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第三十二話 不意打ち

 しばらくし、ノエルが帰ってきた。シンプルな紙袋に分厚い本を何冊も入れ、それをテーブルに置きながら彼はシェリーに気づく。

「シェリー! 無事でよかった」

「ノエル!」

 駆け寄るノエルはシェリーの外傷をくまなくチェックし、医者の観点から彼女の無事を確認しているようだった。アンソニーとの再会は先程喜びあって、シェリーはグレンと共に別のクロスワードを解いていたからノエルも彼らの手元にすぐ気づく。

「みんなで謎解きかい?」

 クライドとアンソニーを振り返ってノエルがそういうので、クライドは肩を竦めた。

「そうなんだ、こっちは手詰まり。助けてくれ」

 救助船が来たとばかりにアンソニーと一緒に大げさに手を振って呼び寄せれば、ノエルはくすりと笑ってクライドの隣に腰掛ける。すかさずアンソニーが、先ほど難しすぎて考えるのを放棄した問題を読み上げた。

「G,A,C,T。この四つに共通するものは?」

 それを聞くなりノエルは、一秒も考えずに息をするように答えた。

「DNA塩基じゃないかい。文字数的に」

「へ?」

 きょとんとするアンソニーの手からクロスワードとペンを受け取り、ノエルはさらさらと答えを書き入れる。そして、問題文の横にそれぞれが何を意味しているのか書きながら読み上げる。両利きのノエルは受け取った左手でも、持ち替えた右手でも全く印象の変わらない文字を書けるのですごい。

「アデニン、チミン、グアニン、シトシンでしょう。それで、次はどこが詰まっているんだい」

「すげえ…… さすがノエル先生」

「習っていないだろうから仕方ないよ。クライドたちはきっと、高等科の生物の授業で習うんじゃないかな」

 次の問題をどれにしようかと問題用紙に目を走らせていれば、アンソニーがまた元気に読み上げる。

「ノエル! 次これ! 地域の植生と、生息する動物を含めた生物の……」

「バイオームじゃないかい」

「早押しクイズみたい! まだ全部読んでないのに!」

 こちらの盛り上がりを見て、グレンとシェリーも行き詰った用紙を手にこちらにやってくる。二人の解答用紙は惜しいところまで埋められており、あと三つで完成しそうだった。

「ずるいぞクライド、ノエルを投入したら電子辞書持ち込んだみたいなもんだろ」

「シェリーも十分電子辞書じゃねえの」

 電子辞書と呼ばれた二人は顔を見合わせ、くすくす笑う。グレンはその通りだと頷いて、適当に椅子を持ってきてシェリーを座らせる。自分の分は魔法の手で部屋の端から持ってきた。それを見て、やはり便利でいいなとクライドは思う。

「全然辞書なんかじゃないけどね。あたし、人間界の科学はうっすらとしか分かってなくて……」

「そういうけど、問題の大半は俺よりシェリーの方が解答早かったぞ」

 ノエルはグレンとシェリーの解答用紙を覗き込み、目ざとく間違いを見つける。そして正しい答えを書き直せば、それを見てシェリーは何か閃いたように縦のワードをひとつ埋めた。

「やっぱり電子辞書だねシェリー! すごいや!」

 アンソニーが歓声を上げ、また分からない問題を読み上げる。ノエルはその問いにも特に時間を要することなく答え、グレンとシェリーの問題にも答える。結局、詰まっていた解答はほぼノエルが片付けてしまった。グレンはヒュウ、と口笛を吹いてにやりと口角を上げる。

