗り込んで。荷物にタグだけつけるから、そこに置いていってね」

 ノエルの母が戻ってきて、クライドの方を向いて言った。クライドは頷いてノエルの母に従い、荷物を手から離す。それと同じぐらいのタイミングで、クライドの背後からノエルが母親に声をかけた。

「そうだ母さん、荷物の送料は別だったね。四人分でいくらになるんだい?」

 ノエルが何気なく言ったこの言葉で、クライドは固まった。メンバーの中では所持金が一番少ないクライドだから、町から出るまで一カルドたりとも無駄には出来ない。本当に金銭面で困るのは、今ではなく明日からの未来なのだ。

 そわそわするクライドを尻目にノエルの母は快活に笑い、ノエルのキャリーカートの取っ手をひょいともちあげる。

「いいわ、送料は貴方達の分だけで。今日は届ける荷物も少ないしね。受け付けはあっちよ」

 颯爽と歩き、郵便局のカウンターの方へ荷物を持っていくノエルの母。クライドはそんな彼女を見送り、ほっと胸をなでおろした。

 カウンターに合言葉を言うと、受付の四十代ぐらいの男性がにやっと笑った。他のスタッフたちと違って冬に飛行場で見たパイロットのような服装をしていて、名札には金色の文字で『ケヴィン=リーボック』と記されている。典型的な金髪碧眼のラジェルナ人で、整った顔立ちと人好きのする笑顔が印象的だ。相当モテるタイプの男性だろうが、結婚指輪が新品のように輝いているので新婚か、もしくは毎日磨いているかのどちらかだろう。

「郵便物の送料を計算しますので、別室へ。後ろの方々はお連れ様ですか」

「はい」

 片手にバインダーを持ったリーボックは、カウンター脇の小さな扉を開いて見せる。クライドは緊張しながらドアをくぐる。倉庫のような部屋の隅に、黄色いテープで囲われた一角があった。大きな秤が置いてある。

「あちらへ」

 促されるまま、クライドは黄色いテープで囲われた秤に乗った。針は着衣の状態でも五十四キロを指したので、クライドは内心で安堵する。顔に出ていたのか、バインダーにクライドの体重を書き留めていたリーボックがくすっと笑って声を落として言った。

「……初めて? 郵便ヘリ」

「そうです」

「ハマるよ。今日は操縦担当じゃないんだけど、俺は普段パイロットなんだ」

 クライドにだけ聞こえる声で、砕けた口調のリーボックはそう言った。気さくなおじさんという感じがして好感が持てる。

 順調にノエルやグレンも秤に乗り、アンソニーも通過し、最後にシェリーだけが残る。彼女が顔を真っ赤にして恥ずかしいから後ろを向けというので、男子たちは姿勢よく秤を背にして立った。

 女の子が頑なに自分の体重を知られないように努める文化がクライドにはよくわからない。きっと小柄で華奢なシェリーの体重は四十キロもないだろうし、どちらかというと太らなければいけないぐらいの細さだというのに。リーボックは小刻みに肩を震わせて笑いながら、シェリーの体重もメモしている。

「受付で送料をお支払いの上、階段を上ってお待ちください。それでは」

 リーボックは丁寧な口調でそう言うと、クライドたちをまた受付の方に案内した。ドアを通り過ぎていくクライドの後ろで、リーボックが何か小声で言いながらノエルの頭を撫でているのが見えた。知り合いらしい。

「なあノエル、あのパイロットと知り合い?」

 尋ねると、ノエルは頷いた。そして、撫でられて乱れた髪を手で少し整える。

「母さんの古い同僚だよ。初めてこの街に父さんを載せてきた人だ。……昔はよくうちに来ていたんだ、遊んでもらったこともある」

「なんか、ノエルの子供時代ってうまく想像できないなあ」

 アンソニーのつぶやきにクライドも同感だった。ノエルは生まれたころからこの完璧な状態を維持していそうな雰囲気がある。頷いているグレンを横目で見ながら、クライドはにやっと笑う。

「グレンは見たまんまの子供だったな」

「トニーはいまだに子供だなあ?」

「失礼な!」

 飛び火したアンソニーが頬を膨らめているのを見て、そういうところだよと思うがあえて言わずにおく。

 雑談しながら階段を登って屋上に出ると、三六〇度澄み渡った青空が見えた。視界を邪魔する建物といえば、アンシェント学園やアンシェント大学、それから鐘楼ぐらいなものだった。病院は山の稜線と被っていたし、市役所もそんなに高い建物ではない。この惑星はやはり丸いんだと、クライドは当たり前のことを思う。

「でっけー。近くで見ると意外と大きいんだな、ヘリって」

 グレンが驚いたように言い、最後尾についてきていたノエルの母がくすくすと笑った。グレンと同じように驚いた表情のシェリーの身を包む、清涼感あふれるノースリーブのワンピースが風にはためく。華奢な体と相反するような大きなバッグを持ち、長い髪はポニーテールにしている。コマーシャルに出てきそうな美少女だと思って眺めていると、クライドの視線に気づいたシェリーは柔らかな笑みを浮かべる。

「人間の技術ってすごいね。こんなに大きな鉄の塊が空に浮かぶんだから」

「そうだな」

 笑顔がだいぶ自然になった。つんと澄まして一人で何でも抱え込もうとしていた頃の彼女は、やはり相当無理をしていたのだろう。今のシェリーはよく笑うし、自分にできないことをある程度はちゃんと自ら人に頼めるようになった。

「早く乗ろう! 何かすごいや!」

 予想通りだが、アンソニーが早速目を輝かせている。散歩に連れてきてもらった犬を思わすテンションの上がりっぷりにクライドは苦笑しながら、陽炎の中にたたずむヘリコプターに近づいた。

 操縦席には初老の郵便局員がいて、クライドたちを優しい目で見ていた。クライドが彼に会釈すると、彼は会釈しかえしてくれる。手招かれたので彼に近づくと、なんと助手席に乗せてくれた。アンソニーが羨望の目でこちらを見つめている。

「乗んな、そろそろ発つから」

 そういって、操縦士は残る四人を手招いて後ろの荷物を入れる場所に乗せた。何だか自分だけ流れでかなり良い場所をとってしまったようなので、仲間達に申し訳ないとクライドは思った。

 クライドの腕時計が十時を差した。聞き取れない無線の声が二言三言聞こえて、操縦士が何らかの計器を操作した。ゆるやかに、そしてだんだん大きな音を立ててプロペラが回りだす。操縦士が様々なボタンに触れたあと、無線でなにやら言葉を交わしてハンドルを引く。とたんに、窓から見える青空の雲の配置が微妙に変わった。ヘリコプターが離陸したのだ。クライドは操縦士をそっと見た。操縦士はクライドの視線に気づき、少し欠けた歯を除かせてにっこりと笑う。

 こうしてクライドにとって初めての『郵便物』としての旅は、少し緊張気味に始まったのだった。

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