第四話 準備中
その日の昼前になって、クライドは仲間たちと合流した。色々な店を回り、宿泊の支度を整える。食料は街を出てから仕入れることにした。アンシェントは陸の孤島なので、基本的に輸送費の関係で物価が高いのだ。ディスカウントショップならリヴェリナにあるので、そこで乾麺などの日持ちするものを仕入れようということになった。
「他に用意するものは?」
「一通り揃ったよ! 見て見て、今回はこれ持っていくんだ」
尋ねたクライドに返されたアンソニーの言葉は、とても嬉しそうだった。アンソニーはクライドに、去年の旅で使ったものよりまた一回り大きくなったバックパックを見せてくれた。
「重くない?」
「大丈夫、スカスカ状態でスタートするからね!」
シェリーの言葉に、笑顔で頷くアンソニー。やはりシェリーはこちらの話し方がいい。前の男っぽい口調も凛としていて強そうではあったが、現代の女の子として人間界に馴染んでいくためには、自らとっつきやすそうな空気を演出していくのは必須だろう。
暫く歩き回ったあと、フードコートで食べ飽きたファストフードを昼食とした。何せショッピングモールは一つしかないし、飲食店のラインナップはほとんどかわらないのだ。毎回同じバーガーショップに入ってしまうし、大体いつも同じメニューになってしまう。
昼食を終えるともうやることがなくなったので、ノエルの家に行くことになった。旅のルートはノエルの家で相談しあうことになっている。
「隠れ家に全員集合ってのも久しぶりだな」
「そうだね」
グレンとノエルの会話を聞きつつ、クライドは歩いた。行く手に町立図書館が見えてくる。ノエルの家は、この近くだ。話ながらのんびりと歩いていると、やがてノエルの家の前に着いた。相変わらず洒落た外観の目立つ豪邸だ。ノエルはステンドグラスに彩られた玄関扉を開けて、クライドたちを中に入れてくれる。
「あがって」
「お邪魔します」
クライドはいつものように、彼にそう挨拶をする。続いてシェリーも同じように挨拶をした。
例によってグレンは自分の家同然にノエルの家に上がりこみ、どんどん家の奥へ入っていく。アンソニーも彼と同様に、はしゃいだ声を上げつつ家の奥へと消えていった。
後に残ったのはこの家の住人と、礼儀をちゃんとわきまえているクライドとシェリーだ。客人は半数が勝手に行動している。
「まったく、グレンたちときたら…… ノエルの家はテーマパークじゃないよ」
シェリーは呆れたように呟きながら、ノエルを見上げてにっこりと笑う。その表情は、出会ったときの彼女とは別人であるような気がするほどの柔らかさだ。ノエルは彼女に対して笑顔で頷きながら、ため息をついている。
「親しき仲には礼儀ナシ、ってね。グレンに、まるで格言のように言われた言葉だよ。別にいいんだけど」
古書の匂いが満ちる、ノエルの自宅。このまま廊下を進んでリビングに出て、そこを突っ切って大きな扉を開ければ、ノエルの自室であるミニ図書館に出る。
ノエルは先に行った二人を追う気がないのか、そんなに急ぐこともせずに普通のペースで歩き始めた。クライドも、ノエルに続いてゆっくりと歩いた。
「今回の旅は、山越えにヘリコプターを使ったらどうかと思うんだ」
唐突にされたその提案に、クライドは驚いた。てっきり飛行機で行くのだと思っていたし、それを見越してクライドは小遣いを節約していた。
そうだ、ヘリコプターというものがあったのだった。やっと復旧した空港では今までよりもほんの少し高い頻度で飛行機の発着をしているようだが、やはりこの町から外に出るために最善の移動手段はヘリである。しかし。
「そんな金ないだろ? 準備にも時間かかるし」
前回旅に出た時も、ちらりとヘリコプターの存在が頭を掠めた。しかしチャーターするのにもパイロットを用意するのにも金と時間がかかりすぎるので、クライドはヘリを移動手段としては最初から除外していた。
「荷物と同じ扱いだから、送料が格安だよ」
笑いながら、ノエルはそういった。耳を疑う。
「え?」
