第50話「ジト目の先にあるもの」
電車の窓越しに眺める見慣れた街並みが、知っているだけの景色へと変わって行く。
ものの3分で到着した隣駅。1つ先というだけなのに、普段ほとんど利用しないせいか、アウェー感が半端ない。
少し肩をすくめ、辺りを見回しながら改札を抜ける。
「角丸、あまりキョロキョロするな」
「ごめん。バレたか」
「バ、バレバレだ」
そう言って、僕に、ジト目を向けた音谷だったが、その瞳には、いつものような毒っ気はなかった。
「……あれ」
音谷が指差した先には、1軒の小さな喫茶店。
看板には、喫茶アンティークの文字。店自体は今年で創業77年、我らが武蔵野欅高校創立と時を同じくする老舗の喫茶店だった阿藤コーヒー店が、リノベによって生まれ変わった人気のレトロ風喫茶だ。
「いらっしゃいませ。2名様ですね? こちらのお席にどうぞ」
案内されたのは、パーテーションで仕切られたボックス席。ところどころ表皮が剥がれテープで補修された赤いシートに、角がとれた四角い焦茶色のテーブル。店内を照らす暖色のランプが、レトロ感をいっそう色濃く演出している。
「う、薄暗くて、良い感じだな」
「そうだね。でもそれ、褒め言葉になってないかもだぞ?」
「うぇ!? そ、そうなのか?」
「まぁ、僕にしか聞こえてないから大丈夫だけど」
音谷は、ほっと肩を撫で下ろすと、メニューを開き、僕に向けてきた。
「角丸、ど、どれにする?」
「んー、どれにしよう。音谷は?」
「わ、私は、決まってる」
「え? そうなんだ。ってことは、音谷はここに来たことあるんだね」
「ない」
「え? ないのにもう決まってるの? メニューも見てないのに?」
「そ、それは……ネ、ネットで調べた」
「あーなるほど。そういうことか」
音谷のやつが、わざわざ事前にこんなところを調べるなんて珍しいな。いやでも、最近は、美馬さん達に誘われてカフェとか行くようになってたから、音谷も気にするようになったのかもしれないな。
「で、音谷は、何に決めてるの?」
「……ク、クリームソーダと、はちみつバターのパンケーキ」
「おお! どっちも、おすすめのやつだ」
「そ、そうだが……何か問題あるか?」
「ぜんぜん。問題なんてないよ。僕もそれにする」
「お、お前は、こっちに、しろ」
音谷よ。どれにするってお前から聞いておいて、しかも、僕が同じのにするって言ったのに、こっちにしろとか、ちょっと乱暴すぎやしませんか?
僕は、少しむくれたが、音谷が指差すメニューを見て、すぐに怒りが収まった。
ストロベリーとブルーベリーとラズベリー、3種類のベリーをふわふわのパンケーキにのせた、3種のベリーパンケーキ・ホイップクリーム添え、か。
なるほど。これは、たしかに美味しそうだ。
見たところ、ここのパンケーキのラインナップはとても豊富。
しかも、どれもこれも美味しそうなので、メニューを見れば見るほど、迷ってしまう。音谷が、別のものも食べたくなるのもわかる。
美馬さんなら間違いなく、数種類を頼むだろうけど、音谷は、美馬さんのように、たくさん食べられるわけじゃないから、せめて僕とシェアしようと考えたんだな。
それならそうと、はっきり言ってくれた方が良かったんだけど、まぁ、そこは音谷だからな。
「それじゃ、それにするよ」
僕が、そう答えると、音谷は素早く呼び出しボタンを押した。
「お待たせいたしました」
「え、えっと、3種のベリーパンケーキ・ホイップクリーム添えと、はちみつバターのパンケーキ……ク、クリームソーダのダ、ダブル。以上でお願いします」
「メニューを繰り返させて頂きます。3種のベリーパンケーキ・ホイップクリーム添えが1つ。はちみつバターのパンケーキが1つ。クリームソーダダブルサイズが1つですね? ご注文は以上でお間違えないですか?」
「は、はい」
ん? 音谷? 僕の分のクリームソーダは? さては音谷のやつ、緊張してるな。しょうがないな。
「あの、クリーム」
「はい! 間違いないです!」
「かしこまりました」
音谷が、なぜか焦ったような口調で、僕の追加注文を遮った……ように思ったけど、たまたま?
