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第二十七話 どこまでも続く白

 真っ白な廊下を、ミンイェンは楽しそうに歩いていた。鼻歌すら奏でそうな様子だ。ノエルはまるで出会った頃のような仏頂面で黙って歩いており、クライドは居心地の悪い思いだった。先を歩くミンイェンは楽しそうに、ふと足を止める。

「あ。ねえクライド、ちょっと相談させて」

「何だ?」

 歩きながら返事をすると、ミンイェンはこちらを振り返って頼み込むように手を合わせてきた。また突拍子もないことを言い出されるんじゃないかと心配になる。勘弁してくれよと思いながら、クライドはミンイェンを見下ろした。

「君たちの魔力の調整期間が欲しいんだ。蘇生実験室の準備もまだ万端じゃないし」

「どういう意味?」

「この研究所でちょっと待機して欲しいってこと。二週間くらいかな、それくらいで完了するから」

 つまりは、二週間この白いだけで何もない研究所で暮らせということか。クライドはそれを理解した瞬間、大きくため息をついた。

 これではサラやイノセントたちに心配をかけっぱなしになるではないか。今こうしている間にも、サラは不安で泣きそうになっているに違いない。電話をすれば余計に心配をかけるだろうし、何もしなくても心配をかけることに変わりはない。困ったことになった。

 ミンイェンはクライドの態度を見て、少し言葉を選ぶように唇を動かしたが結局言葉を紡がずに黙った。そして恐る恐るといった様子で、クライドを見上げる。

「だめ、かな? さすがに五分で終わるような案件だったらここに連れてくることもなかったよ、こっちが出向けばいいから」

「どうせ、駄目って言ってもここに留まらせるつもりだろ。二週間も? そういうことって、普通は俺達を捕まえる前にやっておかないか?」

「だって、会社も忙しくて」

 半ば八つ当たり気味に対応したクライドに、ミンイェンは言い訳をしだす。理詰めがしたいのか子供っぽく振舞いたいのか軸がブレているミンイェンに、クライドは少し呆れた。けれど、聞こえた単語にふと違和感を覚えて呟く。

「……会社?」

「表向きは製薬会社なんだ。社長は僕! イミテーションと研究資金の調達が一度にできて一石二鳥だし、色んなコネも作りやすくて便利なんだ」

 社長と言ったところで、楽しそうな笑みと共に、ミンイェンはやや演技がかった動作で右手を胸に当てて見せる。ノエルは冷ややかな仏頂面を崩さないまま、クライドの隣を歩き続けている。

「ねえちょっと、反応薄いよ」

 不満そうにそう言われても、ミンイェンがたくさんの社員をまとめて適切な指示を出して会社を回しているところがあまりにも想像できない。思わずノエルを見ると、ノエルはちらりとこちらに視線をよこして肩を竦めた。クライドとはコミュニケーションをとってくれる気があるらしい。

「えー。ファージエ製薬って、知らない? エナークじゃ知らない人いないと思うけど」

「……悪いけど知らない」

 残念がっているミンイェンに明るい希望を持たせてやりたいところだが、クライドは母国であるラジェルナの製薬会社しかしらない。ノエルはというと意外そうな顔をしたが、それについて言及することはしなかった。ミンイェンは目ざとくそれに気づいて、得意げにする。

「ノエルが知らないわけないよね。だってきみも僕ほどじゃないけど賢いもん。リャンツァイだったら特進システムを使えただろうし、かなり早咲きで重宝されたんじゃないかな。残念だったね、ラジェルナの法律がきみの頭脳に追いついていなくて」

「やめてくれないかい。無断で収集した個人情報で僕らを知った気にならないで」

 冷ややかなノエルに対して、ミンイェンはきょとんとする。どうしてノエルが怒っているのか理解できていないとでもいう様子だ。

「僕は事実にしか興味がないんだ。君たちの扱い方を学んでいるだけだから、ちょっと覗いたからって怒らないでよ」

「学んでいるとしたらあまりにお粗末だ。それともわざと、僕を煽っているつもりなのかい?」

「うーん、お粗末なほうだね。リィのためにどんなことでもしたくて、どれだけ手が汚れてもよくて、……そんな風に過ごしていたら、円滑な対人関係を築くスキルなんて真っ先に切り捨てることになったから。怒った? ごめんね」

「君とは最低限のやりとりしかしたくない」

「価値観の相違だね。協力してさえくれたら、僕をどれだけ嫌いでもいいよ」

 にこっと口角を上げて、ミンイェンはまた歩きだす。ノエルはその背中を見つめ、硬い表情のまま後に続いた。

 ちょっと高慢な態度が鼻につくが、そのやり取りでクライドはなんとなくミンイェンの扱いが分かってきたような気がする。高揚している時は年相応に感情が見え隠れするが、時折この少年は合理主義を極めて倫理を放り出す。彼が合理主義モードになっていない時ならば、ある程度事実に基づいた筋さえ通っていればこちらの要求も通じそうに思えた。

 しばらくミンイェンは、兄との思い出話を楽しそうに語りながら歩き続けた。とはいえリィがミンイェンのそばに居たのは母親の再婚から数年間の出来事だから、話題は何度か同じようなところをループしていた。

「……それでね、リィってば本当に優しくて」

 次に話されるエピソードに新たな情報は無さそうだと判断したのか、ノエルが彼の話を遮った。

「ねえ。亡くなっているんでしょう、お兄さん。遺体は冷凍保存なのかい」

 ミンイェンは、前髪で隠れて見えない目をどんな風にノエルに向けているのだろう。口元は何度か見たように、感情を消して『合理的モード』をとっている。

「ミンはどうもそうされていたみたいだね。リィはそんなふうにしたくなくて、そのままの姿でいてもらっている」

「ミン?」

「レンティーノのパパのこと! 20年以上前のことだから、データが全然残ってないんだけどね。あの頃と違って保存液が進化していて、透明度も保存効率も格段に上がっているんだ!」