「母さんが郵便局員なんだ。いっとき部署が役所の臨時窓口だったけど、この春から本局に戻ってる。サラに会いに行きたいって相談をする体で聞いてみたら、こっそり荷物と一緒に送ってくれるって」
そんな戦法があったのか。前回の山越えは一体なんだったのだ。郵便局で発着するヘリコプターに乗り込むなんて発想は、あのときにはなかった。
「何で前回その発想にならなかったんだろう、誰も」
「僕の無知だよ。あの時は表向き、高額で時間のかかるチャーターヘリでしか街から出られないことになってた。でも本当は、郵便局の荷物にまぎれてこっそり街を出る行為は昔からあった…… 僕の両親は少なくとも、それがきっかけで出会っている。もう少し時間をかけてリサーチしてから街を出れば、あんなに時間と体力を消耗しなくてよかったかもしれない」
「学習したな。俺たち」
「本当に。前回は正規ルートで飛行機を使ったけど、あれにだってかなり時間をかけたしトラブルもあったでしょう。郵便物のヘリには定刻がほとんどないから、あんな思いはもうしなくていい」
あんな思い、というのは冬のリヴェリナ旅行の件だ。ノエルの父からのプレゼントとして全員分の往復チケットを用意してもらったが、いざ搭乗するときになってグレンのチェックイン方法が間違っていて彼だけ搭乗口を通れないというトラブルがあった。最終的に何とか上席に掛け合って乗ることができたが、定刻を三十分過ぎてしまって同乗者たちに多大な迷惑をかけた。
「あっ、お兄ちゃんお帰り!」
その声に、ふと思考に沈んでいた意識を持ち上げた。すると、ノエルの前に見慣れた小柄な少女が立っている。ノエルの妹、セシリアだ。
彼女はノエルのような不健康な細身ではなく、痩せてはいるが痩せすぎではない。兄であるノエルに顔立ちが似ていて、特に目の形は彼の目にそっくりだ。白い肌に鳶色の髪、そして鮮やかな緑色の瞳。二の腕の辺りまで伸びた髪は、やはりノエル同様に癖がないまっすぐな髪質だ。二人の父は癖毛だから、髪質は母からの遺伝だろう。
「ただいまセシィ、彼は来てる?」
ノエルはセシリアに、当たり前のようにそう聞いた。セシリアはうんざりした様子で首を横に振る。結構な頻度でこの質問をされるのだろう。
「いないよ、心配性なんだから」
「そう。家で会うときは必ず僕がいる日にして」
「大丈夫、学校でしか会わないの。イヴからそう約束してくれたんだよ、お兄ちゃんが心配してるって伝えたら」
彼氏の苦い顔が目に浮かぶようだった。彼女から自宅デートに毎回兄が同伴することを相談されたら、場合によっては破局を迎えるカップルだっているだろう。思わずシェリーと顔を見合わせると、ノエルはセシリアの頭を撫でて褒めた。満更でも無さそうなセシリアを見て、セシリアの恋の先行きが少しだけ不安になる。
クライドたちはセシリアと別れ、ノエルの部屋を目指した。部屋に着くと、グレンが珍しく厚い本を読んでいるのが目に入った。
「珍しいね、君が読書なんて」
「これ、前にシェリーが言ってた。人間界のことはこれで学んだっていう小説…… レヴァイツキーかよ」
「かよ、って何」
むっとした顔で割り込んだシェリーは、このレヴァイツキーという作家の小説が好きだと前に言っていた。身分違いの恋だとか、忙しい現代人のすれ違いだとか、そういうものをテーマにした恋愛小説が売りの作家だ。確かエナークの作家だったと思う。有名な人なので国語の教科書に代表作のディアダ語訳が載っていた。
「回りくどくて好きじゃない。大体さ、自由な人間あんまり出てこないんだよ」
言いながらもグレンはページをめくり、紙から目をそらさずに字を追い続けている。そんな姿を見たノエルはくすっと笑い声を漏らし、シェリーとグレンを交互に見て笑った。
「ちゃんと読んでいるじゃないか」
「……まあな。気になるだろ、好きな奴のことは」
アンソニーと顔を見合わせて、クライドはにやにやする。シェリーが耳まで真っ赤になりながら咳払いして、グレンの手から本を奪った。グレンは楽しそうに口角を上げると、全く恥じらいのない様子でシェリーの顔を覗き込んでいる。
「今日理解した。レヴァイツキーの話を俺に振ったのって、ドライブデートに憧れてるからなんだろ? 待ってろ、お前のために免許取る」
