元親友からの手紙
誤字報告ありがとうございます!
(追記 2025.07.02)
調べたところ“伯爵”から高位貴族なのですね……。
申し訳ありませんが、作中の高位貴族は“侯爵”以上だとお考えください。
元親友からの手紙
フィリネへ
久し振りね! あなたの親友のキャローナよ!
突然だけど、お金ちょうだい。今、とっても生活が苦しいの。
市井の酒場で働いてるんだけど、給金が少なすぎるのよ!
ねえ、いいでしょ? どうせ、あれからアタシのお父さまからお金もらったんでしょ? そのお金もよろしく! アタシのおかげなんだから当然よね。
それから、小麦すらロクに買えないから定期的に食料も送ってちょうだい!
実は、お父さまにも同じ内容の手紙を書いたんだけど返事が無いの。渡すよう商人に言ったのに途中で捨てたんだわ!!
きっと、お父さまはアタシのことを心配してるはずだから、とっても苦労していることを伝えてちょうだい。
早く伝えてよね! 絶対よ!!
あなたの親友キャローナより
フィリネは、かつての親友からの手紙を読んで溜息を吐く。
このような手紙を書く方だったかしら――と、少し悲しくなる。
手紙には所々に茶色いシミのような跡がいくつもあり、シワだらけで端が少し破れている。切羽詰まっているのか、文字は粗雑で歪んでいた。手紙に書いてあるように苦労しているのだろう。
フィリネはキャローナとの思い出と、ことの顛末を振り返る。
フィリネ・エバンズとキャローナ・アーデンは共通点が多かった。
同じ家格の伯爵家に、同じ年に生まれ、社交界デビューの日も同じ。家族構成もほぼ同じで、好きな紅茶の茶葉を扱う店まで同じだった。
社交界デビューの舞踏会、天真爛漫で人懐っこいキャローナが先に話しかける。
「まあ! エバンズ伯爵令嬢もデリーズ社の茶葉がお好きなのね!」
フィリネも自分と趣味が同じで嬉しくなる。
「アーデン伯爵令嬢もお好きなのですね。とても変わったお味で、もう一口と思っている内についつい飲み過ぎてしまって……」
「分かるわあ……でも、人気だから中々手に入れることができないのよね」
「私も特別な日にしか、いただくことができないから、父から贈られたときは不作法にはしゃいでしまったわ」
フィリネとキャローナは、出会ったその日を機に親しくなった。
他の息女から同じお茶会に招待されたときには、色違いの同じデザインのドレスを誂えて着るほど、親交を深めていった。
馴染みの伯爵家息女のお茶会に出席する二人。この日も、色違いの同じデザインのドレスを着ることに。
フィリネはキャローナが手配してくれたドレスを褒める。
「キャローナ様が手配してくださったドレス素敵ね。細かいレースのフリルが美しいわ!」
「フィリネ様に喜んでいただけて嬉しいわ! でも、大きな宝石のネックレスがあれば、もっと素敵なのに……」
そう言いながら、キャローナは自身の鎖骨辺りを撫でる。
ドレスだけでも十分、素敵なのに……と、フィリネは思ったが口にすることは無かった。
キャローナの父親、アーデン伯爵は美術品に造詣が深いことで有名だった。その影響か、キャローナも優れた審美眼を持っているため、フィリネは彼女をとても尊敬していた。キャローナがそのように言うのなら、大きな宝石のネックレスを足すことで更に素敵になるのだろう。
「お父様は乙女にとって、宝飾品がどれほど重要か分かってらっしゃらないわ!」
キャローナは父親に憤慨していた。
フィリネはそれを宥める。
「殿方はそういったことに疎いのかもしれないわね」
「家に美術品がほとんど無いのよ!? 宝飾品や骨董品のお店に行っても見てるだけなんて! 本当はお好きではないのよ!!」
「きっと、アーデン伯爵は慎ましくいらっしゃるのよ。素晴らしい心がけだと思うわ」
フィリネは、アーデン伯爵は多くの美術品を所有していると思っていたので、意外と倹約家だったことに驚く。胸中でアーデン伯爵への評価が上がる。
キャローナは日頃の鬱憤を晴らし、すぐに機嫌が良くなった後、フィリネや他の息女との会話に花を咲かせた。
その後、ほどなくして大きな転機が訪れる。
アーデン伯爵領で、良質なサファイアが採掘されたのだ。
