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1.助けて! 私、売られてしまうわ!

 窓辺に吊るした風鈴が風に揺れて、涼やかな音色を奏でる夏の午後。座布団を枕に夢の中で読書をしていた(こう)は、母に揺すり起こされた。顔からポロリと少女画報が落ちる。


 寝ぼけ眼で、髪のリボンも歪んだまま正座をさせられた香は、母の衝撃的な一言で目が覚めた。


「母様……私、耳が壊れてしまったのかしら。病院に行った方がいいのかも知れないわ。いま、なんと仰いました? 私……私にお宮さんへ行けと?」


 引きつった笑顔で尋ねた娘に、母はにこりと朗らかな笑みを返して答えた。


「お宮さんではなくて、お見合いよ。お・み・あ・い。あなたに縁談のお話が来たの」


 香の口端がひくつく。母は、そんな様子など一顧だにせず続けた。


「父様のお知り合いのご親戚の息子さんで――」


 呆然とした面持ちで、ふらりと立ち上がりかけた香の膝を、母はぴしゃりと打ち、座るよう促す。香はぺたりと崩れるように座り直し、スイカの種のように言葉が飛び出してくる母の口元をぼんやりと眺めた。


 どれほど経ったか、ようやく満足したらしい母は釣書を置いて香の部屋を後にした。

 滑らかな光沢のある巻紙を見つめていた香は、耳に響いてきた風鈴の音で弾かれたように立ち上がった。が、すぐに足のしびれが脳天を直撃し悲鳴を上げた。膝から崩れ落ちて、枕にしていた座布団に顔を突っ込む。


「ふぇぇ……」


 香は涙を滲ませ、立ち上がった。しびれた足を引きずり、お気に入りの箱から風呂敷を取り出す。釣書を包むと着物の袖に突っ込んで部屋を飛び出した。

 その足で台所に駆け込む。


「おトラおばば!」


 台所は空だった。竈に火も入っていない。しんとした静けさに包まれた土間は物寂しく、香は涙を拭うと棚を漁った。昼食のデザートに出された、おトラおばば手製のカステラを見つけると、包装紙に包んで、そのまま勝手口から家を抜け出す。


 通りに出ると、人力車を掴まえて走らせた。着いた先は二階建ての洋館。


「お多恵ちゃん、助けて! 私、売られてしまうわ!」


 香は出迎えた多恵に抱きつき、叫んだ。


「なんて物騒なことを……。あなた、また一体、なにを勘違いしたの?」


 多恵は呆れた声で聞き返し、ふと香の後ろに立つ車夫に気が付いた。車夫は愛想よく言った。


「すいやせん、お代をいただけますか?」


「ごめんね、お多恵ちゃん。慌てたものだからお財布を忘れてしまったの。あ、これはお土産。お話ししながら一緒に食べましょう」


 香は大事に持っていたカステラの包みを多恵に渡した。


「そう……押っ取り刀で来たのね。押っ取り刀で……」


 多恵は腕の中の包装紙を見下ろし、なんとも言えない面持ちで漏らした。

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