第44話「入れ替わり現象の真相」
門扉と家のドアにあるオートロックを解除し、玄関を潜り抜け、リビングにいる音谷ママに帰宅の挨拶をする。
そんな音谷としての日常が、わりと自然に送れる様になってきた今日この頃。
いつものように、音谷の部屋へ向かおうとする僕の携帯電話がなった。
――欅祭のことだけど――
見れば、音谷からのRUINだった。
来週から本格的に欅祭の準備が始まるからか、ここ最近、毎日音谷から連絡がくる。
学校でも、休み時間や部活で、話は進めているのだけれど、音谷的には、それでも足りないらしい。
「あ、萌ちゃん。ちょっといい?」
携帯電話の画面を覗き込む僕を、音谷ママが呼び止めた。
「え? なに? ママ」
「今、連絡来たのって、ひょっとして、角丸くん?」
「うぇ!? う、うん。そうだけど」
音谷ママ、相変わらず勘が鋭い。
「やっぱり! 日曜日なんだけど、何か予定ある?」
「日曜日? えっと、日曜日は、角丸くんと欅祭の打ち合わせをする予定だけど」
「そうなんだぁ。場所は決まってる?」
「まだ決めてないけど、近くのカフェかファミレスにするつもり」
「だったらぁ、その打ち合わせ、ここでしない? 角丸くん、お家に呼んじゃいなよー」
え? なんで音谷をここに?
「うぇ!? で、でも」
「なんで? ダメ?」
「ダメ、じゃないと思うけど……角丸くん、緊張しちゃうかもしれないし……」
「そっかぁ。でもさぁ、一応、聞いてみてくれない?」
今日の音谷ママは、珍しくちょっと強引だな。
いつもなら、そっかぁ、残念。くらいですぐに終わるのにな。
「えっと、ママ、なんで角丸くんを家に呼びたいの?」
「んふふ。最近萌ちゃん、学校のお友達増えたみたいじゃない? 特に角丸くんって男の子と仲良さそうだし。ママも、角丸くんとお話、してみたいなぁって。ダメ?」
うぅ……さっきもそうだったけど、そのウルウル瞳をされると、断りづらいんだよな。
「ダメ、じゃないけど……」
「けどー?」
「……わかった。聞いてみる」
「本当? わぁい。楽しみー」
「いや、まだ来ると決まったわけじゃないからね」
「わかってまーす!」
本当にわかっているのやら。
音谷ママは飛び跳ねるような足どりで、キッチンへと向かっていった。
(はぁ、なんか、面倒なことになりそうだな)
そんなことを思いながら、部屋に入ると、さっそく音谷にRUINを送る。
――音谷ママから、日曜日の予定を聞かれて、角丸くんと欅祭の打ち合わせをするって答えたら、家でやればって、話になった――
――え? なんで、そんな話に?――
――なんか、最近、音谷に友達が増えて、特に角丸くんと仲よさそうだから、話してみたいって。どうする?――
――それ、ママのことだから、きっと何か企んでると思う――
――やっぱり――
――だから、行く――
――了解。そう、伝えておくよ――
音谷とのRUINを終えた僕は、再びリビングへと向かった。
「ママ」
「あら、萌ちゃん。どうしたの? お夕食はまだだよ?」
「えっと、角丸くんから返事きた」
「え! 早い! それで? それで?」
「ちょっ! ママ!」
テンションの上がった音谷ママが、手に持っていたレードルを振り回しながら、飛び跳ねたものだから、作りはじめていたコーンスープがそこら中に飛び散ってしまった。
「やだぁ」
慌ててふきんを広げ、コーンスープを拭き取る音谷ママ。
僕もテーブルから、ティッシュを鷲掴みにして取り出すと、飛び散ったスープを拭き取った。
「ごめんねぇ。ありがとう。でも、良かったぁ。角丸くん、遊びに来てくれるのねぇ」
「ママ、角丸くんは、遊びに来るわけじゃないからね。あくまで、欅祭の打ち合わせ、なんだからね」
「わかってまーす」
うふふと微笑む音谷ママ。
これ、絶対そう思ってないよな。
来る日曜日。
来客を告げるインターホンが鳴った。
モニターを見ると、そこには、僕の姿が映っている。
つまりは、音谷が来たってことだ。
「はい。はーい。今開けまーす」
僕が声を発するよりも先に、横から顔を出した音谷ママが返答し、玄関へかけて行った。
「あなたが、角丸くんね?」