「次の問題があるなら、その時はノエルタイムを三回までにしようぜ」

「だな。正答が出てくるのはもう前提だ」

 そんな会話をしていれば、空気の音がしてドアが開く。開いたかどうか視覚では確認できないドアの向こうから、飛び込んできたのはミンイェンだ。えらく楽しそうにしている。

「みんな! 僕のクロスワード楽しんでる?」

「俺たちには難しすぎて、ノエルには簡単すぎるみたいだな」

「そう言うと思って、ノエル用を新しく作ってきたんだ! きみたちへのクロスワードはね、また出題範囲を変えて知識の上限のぎりぎりを攻めたよ」

 ミンイェンはクライドたちのいるベッドのほうへ駆け込んできて、腕に抱えた紙束をテーブルにどんと置いた。紙束を置くにしてはあまりに鈍い音だ。

 見れば、紙だけでなく一番下にノートパソコンがあった。

「おい。ミンイェン、それは何だ」

 グレンが目ざとくそう尋ねると、ミンイェンは飛び跳ねるような勢いで嬉しそうに口を開く。

「シェリーへのプレゼント! ほらほら、開けてみて? やりかたわかる?」

 警戒した様子のシェリーを見て、代わりにグレンが手を伸ばす。グレンがノートパソコンを開くと、そこには映像が流れている。見たことのない部屋だ。会社の事務室か何かだろうか。無骨な事務用品が映り込み、シンプルなパイプ椅子が机の前に置かれている。

「何だよこれ」

 グレンは訝し気にミンイェンを見るが、ミンイェンは相変わらず機嫌良さそうに笑っている。

「まあ見てなよ!」

 嬉しそうなミンイェンは後ろ手に手を組んで何かを待っている様子だ。クライドたちも画面をのぞき込み、少し待っているとカメラの向こうの部屋の奥で音を拾う。女の子と男性が話す声だ。ノエルの表情が変わった。

「……まさか」

 映像には椅子を指し示す男性の手が映り、清楚なワンピースの少女の腰から下がフレームインする。彼女が椅子を引き、座ろうとしたときにはクライドも彼女のことが誰だかわかった。サラだ。遠くて誰が何語を喋っているかもよく分からなかったあの音声で、ノエルはサラに気づいたらしい。

 映っているのがサラだと分かったことで、クライドにはようやくこれがアンシェントタウンの子供たちには全く馴染みのないビデオ通話のシステムなのだとわかる。クライドの家にはパソコンがないから、ビデオ通話の概念は映画やドラマの中でしか知らない。

 サラは緊張気味に椅子に腰かけたが、とたんにこちらに気づいて驚いたような顔をする。

「シェリー! みんな!」

「サラ!」

 画面に映るサラが泣きそうな顔をし、口元を両手で覆う。シェリーも涙ぐみながら画面に近づき、そうしてもサラには触れないというのに液晶画面にそっと指を沿えた。

「よかった…… 無事でよかった、シェリー」

「ごめんね、怖い思いをさせて」

「どうしてシェリーが謝るの? ね、怪我してない? 大丈夫なの?」

「平気。みんなが探してくれたから」

 女の子たちは、画面越しに無事を確認しあって喜び合う。その様子をクライドたちは、一歩下がったところから見守っていた。グレンとアンソニーは言葉が分かっていないので、例の言語を理解する魔法をかけてやった。

 しばらくシェリーとサラは互いの無事を確認し気遣い合う言葉をやり取りしていたが、そのうちサラがまた心配そうな顔をした。

「みんな、どこにいるの?」

「エナーク。少しのあいだ、こっちに滞在しなきゃならないみたい…… サラは?」

「ええっと…… 商店街で聞き込みをしていたら、情報を持っているっていう人が現れて。テレビ電話を繋いであげるっていうから、ついてきたの」

「え! 待って危ないよサラ、そういうときは……」

「大丈夫、お兄ちゃんたちを連れてきたの。独りで無茶はしないから安心して、シェリー」

「……そっか。そうだね、それならよかった」

 クライドたちに二週間程度の調整が必要で、すぐに帰宅できないということはその『情報を持っている』という人…… 恐らくはミンイェンの差し向けた研究員からも説明を受けているとサラは言った。

