第四十六話 エゴイスト
ミンイェンは息を荒げながら、乱れた布団の上で丸くなっていた。その腹部に赤い色が染みているのをクライドは見逃さなかった。あんなに無理して動いたのだ、きっと折角繋いだ傷がまた開いてしまったに違いない。悪いことをしたと感じた。
レンティーノは冷たい目でクライドを見下ろし、ミンイェンの傍に寄って丸まった背中を優しく摩っている。さすがに弁明させてほしい。
「ミンイェンが、洗脳装置を持ってて」
「嘘だよレンティーノ、クライドは嘘ついてる!」
間髪入れずに放たれた言葉に、クライドは愕然としてミンイェンの方を向く。ミンイェンは洗脳装置をきつく抱きしめながら、涙目でレンティーノの方を見上げていた。傷が痛むのだろう。
「続けてください、クライド」
静かにそう言われ、クライドは頷いてその通りにする。
「だから、こいつそれで自分を洗脳するとか言いだして。で、させちゃいけないと思って止めてたんだ」
「だとしてもクライド、ミンイェンは大怪我をしているのですよ? それを、あんな乱暴に……」
どう考えてもレンティーノの怒りの原因はクライドにあった。確かに自分がしたことはいけないことだと思うし、レンティーノが怒るのも無理ないことだと思う。
「それについては謝る。ごめんな、ミンイェン」
素直に謝ったが、ミンイェンの対応は冷ややかだった。
「だから、クライドは嘘ついてるんだよ? 僕は洗脳装置なんて持ってない」
先ほどからクライドを嘘つき呼ばわりし、ミンイェンは丸めた身を余計に縮こまらせている。そんな無理をしても、洗脳装置から伸びるコードが微妙に指の間に見えるから意味がないと思うのだが。
レンティーノはクライドを叱りこそしたが、嘘つきがどちらかはしっかりと解っているようだった。彼は小さくため息をつき、ミンイェンの背中を撫でる手を止める。おずおずと顔を上げるミンイェンの頭を撫で、レンティーノは哀しそうな目をしていた。
「自分を洗脳したいと思うほど、思いつめていらしたのですね」
「違うってば」
「独りで遠くに行ってしまわないでください。家族にはなれなかったかもしれませんが、私なりに友としてずっと貴方を支えてきたつもりです」
「……ごめん」
しょげたように腕を緩め、洗脳装置をきつく抱きしめるのをやめたミンイェンを見て、レンティーノはいつもどおりの微笑を浮かべた。
「さあ、嘘をつくのも人格を書き換えるのももうやめましょう。ミンイェン」
「生きるのをもうやめたいんだ。でもそれはみんなが嫌がるから、それなら僕が僕でなくなれば平和に解決すると思ったんだけど違う?」
まっすぐにレンティーノを見上げ、ミンイェンは淀みなく言った。一瞬レンティーノは目を見開いて言葉をなくしたが、すぐにミンイェンの肩を掴んで絞り出すような声を上げる。
「何の解決にもなりません。問題しか残りません。目を覚ましてくださいミンイェン、これまでどんな手を使っても不可能を可能にしてきたじゃありませんか」
「もう最後の手を使い切ったよ! あの損傷じゃ二度目の蘇生に耐えられない! 脳だけ切り取って生かすような蘇生なんてしないほうがマシだ! もう何もかも! 取り返しがつかない!」
瞬発的に激高し、レンティーノの手を振り払って彼に枕を投げつけながらミンイェンは喚く。枕はレンティーノの胸辺りに軽く音を立てて当たった。そんなに飛ばなかったうえにミンイェンの力が弱く、レンティーノは痛そうにはしていなかった。けれど、固まったままミンイェンを凝視してまばたきもしない。
「記憶と人格を塗り替えるのは必須事項だよ? 実験を続けるなら、甘ったれた最後の倫理観を消し飛ばしてリィを完全な実験台にする覚悟をしなきゃ! 君たちを便利な駒として限界まで利用しなきゃ! ……あと何人実験台を殺しても何とも思わないように。何回リィを殺しても再利用できるように。蘇生が不可能になっても実験失敗で済ませられるように」
眼鏡の奥で、レンティーノのハニーブラウンの瞳がようやくまばたきをした。けれど依然として動かぬまま、レンティーノはミンイェンを見下ろして固まっている。驚いているのか、悲しんでいるのか、とにかく彼の発言がそれだけ衝撃的だったらしい。
「何がリィのためなのかもう、分からない…… 僕が何をしたいのかだって、もう」