音谷よ。たまたまだったにせよ、さすがにテンパリすぎじゃないか? 店員さん、行っちゃったじゃん。どうすんの? 僕のクリームソーダ。
「音谷、僕のクリームソ」
「だ、大丈夫だ」
「え? 大丈夫って?」
「大丈夫」
「大丈夫? なの?」
「大丈夫」
「……よくわからないけど、わ、わかった」
音谷が、そこまで言うなら大丈夫なんだろうけど……どういうことなんだ? まぁ、もし、僕の分が来なかったとしても、後で頼めばいいか。
「お待たせいたしました。3種のベリーパンケーキ・ホイップクリーム添えと、はちみつバターのパンケーキでございます」
僕たちの目前に並べられたパンケーキは、写真よりもずっと美味しそうで、美馬さんじゃないけど、思わずよだれが溢れてしまった。
うん。これは別々のものを頼んで正解だったね。
「美味しそうだね」
「……うん」
ん? どうした? なんで、そんな浮かない顔してるの? ひょっとして、音谷は、美味しそうって思えなかった? そんなことないよね?
「そ、それじゃ、食べよっか。頂きます」
「……」
「音谷、食べないの?」
「……食べる」
「じゃ、食べよ?」
小さく頷いた音谷だったが、それでも、パンケーキを食べようとしない。
いったいどうしたっていうんだ? とりあえず、僕は食べるよ? いいよね? はい。食べまーす。
「……あ」
「え? な、何?」
「あ!」
「あ?」
ひとりパンケーキを食べ始めようとした僕を、口を開けた音谷が睨む。
え? どういうこと? なんで僕、睨まれてるの?
「お、覚えてないのか?」
「えっと……うん」
僕が、おどおどしながら頷くと、音谷は、それはそれは深いため息をついた。
「角丸あーん争奪戦。お、お前のあーん権を得たのは、誰だ?」
「……あ」
「お、思い出したか?」
角丸あーん争奪戦。そういえば、そんな事あったね。
僕の中で、もうずいぶん昔の出来事になっていたその記憶を辿って行くと、僕のあーん権は、争っていた大鷲さんでも桜花部長でもなく、音谷が手にしていたことを思い出した。
僕が、力強く頭を縦に振ると、音谷の顔にようやく笑顔が戻った。
「あ」
「あ、あーん」
ひと口大に切り分け、ホイップクリームを乗せ、ストロベリーと一緒にフォークに刺したパンケーキを、音谷の口元に運ぶと、パクリ。
音谷は目をつむり、左手を左頬に当て、両方の口角をクイッと上げると、まるで天使かのような笑顔を見せた。
「……おいひぃ」
音谷、お前、やっぱり音谷なんだな……可愛い。
それは、入れ替わっている間も、鏡を見ては何度も思ったことだったけど、元に戻って、ちゃんと音谷が音谷しているところを見ると、その仕草1つ1つが、僕とは違っていて、やっぱり本物の音谷なんだなって思える。
そして、音谷は音谷のときが、1番可愛い。少なくとも僕は、そう思う。
「か、角丸。何ニヤニヤしてる。き、気持ち悪い」
まじで? 僕、そんな顔してた?
音谷に指摘され、慌てて自分の顔を両手で触れてみると、たしかに口元が緩んでいた。
どうやら僕は、知らず知らずのうちにニヤけていたらしい。
恥ずかしくなり、視線をテーブルに落とした次の瞬間、音谷が僕に言う。
「ほら、角丸も、あーん」
僕が、顔を上げると、フォークに刺さったはちみつとバターがたっぷりと染み込んだひと口大のパンケーキが視界に飛び込んで来た。
僕は、突然の出来事に思わずキョトンとしてしまったが、そのあとは流れに身を任せ、音谷の差し出したパンケーキを口の中へ運んだ。
「あ、あーん……お、美味しい!」
「だろ」
僕は、人生初にして、最高のあーんをあげ、そして、もらった気がした。
「お待たせいたしました。クリームソーダダブルサイズでございます。ご注文は以上でお揃いですか?」
「は、はい」
ゴトリと重さを感じさせる音と共に、テーブルの真ん中に置かれた大きなグラスには、シュワシュワと炭酸が弾けるエメラルドグリーンの液体と、真っ赤なシロップ漬けのさくらんぼが2つ入っていた。
その大きさもさることながら、僕が特に気になったのは、そこに刺さるストロー。
グラスは1つなのに、刺さっているストローは2つ。つまり、このクリームソーダは、2人でシェアするカップル仕様なのである。
「あの、音谷。一応確認だけど、これって、2人分、だよね?」
音谷は、両耳を真っ赤に染めながら、コクリと頷いた。
えっと、これは、音谷が個別でクリームソーダを頼まなかったのは、僕と一緒に飲むためだったってことになるよね?