「みんな元気そうで本当に安心した…… ブリジットたちにも無事を伝えるね」

「そうしてもらえると助かるな」

 会話が一旦落ち着いたその隙を見計らって、シェリーの背後からグレンが顔を出す。

「兄貴になんとか無事だって伝えてくれ、サラ。あとマーティンがこっちにいるって」

「マーティン?」

「なんか…… いけ好かない奴いたろ。髪が青い」

「あ…… うん。わかった、伝えておく」

 じゃあな、とグレンは画面から外れてアンソニーに場所を譲る。アンソニーもシェリーの肩越しに大きく手を振って無事をアピールした。

「僕も元気だよ! 大丈夫だからね! 三食きっちり食べていっぱい寝てるよ!」

「ふふ、じゃあよかった」

 クライドもアンソニーと入れ替わるようにしてサラに手を振る。サラは気づかわしげにクライドを見たけれど、クライドの肩越しにいたずらをしている様子のグレンを見て小さく吹き出した。あんな大喧嘩をしたところをサラは間近で見ていたのだ。和解していることもちゃんと伝えるつもりだったが、グレンのほうもそれを察してくれたのだろう。

「念のため警戒は続けてくれ。俺がここにいるってことは、誘拐した奴の目的はもう済んでる…… でも、たぶんサラも監視されているから」

「わかった。お兄ちゃんと一緒にいるね」

「そうしてくれ。また話そう」

 手を振ってノエルに場所を譲る。一番長く喋りたいであろう人をトリに残したのは、シェリーも含むこのメンバーの総意だと思う。シェリーはパソコンの前から離れ、ノエルにいたずらっぽい視線をやる。ノエルはカメラの正面に座り、サラと向かい合った。クライドはグレンとアンソニーを引っ張って後ろに下がってシェリーと合流し、ノエルに話す機会を作った。そうして、二人にかけたウィフト語が分かる魔法を解いてしまう。

「……ノエル」

「大丈夫かい、サラ」

「ノエル…… 心細かった……」

「よく頑張ってくれたね。すぐ帰れなくてごめん」

「何があったか、……ちゃんと話して。帰ってからでいいから」

「約束するよ」

「うん…… あのね、……ノエル、私」

「何だい?」

「私、ノエルが好き」

 クライドは硬直した。

 予想外のタイミングで、思わず零れたと言って差し支えない告白だった。

 思わずシェリーを見るとシェリーはまばたきも忘れて固まっていたし、ノエルの背中も微動だにしない。グレンとアンソニーは言葉が分からないなりに雰囲気を察しているのか、やや怪訝な顔をしていた。ミンイェンもウィフト語は守備範囲外なのか、離れたところでこちらを見ているが言葉を理解している様子はない。

 気まずくはあるが聞いてしまったものは今更どうしようもなく、クライドはじっと様子を伺う。ややあって、ノエルの柔らかい声が響く。

「……僕から言わせてほしかったな」

「え?」

 今度はサラが固まる番だった。距離があるので細かいニュアンスは分からないが、画面のサラがフリーズしている。サラの長い片想いはようやく報われた。そう思って頬が緩みかけるが、しばらくして聞こえてきたサラの声が硬かった。

「ノエル、ごめんね、うまく理解できなかったみたい。ノエルは冬に私のこと、ずっと友達だって言ったよね。関係を壊したくないって、……大事だから、これ以上踏み込まなくてもいいって」

「そうだね」

「……今の、うっかり口が滑っただけ。ごめんなさい。困らせようとしたわけじゃなかったの。忘れて。ちゃんと友達だよ。友達として、ノエルが好き」

 待て、どうしてそういう拗れ方をする。

 そう思いながらシェリーを横目で見ると、シェリーは祈るように手指を組んで胸に引き寄せながら二人の様子を伺っていた。クライドの視線に気づいて、どうしようと言いたげな顔をする彼女は少し泣きそうだった。

 ノエルが軌道を修正するなら今このタイミングしかないと思った。口ぶりからすると完全に、ノエルは冬に一度サラの想いを聞いたうえで友達でいたいと答えているようなのだ。本音を素直に言葉にしてほしいが、彼の背後には今言葉が分かる友人が二名控えている。果たしてどうなるのだろう。

「サラ。君からもらった言葉を忘れたりしたくない」

「わかった、じゃあ、私が忘れるね。なかったことにする。気まずいよね、みんな同じ部屋にいるのに急にこんな、……ごめんね。私もノエルとずっと一緒がいいの、それだけ……」

