第43話「美馬ジックは、イリュージョンです」
雨足は、だいぶ弱くなったものの、雨はまだ降り続いていた。
各々自分の傘をさす中、1人だけ閉じた傘を手に、男子の傘に入り歩く女子がいた。
そう。大鷲さんだ。
彼女は、音谷の傘に入り、楽しそうに、水たまりを避けながら歩いている。
周りからすれば、僕と大鷲さんが、あいあい傘をするカップルに見えなくもない。
一方、音谷はというと、蛇行する大鷲さんに振り回され、右肩が雨で濡れてしまっていた。
しかし、その事に大鷲さんが気がついたのは、カフェについた頃だった。
「ごめん! カッくん! うち、ぜんぜん気づかなくて。今拭くからちょっと待って」
そういうと大鷲さんは、縦長のタオルをカバンから取り出し、音谷の右肩を拭き始めた。
「お、大鷲さん。もう大丈夫」
「ダメだよ。まだ、ぜんぜん乾いてないし。このままだと風邪ひくかもだから、お店の中入ったら、ブレザー脱いで。うち、もう少し拭くから」
「う、うん。ごめん」
「カッくんが、謝ることないよ! うちがいけないんだから」
「2人とも大丈夫? 私のタオルも貸そうか?」
「ほのちゃん、ありがとう。でも大丈夫。うちの結構大きいから」
美馬さんが、音谷と大鷲さんに声をかけ、ハンドタオルを差し出したが、大鷲さんはにっこり微笑み、それをやんわりと断った。
「みんな、ごめんね。待たせちゃって。中、入ろ」
大鷲は、そう言うと、音谷の腕を引き、カフェの中へと入っていった。
2人に続き、僕たちも店内に入り、案内された席に着く。
「わぁ! ねぇ見て見て! また新作出てるよ!」
席に着くなりメニューに釘付けになる美馬さん。
僕は、そんな美馬さんを見て、今日はどんな美馬ジックを見る事ができるだろうかと、ひとり期待に胸を膨らませた。
ふと横を見ると、いつの間にかブレザーを脱がされた音谷が、メニューに視線を落とす姿と、一生懸命に音谷が脱いだブレザーの右肩部分をタオルで拭き取る大鷲さんの姿が目に映った。
「あやちゃん。とりあえず何か頼まない?」
「あ、うん。ごめんね。えっと、そしたら、うちは、この新作のやつにする!」
「マジで! 私も同じ! このダブルモンブランチーズケーキ、凄く気になるよね! みんなは、何にする?」
大鷲さんと美馬さんは新作。前島と矢神は定番のベイクドチーズケーキを選んだ。
「音谷さんは? 決まった?」
「え、えっと……わ、私も新作」
相変わらず優柔不断で、即決出来ないどころか、結局誰かと同じにしてしまう自分が情けない。こういうところ、少しずつ変えていかなくちゃだよな。
「角丸くんは?」
「ジ、ジンジャーチーズケーキ」
「わぁ! 何それ! めっちゃ気になる! 私も次、それにしよ」
音谷、ちゃんと選んで決めてる。やっぱりお前は、凄いな。なんだかんだ自分を持ってるもんな。
そして、美馬さんは、既に2個目のケーキを決めたんだね。それも凄いことだ。
「みんな決まったね。それじゃボタン押すね」
美馬さんは、嬉しそうに、呼び出しベルのボタンを押した。
「ご注文がお決まりですね。どうぞー」
「えっと、ダブルモンブランチーズケーキが3つと……」
注文を終え、それぞれが談話する中、大鷲さんがようやく納得した表情を見せ、音谷のブレザーを自分のイスの背もたれにかけた。
「これでよし! ねぇ、カッくん。寒くない?」
「うん。寒くない」
「なら良かった」
音谷と大鷲さん。なんかさっきから、ちょっといい雰囲気な気がするのは僕だけか?