瞬く間に社交界に広まり、アーデン伯爵家は注目を浴びることに。
アーデン伯爵家には三人の子供がいる。長女はすでに嫁いでおり、長男にも婚約者がいる。婚約者のいない次女のキャローナの元に、連日、縁談の申し込みが殺到した。
最終的にキャローナの婚約者に選んだのは、名門ロックウェル公爵家の三男だ。現在、王太子の側近として王宮に仕えている。
ロックウェル公爵家は、領地にダイヤモンドが産出される鉱山をいくつも所有。宝飾品を加工、制作する名匠を多数抱えており、領地内に工房を構え、一大産地となっている。王侯貴族に愛好家も多く、宝飾品が有名でなくとも王家からの信頼は厚い。
ロックウェル公爵家は、有利な条件でサファイアを卸して欲しいという思惑がある。アーデン伯爵家も家格の上の公爵家と縁を持ちたい。もしかしたら、技術を伝授してもらえるかもしれない。そうなれば、サファイアの名産品ができるだろう。伯爵個人としても、相手は宝飾品の名匠を抱える名家なので願ってもない縁談だった。
アーデン伯爵領は潤っていったが、意外にも目立った変化はなかった。いつ、サファイアが枯渇するか分からない。そのため、災害や疫病など万が一に備えて利益のほとんどを蓄えているのだ。
ただ、早急に必要な場合はその都度に様々な形で領民に還元している。なので、不満を持たれることは、ほとんど無かった。
「大金は簡単に人を狂わせる。だからこそ、注意しなければならない」
アーデン伯爵は美術品に造詣が深い。大金を手にした多くの貴族がそれらに入れ込み、手放すに至った経緯についても知っているのだろう。領地が潤っても冷静に運用するよう努めた。
家族も納得している――キャローナを除いて。
キャローナは今まで我慢していたのか、高位貴族の子女からの誘いを理由に、多くの宝飾品やドレスを誂えるようになった。父親から支給された金銭では到底、支払えないので全てツケだ。
アーデン伯爵は仕方なく支払うことに。しかし、あまりにも数が多いため可能な限り解約させ、許可なく外出や外商を呼ぶことを禁止した。
手紙でキャローナの現状を知り、自業自得と思いながらも少し同情したフィリネ。常に家の中にいるのは息が詰まるだろうと思い、彼女をお茶会に招待することに。アーデン伯爵も、娘が懇意にしている息女からの招待を無下にはしないだろう。
その思惑通り、キャローナはフィリネ主催のお茶会に出席することができた。
お茶会の賓客は伯爵家の息女がほとんどだ。中には子爵家や男爵家の者もいるが、皆、淑女教育が行き届いている。
「キャローナ様、来てくださって嬉しいわ!」
フィリネは歓待するが、キャローナは不機嫌そうだ。
違和感を覚えつつも、フィリネは挨拶をした後に笑顔で賓客に紅茶を淹れる。
「そういえば、フィリネ様はデイル子爵家のご令息と婚約なさったそうですわね。おめでとうございます!」
「穏やかな方だとお聞きしていますわ。どうぞ、お幸せになってくださいませ」
「フィリネ様と婚約なさるなんて、お相手の方も幸せ者ですわよね。素敵なご家庭を築いてくださいまし」
「ふふ、すでに結婚したみたいね。でも、ありがとうございます」
賓客の一人がお祝いの言葉を述べると、他の息女も祝福した。
気の早い息女たちに苦笑いしながらも悪い気はせず、お礼を述べる。
フィリネの婚約者はデイル子爵家の次男、サム・デイルだ。少し頼りないところはあるが、両親に似たのか争いごとを好まない穏やかな性格をしている。最近、長男が重い病気に罹っていることが分かり、次男のサムが跡継ぎに。フィリネの父親、エバンズ伯爵の決めた相手だが、とても好感を抱いていた。
婚約が決まってから時折、子爵家の領地に赴き、サムと共に義兄になるであろう長男の看護の手伝いをしている。その時にフィリネは、彼が自身の兄を優しく看護する姿を見て、この人なら温かい家庭を築けるだろうと思ったのだ。
フィリネは人数分の紅茶を入れ終え、賓客に振舞う。
「さあ、冷めない内に召し上がってくださいませ」
フィリネの言葉を合図にカップに口を付ける。
途端に皆、顔をほころばせながら感嘆した。
「まあ! 不思議なお味で美味しい!」