「はい。音谷さんと同じクラスで、同じ化学部の角丸碧人と申します」
「あらあら。ご丁寧に。ご挨拶ありがとうございます。私は萌ちゃん、じゃなかった。萌の母の音谷ひかりです! よろしくね。角丸くん」
「はい。よろしくお願いします」
「角丸くん。入って。入って。萌ちゃ、じゃなくて萌も上で待ってるから」
リビングに通された音谷が、僕に小さく右手を振った。
僕も小さく右手を振って、音谷を迎えた。
「お邪魔します」
「角丸くん。萌ちゃ、じゃなかった萌の隣りに座ってくれる?」
「はい」
音谷ママは、笑顔で音谷をソファーへと誘う。
音谷ママが、ああいう顔をする時って、だいたい何か企んでるんだよな。
「角丸くん、紅茶は大丈夫?」
「はい。大丈夫です。紅茶、好きです」
「良かったぁ。ちょっと待っててねぇ」
音谷ママそう言うと、朝から焼いていたクッキーと一緒に、淹れたての紅茶を運んで来た。
「はい。どうぞー。冷めないうちに召し上がれぇ」
「いただきます」
「萌ちゃ、萌も。召し上がれ」
「は、はい。いただきます」
音谷ママは、僕たちが食べ終えるまでの間、一言も発することなく、満面の笑みで僕たちを見つめていた。
「ごちそうさまでした。クッキーも紅茶もとてもおいしかったです」
「うふふ。お口に合ったみたいで、良かったぁ」
「ご、ごちそうさまでした」
「はーい」
「えっと、それじゃ、私たちは欅祭の打ち合わせするから部屋に行くね」
「あ、ちょっと待ってぇ」
それまでニコニコだった音谷ママの表情が、スッと真顔に変わった。
横に座る音谷を、チラ見すると、その表情も固くなっていた。
これは、間違いなく、何かあるな。
「ねぇ、2人って……入れ替わってるわよね?」
「「!?」」
えぇぇぇぇ!? 本当に? 音谷ママ、気づいてたの?
もう、これ、勘が鋭いとか通り越してるよね?
「マ、ママったら、な、何言ってるの? そんな、アニメとかラノベみたいなことあるわけないでしょ?」
「本当に、そうかしら?」
音谷ママは、音谷の姿である僕に視線を合わせると、左の口角をクイッとあげた。
「角丸くん。私はね、これでも萌ちゃ、いえ、萌の母親なのよ? たとえ姿が違っても、間違えることはないわ」
「……えっと、その、いつから?」
「うふふ。旅行から帰ってきたあの日から、もしかして? って思ってたわ」
「は、初めから!? それなのに、今まで黙ってたのは、なぜ? ですか?」
「まぁ、2人とも、とりあえず座って」
にっこり微笑む音谷ママに言われるがまま、僕たちは再びソファに腰を下ろした。
「あの時、もしかしてとは思ったけど、確信は持てなかったの。だから、様子、見させてもらっちゃった。ごめんなさいね」
「い、いえ。僕の方こそ、すみません。隠すつもりは無かったんです……って、この話、もう僕たちが入れ替わってること前提になってません?」
「違うの? 角丸くん、もう私、じゃなくて、僕って言ってる時点で、認めてるわよね?」
「……」
「はぁ。ママは、やっぱりママだったか」
言葉を失った僕に代わって音谷が口を開いた。
「それで、ママは、いつ私たちが入れ替わってるって確信したの?」
「さっきよ」
「さっき? そんな確信に繋がる様なことあったかな?」
「紅茶とクッキー、2人の飲み方と食べ方を見比べてわかったわ」
「えぇ!? あれのどこが?」
うんうん。音谷はえらく驚いているけど、僕はそれ、すごくわかる。だって、音谷の所作は、僕にはそうそう真似できるものじゃないからね。
「うふふ。萌ちゃ、萌は」
「あの、ママ。さっきからずっと気になってたんだけど、無理してちゃん無しにしなくていいよ。いつも通りにして」
「そ、そう? なら、いつも通り萌ちゃんって呼ぶね! はぁ、苦しかったぁ」
音谷ママは、ふはぁーっと深く息を吐き出すと、僕たちと音谷の所作の違いを話し始めた。
「萌ちゃんはね、自分じゃ気がついてないかもしれないけど、わかりやすいクセがあるのよ」
「ク、クセ? どんな?」
「クッキーを食べる時、必ずひと口サイズに割って食べるわ。紅茶を飲む時には、小指が立ってしまう」
「……私、してた?」
音谷は、僕の方に顔を向け、首を傾げた。
んー、どうだったかな?
