第十九話 協調
グレンは立ち上がったがすぐにはクライドに声をかけず、暫くこちらをじっと見下ろしていた。彼は言葉を忘れるほどに驚いているようだった。
「何で、いるんだよ」
長い沈黙の末、ようやく彼が発した言葉がこれだった。クライドだって解らない。何でこんな所にいるのだろう、自分もグレンも。
「こっちが聞きたい。とりあえず一旦部屋に戻ろう。見つかったら面倒だ」
言いながらグレンがいた部屋を指させば、つられてそちらを見たグレンは目を見開いて固まった。先ほどのクライドと同じように、蹴破ったはずなのに消えていない白い壁に驚いたのだろう。
「壁が再生してる。何だこれ」
「違う、これは抜けられる」
クライドがすっと手を出せば、それはいとも簡単に壁に飲まれた。それを見たグレンは息をのみ、目を見開いて硬直していた。クライドはそんなグレンを置いて、グレンが外したドアを足で部屋の中に押し込んだ。
部屋に入れば、クライドが連れてこられた場所と全くといっていいほど変わらない空間が広がっていた。グレンは後ろからついてきたが、その身のこなし方で、彼がこの怪しい壁を気味悪がっていることがよく解った。彼はなるべく、壁を触らないようにしているのだ。
クライドはベッドサイドの壁にもたれかかり、グレンを見た。グレンはクライドをじっと見ながら、ベッドに座る。
「何から話したらいいか、わかんないんだけど」
見下ろしたグレンに向かってそう言うと、グレンは氷河の色をした目を一瞬だけこちらに向けて小さく息を吐いた。すぐに伏せられた彼の目には混乱の色が滲む。
「最初から全部だ。なんだその格好」
頷いて、クライドは唇を噛む。深呼吸する少しの間が欲しかった。黙っているとそのまま何も言えなくなりそうで、無理やり言葉を絞り出す。
「これは一応変装のために着てるだけ。あっちの部屋にあった」
「……それで」
「お前と別れた後、ノエルと二人で聞き込みをした。それで、通りがかった人から情報を得て空港に向かって、そこでの情報を元に今度は首都に向かった。首都についたらノエルとはぐれて、探している所にレンティーノさんに会った。去年カフェに来たお客さん、あの…… アルカンザル・シエロ島の人」
ベッドに座ったグレンは、無言で頷きながらクライドの話を聞いていた。クライドは白衣のポケットに手を入れながら、グレンを見下ろして続ける。
「出張帰りでこれからエナークを経由するって言うからついてきたら、騙されてここに連れてこられた。きっとノエルもここにいる。レンティーノさんの仲間がノエルを探すって言っていたのが、本当なら」
「騙されたって、何だよ」
グレンは言った。不機嫌を隠しもしない様子にやや怯みつつ、クライドは続ける。
「レンティーノさんは敵だ。マーティンもここにいる。そうなると場合によってはハビさんも、この研究所のどこかにいると思う。まだハビさんが、マーティンの仲間なのだとしたら。変な子供が主体になって、俺をここにおびきだしたらしい。レンティーノさんたちは俺を殺すんじゃなくて利用したいらしいから、用が済んだら全員アンシェントに帰すって」
「信じるのか、それ」
「わかんねえよ、とにかく全貌が知りたい。お前はどうしたんだよ。トニーは」
彼は流れるような金髪に指を通し、虚空を見上げながら話し始めた。心地よい低音の声が、透明な響きを持ってクライドの耳に明瞭に届いた。
「あの後クソみたいな通行人にシェリーがホテルに連れていかれたって言われて、そのでっかいリゾートホテルまでヒッチハイクで向かって、シャトルバスの待合スペースにいた男からシェリーが空港に向かったことを知らされた。空港についた途端に誰かに後ろから殴られて、気づいたらここにいた。トニーを探さなきゃ…… 悪いクライド、俺がもっと用心していれば」
彼が項垂れると、さらさらの金髪が彼の肩を滑り落ちた。彼は本当に、アンソニーから離れてしまったことを後悔しているようだった。