 謝りたいのはこちらのほうである。今更部屋を出ていくのも不自然すぎるし、完全にタイミングを逃してしまった。ノエルが小さく深呼吸するのが分かる。言葉を理解していないグレンとアンソニーも、クライドとシェリーの様子から何かを察しているようで固唾をのんで見守っている。やがてノエルは、凛とした声で静寂を切り裂いた。

「誰に聞かれても構わないよ。本当はもう、随分前から友達じゃ足りないんだ」

「ノエ、ル?」

「友達だって言い聞かせて距離をとらなければ、重すぎて君を苦しめると思った」

 画面の向こうでサラが黙る。ノエルは姿勢よく、モニターを見つめている。

「これは恋なんだ、サラ。理屈でどうにかできる感情じゃない」

 シェリーが組んでいた指を解き、両手で緩む口許を押さえた。クライドも口角が上がりそうになるのを堪える。モニターに映るサラは驚いて声も出ないのか、しばらく声を発しなかった。たっぷり考える時間をとった後、ようやく上ずった声でサラが反応する。

「恋って、私に?」

「そうだよ。リヴェリナに帰ったら僕から伝えるつもりだったんだ。君が好きだって」

 サラは両手で顔を覆って泣き始める。グレンとアンソニーが焦ったようにクライドとシェリーをそれぞれ見るので、声を出さずに大丈夫だとジェスチャーする。今度こそ本当に、二人の友達時代は終わった。ほっとしてシェリーを見ると、シェリーは少し泣いていた。

「お兄さんに送ってもらって安全に帰って。出来たらまた話したいな」

「わ、私も……! え、っと…… それじゃあ、またね」

「またね。いつでも想っているよ」

 ストレートに愛情を表現してノエルは画面の端にあった何らかのボタンを操作して接続を切った。ノエルだって初見だろうに、ぱっと見ただけでビデオ通話の操作を理解しているらしい。ミンイェンがそれを見て、クライドたちの背後からぱたぱたと駆け寄ってくる。

「シェリーへのプレゼントのつもりだったけど、ノエルにも好評みたいでよかったよ! あっ、僕ウィフト語は単語ぐらいしか分からないから安心してね」

「リヴェリナでノートパソコンを提供してくれた研究員は、いつまであっちにいるんだい」

「望めばいつまででも。また話したかったら調整するよ」

「お願い」

 素直にそう頼むノエルに思わずグレンと顔を見合わせる。グレンはにやにやしながらクライドの脇腹を小突き、耳元に囁く。

「おい、何で魔法解いちまったんだよ」

「いやあ、大人数に聞かれたくない話になるかなと思って。思ったよりとんでもない展開になったけどさ」

「ノエル、告白したのか?」

「というか、サラから告白される流れだった」

「最高。本人の口からも聞こうっと」

 しっかり聞こえていたであろうノエルは、ちらりとこちらを見て肩を竦める。

「まさか君たちに見られながら告白することになるとはね」

「え! そうだったの! サラと付き合うの!?」

 素っ頓狂な声を上げたのはアンソニーだ。ここへきてようやく状況を把握したらしい。グレンが声を上げて笑った。

「おめでとうノエル!」

「ありがとう」

 シェリーからも叱咤激励を受け、ノエルは素直に嬉しそうにしていた。一同が和やかになったところで、パソコンをシャットダウンし終えたミンイェンがこちらを振り返る。

「みんな、ご飯にしようよ! 今夜はスペシャルなシェフを呼んで、ちょっといいディナーをするんだよ」

「お。いいな、頑張ったノエル大先生に祝い膳だってよ」

「交際記念日特典だな。よかったなノエル」

「ああ…… 困ったね、時差がある。どっちの現地時刻を採用しようか」

 それを聞いてミンイェンも笑った。

「海外取引とかだと、僕の会社はそれぞれの日付と現地時刻を残して締結してるかな。約款に時差について書いた項目も盛り込んでる」

「うわ。なんか急にミンイェンが頭良さそうなこと言いだしやがった」

 からかうグレンに『馬鹿にしないでよ!』と突っかかりつつも、ミンイェンは楽しそうだ。彼に導かれるまま、クライドたちは全員で揃って部屋を出てディナーに向かった。

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