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第六話 前夜祭本番

 父に言われ、肉は後から焼くことにした。先にサラダなどの冷めても良い物から作り始めることにする。父と話しながら料理の下ごしらえをしていると、祖母が帰ってきた。今日の祖母はやけにご機嫌で、足が悪いのに踊るようなステップを踏みながらリビングのソファに座る。

「おかえり、母さん」

「ばあちゃんおかえりー」

 クライドと父が声を合わせて言うと、祖母は満面の笑みを浮かべた。何かいいことがあったのだろうか。

「ただいま、ハーヴェイ、クライド。今日はおまえたちが夕飯を作ってくれるんだね?」

「ああ、そうだよ。ばあちゃんは休んでいていいからな」

 嬉々とした声で言う祖母に、クライドは笑顔でそう返した。今は穏やかでゆったりとしたイメージの祖母だが、昔はかなりやんちゃで向こう見ずな女性だったと言う。今の嬉しそうにはしゃぐ祖母を見たら、その話はやはり本当なのかとちらりと思った。

 しかし、思ったことはすぐ口にし、正義感が強いため悪は絶対に赦さず、喧嘩もよくしたらしいという祖母の姿をクライドは未だに上手く思い描けない。出会った頃のシェリーみたいな感じなのだろうかと思ったところで、何となく納得できた。もしかするとエルフの女性は、全員がこんな感じなのだろうかと思わずにはいられない。

「クライド、大きさが不揃いだぞ?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべながらクライドを見る父の手元にある材料は、すべて均等に切られている。上端と下端で大きく幅が違う根菜などをのぞいては、機械のように上手に切られていた。

 クライドはと言うと、所々がみじん切りになっている。改めて自分の料理の下手さを実感した。不慣れなだけだから練習すればよくなると、自分に言い聞かせる。

 父は切った野菜を金属製のざるに入れ、ざるごとなべに入れた。こうすると、湯きりする時に楽だと父が言う。軽くボイルした野菜を皿に盛り付けて、父は上機嫌で鼻歌を奏で始める。曲は、カルツァ=フランチェスカの名曲だ。最近のベスト盤に収録されていた曲だが、父はわざわざ最新の曲よりも少し古い曲を好んで聴いている。

 こうして父と息子で料理をするなんて、最初で最後になるかもしれない。無事に帰ってきても、父と一緒に料理をすることなんてもう二度とないだろうとクライドは思ったのだ。不思議と、穏やかな気持ちになる。精一杯孝行して、精一杯優しくして、そして旅に出よう。

 スープを完成させたクライドがグラタン作りを手伝い始めると、玄関で物音がした。母が帰ってきたようだ。クライドはエプロン姿のまま玄関へ行き、ドアを開ける。

「おかえり、かあさん。エプロン借りてるから」

「あら、クライド…… その格好、似合わないわね」

 仕事から帰ってきたばかりの母は、上品なスーツに身を包んだまま口元に笑みを浮かべる。一日働いて化粧がよれているが、クライドの自慢の母親だ。クライドは肩をすくめ、母を家に入れてからドアを閉めた。

「ありがと、褒めてくれてるんだろ」

「ふふ、そうよ」

 母は嬉しそうに笑い、キッチンの父に歩み寄ってキスを交わす。何度見てもなれない光景だ。すっかり二人の世界に入ってしまった父と母からそっと目をそらすクライドを見て、祖母がくすくすと笑った。母はしばらく父と話したりしていたけれど、スーツを着替えるために部屋に戻った。父の頬や唇には、母の口紅がうっすらと付いている。

「愛される幸せってやつだ。お前にもじきにわかる」

 口紅で汚れた口許を吊り上げ、満悦した顔で目を細めながら父は言う。クライドはため息をつき、苦笑して父の隣に戻る。時々父はこうやって、クライドをからかう。こんな風な子供っぽさをもった父は、本当は自分より年下なのではないかとクライドは思う。

「さて、料理再開だ。クライド、そこの塩とってくれ」

 クライドは頷いて、少し高い位置に仕舞ってあった塩を取り出した。父はレンジとガスコンロとオーブンの間をいったりきたりして、せわしなく働いている。クライドも出来る限り手伝うことにして、オーブンの中に入っているパイの焼け具合を監視した。

