第二話「危なっかしい第一王子」
この王宮に来て、はや一か月が経過した。
その頃には婚約者であることにも、どこの部屋に何があるのかも慣れて覚えていた。
―――〝護衛任務〟である以上、常に目を光らせておくのは当然のこと。
その細かな仕草は、流石というか……レジーナには分かってしまったようだった。
「―――素晴らしいです。王宮の構造をもう把握されたのですね」
「ええ、この手の作業は、お継父様から教育されましたから」
私のお継父様も、当然ながらローズドラジェの人間だ。お継母様が戦いを教えるのなら、お継父様は地の利や計略を叩き込んでくれた。
それらは私が望んだ以上に、私の為になってくれている。しかしお継父様は、先に亡くなられてしまったのだ。
「―――マリエラ様は、お継父様が恋しいと思いますか?」
「……あら、レジーナがそんなことを聞くのは珍しいわね」
「そうでしょうか。私は確かに諜報員のような者ですが、それ以前にメイドです。メイドが仕える者の話し相手であることも、仕事のひとつだと」
レジーナは難無く、と言って見せたのが、やはり年齢に見合わないと思ってしまう。
ただ、それ以上に信頼できる相手なのだと―――秘密すら共有できると思わせてくれた。
「―――恋しい、とは思いません。お継父様の遺した言葉を、忘れずに守っているだけですわ」
「遺した言葉、ですか」
「そう、『過ぎたことを振り返るな』と」
……つまりは、お継父様自身を「過去として扱え」と。
「……」
「―――だから、時折言ってしまうのよ。『それはそれ、これはこれ』と」
「……なるほど。流石マリエラ様です」
レジーナは腑に落ちたようにはにかんだ。
……その日の昼のことだった。
「……殿下、どうして―――」
―――どうして今日も、屋根の上にいるのでしょうか。
殿下は中庭にいる私に気が付くと、吞気に手を振っている。
見ると、屋根の上には猫が縮こまっている。……首輪があるから、この王宮の猫かしら。
「また屋根の上に……早く降りてきてくださいますか、殿下」
少し声を張り上げる。
「心配しなくても、もうすぐ降りるさ! ええと、ここを渡って―――」
……いいえ心配するでしょう。第一王子が屋根から転落して大怪我なんて、馬鹿馬鹿しい歴史にはしたくないので。
しかし、私も屋根まで迎えにいく、とはいかない。……見守るしかないですわね。
殿下はそぉっと猫に近づく。手を伸ばしたところで猫は殿下の懐に収まった。
「よし……いい子だ」
殿下は慎重に、廊下の窓から室内へと戻っていった。つい、安堵のため息が洩れる。
私が殿下を迎えに行くと、何ともないように猫を撫でていた。
「……なんともない、ようですわね」
「だから心配しなくても良かったのさ。ほら、可愛いだろう?」
猫はゴロゴロと気持ち良さそうにしていた。猫を撫でる殿下も―――。
……そう思った瞬間だった。
「⁈―――殿下ッ‼」
直後、ピシッ……と嫌な音が聞こえ、反射的に私の身体が動いた。
すぐそばの窓が破砕し、ガラスが飛び散る。その破片は殿下ではなく、私に突き刺さった。
「マリエラッ‼」
……私としたことが、下手な行動をとってしまった。いつもなら全身でなど受け止めはしないのに。
どうしてだろう。しかし傷一つない殿下を見て、心から安心している。
「……殿下っ、ご無事ですか……?」
「マリエラ、傷は……‼」
「大丈―――ッ……‼」
痛みが徐々に膨らんでいく。殿下はすぐにメイドに声をかけ、私を医務室へと運んでくれた。
幸い、傷は深くないが、完治するまでは数週間掛かるそうだ。
様子を見に来た殿下は、私を申し訳なさそうに見ていた。
「……ごめん、マリエラ。ボクのせいだ」
「いいえ、ただの偶然です。殿下が無事で安心しましたわ」
この一か月で、どれだけの不運から守ってきたのか。
今回のように傷を負うのは初めてにしろ、何度だって殿下は危険な目に遭っている。
「だが―――‼ 万が一キミを死なせたりでもしたら―――‼」
……その言葉は、殿下の奥底から出ている気がした。
私はにこりと笑いかける。……殿下の調子を取り戻すように。
「―――そんなことを仰ってしまう方こそ、護衛泣かせですわ」
「……そう、そうだったね」
「でも―――キミがいてくれて、ボクは嬉しいんだ」
「……殿下」
「―――ああいや……そ、そういうんじゃ―――‼」
そう、私たちは婚約者の皮を被った、護衛と護衛対象。それは殿下も知ってのことでしょう。
……しかして、この感情はきっと〝婚約者の私〟のモノなのかしら。
殿下が去りしばらくして、私は隠し持った仮面を手に取り、再び〝護衛の私〟へと戻ろうとした。
しかしいつまで経っても、殿下の言葉が頭を巡る。
……護衛の私が、〝いてくれて嬉しい〟。思い返せば、無意識に頬が緩んでしまう。
「マリエラ様、どうされましたか」
「……え、ええ。傷はもう大丈夫よ。痕も残らないそうだから」
「……そうではありません。先ほどから嬉しそうだったので」
つい、黙り込んでしまった。護衛としてはあるまじき感情のはずだ。
……護ることは、信じること。けれど信じ過ぎれば、仮面はすぐに壊れてしまう。
そんな葛藤も、レジーナに見透かされているようで。
「……殿下は、お優しい方に思えますか?」
「それは……そうね」
「……詳しくは存じ上げませんが―――」
レジーナは姿勢を正して、言った。
「―――この事故は、過去にもう一度あったそうですよ」