ついに泣き始めるミンイェンを見て、クライドはふらつく身体を支えながら枕を拾い上げる。軽く埃をはたいてミンイェンに渡してやると、彼は奪い取るようにそれをぎゅっと抱きしめて、そのまま涙を拭いた。
「ミンイェン」
思いつめたようにレンティーノが呟いた。一体彼は何を言おうとしているのだろう。ミンイェンの名前を呼んだきり黙り込んでしまった彼に、声をかけるべきかやめておくべきか迷う。そうしていると、ミンイェンの泣き声だけが響く静かな部屋に軽く笑う声が響く。
「チッ、進歩のないガキどもだ」
するはずのない声にはっとふりかえると、マーティンが部屋の入り口に立ってにやにや笑っていた。
顔面は蒼白でこめかみに脂汗が浮いていたが、それでもマーティンは一歩ずつこちらに歩み寄ってきている。怪我をした両脚の、辛うじて傷が浅い方の左足を軸にして、一歩ずつ顔をしかめながら彼は歩いてくるのだ。嘘だと思った。けれど彼の存在は本物で、相変わらず嫌味に笑っている。
「……へ」
ミンイェンからは気の抜けた声が漏れ、すぐ近くにいたレンティーノは息をのんでいた。クライドも信じられない思いでマーティンをじっと見つめた。
彼はゆっくり一歩ずつ確実に近寄ってきて、クライドを押しのけてミンイェンのベッドの足元に腰掛ける。押されてよろけて近くの芸術品に手をついてしまい、クライドは忘れようとしていた存在を再確認してしまって吐き気を堪えた。すぐに芸術品から離れ、クライドは壁によりかかる。
「ピーピー泣きわめきやがって。もうずっと俺はお前の便利な駒だろうが。そうあることが俺の存在意義だ」
「え?」
「兄貴の壊死した手足を取り払った後、高性能義肢の開発でもすりゃいい。脳だけにしたくなきゃガワを作っちまえ。蘇生を諦めざるを得ないなら、再生に舵を切りな。そうしたくねえなら、安らかに眠らせてやればいい」
あまりに当たり前にそう言うマーティンに、クライドは驚くと同時に素直に感心した。
どう言ったら傷つけずに済むかとか、どうすれば相手が哀しい顔をしなくて済むかなんて、おそらくマーティンは考えていない。そうやって常に本音で相手と向き合うから、きっとミンイェンとの間にも深い信頼関係が生まれるのだろう。
「マ、マーティン脚、血が、折角手術したのにっ」
「ああ? だからなんだ、こいつは俺の自己満足だ。てめえがレンティーノに八つ当たって煩く喚いてんのと動機は同じだろ。お互い様だ」
蒼白な割に堂々と説教をたれるマーティンだが、ミンイェンが慌てるのも無理ないくらいにその濃紺のズボンには濃い色の染みができている。マーティンは右手で腿の辺りをさわり、掌についた血を見て顔をしかめる。
「大丈夫なのですか」
「解りきったこと訊くな」
大丈夫であるはずがない。クライドはそう思ったし、きっとレンティーノもそう思っているだろう。
後に障害が残ったとしてもおかしくはない酷使の仕方だ。彼はどうしてもミンイェンが心配だったに違いない。どうしても、ミンイェンに死んでほしくなかったから。
そして、レンティーノが壊れかけたミンイェンを一人では扱えそうにないことも分かっていたのだろう。普段は理知的な彼が、ミンイェンのこととなると途端に感情を押さえられなくなるのをクライドだって目の当たりにしてきた。マーティンはミンイェンだけでなく、レンティーノのことも懸念して無理をしたのだ。
「それにしてもてめえ、俺の記憶を消そうとはな。いい度胸してやがる」
マーティンはミンイェンの頬をつねり、相変わらず嫌味に笑う。
「う、いひゃい」
「いいかミンイェン。俺の記憶は一分一秒たりとも消させねえ。そんなことしやがったら辞職してやる。ここには二度とこない。嫌なら先に俺を洗脳して、お利口ちゃんの操り人形にしておくことだな」
辞職してやる? はたから聞いたら吹きだしそうな言葉だ。けれどこれは、ミンイェンにとっては笑い事ではない。研究所から離れられないミンイェンだから、辞職なんてされてしまったらマーティンにはきっと会えなくなるのだから。
「やだ」
一時的に泣き止んだミンイェンは、また目を潤ませ始めた。
「では私もそうしましょうか。洗脳装置を使うなら島に帰ります。困るのでしたら、先に私を洗脳して『実験台』に戻してください。フェイロン所長が生きていた頃のように」
「やだっ!」
駄々をこねるように『やだ』を繰り返すミンイェンに、レンティーノがようやく少しだけ微笑を見せた。しかし反対に、マーティンの顔色はますます青ざめている。早く安静にさせないと危ないのではないだろうか。