「謝るな、俺だってノエルを取り返せなかった。『HoLLy』のビルに貼ってあったポスターを見た女の子達が、ノエルを拉致してどっか行ったんだ」
沈んだ声で告げると、グレンは顔を上げた。そして、にやりと笑んだ。いつもどおりの、悪戯っぽい笑み。彼のそんな顔を、再び見ることが出来るとは思っていなかった。
「はは、なんだそれ。ちょっと元気になった。見せろクライド!」
「ノエルが本気で嫌がってるから、俺が見せたって内緒な。検索したって言え」
言いながら携帯の画面を見せるとグレンはヒュウ、と口笛を吹いてニヤニヤ笑う。
「おいおい、ガチのセクシーショットじゃねえか。これサラに見せようぜ」
「あまりの色気にぶっ倒れるな。そんなサラを見てみたいけど、自宅の番号以外でサラの連絡先を聞いたら一体ノエルにどんな目に遭わされるか」
「言えてる、君子危うきに何とやらだな」
快活に笑うグレンは、旅に出る直前のようないつものグレンだった。シェリーのことで怒り、クライドに殴りかかったグレンとは最早別人だった。彼は諍いを後に引きずらずにさっぱり忘れるタイプといえばそうだが、それにしても切り替えが早すぎる。きっと彼にも色々思うところはあるのだろうが、とりあえず今は争っている場合ではないという賢明な判断をした結果だろう。それなら、クライドも蒸し返さずに彼をいつも通り仲間として迎え入れればいい。
「しかし、大変なことになったな。今のところ、収穫どころか失った痛手が大きい」
「こんな状況じゃサラにもブリジットにも電話できねえよ…… ああ、ここは多分エナークだ。さっき国際電話がエナークの番号で通じた」
「嘘だろ、外国は流石に予想してなかったぞ。俺は輸出されている間、ずっと気絶させられてたってわけか」
「そう、お前は密輸品だ。健康状態は大丈夫か」
「若干頭が痛いような気もするけど、まあ良好だ。とにかく、俺らだけでも再会できてよかった。とっとと皆助け出してずらかろう」
屈託のない笑みを浮かべるグレンはクライドに手を差し出す。
「……おう」
答えながら差し出された手を握ると、グレンはベッドから立ち上がりながらクライドに軽くハグをした。
「わ、おい」
「ぶっちゃけ意地になってた、ごめん。離れている間に頭が冷えたよ」
大きな手で頭をぐしゃぐしゃ撫でられながら、クライドは少し高いところにあるグレンの空色の目を久しぶりにちゃんと見上げた。心からの安堵を湛えた穏やかな彼の双眸は、凪いだ昼下がりの海を思わせた。
「わかるだろ。この誰もいない真っ白な空間で、真っ先に会いたいと思ったのは正直なところお前だ。クライドさえいれば、きっと他の三人にもすぐ会える」
「そうだな、相棒。俺もごめん、色々言い過ぎた」
拳を突き合わせて笑いあう。はっきりとした和解が表明されたことでクライドはかなり高揚していた。グレンが戻ってきてくれたら何も不可能はないような気がしてくる。
部屋を出て、クライドは真っ先にグレンを備品庫へ連れて行った。変装なんてあってもなくても同じだという可能性が高いが、白衣を羽織ってさえいれば、後ろ姿をちらっと見られる位ならカバーできるかもしれない。グレンの長身に合う白衣を見繕って着せると、体格に恵まれている分クライドよりもよほど様になって見えた。二人ともインナーがラフなので、正面から見られたら違和感の塊であることは間違いないのだが。
「急ごう。俺たちは同じ階にいたんだ、ノエルやトニーもいるかも。助けを求めていたって、この防音設備じゃ声なんか聞こえないぞ」
「だな、探すぞ」
出口のないただ真っ白なだけの空間に、閉じ込められている仲間がいる。彼らを早く助けてやりたい。そして、こんな仕打ちをしたミンイェンとかいう少年を見つけ出して仕返ししてやりたい。
どうやって仲間達を見つけるか思案しながら備品庫を出ると、研究員らしき男性と出くわした。見るからにインドアで、運動の出来なそうな感じのする男だった。彼は黄色人種の中年だ。背が低く、足が短い寸胴のような体型をしている。
