第十二話 罪科、そして罰
うなじに日光が当たって、じりじりと熱かった。車のクラクションの音で、クライドは我に返って背後を振り返る。顔を上げた拍子に、額から頬にかけて汗が流れ落ちた。自分はそんなに長時間、ここで項垂れていたのだろうか。気づけば呼吸は正常だった。
のろのろと立ち上がり、道路から退く。車に乗っていた中年男が、バカヤローとか死にたいのかとか叫んでいたが、クライドは虚ろに彼を一瞥しただけだった。
どうしよう。
頭の中が真っ白だ。早く彼女を追いかけて、取り返さなければ。しかし、手がかりは彼が向かった方向と、この州で発行された四桁のナンバーだけだ。車で去られた。デゼルトは普通の男で、魔力を辿ることもできない。追いつく方法がわからない。
そこで思い出すが、彼は前に遭遇したときも魔力封じのお守りのようなものを持っていた。無駄に魔力を使って立ち回ろうとしてしまったせいで、取り逃がしてしまったのだと気づく。
ぐったりしていたシェリーの姿が何度もフラッシュバックする。勇敢にサラをかばって立ち向かっていたシェリーだが、あの子はもうエルフの戦士ではなく普通の女の子なのだ。何をされたかわからないが、明らかに薬品の影響を受けている。
仮に目を覚ましたとしても、小柄で力のない彼女は戦闘慣れした海賊には太刀打ちできないに決まっている。シェリーはエルフの能力を失って運動神経も並みになったし、かろうじて弓ぐらいは今でも扱えるとしてもそんなものは現代の街中にはない。
ナメクジのような緩慢さで、クライドはほとんど思考も止まった状態でサラのいる倉庫へ機械的に向かっていた。仲間たちに状況を報告し、シェリーを捜すために協力を仰がなければならない。それが正論であるはずなのに、クライドは皆に会いたくなかった。シェリーが目の前で誘拐されたのに犯人を取り逃がしてしまったのだ。責められる、と真っ先にそう思ってしまった。
シェリーはクライドの大事な友達で、それはノエルやサラやアンソニーにとっても同じことだ。そして、グレンにとってシェリーは大事な恋人だ。クライドがもっとしっかり魔法を使えていれば、手放さずに済んだ。
気の強いシェリーのことだから、目を覚ましたらデゼルトを刺激してして危険な目に遭うかもしれない。そう思うといてもたってもいられないが、がむしゃらに飛び出して行ってはシェリーを更に見失うことになる。
俯きながら、倉庫に入る。明るさの激しい差のせいで、内部はまたしても真っ暗に見えた。小さな声で、漆黒の闇に向かってサラの名を呼んでみる。返事はなかった。
「サラ?」
少し大きい声で、もう一度呼んでみる。焦りが湧いてきた。敵が一人ではないとしたら? シェリーを誘拐したデゼルトのように、サラを誘拐しようとたくらむ誰かがいるのだとしたら? 必死になって、闇に目を凝らす。
「クライド、ここ」
だんだん目が慣れてきた頃、心細そうな声がした。振り向くと、大きな木箱の影に隠れたサラを見つけることができた。ほっとすると、膝の力ががくんと抜けた。
「サラ、よかった」
「シェリーはどこ、ねえ、クライド……」
よろよろとこちらに歩み寄ってくるサラは、蒼白な顔色でクライドを窺っていた。何が起きたかある程度理解している様子だ、などと冷静に、いっそ他人事のようにそう思いながら、クライドは座り込んだままサラの方を見る。そして徐々にのしかかってくる現実の重みに堪らなくなって、下を向いた。サラは信じてくれていたのに違いないのだ。クライドが、サラとシェリーの両方を守ることを。
けれどクライドは、助けられなかった。シェリーをみすみすとられてしまった。白衣を着た誘拐犯に、トラックで逃げられてしまったのだ。
「サラ、ごめん。ごめん、捕まえられなかった。シェリーが、俺のせいで、トラックで」
「ぐすっ……」
サラはクライドの隣にぺたんと座り込んで、泣き始めた。クライドに失望したのだろうか。クライドがシェリーをちゃんと連れ帰ると、サラは信じていてくれたのに。その期待を踏みにじったクライドを、サラは責めているのだろうか。サラがどんな気持ちで泣いているのか、解らない。
放心してサラの泣き顔を見ていることしかできない自分を腹立たしく思い、あのとき追いつくことしか考えられなかった自分に呆れる。想像の魔法を使ってタイヤをパンクさせるとか、道路に障害物を置くとか、そういうことだってできたじゃないか。
ぐったりしたシェリーの蒼白な顔が頭をよぎる。逃げて、と叫んだシェリーには勝算など絶対になかったに違いない。彼女はクライドとサラを守るために、あんな危険な状況でもクライドたちを遠ざけようとした。焦りが募る。シェリーに注射された薬品がもしも毒だったら? あのまま彼女が、目を覚まさなかったら?