「紅茶の程よい苦みに、果物のような甘みと風味が引き立つわあ」
「ねえ、どちらの茶葉をお使いに?」
「デリーズ社のものよ。お父様が、皆様に召し上がっていただきなさいと仰ったの!」
この日のために用意した茶葉は、貴族の間で流行しているデリーズ社のもの。エバンズ伯爵が娘の主催するお茶会のために、わざわざ新作を取り寄せたのだ。お茶請けも紅茶に合わせるため、果物の使用を控えるよう指示した。
キャローナもこの会社が好きなことは、出会ったときから知っている。彼女のために振舞ったようなものだ。
賓客たちが紅茶を褒めながらフィリネとエバンズ伯爵に感謝する中、キャローナは不満を口にする。
「なによ! 私は一ヶ月も前に、侯爵家のご令嬢に招待されたお茶会でいただいたわ!」
「それは知らなかったわ。ごめんなさいね」
フィリネは咄嗟に謝ったが、心の中では今にも泣きたい気持ちでいっぱいになる。喜んでもらおうと努力したのに無駄になってしまった。
キャローナは慮ることなく、さらに追い打ちをかける。
「私は公爵家のご令息と結婚するのよ!? もう貴方とは違うのだから、目上の貴族と思って、もてなしなさいよ!!」
「そうね、ごめんなさい」
自分が至らないせいで嫌な思いをさせてしまい、どんどん小さくなる。
「それに、どうして子爵家や男爵家なんかの娘がいるのよ! 爵位の低い人間と一緒にするなんて、私に対して失礼じゃない!!」
その言葉を聞いた瞬間、フィリネの感情は悲しみから怒りへと変わる。
「お引き取りください」
「な、なによ急に……」
相手の態度が急変したことに、キャローナはたじろぐ。
フィリネは再び帰るように促す。
「こちらにいらっしゃるご令嬢は皆、私の大切な友人です。そのようなことを仰る方はこの場に相応しくないので、どうぞお引き取りください」
「ふ、ふん! こんな不愉快なお茶会に出席したのは初めてよ!!」
キャローナは捨て台詞を吐きながら、逃げるようにして去っていく。
大切な親友が変わってしまったことに、悲痛な面持ちを隠せないフィリネ。賓客たちの方を向き、主催者である自分が場を乱してしまったことを謝罪する。
「楽しいお茶会にするよう努めなければならないのに……ごめんなさい」
「フィリネ様のせいではございませんわ!」
「ええ、私たちを楽しませようと一生懸命なことは伝わってきますもの」
「家格の低い私を友人と仰ってくださり、ありがとうございます!」
賓客たちは口々に擁護する。
慰められたフィリネは感謝しながら、主催者として場が和むよう励んだ。
果物に似た紅茶の香り漂うお茶会はどこか甘酸っぱく、とても朗らかな雰囲気で心地よいものだった。
このお茶会でのキャローナの振る舞いは社交界に広まることとなった。
賓客の中に高位貴族の分家筋の息女がいたのだ。アーデン伯爵領でサファイアが採掘されたこと、公爵家との縁談がまとまったことを妬んでいる者は多い。そのような者からの攻撃を恐れたアーデン伯爵は、これ以上の悪評が広まらぬようキャローナの外出を式当日まで一切禁止した。
それとほぼ同時期に、フィリネの元にエバンズ伯爵領にいる兄が倒れたという知らせが入る。
倒れた原因は過労らしい。
フィリネの兄は領地にて、父親から徐々に領地運営について学んでいる最中だった。兄は優秀だったからか、エバンズ伯爵は一気に仕事の量を増やした。父親の期待に応えたい兄は無理をしてしまい、ついに体が限界を迎えて倒れてしまったのだ。医師の診断によれば合併症の可能性もあるという。
フィリネは急いで婚約者のサムや親交のある貴族の子女に、領地に戻る旨を記した手紙を送った。
その時、キャローナにも手紙を送るかどうかを迷っていた。
親友は変わってしまった……と、お茶会での出来事を思い出す。今後、手紙のやり取りをすることがないかもしれない。そう思ったフィリネの脳裏に浮かぶのは、笑いながら過ごした楽しい日々の記憶。
出会いはキャローナから話しかけてきた。お茶会に招待されたとき、色違いで同じデザインのドレスを着たことは良い思い出。今でも、当時の天真爛漫な笑顔を思い出すことができる。
再び、あの頃のような仲に戻れたら……――そう望むフィリネ。