欅祭デートの約束といい、まるで本当のカップルみたいだ。
「音谷さん。大丈夫?」
「え? な、何が?」
「何がって。音谷さん、さっきから、角丸くんとあやちゃんの方を凄く険しい顔で見てるから」
「うぇ!?」
マジか! 僕、そんなふうな顔であの2人を見てたのか。まったく自覚なかった。
って、そもそも、なんでそんな顔してたんだろう。
まさか………嫉妬? いやいや、そんなことあるわけない。
だって、もしもだよ? このまま2人が本当に付き合う事になったら、入れ替わりが元に戻った後、僕が大鷲さんと付き合えるってことになるわけだから、むしろラッキーなことだし、険しい顔する必要なんてない。
……はずなのに、なんだろう。このモヤモヤした気持ちは。
「音谷さん! 本当に大丈夫? 具合でも悪い?」
うっかり考え込んでしまった僕が我に変えると、目の前には美馬さんの顔があった。
「わっ! だ、大丈夫」
「本当に?」
「本当に、大丈夫」
「なら、いいんだけど。あ! 来た来た!」
最近よく見る猫型配膳ロボットで運ばれて来たケーキを素早くテーブルへ並べていく美馬さん。
なるほど。このスピードが、美馬ジックに活かされているんだな。
「みんな、頼んだケーキ、来てるよね?」
全員が頷くと、それを確認した美馬さんが、手を合わせる。
「それじゃ、あやちゃんと前島くん、矢神くんの部活復帰を祝して、いっただきまーす!」
「「「「いただきます!」」」」
美馬さんに続き、ほぼ同時に声を重ねた僕たちは、それぞれ注文したケーキを食べ始めた。
と、その数秒後、ピンポンと呼び出し音が鳴り、僕たちのテーブルの前に店員さんがやって来た。
「ご注文ですね。どうぞー」
へ? 注文? いやいや、僕たち、まだ食べ始めたばかりだよ? 隣りのテーブルと間違えてない?
そんな風に考えていた矢先、目の前に座る美馬さんが、ジンジャーチーズケーキを注文した。
「うぇ!?」
「ん? どうしたの? 音谷さん。やっぱり具合悪い?」
「う、ううん。大丈夫。えっと、美馬さん、2個目?」
「うん! 2個目。角丸くんが頼んだジンジャーチーズケーキが気になっちゃってさ。えへへ」
う、嘘だろ。美馬さん、いつケーキ食べてた?
ついさっきまで皿の上に乗っていたはずのダブルモンブランチーズケーキの姿が、今はどこにも見当たらない。
お皿の上に無いってことは……食べたってことなんだよね?
目の前に座っているにも関わらず、まったくわからなかった。
あまりにも信じがたい光景に、僕の思考回路はショート寸前。
しかし、1度目を閉じ、深呼吸をし、再び目を開けた僕の心は晴れ晴れとしていた。
うん。これはもう、あれこれ考えるだけ無駄なこと。
そう、これは、美馬ジック。そういうものなんだ。
僕は、自分にそう言い聞かせ、単純に、美馬ジックという世界屈指のイリュージョンを楽しむことにした。
それから、僕がカウントしたかぎり、美馬さんは計7個のケーキをたいらげた。うち、3個は、ちょっと目を離した隙になくなっていたり、いつ間にか次のケーキを食べ始めていたりしたから、どうやって食べ終えたのか、わからなかった。
でも、それがイリュージョン! 美馬ジック!
時は1時間ほど前に戻る。
僕たちは、ケーキを口にしながら、欅祭の話題で盛り上がっていた。
「欅祭まで、後少しだね。来週からもう準備だもんね」
「だねー。今回、うちらのクラスはメイドカフェでしょ? 男子もメイドの格好するの、もう学校中のみんなが知ってるから、既に話題になってるみたいだよ」
「マジかぁ。あれ、恥ずかしいんだよな」
「それ、ウソだよね? あんた、この間の採寸の時、めっちゃノリノリだったじゃん」
「あれ? バレてた」
「バレバレだよ。あとそれ、可愛くないから」
てへっとワザとらしく舌を出した前島に、大鷲さんが突っ込みを入れた。
たしかに、前島がいくらイケメンだとはいえ、今のは、ちょっとキモかったな。
「化学部の方は、えっと、サ、サ」
「サイエンススーツ」
「そう! さすがカッくん! えっと、カッくんと音谷さんは、部活の方優先なんだよね?」
「うん。音谷さんは副部長だから絶対。僕も化学部の方を手伝わないと」
「わかった。うちらも、クラスの方落ち着いたら、化学部の方行くね」
音谷は、爽やかなウインクを決めた大鷲さんを見て、こくりと頷いた。
「あ、もうこんな時間。外も暗くなっちゃたし、今日は、この辺で解散にしよっか」
美馬さんに言われ、見上げた店内のデジタル時計は、19時30分を表示していた。
楽しい時間というものはあっという間に過ぎるとは、本当のことだったんだなとあらためて実感する。
今までゲームとか、アニメとか、ラノベとか、自分の好きな事に没頭して時間を忘れる事はあったけど、こうして友達と過ごす時間で、時間を忘れるほど楽しかったという記憶は無い。だって、そもそも、そういう友達がいなかったからね。
カフェを出て、何気ない話でケラケラと笑い合い歩く帰り道。
家に帰って来た後も、その光景を思い出すとついニヤニヤしてしまう。
そして、今晩も音谷からRUINが届く。
――おやすみ。また明日――
――おやすみ。また明日――