 やがて全ての料理が出来た頃、母はテーブルを美しく装飾していた。普段使わない真っ白なナプキンを飾り折りして人数分用意して、テーブルクロスも上質な織物を使っている。テーブルだけ見れば、まるでテレビで見た大金持ちの家だ。あまり裕福とはいえないクライドの家では、こんなに料理を食べることは殆どない。だが、この料理は余らないだろう。クライドと父の手作りと言うことで、母も祖母も喜んで食べてくれるだろうからだ。

「ハーヴェイ、エプロンをとりなさい」

「あ。忘れていたよ」

 祖母と父がそんな会話をし、父はエプロンを風呂場の近くにある洗濯機に投げ込んだ。クライドもエプロンを脱ぎ、父を真似て洗濯機に向かって投げる。見事にエプロンは洗濯層の中へ消えた。見ていた父が、軽く拍手してくれた。

「もう、二人とも……。ものを投げるのは悪いことよ」

 そういう母だが、顔は笑っている。クライドは定位置の椅子に座り、軽く謝る仕草をして見せた。いつもクライドは、部屋の入り口から見て左手前の席に座る。

 父は何を思ったか、酒とグラスを持ってきた。ワインボトルもあるが、ビール瓶もある。銘柄の解らない酒もあった。ワインのコルクを抜き、ビール瓶の栓を抜きながら、父は子供のように笑う。

「クライドの実り多い旅を願う、祝い酒だ!」

 言いながら、クライドに泡だったビールをよこす父。クライドがそれを受け取ると、母の厳しい目がじろりとクライドを睨む。母はクライドを睨みながらも、父に対して文句を垂れる。

「だめよあなた、クライドはまだ十七なんだから。エルフの世界に飲酒の制限がなかったからって、この子は人間でもあるんだから」

「いいだろ、今夜くらい」

 父の柔らかい声が聞こえた。母から目をそらして父を見ると、父はどこか寂しそうな笑顔を浮かべていた。母のほうを向き直ると、彼女は震えるようなため息をついてクライドから目を逸らした。

「絶対、旅先でも飲んじゃダメよ。そんなつまらないことで補導されて帰ってきたら呆れるわよ」

「解ってる」

 少し迷い、まだ大人でないからグラスを置く。母がほっとしたように口元を緩めた。横から伸びた手がビールをさらい、一気に飲み干す。ふわりとアルコールの匂いが漂った。

 大人になったらこんなに不味そうな飲み物を飲むようになるのだろうか。子供のうちにこれを飲んではいけないと言われているのは、きっとこれを飲むと不純に成長してしまうからなのだろう。イノセントやマーティンなどはその典型で、子供の頃にビールを大量に飲んでいたに違いない。そこまで考え、クライドは苦笑した。やっぱり、自分はまだ子供だ。空想主義の、現実を受け止める能力がまだ足りない子供なのだ。

 父が明るい声で笑い、母は心配そうにクライドを見て、祖母は楽しそうにビールを呷った。クライドが祖母について聞いたことは、彼女が若かった頃やんちゃで無鉄砲だったと言うことだけではない。若い頃からかなりアルコールに強いということも、クライドが知る祖母についての情報だ。グラスのビールを一気に呷り、祖母は不敵な笑みを浮かべた。

「おまえを潰すのは久しぶりだな」

「母さん、寝言は寝て言うんだ」

 父もビールの瓶を手に持ち、中身をグラスに注いだ。妙にやる気満々である。ともすれば、このままビールを瓶ごとラッパで飲み干しかねない勢いだ。母は呆れたようにこめかみをおさえ、小さくため息をついた。

「二十年前に戻ったみたい……」

 母が呆れたように呟いた言葉が聞こえたのか聞こえなかったのか、祖母はグラスの中身を余裕の表情で飲み干している。バトルを始めた二人を放置して母が食事を始めたので、二十年前にはこんな光景が当たり前だったのかもしれない。クライドは驚きながらも、カルヴァート家にしてはかなり豪勢な夕飯をほおばった。父と一緒に作った料理はおいしい。

 クライドと母が小さく会話しながら食事を楽しんでいる傍ら、祖母と父の飲み比べはしばらく続いていた。意外にも最初に音をあげたのは父の方で、彼は頬をほんのりと赤くしてグラスを置いた。祖母は勝ち誇ったように笑っているが、その顔は父より赤い。多分、父より祖母のほうが血行が良いので頬が余計に赤く見えるのだろう。

