第41話「名犬美馬!」
曇広がる薄暗い放課後の教室。
音谷の席に、僕と美馬さんが集合していた。
前島も、来たがっていたけれど、あいにく部活の練習と重なり断念。
「今朝方、矢神くんの下駄箱にダミーと罠を仕掛けてきた。まずは、それを確認しに行こう」
下駄箱に向かう途中、僕はある事が気になり、音谷に質問を投げかけた。
「角丸くん。矢神くんが犯人じゃないなら、彼の下駄箱に仕掛けたダミーと罠、犯人じゃなくて、矢神くんが持って行ってしまうんじゃない? 大丈夫?」
「それは、大丈夫。矢神くんは、ここ数日欠席しているらしいから」
「え? 欠席? それって……」
「うん。たぶん、矢神くんは、犯人に拘束されてると思う」
「まじで⁈ もうそれ、誘拐事件じゃん! もうさ、警察に頼んだ方がよくない?」
「それが、本当なら、ね」
「え? どういうこと?」
音谷の意外な返答に、僕は、首を傾げた。
「矢神くんは、とりあえず無事」
「へ? 無事? なんでわかるの?」
「昨日の夜、ダメ元で矢神くんにRUINしてみたら、普通に連絡取れた」
「マジで!?」
「マジで。ほら」
音谷は、携帯電話の画面を、僕に向けてきた。
――矢神くん、大丈夫?――
――わわわ! 音谷さんからRUIN頂けるなんて、嬉しすぎます! はい。僕は、大丈夫です――
本当だ。
矢神から普通に返信が来ている。
って、そうか。音谷の携帯電話から送ってるから、矢神のやつ、僕からじゃなくて、音谷からRUINが来たと思ってるんだな。
――今、どこにいるの?――
――それは、お答えできません。けれども、本当に、僕は、大丈夫です。ここから出られないこと以外、何も不自由はありませんので――
――出られないって、それ、普通に考えて、やばい状況でしょ?――
――まわりからしたら、そう思われるかもしれませんが、本当に大丈夫なので。それに、これは、僕の凡ミスから発生したものです。皆様にご迷惑をおかけするわけにはいきません。僕自身でなんとかします――
――先輩が戻ってきそうなので、失礼します――
矢神とのRUINは、ここで終わっていた。
「ここから推測するに、矢神くんは、おそらく、犯人の家にいる。先輩と書いてあることからすると、犯人は……」
「写真部の先輩?」
「可能性としては、それが1番高いと思う」
「それなら、写真部に直接行って、確認すればよくない?」
「よくない。確証がないのに行っても、無駄足になるだけ。だから、その確証を得るために、罠を仕掛けた」
「なるほど。たしかに」
登下校口についた僕たちは、矢神の下駄箱の前で足を止めた。
「ここに、1番上だけ本物の1万円札で、残りはダミーの札束をお菓子の空袋に入れて、仕掛けた」
「え? でも、それじゃ本物だけ持って行かれて、ダミーと空袋は捨てられちゃうんじゃない?」
「ふふふ。それが狙い」
「狙い? どういうこと?」
音谷は、ニヤリと笑い、話を続ける。
「ダミーの札束を、お菓子の空袋に入れたのは、そのお菓子の匂いを、本物の1万円札に染み込ませるため。そして、1枚だけ本物にした理由は、その1枚に意識を集中させ、犯人にそれを、確実に持って帰らせるため。だから、それさえ持ち帰えってもらえれば、たとえ、ダミーと空袋が捨てられても構わない」
「なるほど! つまりは、その1万円札に染み込ませた匂いを追うってことだね! ……でも、どうやって? 犬を連れてくるとか?」
音谷が、ゆっくりと首を横に振る。
「え? 犬じゃないなら……どうやって?」
音谷は、再びニヤリと笑い、美馬さんを指差す。
「え? わ、私?」
突然のことに、美馬さんがキョトンとする。
音谷は、そんな美馬さんに構う事なく、矢神の下駄箱を開けた。
「よし。犯人は、ちゃんと全部持って行ったみたいだ」
音谷は、下駄箱を覗き込み、何も残っていない事を確かめると、下駄箱の中の匂いを軽く嗅ぐ仕草を見せた。
「うん。まだちゃんとする。美馬さん、この匂い、わかる?」
「え? 矢神の下駄箱の匂い? 嗅ぐの? 私が? 角丸くん、それ、本気で言ってる?」
音谷は、満面の笑みで、深く頷いた。
「うぅ……わ、わかった。嗅いでみるよ」
美馬さんは、腕を組み、しばらく考えた後、両方の手のひらをグッと握り、そう答えた。
「んー、どれどれ。うん。これは、コンビニ限定の10倍濃い味コンソメチップスの匂いに、間違いないね」
「正解!」
おお! さすが美馬さん! 普段からお菓子を食べまくっているだけあるね! ……って、これは、ひょっとして。
「角丸くん、まさかとは思うけど、美馬さんに、この匂いを追ってもらうのとかいうわけじゃないよね?」
「音谷さん、そのまさか、だよ」
おいおい。それはさすがに無理があるんじゃないか?