「いい。一人で乗るから平気」
「何だよ、スーツ着て高い車で迎えに行くぞ? たぶん最初はレンタカーだけどさあ」
しっかりレヴァイツキーの小説のあらすじを把握しているグレンに苦笑が漏れる。なんやかんや彼はシェリーのために一生懸命で、彼女を喜ばせようとフットワーク軽く行動しているのだ。とにかく経験がないのでトライアンドエラーの繰り返しから正解を導こうというのが彼の考えらしく、そこそこの頻度で気軽にシェリーの地雷を踏み抜いてしまうために喧嘩に発展することも間々ある。
「始まったよ、二人の世界」
げんなりしたアンソニーがそう言うと、ノエルは肩をすくめた。もう二人は放っておいて、残った男どもで楽しく会話することにしたらしい。
「リヴェリナには何泊できるんだい?」
「イノセントに情報を聞いたら早く出て行きたいけどな。でも、最低でも三泊はしていきたい」
そう言ってみると、ノエルは軽く微笑んでくれる。
クライドは、ノエルとサラのことを考えていた。長らく会えずにいた二人がやっと再会できるのだから、短期間ですぐに出発ということにはできない。去年の出航前にサラに泣きながら引き留められたのは、クライドでさえかなり堪えたのだ。ノエルはきっと、身を裂かれる思いだっただろう。
「サラに会いたいもんね、ノエル」
「そうだね。話したいことが多すぎるんだよ、手紙が分厚くなりすぎてダイレクトメール戦法が危うくなってきた」
思いのほか素直に認めたノエルを前にして、クライドとアンソニーは目を見合わせる。これはチャンスかもしれないと思い、突っ込んだ質問をしてみる。
「何にそんなに使うんだよ、文面」
ダイレクトメールの封書は、クライドの記憶によればそこそこ分厚い。冊子が入っていたりする場合だってあるのだから、それで足りないというのはなかなかの文章量だ。
「頻度が低いから、日々の出来事は最低でも一週間分ぐらいはまとめて話さないといけないんだ。他にもディアダ語レッスンや、おすすめの本についてだったりね。読むかい?」
「見たい。今は何書いてあるかわからないけど」
「そうだった…… 言語の力は封印中だったね」
そう言いながら、ノエルは机の引き出しから本当にサラの手紙を出してきた。小花模様の可愛らしい便箋には、小さくて整った字がきっちり罫線に沿って書いてある。宛名に書かれたディアダ語と綴りが違う『ノエル』、結びの『サラ』、そして所々出てくる接続詞以外は読み取れないが、サラがとても筆まめで字が綺麗なことはわかった。
三枚目あたりの便箋に文法がほんのりおかしいディアダ語で『私のおすすめの紹介の本、どうですか。ノエルの心に残ると嬉しいです』と書いてある。相変わらずここでもノエルの名前はウィフト語式の綴りだったが、意味は伝わるので満点だ。
「へー、これがレッスンか」
「かなり上達しているよ。レポートの添削を手伝う時は、架空のディアダ語学校の名前で大きめの封筒で送り返しているんだ」
感心して頷きながら、クライドはノエルの表情をちらりと見やる。晴れやかな笑みだが、ノエルがどういうつもりでこの手紙をクライドに見せるのかわからない。冬に漁師町で見たノエルの姿は嫉妬深い恋人そのものだったから、彼女のいないクライドとアンソニーに手紙を公開したのが牽制のように思えるのは考えすぎだろうか。
「すごい、だんだん芸が細かくなってる!」
「最初にヒントをくれたのはアンソニーだよ、偽名を使うところから着想を得たんだ」
「役に立ったみたいで嬉しいよ、僕もアニーちゃんとして手紙出さなくちゃ」
この瞬間、ノエルの微笑が微かにひきつっていたのをクライドは見逃さなかった。すぐに彼の穏やかな笑みは戻ってきたが、あの一瞬でこれはやはり牽制だという考えが確信に変わる。クライドは即座にこの話題を掘り下げるのをやめようと判断した。
話をそらそうとするよりも一拍早く、ノエルが緑色の知的な目をアンソニーに向けて、形だけは微笑んだ。サラのこととなると、普段のポーカーフェイスが嘘のようにノエルの感情はこぼれ出る。穏やかな笑みの裏にある強烈な独占欲が、透けて見えるのだ。それは明らかに、通常はただの友達に向ける感情ではない。