記憶を辿ってみると……たしかに音谷のやつ、クッキーを割っていた気がする。紅茶を飲む手の小指も……立ってたな。
「うん。音谷さん、してたよ」
「し、してたんだ。私、ぜんぜん、わかってなかった」
「ほらね。角丸くんは、頑張って萌ちゃんみたくしてくれてたけど、2人並んでみると、やっぱり違うなって、ね」
さすがは音谷ママだ。娘の事、よくわかってる。
けど、そもそも、なんで入れ替わりだって思ったんだろう? なんか様子が変だなと思ったとしても、普通は入れ替わりを疑ったりしないよね?
「あの、音谷ママ。ひとつ聞いてもいいですか?」
「なぁに? 角丸くん」
「音谷ママは、なんですぐに入れ替わりを疑ったんですか? 普通、そんな非現実的な事、考えないと思うのですが」
「そうねぇ。普通はそんな事、考えないわよねぇ」
音谷ママは、そう言って、にっこり微笑むと、話しを続ける。
「でもね、そう考えて疑うのには、ちゃんと理由があるのよ」
「理由? それはいったい……」
「それはねぇ、私とパパも、入れ替わった事があるからよ」
「「えっ?」」
僕と音谷は、音谷ママの信じられないカミングアウトに、声を揃えて驚いた。
「私とパパもね、2人と同じくらいの時に、入れ替わったことがあるの。初めは驚いたなぁ」
「ママもパパと!? でも、えっと、今は元に戻ってるってことだよね?」
目を丸くして小刻みに震える音谷。
そりゃそうなるよね。僕もめちゃくちゃ驚いてるもん。
「そうね。今、はね」
「え? それって、もしかして」
「うん。今でもたまに入れ替わるよ。あ、でもね、大人になってからは、学生の頃よりだいぶ少なくなったわ」
ウソだろ。まさか、音谷ママと音谷パパが入れ替わり経験者だったなんて。しかも、それは頻度が下がったとはいえ、今も続いているだなんて。
「あの、ママ?」
「なぁに。萌ちゃん」
「ママとパパは、なんで入れ替わったの? もしかして、アメ?」
「アメ? ううん。違うわ。入れ替わりは突然だったの。パパは、私たちの波長がどうのとか言ってたけど、ママにはよくわからなくて……なんかね、簡単にいうと、そういう体質なんだってぇ」
「た、体質……それじゃ、飴は関係なかったってことか」
「……うう。ノーベル賞が」
(音谷よ。今は気にするとこ、そこじゃないだろう)
「えっと、音谷ママ」
「なぁに? 角丸くん」
「入れ替わりは、いつ戻りましたか?」
「そうねぇ、最初の時は、1ヶ月くらいだったかなぁ」
「何か戻るきっかけとかはありましたか?」
「ううん。特になかったと思う。なんかねぇ、朝起きたら戻ってた」
んー。それなら僕たちも、戻っていてもおかしくないのにな。
「でもねぇ、なんだかんだ高校生の時は、入れ替わったり、戻ったり、しょっ中だったよ。きっと、成長期だったから、いろいろ不安定だったんだと思うな」
「そういうもの、なんですか?」
「うん。そういうものみたい。だからあんまり気にしなくても大丈夫だよ。2人とも」
うん。入れ替わり経験者が言うんだから、きっと僕たちも大丈夫。
そう思った僕が、音谷に視線を向けると、音谷もきっと同じ様に思ったのだろう、僕の目を見つめ、お互いに笑顔で頷き合った。