「おいクライド=カルヴァート」
「何だよ」
「ここにベッドを運んできな」
「は?」
彼を安静にしてやらなければいけないと、確かに思った。しかし、クライドだって貧血で苦しんでいる身だ。ようやく少し研究所の薬のおかげで持ち直してきたのに、動いたら悪化する気がする。
「ただでとは言わない。てめえに借りを作るなんざ御免だからな」
「ああ。で、俺に何してくれるわけ?」
「銃を一発ぶっ放す権利を与えてやる。ただし俺以外の奴にだ」
……何だそれは。
「いらねえそんな権利」
他に何も考えられないのか。たとえば昼食をおごるとか、新型の携帯をプレゼントするとかそういうことを提案するのならまだしも、いきなり人殺しの権利だなんて。
「じゃあ何が欲しい」
先ほどの無茶苦茶な権利は、彼なりに本気で提案してきたらしい。マーティンは小首を傾げるように、少し苛立った声で訊ねてきた。
「そうだな…… 貧血の薬と帰りの渡航費」
適当に頭に浮かんだものを、特に考えもせずそう言っていた。マーティンにそんなものを望んでも得られないだろうが、欲しいものなんて今のところこれぐらいだ。しかし。
「解った両方やる」
「じゃ、それでチャラ」
別にこんな口約束はすっぽかされても良かった。帰りの渡航費はミンイェン本人が何とかしてくれると前に言っていたし、貧血の薬だって頼めば研究員がくれる。ベッドを運んでくるという、ただそれだけの動作にこんなにたくさん対価はいらないと思う。
けれど、とりあえずそう約束しておけば、お互い貸し借り無しで気分が良かった。
「ではお願いしますね、クライド」
「ああ」
レンティーノはミンイェンとマーティンの両方から離れたくないのだろう、クライドの代わりにベッドを持ってくるとは言わなかった。別にそう言われる期待もしていなかったし、三人で話す時間だって必要だろう。クライドはミンイェンの傍を離れて気だるい頭痛に苛立ちを感じながらも部屋を出た。
壁伝いに歩いて部屋に戻ると、部屋はしんとしていた。あまり音を立てないように気をつけて歩きながら、マーティンが寝ていたベッドを軽く整えてストッパーを外す。しかしその時に少し大きな物音を立ててしまったせいで、誰かが眠そうな声を上げる。
「クライド、手伝おうかい」
どうやら、クライドが起こしてしまったのはノエルだったようだ。クライドは彼の寝ているほうを振り返らずに、マーティンのベッドのストッパーを外してキャスターを動かす作業を再開する。
「いや、いいよ。ノエルは昨日かなり無茶してたから」
「マーティンはどこに行ったんだ?」
今の声は明らかにノエルではなかった。振り返ると、不機嫌そうにベッドに長座したグレンが目に入る。
「お前も起きてるのかよ」
「皆起きてるよ、クライドが行っちゃったあとから。マーティンの声で起きたんだ」
ベッドの上を転がりながら、まだ眠そうな声で答えたのはアンソニーだ。クライドは小さくため息をついて、ストッパーを外して動くようになったマーティンのベッドに軽く腰掛けた。何だか眩暈が酷い。
「僕は止めたんだけどね。怪我人の無理な行動を見過ごすわけにはいかないから」
「そしたらあいつノエルに掴みかかろうとしやがって。止めようとして転ばせちまった」
グレンは髪をいじりながら決まり悪そうに言う。確かに、怪我人を転ばせてしまったら良心の呵責を感じるだろう。けれど、相手がマーティンなら別だと思う。彼はたとえ転ばせてしまったとしても、すぐ仕返しをしてくるタイプだ。
「あいつを?」
「マーティン反撃しなかったんだよ。珍しいよね。見るからに痛そうなのに、無理矢理走っていっちゃったんだ」
彼らの言葉に納得できた。やはりミンイェンが心配だというその一心で、マーティンは駆けつけて来たのだろう。他の人間になんて構うこともせず無理をして、傷ついた体を更に傷めてまで。
「あいつ、そこまでミンイェンのこと」
思わず呟くと、グレンは軽く笑う。
「もし俺とあいつが同じ立場で、ミンイェンがお前だったらさ」
視線を動かしてグレンを見る。彼もクライドを見た。澄んだ青空のような色をした目が、いたずらっぽく笑いながらクライドを捉えている。いたずらっぽいけれど、決して冗談をいう時のそれではないその瞳。『お前を帝王にくれてやるくらいなら、死ぬほど魔力を使ってネモフィラの花に変える』と言ったあの時と、同じ目をしていた。