「サラの住所、知っているのかい?」
「あ、わかんないや。会ったら聞こうっと!」
無邪気に言い放たれた言葉に、ノエルは小さく息をついて微笑を深めた。それは傍から見れば肯定と包容の笑みに見えるのだろうが、アンソニーがそれと気づかずにノエルの一番センシティブな部分を完全に刺激してしまっていることをクライドは理解した。
前々からアンソニーは無意識に地雷原に突っ込む危うさがあるとクライドは思っていたが、ここまで清々しいとむしろわざとかと思う。彼は根っこの部分がいい意味で子供というか純粋なので、男友達と女友達を同じ距離感で扱う節がある。ノエルにとってそれは、サラに必要以上に近づいているように見えるのだろう。思い返せば冬の時も、アンソニーとサラが二人で話し始めるとノエルがいつの間にか必ず混ざっていた。
「お、何だよ始めてるのか?」
「こっちもノエル大先生の惚気タイムだよ」
ようやくこちらの世界に戻ってきたグレンがアンソニーに話しかけたことによって、アンソニーは意図せず地雷原からの生還を果たした。ノエルとアンソニーの平和的な引きはがし方を考え始めていたクライドにとってもまた、グレンは救い手となった。心の中で冷や汗をぬぐう。
「お前ら待ちだったんだからな。二人とも集まってくれ」
クライドの声によって、全員が部屋の真ん中のテーブルに集まった。クライドはテーブルから荷物を降ろし、ノエルから地図を借りてテーブルの中央に広げる。
「旅のルートだけど、とりあえずリヴェリナに向かう。イノセントから情報をもらって、もしあまり情報がないようだったらアルカンザル・シエロ島に直接行ってカフェでハビさんに突撃しようと思う。美容師のセルジさんとか、カフェの常連客の人とか、目撃証言も多そうだし」
クライドがそういうと、グレンが頷いた。そして、空色の目をこちらに向けて首を少し傾げて見せる。
「わかった。けど、ちょっと整理させてくれ。旅の目的はハビに会うこと、それはわかった。会って、何をどうするかちゃんと決めてるのか?」
「レイチェルの話をする。それで、レイチェルの遺言を果たす…… どんな事情があって人工魔力の結社とつるんでるのか知らないど、人を殺して笑っていられるハビさんを、そのままにしておけないから」
答えると、今度はノエルがクライドのほうを見る。知的なシルバーのフレームの眼鏡を押し上げて、彼は翡翠色の目でクライドを捉えた。
「もしも彼が拒んだら? 触れられたくない事情を君には話さないかもしれない」
「そうなったら、気持ちを伝えて一旦引き下がる…… だな。正直、今回の再会だけで何かが変わる可能性は低いと思う。でも、一目会って話ができたら、何か変えられるかもしれない。すぐに何も変わらなくても、結局ハビさんが人殺しを楽しむ道を選んでしまったとしても、いつか俺とレイチェルのことを思い出してくれたら考えるきっかけにはなると思うんだ。それに、何より。レイチェルが眠ってる場所、知ってるなら連れて行ってもらわなきゃ」
彼女が亡くなってからまだ墓にすら行っていないことをクライドは悔いていた。地球に裏側に等しい場所なのだからそう簡単にはいけないが、町を出るのなら彼女の亡骸が眠る場所に行きたい。本当に彼女が死んでしまったことを確認するかのようで嫌だと思っていたのは秋口頃までで、冬にリヴェリナに向かった時には覚悟はもう決まっていたのだ。そこでイノセントに彼女のことを聞いたが、返事は芳しくなかった。
「兄貴、知らねえのか」
「島に向かってくれたらしいんだけど、翌日の早朝には家族に引き取られていたって」
「レイチェルを家族のふりして病院に届けたのは、イメチェンしたデブのおっさんだったろ。あいつに知らせを受けた他の帝王サイドの仲間ってことはないのか」
「島に仲間がいるなら、きっとあの時加勢にきていたはずだろ。あの混乱の中で、翌日の、しかも早朝にレイチェルを引き取りに来られる人間は限られていると思う。ハビさんか、ハビさんが手をまわしてロジェッタの従業員を向かわせたっていう線が濃いかなって」
「あー、まあ確かに」
