第二十四話 ビー・スマート
何度同じことを繰り返したのだろう。クライドもグレンも疲れきっていて、そんな二人を載せたエレベーターの階数表示は既に二十八階にさしかかろうとしていた。これを終えれば、次は最上階だ。
クライドは疲れきった体を壁に預け、別れてからまだ一度も姿をみかけていないノエル達を案じた。彼らは無事なのだろうか。敵に捕まって辛い思いをしていたりしないだろうか。
体力的には二人とも、クライドほどではない。魔力を使い続けていたら、疲労感もきっと酷いものだろう。救援に行ったほうが良いと思うが、彼らが今何階で止まっているか解らない。
「心配だな……」
「トニーたちか? 大丈夫だろ、あいつらなら」
呟いた言葉には、いつもの楽天的な声でグレンが答えてくれた。何の根拠もない彼の言葉だが、とりあえずは彼らが無事であることを祈りたい。ポケットの中に入れた携帯を、クライドはぎゅっとにぎりしめた。と、その時。
カルツァ=フランチェスカの着信音が、狭いエレベーターの中に最大音量で響いた。クライドはびくりとして、慌ててポケットから携帯を取り出した。携帯を開いてみれば、全く知らない番号が表示されている。誰からだろう。
少し迷ったが、おそらくミンイェン側の誰かだろうと思うから出てやった。
「何だよ」
なるべく不機嫌そうに聞こえるように、舌打ち交じりに言う。相手は一瞬黙り込み、それから柔らかな声で言った。
「クライド、そろそろ降参しない? お互いメリットないよこんなの」
予想は的中だ。電話の向こうから聞こえてきたのは、紛れもなくミンイェンの声だったのだ。そうするとこの知らない番号は、ミンイェンの携帯の番号だと考えて良いだろう。
「お前、俺の現在地とか全部知ってるんだろ?」
苛立ちをおさえながら、極力冷静に話しかける。ミンイェンは気を良くしたのか、楽しげな声を上げて笑った。
「もちろん! 君の交友関係やご近所さんも知ってるし、普段どこで遊ぶかも知ってるよ! 元カノちゃんは残念だったねえ、脳出血だっけ。あっ、あれまだ付き合ってなかったか」
今のクライドは、ミンイェンが恐ろしい位に個人情報を知っていても動じなかった。苛立たしい気持ちが、ミンイェンに対する恐怖心を既に消していた。相手は年齢不詳だがおそらく子供で、ただ偉そうに振る舞っているだけなのだ。それを怖がる必要が、一体どこにあるというのだろう。
「そんなに俺を捕まえたいなら、お前から来いよ」
「え、どうしたの?」
電話の向こうでミンイェンがうろたえる。こちらは全員、お子様の遊びにつきあってやるほど暇ではない。何故こんなにもミンイェンに振り回されなければならないのだろう。理不尽にも程がある。
クライドは舌打ち交じりに続けた。
「親からエサ貰う雛鳥みたいにただ待ってるんじゃなくて、自分から来いって言ってるんだよ」
「何その言い方、偉そうに! 主導権はどっちにあると思ってるわけ?」
「偉そうにしてるのどっちだよ」
「僕、偉いもん!」
しばし、お互いに無言になる。もしも電話でなく直接話していたなら、クライドとミンイェンは今にらみあっているだろう。
エレベーターが到着した。クライドは無言のまま携帯を耳から離して、ミンイェンの返事など待たずに通話を切った。エレベーターのドアが開くと、白衣の集団が今までどおりに現れた。今までどおり、クライドとグレンも応対した。
彼らを薙ぎ倒しながら、クライドとグレンは無言でフロアの奥を目指す。なんだか無性に苛々してきて、クライドは完璧に八つ当たりで研究員を殴りつけていた。吹っ飛ぶ研究員を見下ろして、クライドは悪態をつく。
「鬱陶しい!」
「じゃ、早く片付けようぜ!」
思わず叫ぶと、グレンが笑顔で言う。彼の楽しそうな笑顔を見ていると、少しだけ苛々した気分もおさまった。クライドはくたくたになった身体をどうにか動かして、立ちふさがろうとする研究員を蹴飛ばした。向かってくる研究員が少しになってきたとき、後ろから声がした。
「グレン!」
「カルヴァート!」
今度は何なんだ、もうこれ以上疲れさせないでくれ。真っ先に思い浮かんできたのがこの思いだ。クライドはとりあえず、向かってきた敵を倒すことに専念する。
グレンの名は男が、クライドの苗字は女が叫んだようだった。面倒に思いながら振り向くと、そこには白衣を着た男と女が立っていた。男の方にも、女の方にも見覚えがある。
額に赤い鉢巻をつけた男。シェリーをさらった男、デゼルト。それを認識した途端、グレンは猛然とデゼルトに突っ込んでいった。刹那、女の方もクライドにとびかかってくる。
「やっと見つけた…… よくもコケにしてくれたわね!」
「え、ごめん、誰だっけ」
本当に思い出せない。絶対に会ったことがあるが、どこだっただろう。
「あんたのせいで髪が焼けたの! せっかく伸ばしたのに振り出しに戻ったんだから!」
焼けた? 炎を使うような戦いを敵と繰り広げただろうか? そんなことは、あの粉塵爆発の時しか……
「ああっ! ひったくりの女の方!」
「ひったくりじゃない! 海賊! キャプテン・リタよ!」
思い出した。デゼルトの親分のような立場の少女だ。クライドの首に刃物を押し当てて何か喚いていたと思うが、我ながらよく思い出せた。クライドとノエルで苦心して作り出した財産が灰と化したのは彼女のせいでもある。
一体何故、こんなところに海賊がいるのだろう。どう見ても頭脳労働に向かない二人だ。
リタはあの時のように、果敢に突っ込んでくる。クライドは想像で真空の壁を作ってやりすごそうとしたが、リタはごつごつした指輪のついた細いこぶしでそれを殴る。
ぱりん、と音がして驚いている間もなく、掴みかかられる。まさか、魔法を破れる力を手に入れたのか? 人工魔力だろうか。それにしては魔力を感じない。
考えている暇はない。やむを得ず取っ組み合うがもう体力が残っておらず、思うようにリタをやりすごせない。頬に重たい一発を喰らう。口の中に血の味が広がり、気を抜いた途端にその血は滴ってクライドの足元で爆発した。いけない、血が暴走している。
なんとかリタを振り払って想像で血を消すが、俊敏に追いついてきたリタはクライドを蹴倒して馬乗りになる。
目の前の風景が歪み、目の焦点が定まらなくなる。限界が来た、貧血だ。
ぼやけた景色の中にグレンが見えたが、彼はまだデゼルトと戦っていた。絶望的な感情が想像を封じる。
「グレン……」
お前なにやってるんだよ、早くそんな奴片付けてこっちに来て手を貸してくれ。そう言いたいけれど、口が動かない。指先がだんだん感覚を失くしていく。目の前がぼやけたり平常に戻ったりを繰り返していたが、クライドはリタを押しのけて立ち上がろうとした。それが間違いだった。リタの指輪のついた手がクライドの首に回る。力をかけられているわけでもないのに喉が締まったようになり、それこそがおそらく魔力封じの力を持つアイテムなのだと気づいたがもう遅かった。
クライドは情けないことに、敵地の真ん中で意識を失った。




