第47話「深夜、2人きりの保健室」
理科室を出た僕と音谷。
薄暗い廊下や階段を並んで歩くものの、会話は無し。
保健室まで、それほど距離があるわけじゃないのに、こんなにも遠く感じるのは、僕だけだろうか。
「……着いた、な」
「ああ」
「……入る、か?」
「……ああ」
保健室の前に立った僕たちは、お互いの顔を見ることなく、ぎこちない会話を済ませると、灯りの漏れるドアを開けた。
「いらっしゃーい。角丸くん、音谷さん」
僕たちを満面の笑みで、出迎えくれたのは、保健室の魔女、じゃなかった。保険医の宝城先生だった。
「友梨から話しは聞いてるわ。さぁ、さぁ2人とも、入って、入って」
「お、お邪魔します」
そう言って頭を下げた僕の隣りで、音谷もぺこりと頭を下げた。
「もう自分の部屋だと思って、遠慮なく使ってね。ベッドは2つあるけど……好きに使っていいからね。あ、先生は職員室いくから、ごゆっくりー」
宝城先生は、意味深な笑みを浮かべると、そのまま保健室を出て行ってしまった。
まったく。ここの教員は何を考えてるんだ。いくら僕と音谷だからといっても、仮にも男子と女子だぞ? それを2人きりにさせるなんて……って、僕も何考えてんだ。相手は音谷だぞ? なんなら姿形は僕だし……だし。
「お、おい。一応言ったおくが、へ、変な気、起こすなよ?」
「な、何言ってんだよ。そんな気、起こすわけないだろ?」
「ほ、本当か?」
「本当だよ」
「……そうか」
って、音谷よ。なんでそんな残念そうな顔するの?
まさか、音谷、ちょっと期待して……いやいや、そんなことぜったいあるもんか。
うん。これは、いわゆる深夜テンションだ。
眠かったり、疲れてたりして、ちょっとした事で、大笑いしてしまったり、変なことを考えてしまったりする、あの摩訶不思議なテンションに違いない。
そう、こういう時は……寝る! これに限る!
このなんとも言えない微妙な雰囲気に耐えられなくなった僕は、1人早々にベッドへ潜り込むと言う。
「お、お前、疲れてるんだろ? もう遅いし、寝ろよ。お、おやすみ」
「……おやすみ」
とは言ったものの、ぜんぜん寝付けない。
音谷は、もう寝ただろうか。
ふと、そんな事が頭に浮かび、音谷が横になっているベッドの方に視線を移してみると、閉まりきっていないカーテンの隙間から、音谷の顔が見えた。
電気はつけっぱなしになっているものの、カーテンで遮られたベッド空間は薄暗い。
けれども、音谷の瞳が真っ直ぐ僕をとらえている事は、ハッキリとわかった。
「……なんだ。眠れないのか?」
「そういう音谷こそ、眠れないの?」
「眠いけど、眠れない」
「わかる。僕も同じ」
こういう時って、緊張とかで、交感神経が優位になってるんだっけ? なんか保健体育の授業で習ったような気がするけど、どうだったかな?
「か、角丸。お前に、聞きたいことが、ある」
「ん? 何?」
「お前、大鷲さんのこと、どう思ってる?」
「うぇ!? どど、どうしたの? き、急に!?」
「……」
音谷は、無言のまま僕の目をジッと見つめている。
「か、かわいいと思う」
「かわいい……それだけか?」
「え? それだけって?」
「わかっているクセに。はぐらかすな」
どうしたんだろう。
音谷のやつ、今日は、いつもにも増してグイグイくるな。
「はぐらかすって、何を?」
「本当にわからないのか?」
「うん」
音谷は、小さくため息をつくと言う。
「大鷲さんのこと、好きか?」
「ゔぇ!? ゲホゲホッ!」
唐突すぎる発言に、僕は、驚きのあまり咳き込んでしまった。
「好きか嫌いかって言われれば、もちろん好きだよ」
「……好き、なのか」
「いや、でも音谷、勘違いしないでくれ。僕が今言ってる好きってのは、恋愛感情じゃなくて、友達として、人として好きってこと」
「そ、そうか」
音谷のやつ、今少し笑った気がしたんだけど、気のせい?