「ギブアップ。これ以上飲んだら明日の仕事に響く、やめておこう」

「わたしの勝ちだね。でも、わたしも明日のことが心配だからやめておくよ」

 これは、引き分けということでいいのだろう。デザートのフルーツをつまみながら、クライドはそう考えていた。すっかり甘いぶどうジュースを飲みなれている自分が、ビールを好んで飲むようになる日が本当にくるのだろうか。まるで想像ができない。

「酔っちまわないと言えないがな、お前は俺の誇りで一番の宝だ」

 少し呂律の回らなくなってきた口調で父は言った。これを言うために、父は酒を大量に飲んだのだろうか。やはり大量に飲まなければ酔えないという父の言い分は本当らしく、ビール瓶は父と祖母の合計で十本以上空になっていた。

「大事だから、愛しているから、俺はお前の力を認めているよ。お前は出来る。頑張って来い」

 潤んだ目と赤くなった頬のせいで、父は泣く寸前の少年のように見えた。クライドは一瞬呆気に取られたが、すぐに笑って父を見る。

「ありがとう」

 たった一言、それだけを返すのに精一杯だった。胸が詰まり、思うように言葉がでない。十三年間離れていた期間があってもなお、父はクライドを想い続けてくれている。そして父は、クライドの自由を認めてくれる。

 理解が深く、知識も深く、愛情も深い父。クライドの誇るべき父親は、やつれた顔に幸せそうな笑みを浮かべていた。

 母を見ると、母は目を潤ませていた。また母を泣かせてしまうことになってしまったのだろうか。クライドは少し胸が痛むのを感じて、母から目を逸らす。母から目を逸らすと、祖母と目が合った。祖母は銀色の目を細めてにっこりと笑う。

「旅人へ捧ぐ唄だよ」

 そういって、不思議な歌を歌いだす祖母。柔らかく神秘的で、この世界にいる六十歳代の者が歌っているとは到底思えない歌だ。それは朝の空気を思わすような澄んだ美しい声で、朝霧が立ち込める丘を歩き回っているような、爽快感に満ちた弾むような旋律だった。エルフ語の歌である。

「若い頃は、歌姫と呼ばれたものだよ。今じゃ、声もすっかり老いてしまった」

 歌を終えた祖母は、にこりと笑った。クライドは祖母をじっと見て、感動に思わず潤んでしまった目を乱暴に拭う。

「老いてるって、どこがだよ? 今でも歌姫で通用するって」

「わたしの歌を聴きたくなったら、いつでも帰ってきなさい」

 冗談めかした口調で祖母は言う。クライドは深く頷いた。帰ってきたら、また違う歌を歌ってもらえるのだろうか。この歌を覚えてグレンに教えたら、きっと祖母の男性バージョンのような美声で歌ってくれるだろう。旅先での楽しみがまた一つ増えた。

 母は心配そうにクライドを見て、表情と比例した心配そうな声でこう言った。

「クライド、絶対帰ってくるのよ。変な人にはついていっちゃだめよ。世の中には、あなたの知らないことがまだたくさんあるわ」

「大丈夫だって、俺はもう子供じゃないんだから」

 クライドは引きつった顔で笑う。子供じゃないんだから。そう自分でいったくせに、何だか胸にわだかまりを感じたのだった。クライドが子供でいられる時間は、あとほんの少しだ。もう十七歳なのだ、とっくに大人に片足を突っ込んでいる年頃である。

「……ちょっと眠いかも」

「明日は早いんでしょう? もう寝なさい」

 呟いた言葉に、母は律儀に反応した。そして、階段を指差す。クライドは自分が使った食器を流しに持っていって、それから父と母と祖母に向かって笑みを浮かべた。

「母さん、父さん、ばあちゃん。おやすみ」

 家族三人からおやすみという声が返ってきた。クライドは階段を登って部屋のドアを開け、ベッドに飛び込む。

 暫くして誰かが階段を上がってくる音がしたのをクライドは聞いた。ドアが開き、頬に口付けられたりしたがクライドは目を開けなかった。だから、頬にキスをしたのが父なのか母なのかよく解らなかった。目を閉じたまま夜の静寂に耳を傾けていると、自然に意識が落ちていくのを感じた。

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