「いやあ、良い実験材料が手に入ったなあ。俺が担当してるのは、昨日入った茶髪のサンプルなんだがな。とんだじゃじゃ馬だが、じき大人しくなるだろうよ」
研究員は流暢なエフリッシュ語で言った。言葉は分かっていない様子だが、隣でグレンが身を強張らせたのがクライドにはすぐに解った。
男が言う『茶髪のサンプル』は、高確率でノエルのことだと思う。もっと話を聞きだしても良かったが、あまり長時間一緒にいると正体がばれかねない。クライドは、咄嗟に曖昧な微笑を浮かべて見せた。
「そうなんですか。僕らはまだ茶髪のサンプルのみ確認していないんです。他はもう見たんですが」
「おう、丁度いい。ついてこい。案内してやる」
平静を装ってみれば、研究員は上機嫌で頷いた。実験材料として使う茶髪の人物を手懐けたことが、よほど誇らしいようだ。
先頭に立って歩く研究員の後に続きながら、グレンがクライドの肩をさりげなく叩いた。ちらりと振り返ってみれば、不安そうな目でこちらをじっと見ている彼と目が合った。クライドは大丈夫だと微笑して見せ、靴紐を結ぶふりをして足を止めるとアルカンザル・シエロ島で何度となくかけた言語の魔法をさりげなくグレンにかけた。魔法が効いている様子なのを確認してから、クライドは研究員の後を追った。
「お前らは、何の担当だ?」
「え?」
先を歩く研究員の問いに、クライドは思わず妙な反応を見せてしまった。そうだ、研究員になりすましてみても研究員が普段何をしているのかクライドは全く知らないのだ。
「ああ、入ったばかりでまだ何も任されてません」
言葉がわかるようになったグレンが助け舟を出してくれたおかげで、クライドは不審がられずにすんだようだった。心の中で嘆息しつつ、クライドは白いだけの廊下をひたすら歩いた。
研究員はクライドたちに比べれば年配者だが、ここに入ってからまだ十年も経っていないという。彼は研究員になる前は、高校で科学を教えていたらしい。
「ミンイェン様は本当に良い人だ。学校をクビにされた俺を、ここで働かせてくれるんだから」
「そうなんですか、やはりすごい人ですね」
あんな生意気で卑劣な少年が、良い人だなんて。否定してやりたかったが、クライドは澄ました声で心の中とは正反対のことを言った。
隣を歩くグレンは、白衣のポケットに手を入れて気だるげに白いだけの廊下を眺め回していた。冷房の効いたこの建物の中では、長袖の白衣を着ていても暑くない。クライドも彼に倣ってポケットに手を突っ込みながら、黙って研究員の後を追う。
「お前らがここに入った理由は何だ?」
「研究に携わる仕事をしてみたかったんです」
クライドが白々しい嘘をつけば、男は感心したように唸った。
「偉いぞ、君。ミンイェン様も、喜ぶことだろう」
ひきつった微笑を浮かべつつ、クライドはふと考えた。この男は、何かにつけてミンイェンのことを美化して言う。しかも薄気味悪いことに、様をつけて呼んでいる。
相手は声からしてクライドたちよりも年下だ。もし仮にクライドたちと同世代だったとしても、少なくともこの男よりは大分年下だろう。たとえあの少年が権力者なのだとしても、『様』ではなく『さん』をつけて呼ぶのが普通の範囲内だと思う。宗教ではあるまいし、自分より二十も三十も年下の子供を様づけで呼ぶなんて。
ミンイェンは、よほど社員に慕われているようだ。しかし、あんな卑怯な手でしかクライドをここに呼べないような少年を、どうして慕うのだろう。というか、これは慕っているというより崇拝している感じに近い。
クライドの住む国では、王にさえ敬称をつけない人がいる。大半の人がそうだし、王室関係者や権力者たちの面前でもないかぎり、様をつける人のほうが珍しいような気もする。
けれど、宗教を信仰している人は違う。自分の崇拝する神や賢人を、例えばルクルス教なら『救世主ルクルス様』とか、レベン教なら『清らかなるレベン様』などと言った調子で、焦がれるような眼差しで呼ぶのだ。