「シェリー、サラっ!」
叫び声と同時に、ドアが蹴飛ばされる音がした。反射的に振り返ると、眩しい日光を背中から浴びた長身がみえた。逆光で目が眩んだが、明らかにグレンだ。クライドはよろりと立ち上がり、グレンをじっと見た。グレンはつかつかと歩み寄ってきて、泣いているサラと突っ立っているクライドを交互に見比べ、倉庫全体を見渡した。
「サラ、無事でよかった。シェリーはどこだ? あいつはどこいった?」
次第にグレンが焦り始めたのが、クライドにはすぐに解った。けれどシェリーが誘拐されてしまったことをどう切り出していいか解らずに、クライドはグレンへの返事を少し遅らせてしまった。
「あの、ごめん、グレン。逃げられた。追いかけたけど、相手は車で。えっと、だから、その……」
やっといえた言葉はひどくぎこちなく、訥々としていた。まるで自分の声ではないみたいに。苛立たしいぐらいの煩わしさを感じる。自分にも、この情けない声にも、この状況にも。
「は? どういう意味だよ。サラはいるだろ。サラがここにいるなら、シェリーだっているだろ。逃げられたって、何? わかるように説明しやがれ」
グレンは混乱しているようだった。明らかに激怒している。クライドの態度も、シェリーがここにいないことも、グレンを怒らせる要因になっているようだ。クライドは俯きかけたが、黙っていても事態は進まない。意を決して顔を上げる。グレンの青い目は、これ以上ないほど明確に敵意を込めてこちらを見つめていた。
「誘拐、された。去年、ルア・メレヤ島でノエルの通帳を盗ったやつだった」
グレンは何も言わなかったし、サラも泣き止んでいた。息遣いすら聞こえそうな静寂に、一瞬、聴覚がなくなったのだと錯覚した。しかし。
逆光のグレンが動いたように見えた。よく理解しないまま肩のあたりに衝撃がきて、
――ばんっ!