グレンは小さく頷いた。ノエルもこの意見には同意してくれているようだった。別に一緒に墓参りをしてほしいなんて無理なお願いをするつもりはないが、あの責任感の強いハビが自分が死に追いやった女の子のことを何も知らないという可能性は低いと思った。
「でも、ハビさんの傍にはマーティンがいるよ。あの人絶対、僕らのこと対策してると思うんだ。視力戦法が効かないかも、どうする? 一年何もなかったからうっかり忘れそうだけど、マーティンだって僕らを狙ってるじゃん」
「こっちには魔法が使えない普通の女の子もいるからな。あいつはきっと真っ先にシェリーを狙う、性格悪いから」
アンソニーとグレンが言うのも尤もだった。そしてマーティンの性格が悪いというのにはクライドも同意だった。ブリジットへの絡み方やイノセントへのねちっこい攻撃の仕方を見ていれば明白で、できれば出会いたくない相手だ。黙って聞いていたシェリーは、灰色の眼にちらりと闘志をのぞかせる。束の間、シェリーは彼女の眼が銀色だった時のことを思わすような、戦士の目をしていた。
「ねえグレン、あたしが攻撃魔法を使えなくて苦労していたの忘れたの。エルフと戦ったときも弓矢に結構頼っていたから大丈夫。いざとなったらクライドが想像で弓矢を出してくれれば完全に操って見せるから」
おお、とアンソニーとグレンの声が重なる。声には出さないがノエルも感心したような様子だった。エルフの集落の何割かを弓矢と自己流の魔法で倒したシェリーの戦闘経験は侮れない。今はもう人間の女の子だが、弓矢は確かに血も魔力も使わない武器だ。
「頼もしいな。けど、無茶すんなよ」
「クライドこそ。限界を超えて血を使ったって、あたしはもうあんたに血をあげられないんだから」
「気を付ける。けど、薬は煎じてくれよ」
「任せて」
握った拳同士をぶつけ合って、シェリーと微笑みあう。シェリーは守られてばかりではない。そうありたくなかったからこそ、彼女はクライドたちの誘いを蹴って一人で特訓していたではないか。彼女の強さを信じて、戦闘になればシェリーも含めたフォーメーションを検討すべきだ。
「僕らの個々の魔法は全て把握されていると思っていいんじゃないかな。だからこそ、戦闘が発生したら五人で連携を取らなくちゃ。シェリー、君は魔力を失った分、今まで以上に僕らをよく観察して魔法を発動するときの癖を把握して。僕らも君に攻撃をさせやすくできるように動く、それを前提にして欲しい」
「了解。ねえ、アンソニーの視力戦法、目つぶしじゃなくて未来透視にシフトするのはどう? あたしは過去を見て傾向を分析したけれど、アンソニーはことを起こす前に相手を止められる。マーティンの前で、その力はまだ発揮していないはず」
軍師ノエルと参謀シェリーという雰囲気だった。シェリーも長い時間を本に囲まれて過ごしていたし、言語能力や理性的な判断力が備わっているので指揮官として適任だ。それに彼女は、エルフだった時の魔法でクライドたちの個々の過去や魔法の性質を全て把握しているのだ。二人がいれば個々の能力をもとに最適な陣営を作り出せそうだ。
「わあ、それならアリかも! リヴェリナについたらちょっと肩慣らししなくちゃね」
「そうだな。ちょっとグレンに魔法かけて年齢偽って、免許も偽造して、あの漁船で沖にでも出て…… 存分に練習しよう」
どんどん未来が決まっていく。白紙だった予定が鮮やかに組みあがっていく。クライドは同意を求めてグレンを見る。グレンはにやっと笑って、クライドのほうを向く。
「そこでクライド用の薬も量産しよう。久々に魔法を使うんじゃ、血の量をうまく制御できないかもしれないだろ」
「いいな。お前らがいるとトントン拍子で物事が決まっていって気持ちいいよ」
今回の旅では、徒歩や電車が最も有効な移動手段になる。都会へ向かうためにあの漁船を使ったら、田舎より警備が厳しい都会の港には入れないだろう。ばれて逮捕される可能性が高い。逆にアルカンザル・シエロ島に向かうのであれば、旅客船を使わずに漁船を使った方が旅費を節約できるが、さすがに偽造船舶操縦免許で二度目の遠洋航海に出るのは怖い。
