禁書
ーーーそれからしばらく経って
ヴァル王国・魔法士ギルド本部。
一通の極秘依頼が、クラウディアたちの元へ届けられた。
「地方の村で、《禁書》が出回っているらしい。読んだ者の精神に異常をきたし、失踪や暴走事件が続発している。
出所の調査と、原典の回収・封印を命ずる」
ギルド職員の声は硬く、緊張を孕んでいた。
クラウディアは依頼書に目を通しながら、その一文に目を留める。
《カリグラの記録》…古代魔法文明時代に封印された精神系魔導書。禁呪により、読者の意識に侵蝕を起こす。
「禁書……」
クラウディアの眉がわずかに寄る。
彼女は“影”を扱う魔導士として、精神干渉や心象世界へのアクセスにも多少なりとも理解があった。
それだけに、警戒心も強くなる。
「慎重に行こう。これは……ただの書物じゃない」
ーーーーー
訪れた村は、豊かな畑に囲まれた小さな農村だった。
だが、平穏とは程遠い。
村人たちの顔には疲労と怯えが色濃く刻まれ、誰もが怯えるように言葉を選ぶ。
「夢の中で、誰かが私を呼ぶんです……その声に導かれるまま外に出て、気づけば何時間も立ち尽くしてる。覚えてないんです。自分が何をしたのか……」
女性の震える声に、フィンの表情が険しくなる。
「これは明らかに精神系の魔術だな。持続型の……しかも、無意識に侵食してくるタイプか」
アレクは村人の体を診ながら言った。
「身体そのものは健康だ。だが脳と神経が一部過剰に興奮してる。これは……」
「『精神外部干渉型の魔力汚染』よ」
その声に、クラウディアの背筋が凍る。
路地裏、薬草畑の向こう。
そこにいたのは、淡い光を纏う銀髪の女性――
「レイラ……!?」
クラウディアが思わず名を呼ぶと、レイラ・ヴァレンタインはわずかに微笑んだ。
「痕跡を残してあるわ。たどれるはずよ。影の奥にね」
彼女はそれだけを言い、薬草の陰へと再び姿を溶かすように消えていった。
ーーーーー
日が沈むとともに、異変は激しさを増した。
突如、村人の何人かが目を見開き、狂ったように叫びながら刃物や農具を手に襲いかかってきた。
「来る!」
フィンがすかさず前へ出て、氷の魔法で足元を凍らせて封じる。
セレナは結界を展開し、村人たちを傷つけずに拘束する。武器を振りかぶったアレクに
「止めて、殺しちゃダメ!彼らは操られてるだけ!」
セレナの声が、緊迫する空気を引き戻した。
そして――
「……私が行く」
クラウディアの背に、紫紺の光が瞬いた。
それは“覚醒”の兆し。
次の瞬間、彼女の身体が闇に溶けるようにして消える。
「影潜り…」
彼女は意識を研ぎ澄まし、“影”に触れる。
そこに――異質な“断片”が見えた。
書物ではない。精神の深層に存在する“鍵”のような情報構造。
それはまるで、無数の人の心を繋ぎ、集合意識のようにして禁書の本体を再構築していた。
「……ここが本体」
その核心部にたどり着いた時、クラウディアは理解した。
《カリグラの記録》の原典は、すでに物理的な本ではなく、精神の中で再構成される“呪いのネットワーク”となっている。
破壊するには――
この書に自らを同化させ、内側から“書き換える”しかない。
クラウディアは目を閉じた。
「……私を使ってやるしかない」
自らに禁書の波動を取り込む。
痛みが走る。記憶が揺らぐ。
父の顔も、フィンの声も、遠ざかる。
それでも、彼女は“自分”を失わなかった。
――私は、私である。
その一点を強く心に掲げ、彼女は内側から禁書の“中核”を書き換えていった。
ーーーーー
その瞬間、クラウディアの世界が音もなく崩れた。
光が満ちていき、クラウディアは再び意識を現実に戻す。
足元は、まだ村の広場。
仲間たちが周囲を取り囲んでいた。
倒れてはいなかった。
汗が吹き出し息は荒かったが、意識も保ち、魔力もまだ、残っている。
「お嬢様!」
フィンがすぐに駆け寄った。
彼女はゆっくりと立ち上がり、空を仰いだ。
「……終わった。書き換えたわ。もう誰も操られない」
周囲では、倒れていた村人たちが目を覚まし、正気を取り戻していた。
混乱の中、誰かが泣き出し、誰かが抱き合って喜んだ。
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夜の静けさが戻った村の宿で、クラウディアは一人、窓辺に座っていた。
「……常時、覚醒できたらいいのにね」
呟きながら、自分の手のひらを見る。
まだ覚醒の余波が残るその掌には、かすかに光が宿っていた。
制御はまだ完全ではない。だが、確実に力は根付いている。
やがて背後から、フィンの声が響いた。
「少しずつ慣れればいいですよ。急がなくて良いと思います。お嬢様の身体が何よりも一番大切です。」
クラウディアは微笑んだ。
「ありがとう、フィン」
彼女の瞳の奥には、次なる闇への覚悟が静かに燃えていた。