耳元で聞こえた音に、心臓が跳ね上がった。打ち付けられた背中がずきずきと痛い。胸倉をつかみあげて至近距離からクライドを睨みつけるグレンの迫力に息が止まる。浅く呼吸しながら、張り付いたようになった喉からなんとか声を出そうと試みたが無駄に終わった。
「ふざけんじゃねえよっ! いい加減にしろ!」
クライドの胸倉を掴み上げながら、グレンは真剣に怒っていた。クライドはそんなグレンの蒼い目を見つめながら、全身が心臓になったかのような嫌な動悸に包まれていた。
怒って当然だ。グレンの一番大切な人を、間抜けなクライドは敵に奪われたのだ。本当は渡すつもりなんて微塵もなかったに決まっているけれど、それでもクライドがデゼルトを逃がしてしまったのは事実であり、消すことの出来ない罪だ。
「誘拐? 何やってんだ馬鹿、あいつは普通の女の子だぞ! 昔のあいつとは違うんだよ……! 一人で身を守れるほど強くねえんだよ! クソ! 間抜け野郎!」
クライドは目を伏せ、涙を堪えた。そんなことはわかっている、彼女はエルフの能力の全てと引き換えに一度失いかけた命を取り戻したのだから。クライドだって、一番近くでそれを支えたメンバーのうちの一人だ。しかし、それが分かっていたからといって何になるのだろう。グレンの許しを得たところで、信頼を取り戻したところで、シェリーはすでに見失っている。
魔法が使えるようになってまだ一日で、一年も前の戦いのようには体が動いてくれなかった。相手に魔法もうまく伝わっていなかったし、緊急事態への焦りでろくに想像もできなかった。そんなものは全て、言い訳だ。
「ごめん、俺、全力で……」
最後まで言えずに、視界が痛みと共に凄い勢いで横にぶれた。直後、頬に感じる熱。サラの悲鳴も聞こえた。口の中にじわじわと錆の味が広がっていき、クライドは脈拍と共に痛む頬を冷えた右手で力なく抑えた。
埃っぽい床に強かに叩きつけられたクライドだが、起き上がろうとはしなかった。自分がしてしまったことを考えたら、グレンがこんなに怒るのだって当然なのだ。殴られても、文句は言えない。
自分を殴ることでグレンの気が凪ぐのなら、それだっていいのだ。取り返しのつかをないことをしてしまった今、責められたり殴られたりすることを免罪符のように思う自分がいた。こうして怒りを受け止めることでシェリーが帰って来るのなら、いくらだって殴られていいと思った。
あの場にいた以上、シェリーを守れなかったのはクライドの責任だ。想像さえできれば何でも叶う魔法をもっているくせに想像力が伴わず、並外れた運動能力をもっているくせに車に追いつけず、普通の人間にシェリーを奪われてしまった。グレンに愛想を尽かされるのも、無理のないことだった。
グレンが何度も木箱を蹴飛ばす音が聞こえた。本当はきっとクライドを蹴り殺したいが、我慢しているのだろう。それぐらいグレンは殺気に満ちていた。
「認めたくねえよ! お前がシェリーを見捨てたなんて!」
その言葉に、クライドが辛うじて耐えていた痛みが全て爆発した。喉を絞められるような感覚に陥り、目が熱を帯びてきて、クライドは声を殺して泣いていた。
見捨てた。そうではないと強く反発したいけれど、結果を見れば同じことだ。
「何考えてんだよ。見てたろ! あの黒髪の泥棒、去年、あいつと俺はほとんど互角で殴り合ってた! あんな奴にシェリーが連れていかれたらどうなるかわかるだろ! 畜生!」
グレンは叫び、何度も壁を殴りつけた。形の良い大きな手が、楽器をを奏でるための、シェリーの髪を撫でるための芸術家の手が、悲痛に握りしめられた拳となって何度も何度も硬い壁を殴っているのが視界に入る。クライドは埃だらけの床から身を起こして座り込み、流れる涙を拭いもしないで立ち上がる。何度も壁を殴るグレンの姿が痛々しくて悲しかった。
「やめろ、骨折れる、俺が悪かったから、やめろ。ギター、弾けなくなる」
