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どうせ、100年経ったら誰もいない

 ふつん、と切れた気配に、イヴははたりと目をまたたいた。


「ああ、また」


 死んだのか。


 果たされることなく途切れた約束と言うえにしの糸、その切れ端を引き寄せ、イヴは優しくなでた。


 あまたの少年たちと交わした約束が果たされたことは、これまで一度もない。


 思いなんて重ねなければ薄れるものだし、そもそも、再会の機会もそうはない。


 はなから、果たされることなど期待していない約束。

 途切れたそのときいくばくかの寂寥せきりょうを感じさせるものの、またたきのあいまに消え、過ぎ去ってしまうもの。


 一瞬のさみしさを受け流し、イヴはなにごともなかったかのように読んでいた本に目を戻、


「なにか、くる?」


 本に目を戻そうとして、近付く気配に眉を寄せた。


 イヴの領域に、立ち入った者がいる。


 ついと、小指が引かれた気がした。


 かんかん、と。


 ほどなくして打ち鳴らされたノッカーの音に、イヴはやれやれと本を置いて立ち上がった。


「はてねぇ……来客が来るような事件は、起きてないばずだけど」


 ぼやきながら玄関に向かうあいだにまた、かんかん、とノッカーが鳴らされる。


「はいはい、どなたですか……っと?」


 目の前に広がった月色の薔薇の花束に、ぎょ、っとイヴは目を見開いた。


 視線を上げれば、陽に透ける亜麻色の髪がまぶしい若者が、射殺すような目でイヴを見下ろしていた。


「約束を、果たして貰いに来ました。おねえさん……いいえ、かみ殺しの魔女イヴ」

「約束は」

「僕は今年、581歳になりました。あなたは?」


 イヴは今年、1161歳になる。年齢は、たしかに間違いないようだが。


「……あなた、500年以上もこんなババアとの結婚を夢見てたって言うんですか?」

「あなたとの約束を果たすために、魔法使いにまでなりましたが、なにか」

「いや、あの、えー……?」


 答えに迷ってイヴは、とりあえずと扉を大きく開けた。


「まあ、立ち話もなんなので、どうぞ。なんのおもてなしも出来ませんが」


 小指が少し、熱を持っている。胸もだ。


「ええと、良いんですか?」

「散らかっていますが」


 どうしよう。嬉しいのかもしれない。


 彼が誰かも、いつ繋いだ縁かも覚えていないけれど。


 初めて守られた約束についはしゃいで、イヴは若者を招き入れた。


「適当に座ってください。どこでも」


 言いながらイヴは読みかけの本に栞をはさみ、続き間のキッチンに立つ。コーヒーか、紅茶か、飲み物くらいは出してやろうと。


 若者は天板上にあまりスペースの残っていないダイニングテーブルの下から、背もたれのない椅子をひとつ見つけ出して座った。荷物満載のひじ掛け椅子や、辛うじてひとりぶん座れるだけのスペースが残っている三人掛けのソファは、ご遠慮されたらしい。


 ダイニングテーブルに残されたわずかなスペースに紅茶を置いてやり、イヴは若者が来るまで座っていたひとり掛けソファに腰をおろした。ソファ横の小さなテーブルの上は、ダイニングテーブルが怒り出しそうにものがなく、あるのは栞をはさんで置かれた読みかけの本と、飲みかけのラベンダーティのカップとポットだけだ。


 ラベンダーティを一口飲み、若者をながめる。なにかしら思い出さないかと考えたが、さっぱりなんにもわからなかった。

 いつも適当にあしらっているだけなのだ。約束だから縁はつなぐけれど、いちいち覚えていたりしない。


「……600年近くも、よくもまぁ」


 思わずこぼれた呟きに、自分の膝に花束を置いた若者が少し恨みがましい目になる。


「成長して事実を知れば、あなたは魔女で数百歳だと言われ、僕は生まれて10歳足らずでひとの短命を恨みましたよ」

「みなさん、魔女と知った時点で目が覚めるものですよ」


 魔女は畏怖される存在だ。たとえなにも知らないまま恋に落ちたとしても、魔女と知ればそんな気持ち捨ててしまうもの。魔女と知っても思い続けるにしても、時が経つにつれて気持ちは薄れるし、そもそも、普通の人間は魔女に並ぶ寿命を持たない。そもそも、果たすのが無理な難題を吹っ掛けられているのだ。


「つまり、体の良い断り文句と言うわけですか?」

「一時の気の迷いで人生を捨てさせるわけにも行きませんから」


 魔女と言うのは本来悪魔と契約した者を指す。そのため、例外はあるが大抵の魔女は見目麗しく魅力的だ。それこそ、悪魔を落とせるくらいに。


 イヴは悪魔と契約したわけではないのだが、魔女と呼ばれるだけあって魔女並みに美しく魅力もある。そんなイヴは街におりるたび誰かしらに告白されるので、巧いこと断る言葉を常備していないとやっていられない。