去年の冬頃にパスポートを取ったので、今回の旅では身分証を偽造しなくても国外に出ることが出来る。また街の外に出たいということを父に話したら、父がその日のうちに申請書を持って帰ってきたのだ。さすが役所勤めだとのんきに感心していたら、『漁船で遠洋航海に乗り出したのも、山越えを徒歩で行ったことも、まぐれだと思え』と険しい顔で言われた。母に出会うまでよく旅をしていたという、旅慣れした父の言うことだ。尤もなのだろう。
世界は魔法が存在しないように振舞っているが、事実こうして魔法を使える人間がいるのだから、勿論その均衡を保つための自治組織だってある。行政や教育機関、警察組織などに一般人のような顔をして取り締まり係が混ざっている。魔法の存在が知られては、魔導士たちの利益が守れないからだ。クライドは上手に出くわさずに旅を終えることができたが、父は何度か捕まりかけたと言っていた。それを聞いて少しだけ、あのダイヤモンド事件で通帳が消失してよかったと思ってしまった。偽造した金なんて、確実に取り締まりの対象ではないか。
「まとまったね。それじゃ、ちょっと母さんと話してくる」
ノエルを見ると彼はすっと立ち上がって本棚群の奥へと消え、それからすぐに戻ってきた。
「午前十時、郵便局の屋上にいけば良いって。母さんが話を通してくれているから、受付で『定形外の投函に来ました』って言えばいい」
ノエルはそういって、元のように席に着いた。なんだか秘密の合言葉みたいで楽しい。クライドは何度か頷き、それから旅費の確認をした。
「……体重、五十キロ以上あるよね?」
クライドは一瞬何を聞かれているか解らなかった。しかしノエルの話によると、このヘリコプターを使う場合は郵便物と同じように重さで“送料”が決まるらしい。
「俺はある」
「俺も」
クライドとグレンはそういった。大体、身長が百七十を越しているのに体重が四十キロ台だなんていったら、体型はノエル並みのがりがりになると思う。クライドは運動部だし、相変わらずの細身ではあるものの筋肉のつき方はノエルよりしっかりしていた。
そう考えると、絶対にグレンの体重が五十キロを下回っていることはありえない。彼はこのメンバーの中で一番重いだろう。身長もあるし、筋肉のつき方だってクライドよりももっとしっかりしている。アンソニーを見ると、彼は少しだけ苦笑した。
「僕はだめ、ちょっとオーバーしてる。これって送料グラム単位?」
「端数は切捨てで良いって。ちょっと驚いたよ、せいぜい僕と同じぐらいだと思ってた」
「ノエルと同じ!? 僕そんなスリムじゃないよ」
二人の会話を聞いてクライドも少し笑った。最近どんどん男性らしくなっているアンソニーだから、体重が五十キロ以上あるといってもクライドは驚かなかった。彼は身長もどんどん伸びているし、体つきもより子供時代を脱してきた。
彼も多分、将来はグレンのような長身で筋肉質な男性になるのだろう。クライドは恐らく、このまま小柄で標準より痩せ気味の大人になるのだと思う。ちょうど父のように。
「シェリーはあるよな?」
グレンがからかうような口調でシェリーにそういった。シェリーはみるみるうちに頬を上気させ、グレンの背中をばしばしひっぱたく。
「ないっ! ないから! 馬鹿!」
グレンはそんなシェリーの様子を楽しんでいるのか、腹を抱えて笑った。笑いながら冗談だと連発するが、シェリーは聞く耳をもたずにグレンをひっぱたき続けている。仲がいいようで何よりだ。
「五十キロに満たない場合は、体重に千をかけて。五十キロ以上ある場合は、体重に応じて送料表がある。単位はカルド、これが送料になる(注:一カルドは日本円にして一円程度。千カルドで一デラ)」
ノエルがそういって送料表を出してくれたので、クライドは荷物の中からメモ用紙とペンを取り出して計算を始める。グレンがメモ用紙を一枚欲しいといったので、メモ帳から一枚破ってグレンにも渡してやった。彼の分のペンはノエルが用意したようだ。
もし、仮にノエルが四十五キロ(もっと軽そうだが)だとして計算すると、四デラと五〇〇カルドいう数字が出てくる。しかし、五十キロの壁は大きかった。クライドの体重は五十四キロなので、送料表から計算すると十デラになるらしい。
