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第五話 前夜祭準備

 家に帰って自室でくつろいでいると、窓からスーツ姿の金髪が見えた。父が帰ってきたのだ。何故か両手に普段の倍くらいある買い物袋を提げて、父は満面の笑みで窓辺のクライドを見上げる。クライドは笑顔を返し、すぐさま階段を降りた。

 両手がふさがっている父を案じて、クライドは玄関まで父を出迎えにいった。ドアを開けてやると、父は買い物袋を重そうに持ち上げながら家の中に入ってくる。そして、キッチンまでその袋を運んでいった。袋からは、今夜の夕飯になるであろう食材がちらほらと覗いている。中でも目を引いたのは、ステーキ用の分厚い肉だ。きっと高かっただろう。

「どうしたんだよ、それ」

 そうきいたところで、今夜の夕飯の材料だという答え以外は返ってこないという予測は既に出来ている。父は案の定クライドに向かって笑みを浮かべて、楽しそうに言う。

「言ったろ、今日の夜は豪華にするって」

 そういう父は楽しそうであったが、どこか寂しげでもあるとクライドは感じた。

 きっと父はクライドを町から出したくないのだろう。それでも父がクライドを止めないのは、父なりにクライドのことを思っていてくれているからに違いない。父は、クライドの自由を尊重してくれているのだ。

「……ありがと」

 何だか急に照れくさくなり、父に聞こえないようにとこっそり呟いたその言葉。しかし父は聞き逃さなかったようで、クライドの髪をぐしゃぐしゃと撫でた。いつもなら抗議の声を上げるが、今はじっとしていたい気分だった。

 明日、ここを発つ。だからせめてもの親孝行のつもりで、今日だけは父に抗わないようにしよう。これが最後になってしまうかもしれないだなんて思いたくはないが、クライドを追う『結社』が存在していて、彼らがまた追ってくるかもしれない以上はその可能性もないとはいえない。

 父が飽きるまでずっと撫でられたままでいた。散々かき乱されたせいでクライドの髪は絡まったが、父の満足そうな笑顔を見ることが出来て少し安心する。やはり、父のいなかったあの十数年のブランクは大きかった。クライドは、今更ながらにそう思ったりした。

「アリシアは?」

「母さんなら、まだ帰ってきてない」

 何気なく訊ねてきながら、買い物袋の中から真っ赤に熟した大きめのリンゴを取り出す父。クライドは答えながら、リビングのソファに腰掛けた。父はリンゴの皮を器用にナイフでむきながら、随分と昔に流行した有名なラブソングを鼻歌で奏でたりしている。

「いつ帰ってくるんだ? アリシアじゃなくて、お前は」

 鼻歌をやめた父は何を思ったのか、剥きかけのリンゴから垂れ下がる一本につながった皮を切り離した。そのまま剥き続ければ、リンゴの皮は綺麗に一本につながったままだっただろう。だから何となく切ってしまったのは勿体無いと思った。

 三分の二ほどしか剥かれていないリンゴを片手に、父はクライドを見る。

「解らない。ハビさんが見つかるまで、ずっと山の向こうにいるつもりだけど」

 とはいったものの、ハビが見つかってから自分に何ができるのかは見当も付かない。多重人格というもの自体についてよく解らないのだからそれも仕方ない。ノエルならそういう精神的な問題についての分野にも長けているだろうから、彼に聞いてみるのが得策かもしれない。とにかく何にしても、きっとこれが最初で最後ではない。ハビのために街を出るのは、今後何回かに分けて続くだろう。

「なあ父さん、俺……」

 クライドは、父に全てを話した。何をしに行くのか、誰を探しに行くのか。死んだレイチェルの話だって、今まで話さないようにしていたが今日はちゃんと話した。逃げてはいけないと思った。現実から目を背けて逃げたまま、さらにこの町から逃げ出すような真似はしたくなかった。

 父は黙って聞いていた。剥きかけのリンゴから汁が滴って、父のやせ衰えた大きな手を伝って流しに落ちていくのを見ながら、クライドは訥々と全てを伝えようとした。

「彼を放っておけない、その気持ちはよく解る。だがクライド、お前はその正義感の為に危険な目に遭うかもしれないということを解っているか? 時間も金も温情も、全部無駄になるかもしれない。拒まれて、否定されるかもしれない」

 深くうなずいた。すぐそばにいる友人たちの心の深いところにだって、遠慮して踏み込めない時がある。だからきっと、短期間一緒に働いていただけの恩人が易々と心を開いてくれなかったとしても仕方ないことだ。それでもクライドは向かいたい。少しの間だけでも、クライドやレイチェルと楽しく働いていた彼が、いたいけな少女を殺して苦しんでいるのであれば助けになりたいし、彼女を殺したことを今でも楽しんでいるのであれば第二のレイチェルを生まないためにも正しい道へと引き戻したい。