親友がお茶会での振舞いを恥じ、以前のように戻っていると一縷の望みに賭け、キャローナにも同じ内容の手紙を送った。
領地に着いたフィリネ。急いで兄の元へ行くと、少し回復したのか想像していたほど悪い状態ではなかった。しかし、侍医からは脳や心臓などの負担も考え、しばらく安静にしているようにとのことだ。
フィリネは母や使用人と共に兄の看護をすることに。子爵家での経験を活かすことができた。
献身的な看護のおかげか徐々に兄の体調が回復し、久々に母も交えて三人で談笑した。
「いつも、ありがとうございます、母上、フィリネ。使用人の皆も感謝しているよ」
フィリネの兄は、自身の母親や妹、近くに控えている使用人に感謝する。
看護した甲斐があって、皆、嬉しそうだ。
「良いのよ。でも、これからは辛くなったら言いなさいね」
「お兄様はいつも無理をなさるから心配だわ」
「もう大丈夫だよ。心配かけて、すまない」
和やかな雰囲気の中、勢いよく部屋の扉が開く。
扉の方へ注目すると、そこには怒りで顔を歪ませたエバンズ伯爵がいた。
只ならぬ雰囲気に圧倒されるフィリネたち。
「……デイル子爵令息とアーデン伯爵令嬢が、逢瀬を重ねていたそうだ」
エバンズ伯爵から聞かされた事実にフィリネたちは驚愕する。まさか二人が婚約者のいる身で、そのようなことを仕出かすとは思わなかったからだ。
このことをエバンズ伯爵に知らせたのは、ロックウェル公爵。キャローナの婚約者の父親だ。
後日、ロックウェル公爵邸にて話し合いが行われることになったが、フィリネの心はいつまでも、ざわついていた。
ロックウェル公爵邸に着いた二人は、執事に応接室へ案内される。
入室すると、そこにはロックウェル公爵とその子息、アーデン伯爵とキャローナ、デイル子爵とサムが揃っていた。アーデン伯爵とデイル子爵は、ロックウェル公爵側に何度も謝罪の言葉を口にしている。キャローナは関係ないと言わんばかりに腕を組んでそっぽを向き、サムはこの状況に戸惑っている。
エバンズ伯爵とフィリネが入室したことを知ると、アーデン伯爵とデイル子爵は二人にも謝罪し始めた。
ロックウェル公爵は、エバンズ伯爵とフィリネに長旅を気遣った後、椅子に座るよう促す。
二人が椅子に座ると、アーデン伯爵とデイル子爵は再び謝罪しだした。
ロックウェル公爵は、いつまでも謝罪する二人に止めるように言い、経緯を説明する。
「不穏な噂を耳にしたので、こちらで調査をしました」
そう言いながら、紙の束を手にする。
「調査によると少なくとも十三回、二人きりで会っていたそうです。何度も王都の大通りで買い物や食事をしていたそうですよ。移動中は親しげに腕を組んでいたとか。宝飾品を扱う店でデイル子爵令息がアーデン伯爵令嬢に、自身の瞳と同じ色の宝石が嵌め込まれたネックレスを贈ったとあります」
その後、会っていた日時、訪れた場所、贈られたネックレスの詳細まで読み上げる。
やらかした二人の父親たちは、顔を赤くしたり、蒼くしたりしている。
「なぜ……このようなことを……」
デイル子爵は自身の息子に理由を聞いた。
サムはオロオロしながら答える。
「だ、だって……キャロ――いや、アーデン伯爵令嬢が、兄が倒れて落ち込んでいるだろうから親友のフィリネに何かしてあげたいって、手紙が来て……」
「なぜ、それが大通りでの買い物や食事に繋がる!!」
「キャローナが落ち込んで可哀想だったから、楽しませようと思ったんだよ!!」
サムは自身が頼りないことを自覚し、気にしていた。しかし、キャローナに頼られて自尊心が満たされたのだろう。利用されていることにも気付かず、安易に二人きりで逢瀬を重ねてしまった。
デイル子爵家が親子喧嘩をしている最中、キャローナはフィリネを嘲笑っていた。勝ったとでも言いたげに。
見せつけるかのように、キャローナの鎖骨辺りにはネックレスがあった。サムの瞳と同じ色の小さな宝石が、ささやかに存在を主張する。
簡素なネックレスに、華美なドレスはあまりにも不釣り合いだった。色合いも、どこか不自然だ。
フィリネは瞬時に理解する。これはお茶会のときの仕返しなのだ――と。
