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第三十三話 ディナー

 食堂に到着すると、レンティーノとマーティンがいた。マーティンはこちらを見ると舌打ちし、レンティーノがそれを窘めている。

「お行儀が悪いですよマーティン。食事の席です」

「チッ。なんだってコイツらなんかと食事を……」

 それはこちらもだ、と思ってむっとしたところでミンイェンがマーティンに駆け寄って隣の席に座る。

「マーティン! 会いたかった~!」

「おいミンイェン。お客サマどもには別室でも用意してやれ」

「えー、なんでよ。僕クロスワードの感想聞きたい!」

「じゃあ俺が出ていく」

「だーめ。マーティンといる時間を減らしたくない」

「チッ」

 にこにこと楽しそうなミンイェンに腕を掴まれて、マーティンは席を立つのを諦めたらしい。この研究所の人々は誰もがミンイェンに心酔している様子だが、やはりマーティンも例外ではないようだ。

「みんなも座ってよ!」

 ミンイェンに手招かれ、思わずグレンと顔を見合わせる。別室を提案しようかと思ったが、アンソニーが躊躇いなくマーティンの斜め向かいに座った。他の誰もが座りたがらない席だ。隣に座ったレンティーノが、優雅に微笑して居住まいを正した。

 奥から順にレンティーノ、マーティン、レンティーノの横にアンソニー、マーティンの横にミンイェンという並びになった。ミンイェンの隣には、さらりとノエルが座った。彼がちらりとグレンを見る視線を見て、どうやらミンイェンの真横にクライドを座らせることを警戒したらしいと読み取れた。グレンがアンソニーの隣に座り、クライドの正面にはシェリーが来た。

「よーし、厨房にゲストが揃ったって伝えなくちゃ」

「手配いたしました、ミンイェン」

「さすがレンティーノ!」

 楽しそうなミンイェンと、涼しい顔で座っているレンティーノ。不機嫌を隠しもしないマーティンが斜め向かいにいるのに、アンソニーは楽しそうに笑った。

「クロスワードの感想! 聞きたいんでしょ、ミンイェン」

「どうだった? トニーには難しかったかなあ」

「もうちょっと考えればいけそうな問題と、そもそも習ったことない問題とあったよ」

「教えて! どこがダメだった?」

 楽しそうに会話を弾ませるミンイェンとアンソニー。クライドの正面でシェリーが驚いたようにその様子を見ていて、グレンはマーティンの次に不機嫌そうに見える顔でテーブルの下の長い足を組んでいる。ノエルに話しかけてサラの話題を広げるという気分転換の方法もあっただろうが、レンティーノが昼間読んだ本の話でノエルに話しかけたので必然的にグレンが話を振ってきたのはクライドだった。

「警戒心なすぎだろトニー」

 苛立ちを滲ませるその声に、隣のシェリーが顔を上げる。

「……グレンは強いから反発の選択肢があるけれど、アンソニーが迎合しちゃう気持ちはあたしにも分かるよ」

「何だよシェリー。お前もここに染まっちまったっていうのか?」

「違う、そうじゃなくて。大切な人たちの命を盾に、従えって脅されたら…… それで、暴力から救ってもらったり、楽しい遊びを提供してもらったりしたら」

 シェリーの言うことには一理あるとクライドも思っている。現状、主導権はあきらかにこの研究所側が握っているのだ。反発して逃げ出すにしても、全員の心と行動を一つにしなければ失敗するに決まっている。彼らは実体のよく分からない『洗脳装置』という機械も、人工魔力も、魔力封じのアイテムも持っている。おまけに全員がノエルと同等かそれ以上に頭の回る人間たちなのだ。……マーティンは比較的、単細胞かもしれないが。

 クライドとしては十分筋の通った発言だと思って納得できたが、グレンにとってはそうではなかったらしい。グレンはアイスブルーの冷ややかな目をシェリーに向ける。

「お前な。俺がどんな気持ちでここまで追いかけてきたと思ってんだ」

「それは本当にごめん。あたしがもっと、ちゃんと動けていたら」

「どうせ罠だったんだろ。あの場で逃げ切ったとしても、波状攻撃で捕まったに決まってる。そういう姑息な奴らを相手に、何で心を許すんだよ。シェリーはもともと、警戒心の塊みたいな女だったろ」