礼拝堂に集まった人々が、神や聖人、賢人などを呼び捨てにしているのは聞いたことがない。呼び捨てにしている人がいるとしたら、それは聖書を読んでいる牧師のみだと思う。聖書には登場人物の名前に敬称がついていないから、聖職者だけは神を呼び捨てにしているのだ。
クライドは、歴史が好きだが特定の宗教は信じていない。だから、歴史上の既に死んだ人物を崇拝し、熱烈なまでに慕う様子をはっきり言って異様に感じている。
そしてこの研究員の発言にも、異様さを感じていた。ミンイェンは神か? いいや、ただの少年だろう。ただの、ずるがしこくて生意気な少年だ。
「ついた、ここだ。ようし、被験体1020とご対面だぞ」
研究員は言いながら、ポケットの中から真っ白いカードを取り出した。何をするのかと思えば、彼はそれを壁についていた溝に滑らせた。
プシュッ、と軽い音がした。空気入れを上下させた時のような音。それは、電車のドアが開閉する時にする音にも少し似ていた。
表面的には何も無いように見えたが、研究員はつかつかと白い壁に歩み寄り、その中へ消えていった。クライドは一瞬だけためらったが、彼に続いて白い壁をくぐる。
この部屋の内装も、クライドたちのいた場所と殆ど変わりなかった。しかし、ベッドの周りに白いカーテンが引かれているのだけは異なった点だった。
「おい気分はどうだ、1020」
「最悪だと答えたら、何か救済措置があるのかい」
「ははは。相変わらず生意気でいいねえ」
カーテンに閉ざされたベッドに向かって、研究員が声をかける。返ってきた冷たい声は、確かに聞き覚えのあるノエルの声に間違いなかった。
声からすると、ノエルは酷く疲れている。そして彼の声のトーンは、出会って間もない頃の彼よりも更に不機嫌そうだった。
研究員はクライドとグレンを振り返って心底楽しげに微笑んだ。一瞬この男を殴って気絶させようかとも思ったが、あまりにノエルのことが気になってタイミングを見失ってしまった。
研究員は楽しげな表情を崩さないまま、ドアの方へ向かう。途中で振り返って、彼はポケットからカードを出しながら満面の笑みを浮かべた。
「採血用の道具と新しい遊び道具を持ってくるから、先に1020と遊んでやっていいよ。俺の担当なんだから、壊さん程度にな」
「はあ」
明らかにノエルへの扱いが動物かそれ以下だとクライドは悟る。怒りが湧いてきたが、まずはノエルの無事を確認しなければ。
彼が廊下へ出て行き、ドアが開閉している証である空気のような音がしたのを確認すると、クライドとグレンはすぐカーテンに閉ざされたベッドに駆け寄った。
「ノエル!」
カーテンを翻しながら叫ぶと、ベッドの柵にもたれていたノエルが顔を上げた。やつれた顔だった。彼は眼鏡をかけているのに焦点が合わない目で、暫くクライドとグレンの間辺りを見つめていた。しかし、数秒して掠れた声を上げる。
「……クライド、グレン?」
何も言わず、クライドはノエルの鳶色の髪をくしゃくしゃと撫でた。いや、正しくは何もいえなかったというべきだろう。再び再会できた喜びと、彼が衰弱しているという事実に打ちのめされる思いとの間に、クライドは板ばさみになっていたのだ。
ノエルはきょとんとした顔でクライドを見ていたが、やがていつもどおりに微笑してくれた。その微笑があまりに懐かしくて、クライドはまた言葉を見失う。こんな短期間離れていただけだったのに、感じるこの切なさは一体何なのだろう。
「もう会えないかと思ったよ」
クライドも、そう言うノエルと同じ思いだった。黙って何度も頷く。
「そんなわけないだろ、今までどんな時だって一緒にいたんだ」
消極的なノエルに対し、グレンは普段どおりの楽天的な笑顔で言った。彼らのやりとりに、クライドも胸がじんとする思いだった。今までずっと一緒にいたのだ。だからこれからも、きっとずっと最高の友達でいられる。