アーデン伯爵邸から抜け出せたのは、使用人に協力させたのだろう。
「なあ、フィリネ。僕は人として当然のことをしただけなんだ! 分かってくれるだろう!?」
サムに話しかけられたフィリネ。
「いいえ、分かりません。婚約者のいる身で二人きりで会うなんて理解できません」
「お前はなんて冷たいんだ! キャローナはお前のことで悩んでいたのに!!」
「申し訳ないが、私もエバンズ伯爵令嬢と同じで君の行動に理解できないのだが。ああ、アーデン伯爵令嬢のこともね」
「あ、ええ……?」
サムはフィリネの言葉に激昂したが、ロックウェル公爵に口を挟まれて意気消沈する。
フィリネは初めて見るサムの姿に衝撃を受けたが、すでに相手に対して何の感情もないことに気付く。
静かになったところで、ロックウェル公爵は縮こまっているアーデン伯爵に話しかける。
「息子とアーデン伯爵令嬢との婚約を破棄させていただきたい」
「婚約破棄の件、承知いたしました……誠に申し訳ありません……」
「はあ!? なんでよ!!」
婚約を破棄されるとは思わなかったのだろう、余裕そうにしていたキャローナが声を上げる。
ロックウェル公爵が、アーデン伯爵領のサファイアを欲していることは知っていた。だからこそ、何をしても許されると思っていたのに当てが外れて戸惑いを隠せない。
「アーデン伯爵領のサファイアが手に入らなくなるのよ!?」
「ああ、それは残念だが、絶対に欲しいという訳ではないよ。それに、アーデン伯爵令嬢を迎えると家名に傷が付く。多少、目を瞑っていたが、今回は受け入れることはできない」
サファイアが手に入らないことは残念だが、それに限定しなくても魅力的な家は多い。ロックウェル公爵家との縁が欲しい家はいくらでもいる。別にアーデン伯爵家でなくても良いのだ。
「あ……わ、私、ただ親友のフィリネ様のことを相談しただけなのに、デイル子爵令息が無理矢理!!」
「キャローナ!?」
今更だというのに、キャローナはサムだけに罪を擦り付けてきた。
サムは突然のことに驚く。
キャローナが態度を急変させたにもかかわらず、ロックウェル公爵は冷静に反論する。
「報告には『移動中は親しげに腕を組んでいた』とある」
「そ、それは嘘ですわ!!」
「私が依頼した調査員が信用できないと?」
「い、いえ……決して、そのようなことは……」
威勢の良かったキャローナだったが、上手く取り繕うことができずに消え入りそうな声で否定。
ロックウェル公爵は更に続ける。
「それに、アーデン伯爵令嬢の身に着けているネックレスは、報告書に書かれている物ではないか?」
「!!!」
キャローナの鎖骨辺りには、サムの瞳と同じ色の小さな宝石が嵌め込まれたネックレス。特徴も細かい部分まで一致している。嘘は通じない。フィリネを傷つけるために、贈られたネックレスを身に着けていたことが災いした。
キャローナは呆然となり、その場にくずおれる。
次に、エバンズ伯爵がデイル子爵に淡々と話す。
「娘のフィリネとそちらのご令息との婚約を破棄したい。異論はありますか?」
「いいえ、婚約破棄を受け入れます……慰謝料については後ほど。息子は勘当します」
「な、なに言ってるんだよ! 跡継ぎなのに!?」
父親から突然の勘当発言に、サムは声を荒げる。
「貴族の子女として自覚の足りない者はいらん」
強硬な姿勢に取り付く島もない。サムはフィリネに縋る。
「フィリネ……僕のこと愛しているよね? 結婚したいでしょう?」
「人の気持ちを慮れない方の元へ、私は嫁ぐつもりはありません。貴族の子女としての自覚もお持ちでないようですし」
サムは穏やかで優しかった。確かにその性格を好いていた。しかし、明らかに深謀遠慮に欠けている。今回の件がなくとも、いつかは破綻していただろう。政略結婚だったとしても、貴族の子女としての自覚が乏しければ同じ結果になることは容易に想像がつく。
冷たく突き放したフィリネに、サムは悪態をつく。
「お前はやっぱり冷たい……お前の方こそ、人の気持ちを分かってないじゃないか! 僕は騙されていたんだ!!」
サムの責めるような視線に怯むことなく、フィリネは呆れた様子で教える。