「嘘ではありませんよ」

「それはわかっています」


 魔女は嘘で塗り固められた存在だが、約束は守る。契約で嘘は吐かない。


「僕も魔法使いですから」


 若者は言って、右の小指を掲げる。小指に結ばれた細いえにしは、今なおイヴと若者を繋いでいる。


「ですから、約束を果たして下さい。100年後に」

「100年後?」

「今果たしたら断るでしょうあなたは」


 じとりとした目でイヴの右の小指を見て、若者は言う。


「約束は"結婚する"ではなく"結婚を考える"だし、あなたには"結婚を考えなくてはいけなくなる"かもしれない相手がそんなにいる。あなたは律儀だから、そのあいだは誰とも結婚しないでしょう」

「まあ、そうですね」

「それにあなたは僕を知らない。僕も、伝聞でないあなたのことは知りません。最終的に断るとしても、せめて知ってからにして欲しい。だから」


 若者が、イヴの目を見据えた。


「100年は、新たな縁は結ばないよう、人前には出ないで下さい。買い物も人助けも金儲けも、僕が代わりにやりますから。100年くらいなら、構わないでしょう?」


 イヴは曖昧に笑って、首を傾げる。確かにイヴは、100年後も生きているだろう。人間とは寿命が違う。だが、イヴにだって100年は長い。

 そんなイヴを、若者はじっと見据えていた。


「その、いくつ結んだかわからないくらい結ばれた縁も」


 重ねた時を偲ばせる、暗くよどんだ瞳だった。


「どうせ、100年経ったら誰もいない」


 イヴは笑って、息を吐いた。


 自分の結んだ無責任な約束が、この若者に何百年もの時間を費やさせたのだ。ほかの約束は破棄して自分と結婚しろと、自己愛エゴを押し付けられたわけでもない。ただ、自分との約束を誠実に果たすために、新たな縁は結ぶなと言っているだけ。

 それなら、約束を言い出した責任として、100年程度なら付き合ってやるのが筋だろう。


 若者が言うように、彼はイヴを知らない。100年経たないうちに、きっと彼のなかで造り上げられているであろう初恋の魔女像と、かけ離れたイヴに幻滅して心も離れるだろう。


 そう結論付けて、イヴは頷いた。


「人里に下りず、新たに、わたしとの結婚に関わる約束はしない。期間は100年。それで良いですか?わたしも魔女ですから、魔女同士の付き合いや、取引があります。それまで控えるわけには行きません」


 魔女は契約で嘘を吐かない。だからこそ、魔女は契約を厳密に結ぶ。その契約で、自分が不当な不利益をこうむることがないように。


「ええ。それで構いません。わがままが許されるなら、この家に下宿させて貰えると嬉しいですが。もちろん、そのぶんの対価は言い値で払います。労働でも、お金でも」

「そうですね、部屋は余っていますから、一部屋貸すくらいは良いですよ。使い魔も弟子もいまはいませんし」

「ではそれで」


 頷いた若者が、懐から出した羊皮紙とペンで契約書を書き、イヴに差し出す。契約書に不備がないことを確認し、イヴはサインを書き込んだ。若者のサインは、すでに入れられていた。


 イヴ・ペンドラゴンとウルスラ・メディスの名が並んだ契約書を、若者に返す。


「部屋は、1階の右奥の部屋をどうぞ。鍵はこれです。その鍵で開く部屋は入っても構いませんが、2階から上には行かないように。だいたいは1階で事足りますよ」


 ひょいと鍵を差し出したイヴから鍵を取り、そのまま若者、ウルスラがイヴの手を掴む。


「せっかく持って来たので受け取って下さい」


 言ってウルスラがイヴの右腕に抱えさせたのは、月色の薔薇の花束。


「ああ、ありがとうございます」

「それからこれを」


 ウルスラが契約書を振ると、羊皮紙はふたつの指輪に姿を変える。ウルスラはイヴの左手を取って、薬指に指輪のひとつをはめた。


「契約の証です。壊れたり、魔法の邪魔になったりするものではないので、着けておいて下さい」


 イヴは左手を見下ろし、首を傾げた。


「こんなもの着けなくても、契約を破ったりはしませんが」

「ええ。でしょうね。でも、僕はその方が安心なんです。まだ、人間をやめて日が浅いもので」


 どの口で、と思わなくもなかったが、細身の指輪は弛くもきつくもなく、指の動きを妨げもしない。


「まあ、これくらいなら構いませんが」

「ありがとうございます。では、今日はこれで。戻って荷物をまとめて来ます。明日、また来て住み始めても?」

「大丈夫です」


 来客の予定も、外出の予定もない。


「もうひとつ、良いですか?」

「なんでしょう」


 ちろりと部屋を見渡して、ウルスラは言った。


「僕が入っても良い部屋は、掃除をしても?」

「埃と塵以外を勝手に棄てなければ、お好きにどうぞ」

「ありがとうございます。助かります」


 イヴには問題なく暮らせる散らかり放題の家だが、ウルスラには耐えがたいらしい。これは早々に、自分の方が愛想を尽かされるかもしれないな。そんなことを思いながら、イヴは紅茶を飲み干すウルスラを眺める。


「紅茶、美味しかったです。ごちそうさまでした」

「どういたしまして」

「では、おいとまします。また明日」

「ああ、また明日」


 出て行くウルスラを見送って、また明日なんて挨拶、いつ振りだろうかと考える。


 すぐに、いなくなるかもしれないけれど。


 誰かと共に暮らすのは、少し楽しみだ。

つたないお話をお読み頂きありがとうございます

続きも読んで頂けると嬉しいです

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