三人で、それぞれの経過を報告しあった。クライドは先ほど言い忘れたことを、この場で言った。レンティーノと電話したことは、グレンに言っていなかったのだ。ノエルは少し言い淀んでから、明確な怒りを滲ませながらドアの方を睨む。
「さっきの男、僕のこと男娼だなんて言ったんだ。許せないよ」
白いベッドから抜け出ながら呟いたノエルの言葉で、ぞわりと嫌悪感が背中を這い上った。グレンもあの男の『遊び』の目的を理解したようで、声を荒げた。
「おい大丈夫か、何もされてないか」
「なんとかね。触れられそうになったところでカーテンの塩化ビニルを部分的に変質させて有毒ガスを発生させた。まともに吸い込んでフラフラ退室していったと思ったら、君たちを連れて戻ってきたんだ」
見れば確かにカーテンの一部は切り取られたようになくなっている。クライドはグレンと顔を見合わせ、ノエルの緊急時の機転の効かせ方に感激した。
「アイツ学校をクビになったって言ってたけど、理由が分かったな」
「ああ。助けが間に合ってよかったな、グレン」
「もう少し頭が働けば、もっと毒性の強いものを生み出せたんだろうと思う。咄嗟だと難しいね」
「十分よくやったよ」
ノエルは苦笑しつつも、少しだけ楽しそうだった。なんとか無事に再会できたことを喜んでくれているのだろう。
クライドは、彼を見つけられたことが誇らしかった。あんな少年の言ったことなど気にしていたくないと思っていが、やはりミンイェンが言った言葉が、まだ頭の中にきっちり残っているのだ。
派手に喧嘩して友達がひとりもいなくなってしまった、なんて。居場所がないだなんて。出鱈目にもほどがある。
「さて、トニーたち探そう。シェリーは人質だから待遇がいいかもしれないけど、トニーはきっと辛いだろうから」
言ってみれば、やっと揃った友人達は頷いてくれた。クライドはグレンとノエルと一緒に部屋を出ようとしたが、そういえば研究員が帰って来るまで部屋がロックされた状態なのだということを忘れていた。どうしようか。
「また蹴破ったら今度こそまずいよな、グレン」
「ああ、まずいな。あのおっさん帰ってきたら、俺が昏倒させてやるよ」
グレンは何気なく怖いことを言う。クライドは苦笑しつつも、彼に研究員のことを委ねることにした。
ほどなくして研究員は採血用の注射器や簡素な手錠、その他に用途の分からないアイテムをいくつも載せたワゴンを押しながら現れ、ドアの傍で待機していたグレンにあっけなく気絶させられた。グレンの蹴りは鮮やかに研究員の鳩尾をとらえ、彼はその一発の蹴りで本当に気絶してしまったのだった。
クライドはグレンの手際の良さに見惚れていたが、研究員に歩み寄ることに思い至った。うつぶせに倒れた彼を仰向けて、白衣の中に忍ばせているカードを奪い取る。これが全部屋共通のものなら嬉しいと思いながら、クライドは壁に近寄った。
彼がカードを溝に通して外側からドアを開けたように、内側からも同じ方法でドアを開けることが出来るはずだ。クライドは壁を触り、溝を探した。溝はすぐに見つかったから、クライドはそこにカードを通した。またあの空気入れのような音がして、白い壁の向こうからエタノールの匂いがする風が流れ込んでくる。
振り返ってみると、ノエルが研究員の傍に屈みこんでいた。彼も研究員のポケットを物色していたらしい。クライドに気づいて顔を上げると、彼は柔らかく笑みながら紙を見せてくれた。どうやら彼のポケットから、地図を発見したようなのだ。サイズはB5で、四つ折りにされて仕舞われていた。
ノエルはそれを手にすると、ワゴンに載っていた手錠を男の手とベッドの足にかけた。グレンが口笛を吹いてにやりとし、親指を立てる。
「よし。行くぞクライド、ノエル」
「ああ」
クライドたちは部屋を出て、部屋の外からカードを使って部屋をロックした。ノエルは相変わらず長袖の私服でいたので、彼も研究員に扮装させるために備品庫に連れて行くことにした。