 徐々にヒートアップしてきた気配を察して、クライドはグレンとシェリーの会話に割って入る。

「怒るなグレン、全員で結束していれば大事にはきっとならない。こうやってグレンが反発して、単独行動に走ろうとすることなんてこいつらにはお見通しなんだ。抑えろ」

「……お前みたいな真面目ちゃんが、いつでも報われる世界じゃねえよ。黙っていい子にしてれば助かるって、本気で思ってんのか」

 意外と猜疑心が強いところは、グレンの良いところでもあると思う。信じる相手が明確で、それ以外にはほだされないところは一緒にいる仲間を危険に晒さないためなのだ。クライドは気を張って敵との対峙を続けるグレンに、労いの気持ちを持ちながら微笑みかける。

「だったらなおのこと、俺たちだけは心を一つにしておこう。仲間割れはもうナシだ、それでうまいこと罠に嵌っちまったんだからさ」

 そう言ってみると、グレンは数秒考えた。そして大きな大きなため息を吐いて、肩の力を抜いたようだ。

「そうだな、悔しいけど言う通りだ。悪い、クライド。……けどシェリー、有名女優だかなんだか知らないけど女相手だからって気を抜きすぎんなよ」

「わかってる。あたしの目的はずっと、グレンのもとに帰ることだから」

「そうかよ」

 そんな会話をしている間、マーティンは煙草を出そうとして目ざとくレンティーノに止められていたり、アンソニーに下品な絡み方をしたりしていた。クライドとグレンのほうは見ようともしない。

 マーティンに視線をやっていることに気づいたのか、ノエル越しにミンイェンがひょこりと顔を出してこちらを見る。

「ねえクライド。さっきマーティンと喧嘩したんでしょ。ダメだよ、僕の大事なひとに暴力なんて」

「そっちが先にお前らの大事な『実験台様』に足蹴りしたんだけどな」

「マーティンには僕からちゃんとお願いしておいたから、クライドも守って。マーティンのこと、もう傷つけないって」

 頭が痛くなるような発言に、クライドは大きくため息をついた。

「一応停戦協定は本人同士で結んでるから。お前に言われなくても」

「次やったら手錠だからね?」

「その時は協定違反なんだからあいつもな」

 ちらりと視線を投げればマーティンはにやっと口角を上げる。

「それでミンイェンと対等になっているつもりか? モルモットの自覚をもちな」

「うるさいな。絡んでくんなよ」

「もう! また喧嘩して! ダメだよマーティン、クライド」

 険悪な二人を仲裁するミンイェンを見て、レンティーノもため息をつく。彼も仲裁に加わろうとしたところで、テーブルに近づく影があった。 

「お待たせしました。まずは食前酒からどうぞ」

 頭の上から、低い落ち着いた声が聞こえた。体中の血がさあっと抜けていったような気がした。ここで出会うだろうとは思っていたけれど、まさかこんなタイミングで出会うとは思いもしなかった。

「ハビ、さん」

 振り返る。小さな銀のワゴンにグラスと高級そうな酒のボトルを乗せて運んできた彼は、クライドを見下ろして微笑した。

「久しぶり。元気そうだね」

 そういうハビは、去年と全く変わらない笑顔でクライドを見ていた。クライドはまじまじとハビを見つめる。何か言おうとしても、言葉が出てこなかった。これから何を言いたいのか、何を言うべきなのか、クライドは解らなくなっていた。それほど、混乱は強かった。

 黒い短髪に二メートルは超しているであろう長身、カフェ・ロジェッタの刺繍入りベスト。今日は、蝶ネクタイの色が臙脂ではなく黒だった。前から気づいていたが特に気にならなかった左耳の三つのピアスホールには、今日は長さが違う十字モチーフのチェーンピアスを通している。ハビは去年出会った時と全くと言っていいほど変わらない風貌だったが、表情はいつにも増して嬉しそうだった。

 何も言えないクライドの反応を待たず、ミンイェンが立ち上がる。

「ふふ。僕のためにきてくれた、すっごく腕の良いシェフだよ! 今日は高級エナーク式フルコースの気分! あ。安心してね、このお酒、ノンアルだから」

 ミンイェンは上機嫌で言った。その言葉が終わるか終わらないかのうちにハビを見上げ、アンソニーはしげしげと彼を眺めている。その無躾な視線を笑顔で受け止め、ハビは長身を緩やかに屈めて優雅な一礼をした。なかなか様になっている。

