1-3:深々と、ただ一度
辺境領への、未来永劫の追放。
その宣告は、死刑判決よりもなお重く、残酷に私の胸に突き刺さった。
バルケン領。
それは、我が公爵家が名前だけを冠している、北の最果ての領地だ。かつては豊かな土地だったと聞くが、百年ほど前の大規模な魔獣の侵攻と、その後の異常気象による長い寒波によって、今や「不毛の赤土」と呼ばれる、作物も育たない見捨てられた土地となっている。
王都では、貴族が送られる流刑地として、その名が嘲笑の対象となっていた。
そこに、追放。
公爵家の籍も抜かれ、一人で。
それは、貴族としての私の「死」を意味していた。
(……ああ、そうか。私は、ここで終わりなのか)
十六年間、ただひたすらに、息をすることすら忘れるほどに必死に積み上げてきたすべてが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
あれほど勉強した政治学も、歴史も、もう何の役にも立たない。
あれほど練習したダンスも、刺繍も、不毛の地では披露する相手もいない。
私の人生は、ただ【害虫駆除】というスキルを授かったという、それだけの理由で、ここで終わるのだ。
絶望が、冷たい泥のように心の底から湧き上がってくる。
今すぐにでも泣き叫び、床に崩れ落ちてしまいたかった。私はいったい、何のために努力をしてきたのか、と。
「ファティマ様……」
ふと、か細い声が耳に届いた。
見れば、聖女セシリアが、潤んだ瞳で私を見つめていた。その表情は、まるで悲劇のヒロインが、哀れな脇役に最後の同情を寄せているかのようだった。
「ごめんなさい、ファティマ様……。私、こんなことになるなんて……。でも、これも、王国のため、なのです……。私の【豊穣の祈り】がなければ、民は飢えてしまいますから……」
(……悪意がない、というのは、これほどまでに残酷なものか)
彼女は本気でそう思っているのだ。
自分の力が王国を支えており、その力の邪魔になる私は、排除されて当然の存在なのだと。
彼女のその純粋さは、私という存在を、一片の疑いもなく「害」と断定していた。私の十六年間の努力も、苦悩も、彼女にとっては「王国のため」という大義の前では、何の価値もないものなのだ。
「セシリア、お前は優しいな」
アルフレッド王子が、セシリアの肩を抱きしめる。
「だが、この女に同情は無用だ。すべては、この女が分不相応な『外れスキル』を持って生まれたのが悪いのだから」
王子は再び私に向き直り、軽蔑を込めて言い放った。
「ファティマ! 聞こえたか! さっさとこの場から立ち去れ! 貴様の汚れた空気が、我々の祝宴を台無しにする!」
その言葉が、私の心の奥底でかろうじて燻っていた、最後の矜持を呼び覚ました。
(……そうよ。私は、バルケン公爵令嬢)
たとえ籍を抜かれようと、追放されようと、この瞬間までは、私は誇り高きバルケン公爵家のファティマだ。
罪人として断罪されたのなら、せめて、見苦しく取り乱す姿だけは見せてはならない。
それが、私を十六年間育ててくれた公爵家への、私が返せる最後の「務め」だ。
私は、ゆっくりと、震える膝に力を込め、かろうじて動くようになった足で、王妃教育で叩き込まれた完璧なカーテシー(淑女の礼)をとった。ドレスの裾が、優雅な、しかし重い円を描く。
そして、顔を上げ、アルフレッド王子と、彼に寄り添う聖女セシリアを真っ直ぐに見据えた。
私の瞳に、もう涙はなかった。ただ、底なしの虚無が広がっているだけだ。
「――王子殿下、並びに、聖女セシリア様」
私の声は、自分でも驚くほど、静かに、そして凛と響いた。震えは、なかった。
「このファティマ・フォン・バルケン、今まで、皆様にご迷惑をおかけいたしましたこと、深くお詫び申し上げます」
私は、その場で、深々と頭を下げた。
磨かれた床に映る、惨めな自分の姿を見つめながら。
「王子殿下とセシリア様の、そして、王国の輝かしい未来を、心よりお祈り申し上げております」
一切の弁明も、恨み言も、口にはしなかった。
それが、私にできる、唯一の、そして最後の抵抗だった。
私の無罪を訴えるのではなく、私の「敗北」を潔く認めること。それだけが、許された道だった。
顔を上げた私に、アルフレッド王子は一瞬、怯んだような顔を見せた。彼はおそらく、私が泣き叫び、命乞いをするとでも思っていたのだろう。私の無表情なまでの静けさが、彼の勝利のシナリオを少しだけ狂わせたのかもしれない。
だが、彼はすぐに冷笑を取り戻し、侮蔑を込めて言い放った。
「……フン。往生際の悪い女だ。衛兵! この女をここから連れ出せ! 追放用の馬車に叩き込んでおけ!」
「はっ!」
会場の扉が開き、屈強な衛兵が二人、私に向かって足音も荒く近づいてくる。
私は、彼らにその無骨な手で腕を掴まれるよりも早く、自ら踵を返した。
もう、ここには一秒たりともいたくなかった。
背後で、アルフレッド王子が勝利を宣言する声が聞こえた。
「諸君、汚物が消えたぞ! 祝宴の再開だ! 今宵は、真の聖女セシリアの栄光を讃え、飲み明かそうではないか!」
「「「おおーっ!」」」
割れんばかりの歓声と、再び流れ始めた楽しげな音楽。
まるで、私の断罪劇こそが、祝宴のメインディッシュであったかのように。
私は、その音を背中で聞きながら、衛兵に両脇を固められ、大理石の廊下を歩いていく。
その道すがら、私は一度だけ、廊下の隅、円柱の影に立つ人影に目をやった。
(……お父様)
私の父、バルケン公爵その人だった。
父は、私と視線が合うと、何も言わなかった。ただ静かに……失望と、諦観に満ちた冷たい目で私を見つめ返し、そして、ゆっくりと、私に背中を向けた。
(……ああ)
その瞬間、私が最後まで張り詰めていた心の糸が、プツリと音を立てて切れた。
もう、どうでもいい。
何もかも。
衛兵に引きずられるようにして、私は王宮の裏口へと連行されていった。
あれほど焦がれ、あれほど努力した華やかな光の世界から、冷たく暗い、石畳の闇の中へと。