「『ハビさんを救いたい』と言った、お前の気持ちは本物だろう。だが、その気持ちが恩とか友情とかそういうものからくるのか、助けなければならないという義務感や正義感からくるのか。お前は、自分でそれがどちらなのか解っているか?」

 一瞬言葉に詰まった。クライドが答えないことを見越していたのか、父は続けてこういった。

「お前は正義感が強いからな。通常の人は正義感だけでは動かないだろうが、お前ならそれができる。だから心配なんだ。お前は、彼を助けて何をしたい?」

 彼を助けて、何をしたい? あまり具体的に考えたことは無かった。ハビがあの穏やかな人に戻ってくれたなら、それでいいと思っていた。

 クライドは彼に、カフェ・ロジェッタでこの先ずっとあの穏やかな笑顔を見せ続けて欲しいと願っている。もう少し時間があれば、親しい関係になれたかもしれなかった。しかしそれは、多分今からでも遅くない。

 部屋にある机の引き出しには、今も手紙と一緒にアンティークの時計が入っている。しかし壊れていた時計は、手先の器用なアンソニーによって、数週間前から再び時を刻み始めていた。クライドが貰った時計を直すためだけにアンソニーは時計の構造を勉強し、自分の持っている時計を解体して組み立てなおしたりと苦労してくれたようだ。ありがたいと思っている。

 あの時計をハビに返して、手紙の返事をしようと思う。この町ではエフリッシュ語を読解することができないが、内容はしっかり覚えている。最後に名前のところだけ書き間違えた形跡のあるこの手紙は、どうしても捨てることができなかった。

 君はひとりじゃないんだ。そういった彼は、心の中で苦しんでいたに違いない。あの手紙の、あの言葉を綴った瞬間のハビは、きっとカフェ・ロジェッタに集結した人間の中で誰よりも孤独だったのではないだろうか。

 ひとりじゃないんだ。その言葉の裏には、『僕を一人にしないで』という意味があったのかもしれない。

「今度はちゃんと信頼しあえる関係になって、ハビさんが何も考えずに笑っていられる空間を作ってあげたい」

 そういうと、父は笑った。穏やかなその微笑は、何故だかクライドのことを弟だと言ったときのハビの微笑に重なって見えた。

「そうか」

 父はぽつりと呟き、リンゴの皮むきを再開した。三分の一ほど残っていた皮はものの数秒でどんどんその面積を狭めていき、ついになくなった。父は剥いたリンゴを器用に手の中で半分に切り、片方をクライドに渡してくれた。

 調理せずに食べるのか。なら皮がついたままでもよかった、とは言えなかった。父が真剣なまなざしでこちらを向いたのだ。

「頑張ってこいよ、今回の旅も。お前が選んだ道なんだ、最後まで諦めるな」

「解ってる。父さんも、母さんとばあちゃんのことしっかりサポートしてやってくれよ」

 父と言葉を交わし、クライドもキッチンに向かった。母と祖母が留守の今だから、帰ってくるまでに夕飯を作っておくという親孝行をしてもいいと思ったのだ。明日から暫く会えなくなる。もしかすると一生会えなくなってしまうかもしれないという可能性もあるが、それは考えたくなかった。

 料理は上手な方ではない。しかし、レシピどおりに作ればなんとか形になるだろう。クライドは母のエプロンをつけ、父が買ってきた材料を確認する。

 母のエプロンにはレースやらフリルやらがついているので、こんなものを着ている光景は間違ってもグレンやアンソニーにだけは見せてはいけないとクライドは思った。あの二人に見せたら、彼らは夜が明けるころまでずっと笑い続けていそうだ。ノエルに見せたら、何だか酷い勘違いをされそうで怖い。それはそれで物凄く嫌だ。

「お前、エプロン似合わないな……」

「こんなの似合うって言われたら俺、ショックで寝込むよ」

 しみじみと呟く父に向かって言い返し、クライドはとりあえず肉から調理し始めることにした。電子レンジを活用すれば調理できるものもあったが、それはあとにまわす。出来るだけ、出来立てのものを食べて欲しいからだ。父も手伝ってくれるようで、部屋から自分のエプロンを持ってきて腕をまくった。クライドと父はもう殆ど身長が変わらないので、隣に立っていて妙な感じが未だにする。

 いつのまにか、自分も知らないうちに父と同じになっている。もう父の手助けが殆ど要らないぐらいに成長した。それが何だか可笑しかった。

 父と暮らし始めて、一年と少ししかたっていない。幼い頃の記憶は殆ど無いから、クライドに父がいた期間は一年と少しということになる。それなのに、自分にはもう父の手があまり必要ではない。少し寂しかった。父も同じ気持ちなのだろうか。クライドは少しだけ感傷に浸り、それからすぐに考え直す。

 ……そっか。俺は、もう子供じゃないんだ。

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