「二人きりで会わなければ騙されることも無かったはずです。それより、貴方の軽率な行動のせいでデイル子爵家はエバンズ伯爵家だけではなく、ロックウェル公爵家も敵に回してしまったことを理解なさっては?」
その言葉にサムは両家を見る。
エバンズ伯爵は射るような視線で、ロックウェル公爵は冷たい視線を送っている。
エバンズ伯爵家の息女と婚約していながら、ロックウェル公爵家子息の婚約者と逢瀬を重ねた。
短い期間だが、デイル子爵家の跡取りとして教育されていたサム。
ようやく、自分が何をしたのかを自覚した。
その後、アーデン伯爵はエバンズ伯爵家に多額の慰謝料を、ロックウェル公爵家には有利な条件でサファイアを卸すことに。
デイル子爵家は多くの財産を売って慰謝料を都合した。到底、賄えるものではなかったが、子爵家の長男は重い病気を患っている。今後、多額の医療費が必要になるだろうと予想できたため、両家は追い込むことをせずに矛を収めた。
しばらくして、キャローナとサムは平民となった。
フィリネが過去の思い出に耽っていると来客の知らせが。
そこにいたのは、ロックウェル公爵家の三男、セオドア・ロックウェル。キャローナの元婚約者だ。
「あら、セオドア様。約束の時間には少しお早いのでは?」
「フィリネに早く会いたくて……迷惑だったか?」
「いいえ。私もお会いしとうございました」
セオドアと親密になったきっかけは、王太子が仲を取り持ったからだ。
以前から、独りで仕事を抱え込もうとするセオドア。上司である王太子が彼を気遣って補佐官を増員したが、あまり効果は無かった。セオドアの父親、ロックウェル公爵もそのことを気にかけていた。
そこで、婚約者として候補に挙がったのが、キャローナ・アーデン。
天真爛漫で人懐っこいので、セオドアの心を解きほぐすだろうと。さらに、アーデン伯爵領ではサファイアが採掘された。父親の影響か、キャローナも優れた審美眼を持っているため宝飾品の事業に役立つかもしれない。セオドアの性格が良い方へ変わり、サファイアも手に入る。まさに、一石二鳥と考えたのだ。
しかし、結果は残念なことに。キャローナは実家の領地でサファイアを採掘、ロックウェル公爵家との縁談がまとまったことを機に変わってしまった。セオドアの心を解きほぐすことも期待できないだろう。話し合いの場でのチグハグな彼女の装いを考えると、当時と変わらず審美眼を持ち合わせているかも怪しい。このまま彼女を公爵家に迎えると家名に傷が付く。ロックウェル公爵の思い描いた通りの結果には至らなかった。
婚約破棄後、セオドアの心を理解できそうな貴族の息女はいないか思案した王太子。婚約者に裏切られた共通点を持つ、フィリネ・エバンズが適任ではないかと考えた。セオドアと心を通わすことができれば、傷付いたであろうフィリネの心も癒えるかもしれない。早速、二人のために、ささやかなお茶会を開くことに。
場所は王宮の敷地内にある庭園。柔らかな日差しの中、色とりどりの花が見ごろを迎えている。お茶会には王太子、セオドア、フィリネの三人のみ。先に口を開いたのは王太子だ。
「エバンズ伯爵令嬢、急な茶会にもかかわらず来てくれて、ありがとう」
「こちらこそ、素敵なお茶会にご招待いただき感謝いたします」
フィリネはこのお茶会が何のために開かれたのか、父親のエバンズ伯爵から聞かされていた。王太子の勝手な思い付きにエバンズ伯爵は難色を示していたが、フィリネは参加を希望した。
セオドアのことが気がかりだったからだ。話し合いの席で、彼は一言も発することは無かった。社交界の噂で、独りで仕事を抱え込み、没頭することは知っていた。フィリネ自身の兄のこともあるが、婚約者に裏切られた者同士、戦友のような気持ちもある。
心配していた通り、セオドアの目元には隈が出来ていた。
「ロックウェル公爵令息、お仕事が大変だと伺っております。ちゃんと休息をお取りになって、いらっしゃいますか?」
「……」
「そうなんだ。セオドアに、補佐官にも仕事を割り振って、適宜、休むよう指示したのに聞かなくてね。早くて的確なのは、ありがたいが」
フィリネの問いに、王太子がやれやれと代わりに答える。