「俺もあいつと同じことするよ?」
脚を壊してまで傍に駆けつけると、彼はそう言うのだろうか。クライドは首を横に振る。
「するなよ」
「お前もするだろ、きっと。性格的に」
即座に切り返されて一瞬返事に詰まる。確かに、黙って数ヶ月もベッドに寝ていようとは思えない。きっとすぐにでもベッドを抜け出して、グレンの元へ向かうだろう。相手がグレンでなくても、アンソニーやノエルでもそうすることは目に見えていた。
「……する」
「そういうもんだろ、多分」
自然に頷くことができた。クライドがグレンたちを思うのと同じように、マーティンもミンイェンのことを気遣っている。敵対心しかなかった相手にも、大切なものはあるし仲間たちとの絆もある。当然のことだが、今頃やっとそれが腑に落ちた気がする。
「これ、マーティンのところ持ってく」
そろそろ戻らないとマーティンが文句を言いそうだ。交換条件になっている以上は、なるべく早く戻らなければいけないだろう。遅かったから渡航費はなし、なんて言われても別に困りはしないが。
「ベッド? じゃあ僕一緒に行く」
ころころ転がっていたアンソニーが、ベッドから飛び降りてクライドのところに駆け寄ってくる。
「おいおい、お前もまだ寝てた方が」
「だってクライド一人じゃ大変でしょ? それに、ミンイェンのお見舞いしたいし」
更にもう一度断ろうとしたが、貧血で身体がふらついたので素直に甘えておくことにする。
ベッドを動かすだけなのだ、アンソニーが倒れて息をしなくなることなんてないだろう。そうなったら貧血をさらに酷くしても想像で何とかするから良いが。
「わかった、じゃあ頼む」
「無理しないで、クライド。アンソニー、あまり走らないようにね」
「はーい、ノエル先生!」
苦笑気味のノエルと眠そうなグレンに見送られ、クライドとアンソニーは早足で部屋を出る。ミンイェンの部屋に行くと、マーティンがだるそうに俯いているのがみえた。
「おい、持って来たぞマーティン」
「ああ」
声をかけながら、ミンイェンのベッドの隣にマーティンのベッドを固定してやった。ミンイェンはアンソニーの来訪を喜んでいたが、やはりあまり元気そうではなかった。
「マーティン大丈夫?」
「はっ、こんなもんでくたばるか」
アンソニーの問いにはいつもの皮肉たっぷりな声を返しているが、マーティンの顔色はまるで紙のようだった。レンティーノは彼を横目で見て呆れたように首を振りつつ、透明なグラスに入った水を飲んでいる。おそらく薬を飲んでいたのだろう、そばにあるテーブルの上にカプセルや錠剤のシートが数種類ずつあった。
「ミンイェン起きたんだね、よかった」
「元気そうだね」
「僕はクライドと魔力の波長が似てるんでしょ? たぶん、それでみんなよりダメージが軽いんだよ! 遠くにいたからガラスもそれほど浴びなかったし」
アンソニーはベッドに寝るミンイェンを見下ろし、満面の笑みで喋る。喋っているうちに元気がでてきたのか、ミンイェンは徐々にいつもの調子を取り戻し始めた。レンティーノがほっとしたように微笑み、マーティンのベッドに浅く腰掛ける。本調子でないクライドはその辺りにあった椅子を適当に手繰り寄せ、借りて座ってその様子を眺めていた。
しばらく楽しそうに話していたが、アンソニーは何か決意したようにミンイェンを注視し、それから優しく話を切り出した。ミンイェンは腹部の傷が痛むのか、両手で傷を押さえながらアンソニーを見ている。
「ねえミンイェン。リィ、嬉しそうだったよ。もう会えないと思ったミンイェンに会えて、もう一度声が聞けて、たぶんリィにとってはそれだけでよかったんじゃないのかな」
「二度も僕のせいで死んだのに、そんなわけない。僕のしたことは全部、無駄だった。余計だった」
「そんなこと絶対思わないよ! 僕がミンイェンのお兄ちゃんだったら喜ぶよ? もう一回会いたいって思ってくれて、そのために長い時間をかけて自分を呼び戻してくれようとするなんてさ!」
見守るレンティーノの目は不安げだった。マーティンは二人の方を向かず、真上を向いて深い呼吸を繰り返している。けれど二人とも、アンソニーの言葉でミンイェンの何かが変わることを望んでいるのだ。無駄だと思うならマーティンがアンソニーを黙らせるだろうし、レンティーノは強制的に話を曲げるだろうから。