 そういえばそんなことをさっき話していた。まさか、具体的にその話が出るとは。人間の蘇生が本当に可能なのだということに、クライドは衝撃を覚えた。そして、レンティーノが研究所とこんなにも深い関わりを持っていたということを何だか妙に思う。

 彼はなんというか、最新のテクノロジーを駆使して時代の最先端を行く科学者たちとは相容れない感じがする。どちらかといえば時代を逆行し、自分のやりたいことを悠々とやっているイメージがあるからだ。

 けれど、それはたぶんカフェ・ロジェッタでの居住まいのイメージだ。クライドにわざわざ『見せる』ために作られたイメージだといっても過言ではないかもしれない。そう考えると、素直にその側面を信じて心を許したことについて苦々しく思えてくる。

 ノエルも蘇生の事実を飲み込むのに少し時間を要したように見えた。彼は少しの間黙っていたが、やがて顔を上げてミンイェンを見る。

「……それにしたって、九年前の遺体を常温で置いているなんて。腐敗が進んでいるんじゃないのかい」

「そんなわけないでしょ! 肉体が損傷していたら蘇生じゃなくて再生だよ。リィは僕の芸術なんだ、本当に綺麗だから何も問題ない」

 ノエルの質問に意味の解らないことを明るく返答しながら、ミンイェンは白衣のポケットに手を突っ込んだ。そして、白いカードを取り出す。いつのまにか、クライドたちは廊下の中ほどにある壁の前に立ち止まっていたのだった。多分、これがミンイェンの部屋だ。しかし、ドアには小さく第二研究室と書いてある。

 ミンイェンは壁についていたボタンのようなものを押した。この部屋だけはほかと違うのか、ボタンを押すと壁の一部が長方形にスライドし、液晶画面のようなものが出てきた。ミンイェンはそれに人差し指を当て、指紋認証をしてから液晶画面の隣にあった溝にカードをスライドさせた。この研究所独特の、空気の出入りするような音が聞こえた。

「さ、入って」

 ミンイェンは自ら白い壁に体を突っ込みながら、楽しそうに笑う。クライドとノエルは二人で同時に壁を潜り、入室した。

 少し先を駆けていくミンイェンの背中を目で追えば、その先に広がる光景はこれまで閉じ込められてきた部屋の様子とは明らかに違った。

 この部屋は異常に広い。学校の教室の軽く二つ分はあるような大きさだ。こんなに広い部屋は彼には必要ないだろうが、彼の持ち物には必要そうだった。無意識に一歩後退する。

 ミンイェンの部屋には、大小様々な円筒形の水槽が置いてあった。しかも、ミンイェンはベッドサイドにそれを集中させている。部屋の入り口付近にあるのはデスクや本棚で、中ほどにはテーブルなどがあった。

 それなのに、そんな生活感のある空間の中で、部屋の奥だけは異次元だった。ミンイェンはその異次元の中で、ベッドに座った姿勢である一つの水槽に向かって楽しそうに話しかけている。寒気と吐き気が同時にした。

 円筒形の水槽群。白いだけの部屋。地下にあった、エルフの死体を保存してあったものと重なって見えて眩暈がする。光の加減で水槽の中身が見えないのが唯一の救いだが、ミンイェンはこちらを振り返って満面の笑みで手招いている。行かなければならない。向こうに行かなければ。

「クライド、ノエル! リィだよ、こっちだよ!」

 言いながら、ミンイェンはベッドから降りてこちらにむかってくる。クライドは彼の無邪気な笑みに恐怖さえ感じ、今度は意図して後ろに下がる。

 まさか、本物の死体を見せられるとは思っていなかった。写真やデータを見せてくれるとか、過去の映像を見せてくれるとか、そういうことだと思っていたのだ。ノエルは硬い表情で水槽を見渡し、押し黙っていた。彼が探索した階にはもしかしたらこれらの水槽の群れはなかったのかもしれない。

「ねえ、まさか怖いの? 僕の大切な芸術品なのに?」

「芸術? 生命への冒涜の、間違いじゃないのかい」

 ノエルの掠れた声に、クライドも頷いた。どこまでも無邪気なミンイェンと、禍々しい死体の群れ。そのアンバランスさが、ひどく奇妙で残酷に見えた。

「冒涜だなんて、失礼な! みんな僕が永遠の形を与えた最高の芸術品なんだよ! 終わっていく有機物に永遠を与えるなんて、まるで神様じゃない?」

「価値観の相違だね。僕には傲慢でおぞましいとしか思えない」

 ノエルの返答に、クライドも心底同意していた。できることなら時間を戻して、会いに行くと言った自分の言葉を訂正したい。けれどもそれは叶わぬ望みで、目の前のミンイェンは目を輝かせてクライドとノエルを引っ張るのだ。

 その期待に満ちた目を、裏切ろうと思えば裏切れる。けれど、リィはミンイェンにとって大切な人であり、クライドの命に関わる実験におけるキーパーソンだ。どうせ今見なくても、後で必ず見ることになる。後でショックを受けるくらいなら、今見ておくほうが得策のように思う。

「うーん、ビジュアルの好みの問題? じゃあきっと、リィなら気に入るよ。ほら、早くおいで」

 ノエルは眉間にしわを寄せたまま、重たい足取りでミンイェンの示す方へ足を踏み出した。クライドもミンイェンに手を引かれるままに、ベッドサイドの水槽群へ歩み寄った。

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