「えっと……一緒に飲む? よね?」
音谷は、うつむいたまま小さく頷くと、ゆっくり顔を上げ、ストローに唇を重ねた。
ゴクリ。
音谷の唇を見て、思わず固唾を飲んでしまった僕は、なんだか急に恥ずかしくなり、目をつむりながらストローをくわえた。
そっと目を開けると、こちらを真っ直ぐに見つめる音谷の瞳が、すぐそばに見える。
高鳴る鼓動。電気ショックのような痺れによく似た感覚が、一気に全身を駆け巡る。
これ、大丈夫なのか? 僕、鼻息荒くなってない?
そんな、僕の心配をよそに、音谷は優しく微笑み、クリームソーダを吸い上げはじめる。
もう、こうなったら、なるようになるしかない。そう覚悟を決めた僕も、クリームソーダを吸い上げる。
お互いのストローが、エメラルドグリーンに色づき、口の中に到達したそれは、シュワシュワっと弾け、甘い香りと味を、口いっぱいに広げた。
「クリームソーダって、こんなに甘かったっけ?」
「わ、私も同じこと、思った。たぶん私たち、これでも少しは、成長してるのかも」
「だね。まだ高校生なのにね。面白い」
「……でも、やっぱり美味しい」
「うん。美味しいね」
僕と音谷は、見つめ合いながら笑うと、ゆっくりストローから顔を離した。
「か、角丸。あーん」
「あーん。音谷も、あーん」
「あーん」
僕と音谷は、お互いの口の中に、さくらんぼを置くと、にっこり微笑んだ。
時は過ぎ、吐く息が白くなってきたクリスマスイブ前日。
あれから入れ替わることなく、友達以上恋人未満な関係を保ったまま、それぞれが、ちゃんと本人として、入れ替わっていた時と変わらない賑やかな日々を送っていた最中、それは、またしても、突然に起こった。
――おはよう。角丸――
――おはよう。音谷――
――また、入れ替わったな――
――だね――
――明日のクラスのクリスマス会、どうする?――
――どうするって、前みたく、うまく乗り切るしかなくない?――
――そうだな。それだけだな。それじゃ、学校で――
――うん。学校で――
教室に入った僕の目に、見慣れた人物が映る。
「おはよう。角丸くん」
「お、おはよう。音谷さん」
僕は、音谷と顔を見合わせ、にやりと笑い音谷の席につくと、先日買ったばかりの新刊『あいつの瞳は、まだあの娘のモノ』を開く。
結局、また入れ替わってしまった。
この先も、音谷ママと音谷パパがそうだったように、入れ替わりは、度々起こるんだと思う。
だけど、最近は、それも悪くないかなって、そう思えるようになってきたし、経験値が増えた分、上手くやっていける気がする。
それに、音谷ママと音谷パパの2人は、結婚までいったわけだし、僕と音谷もいずれは……なんて、まだ付き合ってもないのに、ちょっと、いや、だいぶ考えが飛躍してしまった。
ひとり恥ずかしくなった僕は、妄想を掻き消すように、開いたラノベに視線を落とす。
「音谷、さん。本が、逆さま」
「え!?」
「……お前、どうせまた、変なこと、考えてたんだろ?」
いつの間にか僕の前に立っていた音谷は、そう呟くと、僕にジト目を向けた。
「……そ、そんなことないし」
「ふん。どうだか」
くるりと体をひるがえし、席へと戻って行く音谷。
その後ろ姿が、なぜか嬉しそうに見えたのは、僕の気のせいだろうか。
『次に、その笑顔と瞳を真正面から見つめるのは、私だから!』
ふと、目に飛び込んできたラノベの一文に、自分の気持ちを重ねた僕は、ひとりにやけながら、そっとページをめくった。
ついに、ついに完結いたしました!
最後まで書き続けられたのは、ひとえに、お読み頂き、応援下さった読者の皆様のおかげです!
本当にありがとうございました!
物語はここでひと段落となりましたが、角丸くんと音谷さん、美馬さんに大鷲さんに前島くんに矢神くん、桜花先輩に白馬先輩、渋江先生に宝城先生、他皆々様!登場したみんなの物語は、これからも続いて行くことでしょう。
あたらめまして、ここまでお付き合い頂き、応援下さった皆様に厚く御礼申し上げます!