 ハビは彼に笑い返しながら、空のグラスをそれぞれの前に置き、ボトルのコルクを抜く。ぽこん、と良い音がして、ボトルから泡があふれ出した。

「高級料理って言っても、所詮は気分だよ。ミンイェンも時々マナーできてないし、そんなに硬くなることはないから。高そうに見える料理でも、実際にかかっているのは材料費だけだから安上がりだし」

 壁際でない方のグラスから順に食前酒を注ぎながら、ハビはにこりと笑った。細長いグラスに注がれた酒は、しゅわしゅわと音を立てながら煌く泡を出した。

 ハビの言葉は確かに自分に向けられた言葉だったが、クライドはまだ何を話したらいいか解らないままだったので黙ったままでいた。ハビは苦笑し、ミンイェンに小さく手を振って厨房へ戻っていく。全員のグラスに同じボトルからドリンクを注ぐところをわざと見せたのは、きっとノエルやグレンのようにまだ警戒を強めているメンバーへのパフォーマンスだ。

 レンティーノがグラスを取り、そっと持ち上げた。視線で促されたので遅れてクライドたちもグラスを持ち、ミンイェンがあっと気づいた顔をして目線の高さまでグラスを持ち上げた。

「乾杯!」

 この雰囲気にこれはないだろうというような、元気いっぱいの声だった。クライドは苦笑しつつも、彼の乾杯の声に続いた。唯一乾杯に参加していない(けれどミンイェンにも気づかれていない)マーティンは、グラスに口をつけて一息で食前酒を呷る。優雅さの欠片も無い。

 レンティーノとノエルは、二人だけ雰囲気がエレガントだった。話す声のトーンやグラスを持つ角度さえ優雅で、気品にあふれている。すっかり上流階級のディナーの様相だ。特にレンティーノは、マーティンの傍にいるから対比で余計に気品たっぷりに見える。

「ドレーアー嬢とのビデオ通話はいかがでしたか。あれは実は、私の提案だったのですよ」

「道理でミンイェンにしては情緒的なところを攻めてくると思った。君の入れ知恵だったのかい」

「こちらの不手際で、ドレーアー嬢には怖い思いをさせてしまいましたから。ケアは必須です」

「僕らと通話させることがサラへのケアになると思っているのだとしたら、誘拐して強制的に分断するなんて発想がいかに間違っていたか分かるんじゃないのかい」

「仰る通りですよ、ノエル。ミンイェンとデゼルトに代わってお詫びします」

「……許しはしないけれど、言い分には納得したよ。あの街に向かって、サラに接触した研究員のことを教えて」

 エレガントな見た目と雰囲気で、やや剣呑な会話を重ねるノエルとレンティーノ。彼らの傍ら、アンソニーが興味津々にマーティンに話しかけているのも見える。

「ねえねえ、マーティンっていくつなの?」

「おいガキ。勝手に俺の名を呼ぶな。……二十三」

「えー、十八くらいに見える」

「どんな目をしてやがるんだ? 何だ、その微妙な数字」

「失礼な! 僕の目は千里眼だし未来予知だってできるんだからね」

「ハッ、知ってる。地味に便利だ、目ん玉よこせ」

「やだ! 妖怪みたいなこと言わないでよ! 妖怪目玉おやじって呼ぶよ!」

「妖怪って…… つーかオヤジ要素はどこから出た」

「タバコ!」

 どうやらアンソニーは、あのマーティンの毒気すら抜けるらしい。少し拍子抜けした。ミンイェンはそんな一同の様子を楽しそうに眺め、鼻歌でも奏でだしそうな調子で口角を上げている。

「はやくリィと一緒にディナーしたいなあ。ここにリィが混ざったらもっと楽しいよ」

 うっとりと呟くミンイェンを無視するのは気がひけて、クライドは肩を竦めた。

「リィが生き返ったら俺ら帰るけど」

「実験が終わってすぐ帰れる疲労具合か分からないでしょ! それに心強い協力者だったんだよって、ちゃんと紹介したいんだ」

「はいはい」

 ミンイェンが成功を信じて疑わない、二週間後の実験について考えるとなんとなく胃が痛い。そして、現在厨房にいるハビのことを考えると更に胃が痛い。すぐそばにいるこの少年の企てた、無謀なほどのプロジェクトの失敗を考えると、胃だけでなく頭も痛い。

 とにかく逃げ切らなければ。何とかうまくやりすごさなければ。終わったらリヴェリナに戻れるのだから、それだけを目標にしよう。クライドはそう考え、気品もへったくれもなくノンアルコールの食前酒を一気飲みした。

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