震える声で言いながらグレンの腕をつかみ、振り払われても何度も彼を止めた。グレンは殺気立ってクライドを押しのけると、長い脚でクライドの脇腹を蹴りつける。動作で分かったが避ける気力もなくて、クライドは倒れこんでむせた。
「グレン! やめて! クライドが死んじゃう!」
サラの震える声が響いた。よろけるような不規則な足音が聞こえてきたので、こっちに来るなと言おうと思ったが喉が詰まったようになって声が出なかった。グレンはもう一発ぐらい蹴ろうとしていたのだろうが、舌打ちをしてクライドから離れた。
「シェリーを探す。俺ひとりでやる。二度と面見せんな、役立たず」
言うとおりだ。反論なんてできない。クライドは身体を起こしながら、じっと床を見つめて黙りこくっていた。遠くなっていく乱暴な足音が聞こえ、倉庫の入り口のほうでまた壁を蹴りつける音がした。
やがて足音も聞こえなくなくなるまで、クライドは動けなかった。風の音と、蝉が鳴く声と、波の音が聞こえる。黙っていると、やがてサラの足音がした。
「クライド、大丈夫?」
控えめに声をかけられ、顔を上げるとサラが心配そうな顔をしていた。クライドはサラから目をそらすと、服の肩口で涙をぞんざいにぬぐう。そして、埃にまみれた服を払った。
「グレンの言う通り、俺は間抜け野郎だよ。本当にごめん、サラ」
呟いて立ち上がると、サラはクライドの腕をぎゅっと掴んだ。本当はこんな情けない姿でサラと向き合いたくなかったが、仕方なく見下ろす。サラは真摯な表情で、クライドを必死にここに留めようとしていた。
「違う、責めたいんじゃない。でも、グレン、これじゃ絶対戻ってこない。永遠に、暴力的な酷い人のままになる」
「けど」
「まさかクライド、シェリーのこと、諦めてるの? 私の友達、諦めてるの? 違うって、言ってよ」
友達。その言葉に、胸の奥が突き刺されたように感じた。
二人の友達を、完全に失ったとクライドは思っていた。グレンはあの様子では二度と戻ってこないだろうし、シェリーのことだって怖い目に遭っている方向ばかり考えてしまっていた。限りなく諦めているのに近い思考回路だった。クライドは足の力が抜けるのを感じる。
自分は本当に馬鹿なんじゃないのか。想像が武器だと豪語するわりに、想像力がずいぶんお粗末だ。あらゆる可能性を考えた上で希望を持たなければ。信じなければ。何もかも手を尽くして、シェリーを取り戻すのだ。
「クライドはグレンを追いかけて。私、ノエルとトニーのところに行く。行って、二人に説明する。一緒に探してもらうの。今私がシェリーのためにできるのは、これだけだから」
「……わかった、頼む」
「ねえクライド、私、シェリーが本当に大好きなの。出会ったばかりだって言うかもしれないけど、そんなこと関係なくて、すごく大事なんだよ。だから絶対、何があっても、返してもらうから…… 助けて。一緒に、探して」
強くそう言いながらまばたきもせずに涙を流すサラを見て、胸が苦しくなってクライドはまた泣きそうになる。けれども堪えて、深く頷いた。
「絶対見つける。けど、サラまで誘拐されたら困る…… ノエルのところまで送った方が」
「携帯貸して。シェリーのこと警察に電話しながらノエルのところまでいく、これならいいでしょ」
「そっか。携帯、持ってるんだった」
クライドはポケットから携帯を出すとサラに渡した。サラはそれを両手で受け取ると、大事そうににぎりしめる。
「気をつけて街まで帰れ。ありがとう、サラ」
二人で倉庫を出ると、サラは携帯で電話をしながら大通りへと小走りで向かっていった。クライドはその背中を見送ってから、目を閉じて魔力を辿る。一年やっていなかった割にはすぐにグレンの気配を感じられたのは、あからさまに刺々しいオーラで見つけやすかったからかもしれない。
魔力を辿って街の大通りへと急ぐ。遠目に見つけたグレンは必死な顔で、通りを歩く人に片っ端から聞き込みをしていた。けれどクライドがグレンに与えた情報はあまりにも少なかったから、通行人は怪訝そうな顔をして去っていくばかりだった。