信じがたい、約十キロの体重の差が送料を倍にするなんて。あまり裕福ではないクライドの家庭では、誕生日プレゼントですら上限が五デラで暗黙の了解なのだ。送料計算が五十キロを境に大きく変わることを知っていたら、クライドは相当前からボクシングの選手のように減量をしたと思う。
「うわ、何だこの金額。ノエルたちと俺達、ケタが違わないか?」
グレンはメモ帳に必死に計算をし、素っ頓狂な声を上げている。一八〇越えの長身のグレンだから、体重が軽めに見積もって六十五ぐらいはありそうだ。だとすれば表に示された送料は約二〇デラで、確かにノエルたちの金額とは何倍も差が出てくる。
だが、グレンは良いだろう。二ヶ月間の旅を終えて帰ってきたあと、グレンは急に毎月貰う小遣いの金額が倍になったらしいからだ。ちなみにクライドが貰う小遣いは、毎月一デラだ。グレンの家では、毎月六デラもらえるようになったと言う。貧富の差を感じざるを得ない。
そして忘れてはいけない。飛行機だと、体重に関わらず全員が一律で三〇デラずつだ。グレンだってクライドだって飛行機で行くよりは安く済んでいるのだから、感謝しなければ。
「身体が貧弱だとこういう良いことがあるんだね」
ノエルは呑気にそういいながら、本を読み始める。シェリーは頷きながら、長い髪を首の後ろで一本にまとめて結んでいる。
アンソニーは何を思ったか財布を取り出し、テーブルの上にあけた。かなり耳障りな音をたてながら、大量の小銭が散らばる。アンソニーはその小銭を一枚一枚数え、数え終わると満面の笑みを浮かべた。
「すごい! 全部小銭で払えるよ!」
……それはちょっと、郵便局側の人に悪いと思う。
「リヴェリナについたら、漁船で寝泊りすればいいよな?」
小銭をかき集めて財布に戻す作業をしているアンソニーを見ながら、グレンが言った。その言葉に迷いなくアンソニーが頷いた。クライドは頷こうとしたが、グレンの隣に座る赤毛の少女をちらりとみた。彼女はどうなる?
一五歳のシェリーはもう十分に女性といえる。男たちと雑魚寝させるわけにはいかないし、部屋は分けるとしても船底の倉庫か操舵室かという選択になる。安眠できる環境ではないことは確実だ。トイレやシャワールームも共用になるのは、女の子には申し訳ないとクライドは思う。そもそもシェリーは少しの物音でも目が覚めてしまう神経質なところがあるから、本来なら一人でゆっくり広いホテルを取ってほしいぐらいなのだ。ただ、彼女はたった一人でバイト代で暮らしている身の上なので経済的に無理があるかもしれない。
「シェリー、たとえいくらグレンが来いって言ったとしても、君を僕らと同じ船で寝泊まりさせるなんて嫌だ。雑魚寝の船室か蒸し暑い船底か、座り寝限定の操舵室のどれかなんて君に選ばせたくない」
クライドが気にしていたことを、ノエルが代弁してくれた。シェリーが何か答えようとしたとき、アンソニーがいきなり立ち上がる。驚いた全員の視線をばっちり独占したアンソニーは、こう言った。
「ねえノエル! サラんちに電話して、シェリーを泊めてもらえばいいよ」
「僕もそう思っていたんだ。それじゃあ、電話してみるね」
ノエルはそういうと、机の方へ歩いていった。机の上には電話の子機があり、ノエルはそれを持って戻ってくる。そして、もといた場所に座ってノエルはメモリーを呼び出した。
暫く、誰も何も言わなかった。やがて、電話の向こうに懐かしい少女の声が響く。しかし、魔法が封じられている今は彼女が何を言っているのか解らない。
ノエルはいつもの微笑をもっと優しげな微笑に変え、流暢なウィフト語で何か話している。二人の会話は数分続いた。
「良いって。サラ、君が来るのを楽しみにしているって言っていたよ」
ノエルはそう言って、子機をテーブルの上に置いた。シェリーはノエルのその言葉に、ほっとしたように微笑んだ。
これで、全てが何の問題もなく進むはずだ。明日の朝までに各々仕度を済ませるということで全員の意見が一致し、クライドは全員に別れを告げて隠れ家から家に帰った。