それにしても、何でそんなこと聞いて来たんだろう?
「音谷、何でそんなこと聞くの?」
「な、なんでって……それは」
「え? 待って。それって、もしかして」
「いや、だから、それは、その……」
「もし僕が、大鷲さんのこと恋愛対象として見てたとしたら、大鷲さんと付き合えるように上手く事を運んでくれるってこと?」
「なっ!? バカ! そんなことするか!」
音谷は僕に背を向けると、しばらく黙り込んでしまった。
「じゃあ、いったい何なのさ」
再び僕の方に転がり向いた音谷の目から、涙が溢れ落ちた。
「な、泣いてる? どうした? 具合でも悪い?」
「具合なんて悪くない! 泣いてなんかない!」
「いや、泣いてるでしょ。本当、どうした?」
「……大鷲さんが、角丸に色目使うの、見てられなかった」
「そ、それは……」
自分で言うのもなんだけど、大鷲さんが、僕のこと気にしてくれてるわけだから、そういう目で見てくるのは……ねぇ?
でも、そうか。僕自身なら嬉しいことだけど、音谷からすれば、関係ない事だし、面倒だよね。
「わ、私、思ってしまった」
「思うって、何を?」
「お、大鷲さんに、お前を……取られたく、ないって」
「へ?」
それまでいっさい視線を合わせようとせず、溜まった涙を時折りこぼしていた音谷が、涙をぬぐい、グッと唇を噛みしめると、僕を凝視する。
「わ、私! 角丸の事、好きだから! 好きになっちゃったから!」
「……え?」
「大鷲さんに、お前を取られたくないって、思ってしまったこの感情、なんなんだろうって考えた。けど、わからなくて……悩んで……悩んで……そうしたら、あぁ、私、角丸のこと、好きなんだって、そう思った」
へ? 今、何て? 好き? 好きって言ったよね? それって、音谷が僕のこと、好きってことで間違いないよね? 音谷の言葉を何度も何度も頭の中で再生し、自問自答を繰り返す。
そうして導き出した答えは、『音谷は、僕のことが好き』
どう考え直しても、その答えは変わらなかった。
「か、角丸。わ、私のこと、ど、どう思ってる?」
そう言って、ベッドから飛び起きた音谷は、頭のてっぺんから足の先まで全身が小刻みに震えていた。
音谷から、ひしひしと伝わる緊張感で、気気づけば僕も小刻みに震えていた。
僕は、自分が、音谷のことを気にしているという自覚はあった。
でも、それが、どういう感情なのか、自分でもよくわかっていなかった。
けれど、たった今、それは、『気になる』から『好き』に変わった。
音谷の言葉で、僕は、音谷の事が好きなんだと、ハッキリと自覚する事が出来た。
「僕も……僕も、音谷のことが……好き! 好きだ!」
「……」
「え? ちょっと、音谷?」
「……そうか」
音谷は、一瞬、嬉しそうな笑顔を浮かべたかと思うと、体を転がし、反対側を向いてしまった。
「お、おやすみ」
「え? あ、あぁ。お、おやすみ」
きっと、僕の今の顔は、狐につままれたかのような表情をしているに違いない。
とはいえ、僕の胸の内は、実に晴れやかだ。
なにせ、ここ最近ずっとモヤモヤしていた気持ちがスッキリとしたのだから。
さてと、もう夜も更けて来たし、明日は忙しいだろうから、僕も寝よう。
そう思い目をつむった僕は、ある事を思い出してしまった。
それは、明日の欅祭で、音谷と大鷲さんが、文化祭デートをする約束をしていたこと。
なにも今思い出さなくてもよかったのに。
もうこれ、眠れないじゃん!