「グレン」
グレンの方も、ひょっとしたら近づいてくるクライドの魔力に気づいていたのかもしれない。こちらを見もしないで、彼は舌打ちをした。
「何の用だよ、失せろ。面見せんなって言ったの聞いただろうが」
クライドは意を決して、グレンの肩を掴む。鬱陶しそうに振り払われたが、しつこく腕を掴んで食いがるとグレンは渋々こちらを見下ろした。失望感がありありと感じられる青い目を見つめ返すのは心が痛かったが、クライドは情報を伝えた。
「デゼルトが乗ってた車は白の軽トラだ。ナンバーはこの州ので、1801だった。あいつは、首都方面に向かった。ちょっと手前の、あの角を左に曲がって見えなくなった」
沈黙が流れた。グレンは一瞬だけ素の表情に戻ったように見えたが、次の瞬間ふたたび不機嫌になった。今のタイミングで何か言えれば、グレンはいつもどおりの気楽な笑みでクライドを再び求めてくれただろうか? けれどもうタイミングを逃してしまったから、どうしようもない。
グレンはクライドの手を振り払って、嫌そうに目を逸らした。前にも同じように、目を合わせてくれないときがあった。大喧嘩の時、いつもグレンはクライドを見てくれなくなる。
「何でそういう大事なことを先に言わない? 俺は早くあいつをみつけたいんだ、二度と離れないって誓ったのに」
グレンは目を逸らしたまま吐き捨てた。何も聞かないままクライドを殴って蹴って勝手に去ったのはお前だと、普段のクライドなら言っただろうが反論する気は起きなかった。グレンにとってシェリーがどれほど大切な人かは、身をもってわかっていたつもりだ。だからこそ、クライドは引き下がらずに畳みかける。
「グレン、俺も探す。一人でやるよりそのほうが」
「今あいつがどんな気持ちでいるか、お前解るのかよ? あいつはお前に裏切られたんだぞ。俺は一人で探す。お前の力なんて必要ない。もう話しかけんな、役立たず」
ほんの直前まで前向きな高揚に似た感覚を捉えていた胸が、すうっと冷えていくのを感じた。
取り付く島もない拒絶に対してというよりも、グレンの考え方に対して苛立ちが芽生える。彼が今憤怒でその身を包まれていることは、承知していたのに。
冷静になろう、協力しよう、シェリーのために力も知恵も出し合おう、そう思っていた気持ちの糸はぷっつりと切れてしまった。
――あいつがどんな気持ちでいるか?
グレンにそれが正確にわかるとでもいうのだろうか。シェリーはあの暗がりで、サラを守ろうと動いていた。自分よりも友達の身を案じて立ち回っていたのだ。
身を守る武器も魔法もないのだ、きっと怖かっただろう。それでもシェリーは出会ったときの、強い彼女のままだった。弱い自分を恥じるあまりに武者修行を決意し、好きな男や甘やかしてくれるであろう友達と自ら決別したあの時のシェリーそのものだった。
そんなシェリーが、クライドに対して『守ってほしかったのに酷い』だなんて思っているわけがない。彼女は最初から、誰かの助けを期待する子ではない。
グレンは自らの感情をさもシェリーの望みであるかのように押し付けてくるが、こんなものは単に彼の八つ当たりに決まっていた。完全に殴られ損だ。
「ふざけんなよ」
低く呟いた瞬間、我慢していたものが一気にあふれだした。止められない洪水のように、グレンに対する怒りが湧いてくる。理不尽だ。傲慢だ。おまけに態度も横柄だ。
「お前、魔法も効かない相手が乗ったトラックに走って追いつけるのかよ。やってみろよ。シェリーが大事なのはわかってるけど、それは俺だって同じだ。立てなくなるぐらい血を分けて、命をかけて救った友達なんだから! あいつの初めての友達なんだから!」
街中で喧嘩するクライドたちを見て通行人が怪訝そうに振り返り、足早に去っていく。
感情に任せて、クライドは言いたい放題言った。短気で自分とシェリーのことしか考えていないグレンに、本当に腹が立った。