「上司である王太子殿下が心配しておいでです。恐れながら申し上げますが、臣下として失格ではないでしょうか?」
「!」
フィリネの指摘に、セオドアはバツの悪そうな表情をする。
王太子は深くうなずく。
フィリネはセオドアに、ある提案をする。
「僭越ながら、私とささやかな約束をしませんか? 私はロックウェル公爵令息にお手紙を出しますので、届きましたら必ず休息を取って下さいませ。お読みになることも、お返事も不要でございます」
「いや、申し訳ないが――」
「それは良い!」
「……承知した」
セオドアは提案を断ろうとしたが、王太子が名案だと言いたげな反応を示してしまったので受け入れた。早々にお茶会を切り上げて、仕事に戻りたかったのかもしれない。
その後、約束通りにフィリネはセオドアに手紙を出した。読まれることを考慮し、手紙の内容は必ず便箋一枚に収め、頻度は仕事に支障のないよう配慮した。
始めはフィリネの一方通行だったが、徐々にセオドアからも返事が来るように。手紙が書けるほど余裕ができたのだと知り、安堵する。さらに二人は文通を続け、ある時、セオドアからの手紙で、長期休暇になったらエバンズ伯爵領へ行きたいという旨が書かれていた。フィリネを始め、エバンズ伯爵家の者は歓迎した。
「いつも手紙を送ってくれて、ありがとう。お陰で毎日、気持ち良く仕事に励むことができる」
「お役に立てて光栄ですわ。こちらこそ、私の好きな紅茶の茶葉を贈ってくださり、ありがとうございます」
セオドアは無愛想だが、義理堅い性格らしい。フィリネに最初に贈ったのは、感謝の言葉と返信できなかったことへの謝罪、彼女の好きな紅茶の茶葉だった。
毎回、手紙にも必ず始めに、感謝の言葉が綴られている。
「これが、手紙に書かれていた花か。想像より、ずっと美しい」
「ええ。旬が過ぎてしまったので、咲いている花は少ないですけれど……」
「いや、見ることができて良かった」
フィリネは、セオドアが少しでも癒されるよう、季節の植物や出来事を手紙に綴っていた。室内で仕事詰めだと、季節の移り変わりを感じることが難しいだろうという彼女なりの配慮だ。フィリネは、お茶会の時と比べてセオドアがよく笑っていることに気付く。自身の行為が奏功したのではと思い、嬉しくなる。
その日を境に、さらに親交を深めることに。
ある日、何度目かの訪問で、セオドアはフィリネに結婚を申し込む。
「フィリネ。私と結婚して欲しい」
フィリネは嬉しかったが、受け入れることができずにいた。エバンズ伯爵家はこれといって特徴は無く、ロックウェル公爵家に利益をもたらすとは思えない。ロックウェル公爵が許さないだろう。それに、婚約者に振られたから同情しているのだと疑っているのだ。そのことを素直に伝えた。
それを聞き、セオドアは安心させるように笑う。
「父は例の件でサファイアを有利な条件で取引できたし、父上の選んだ相手が再び問題を起こすかもしれないと、私が苦情を言ったら引いてくれた。お前の好きなようにしなさい――と」
セオドアは更に続ける。
「私はフィリネとの結婚を、心から望んでいる」
その言葉を聞き、ようやくフィリネは頷く。
「嬉しい……私も、セオドア様と結婚したいです!」
こうして、フィリネとセオドアは婚約することに。
フィリネが思い出し笑いしていると、セオドアは不思議そうにする。
「どうした?」
「いえ、少し思い出しただけですわ。セオドア様と初めて会話したときのことを」
セオドアは自身のことで笑顔になっていたことを知り、嬉しく思いながらも、フィリネに集中するよう促す。
「私のことを想って笑ってくれるのは嬉しいが、こちらに集中してもらわないと。結婚式の準備が進まないじゃないか」
「ふふ、ごめんなさい」
この日、二人はフィリネが身に着ける宝飾品やドレスについて話し合っていた。宝飾品はロックウェル公爵領にいる名匠が、腕によりをかけて作り上げる。ロックウェル公爵家の威信にかけて。ドレスもそれに負けず劣らず、見事な一級品になるだろう。
「最高の式にしよう」
「ええ、もちろん!」
結婚式の準備に夢中になる二人。
フィリネは元親友からの手紙など、すっかり忘れ去っていた。