「願望でしかないよ。想像でなら何とでも言える」
「ミンイェンのそれだって、マイナスな想像じゃん。リィの本当の気持ちはリィにしかわからないけど、それをはかる材料はたくさんあったよ」
慎重に言葉を選び、何か言うたびに辛そうにしながらも、アンソニーは言い切った。
「自分が子供のままだったことも、九年ミンイェンが頑張ってたことも、リィ、すんなり受け入れて話を聞いてたでしょ。生き返らせやがって! なんて思ってたらもっと嫌そうにするよ。自分にもう残り時間がないって察してから、リィ怒ったりした? 僕のためにしてきたこと、聞かせてって言ってたよね」
「……」
「二度死んじゃったのは、そりゃ事実だよ。でも、……無駄だなんて言わないで。会えてよかったって言って。じゃなきゃ、なんのためにリィは最期までミンイェンの頑張りを聞いていたの?」
一体何度説得されればミンイェンは自分を追い込まなくなるのだろうと、クライドはずっと考えていた。アンソニーの必死の説得に、ミンイェンはただ静かに頷いていた。どうやらまた泣いているらしい。レンティーノが仕方なさそうに苦笑しながら、よしよしとミンイェンの頭をなでる。
「リィの優しさを免罪符にする気はないんだ。僕は自分を許せない」
「では、心ゆくまで罰しましょう。そうすることが必要な時もあります。ただ、責任の所在は間違わないで下さい」
「……最高責任者は僕だよ」
「ええ、その通り。ですが、成果が思うように上がらなかった責任は、幹部の私たちにもあります。貴方はひとりでここにいるのではありません。許されないのも、罰されたいのも、貴方だけではありません」
直後、ミンイェンは声を上げて泣きじゃくる。レンティーノの手に縋るようにして、彼は子供のように泣きじゃくった。そんなミンイェンの頭を、ベッドから身を乗り出したマーティンが軽く叩いた。
「った、痛いよマーティンっ」
「いつまでもうじうじしやがって。もう全部良いって言ってんだ。頑張ったがダメだったと、素直に全部認めろ」
「よく、ないよ、足りなかったんだ」
「ハビのつけた実験記録を読みましたが、手順にも環境にも問題はありませんでした。どころか、意識の回復や会話が可能だったことで実験の有効性は大いに証明されています」
「そうだ。てめえは十分よくやった」
マーティンと顔を見合わせてくすっと悪戯っぽく笑い、レンティーノは黒い無地のハンカチでミンイェンの頬に流れる涙を拭う。ミンイェンはぽかんとして、長い前髪の間からマーティンとレンティーノを交互に見ている。
「大体、今更なんだ。蘇生なんざ自分のクソでけえエゴだとわかりきって実験に踏み切ったくせに、今更になって分かりもしない兄貴の本心を分かった気になってやがるのか?」
「うっ」
「アンソニーのおっしゃる通り、リィシュイさんの本当の気持ちはリィシュイさんにしか分かりません。本音が知りたければ、また目を覚ましていただく他ないのではありませんか?」
白いベッドに寝たミンイェンは、両サイドからそんなことを言われて困っているようだった。開き直ったかのような二人の発言に、彼は縮こまるばかりである。
レンティーノは相変わらず悪戯っぽく笑ってはいたが、ミンイェンの困った顔に少し気まずさも覚えているように見えた。それもそうだ、レンティーノはマーティンとは逆で、いかにして相手を傷つけないように接するかを常に考えている人間だ。
彼らにはまだたくさんの対話が必要だと感じる。クライドは椅子から立ち上がり、少しよろけて壁に手をついた。大分よくなったが、まだ無理はしない方が良さそうだ。
「そろそろ俺は戻るよ。何かあったら電話しろよ、ミンイェン? レンティーノも」
「……うん」
「お大事になさってください、クライド」
ミンイェンはあまり気乗りしない様子で頷いた。今は混乱していてうまく返事が出来ないのかもしれない。けれど彼が落ち着くまでの間、この部屋で倒れずに待っていられる自身はなかった。早く部屋に戻って休みたい。
アンソニーをちらりと見ると、彼はまだミンイェンのそばにいたいようでクライドに先に帰るように言った。頷いて部屋を出る。
この先どうなるのか、クライドには予測がつかない。何を想像すれば効果的に未来を変えられるのか、何を創造できれば一番穏やかに済むのか、そればかりを考える。