クライドだってシェリーの友達なのだ、サラやノエルたちだってこれから動く。グレン以外がまるで無関係なモノのように扱われているのが我慢ならない。
「俺なら絶対に離さなかった! 何があっても手放さなかった! あいつは俺たちのためにエルフの家族を捨てたんだぞ! その覚悟を踏みにじる気かよ!」
「じゃあなんで現れなかった! なんでお前はシェリーの危機に見当違いのところにいたんだよ? 俺だけ責めるのおかしいだろ! 見つけられもしなかったくせに。お前の方こそ役立たずじゃねえか!」
考えてみればクライドが全面的に悪いのではなく、誘拐したデゼルトが一番悪いのではないか。なのにクライドを罵倒し、挙句の果てに必要ないとまで言うグレンは、クライドがデゼルトを追っている時に何をしていた? 自分で突っ走っていった場所で、そんな場所にいるはずがないシェリーをただ探していただけだろう。
少なくとも、デゼルトを追っていたあの時に一番シェリーを失くしたくないと思っていたのはクライドだ。その思いまで否定されたら、ふざけるなと言いたくもなる。
グレンは自分が一番シェリーを想っていて、自分が一番シェリーを理解していると思っている。他の人間は存在しないかのように、グレンの中には彼とシェリーのことしかない。だから自分の勘が外れたことが面白くないのだ。シェリーを一番思っているのは自分なのだから、勘が外れるはずがない。クライドだけがどうしてシェリーのいる場所へたどり着けたのか。彼の考えは、大体そんなところだろう。グレンの考えそうなことは手に取るように解る。今までずっと、いい親友だったのだから。
「俺なんて必要ない? じゃあ俺もお前なんて要らない。勝手に突っ走った場所にシェリーがいなかったからって、俺に八つ当たりかよ。シェリーにサラを連れて逃げろって言われて、結局助けてやれなかった俺の気持ちがお前なんかに分かってたまるか。シェリーはお前が言うほど甘ったれじゃない、私物化して都合のいいように妄想してんじゃねえよ。じゃあなグレン」
しまった、と思った。
さすがに言い過ぎた。今この場で、シェリーへの理解について言及するのはまずかった。グレンは偶然とはいえクライドがシェリーを先に見つけてしまったことで、恋人としてのプライドを十分に傷つけられている。
とはいえ、間違ったことを言ったとは思っていないので謝るのも違う。もうすっかりヒートアップして、クライドのほうも意地になっていた。
このまま殴り合いに発展するのだろうか。そう思ったのに、グレンは意外にもそっとクライドから距離をとった。
「確かに、ほぼ八つ当たりだ。それだけは、俺が悪かった。じゃあな」
グレンはクライドと一度も目をあわさずに、ぼそっと言った。そして、長い金髪を翻してクライドに背を向けて歩き出す。クライドはその別れの言葉をうまく飲み込めないままに、よろけるような足取りで元来た道を引き返した。
思考が働かない。殴りかかってくるだろうと思ったグレンは、あの状況で折れた。これまでだったらありえない行動だった。二人の間にありえない程の亀裂が生まれていることに、クライドはようやく気が付いた。
いつものように喧嘩がヒートアップすると思った。グレンが素直に認めて謝るとも引き下がるとも思っていなかったし、何より要らないと言ってしまったのは決して本心ではなかった。けれど、肩越しに振り返ってみればグレンはもう角を曲がってしまったのか見当たらなかった。
今振り返って走り出せば間に合う。まだグレンを呼び止められる。シェリーと違ってグレンは徒歩で離れたのだ。魔力だって追える。それでもクライドは、彼と自分の『じゃあな』の重みが怖かった。ここで声をかけても、これ以上はどんどん溝が広がっていくだけだと深く理解していた。
グレンの後ろ姿が消えた交差点をもう一度だけ振り返ってから、クライドは無言で走り出す。
彼と笑いあうことは、きっと二度とないだろう。