いくら、美馬さんが、お菓子好きだからって、犬のようにはいかないだろ?
「美馬さん。お願いできる?」
「もちろん!」
快諾!? ウソでしょ? 美馬さん、本当にそんなこと出来るの?
半信半疑の僕とは反対に、美馬さんは、自信たっぷりの顔で、くんくんと鼻を動かしはじめた。
「こっちだよ!」
まじで⁉︎ 本当に?
未だ信じきれていないが、ひとまず、ここは、美馬さんに委ねるしかない。
校内のあちこちを、嗅いでまわる美馬さん。
しばらく校内を歩きまわった後、体育館裏にある倉庫の前で、その足を止めた。
「これ!」
「うん。間違いない」
美馬さんが、拾ったそれは、音谷が仕掛けたポテチの空袋だった。
「美馬さん、すごい! 本当に探し当てるだなんて!」
「えへへ」
嬉しそうに照れ笑いする美馬さんに、音谷が言う。
「美馬さん。ここからが本番だけど、いける?」
「もちろん! こっちだワン!」
美馬さんは、少々興奮した様子で、鼻息を漏らすと、再び鼻をくんくんと動かし、誘導をはじめた。
「うーん。空袋に比べると、やっぱり、匂いが薄いワン」
慎重に匂いを嗅いで行く美馬さん。
本当、すごいな。僕には、まったくわからないっていうのに。
そして、今更だけど、ワンって……美馬さん、それでいいの?
「ここ……だと思うワン」
「……やはり、ここか」
美馬さんの案内のもと、たどり着いた先は、予想通り写真部の部室だった。
コン、コン。
部室のドアをノックすると、中から、男の声が聞こえてきた。
「どうぞ。開いてますよ」
「失礼します」
先陣を切ったのは、音谷だった。
「これは、これは。化学部の皆さん。お揃いで何の用でしょうか?」
僕たちを出迎えたのは、写真部部長、3年生の岡楯先輩だった。
「とぼけないで下さい」
「とぼける? 何のことやら?」
「まだ、そうやってしらを切りますか? 先輩は、わかっているはずです。僕たちがここへ来た目的が。今すぐ矢神くんを、解放して下さい」
「矢神? 解放? おっしゃってる意味がわかりませんね」
堂々巡りな返答に、音谷の眉間にシワがよる。
すると、美馬さんが、本棚を指差した。
「あそこから、匂いがするワン!」
音谷は、美馬さんの発言に、何か確証を得た様子で、ニヤリと左の口角をあげた。
「ちょっと、確かめさせて頂きたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「……ええ。どうぞ、お好きなように」
音谷は、本棚の前でしゃがむと、床を睨みつけた。
「……やっぱり。動かした跡がある」
音谷は、本棚に手をかけると、横に引く。
すると、本棚がゆっくりと横にスライドし、その後ろに、ドアが現れた。
「おや? なぜ、こんなところにドアがあるのでしょう?」
「なぜでしょう。こんなところにドアがあったなんて、私も初めて知りましたよ」
「ふん。しらばっくれても無駄ですよ、先輩。もうすぐあなたの悪事が、暴かれます。美馬さん、匂いはここからで、間違いない?」
「うん。この先から、匂う」
音谷が、ドアを開けると、様々な機材が並ぶ薄暗い部屋に置かれたテーブルの上に、1枚のお札が乗っているのが見えた。
「角丸くん、あれ!」
「うん。確かめてみよう」
音谷に続き、僕と美馬さんも、その部屋に入った。
音谷は、テーブルのお札を手にすると、ポケットから、小さなメモを取り出し、お札の横に並べてかざした。
「うん。間違いなく、この1万円札は、僕が仕掛けたものだ」
どうやら、音谷は、仕掛けた1万円札の番号を控えていたようで、その番号が照合の結果、一致したらしい。
「岡楯先輩! あなたの負けです! これが、動かぬ証拠!」
バタンという、音とともに、僕たちから、いっさいの視界が奪われた。
「な、なにも見えない」
「真っ暗なんですけど!」
僕と美馬さんが、そう言うと、音谷が冷静な声で言う。
「ここは、暗室だったんだね。ちょっと待ってて」
うわっ! 眩しい。
真っ暗な部屋に、突然、煌々とした灯りが浮かんだ。
「すごいね。これだけ真っ暗だと、携帯電話の灯りだけでも、こんなに明るいだなんて」
「ちょ、ちょっと、角丸くん。怖いよ」
美馬さんが怖がるの、わかる気がする。
だって、その携帯電話の灯りに照らし出された顔、本人である僕でさえ、怖って、思うもん。
「アハハハ。こうも簡単に引っかかってくれるとは思わなかったよ」
ドアの先から、岡楯先輩の高笑いが聞こえた。
「岡楯先輩。気づいていたんですか?」
「当たり前じゃないか。下駄箱を開けるなり、すごい匂いが立ちこめた。そして、札束が菓子の空袋に入っていた。明らかに不自然だよね。だからすぐ、わかったよ。おおかた犬でも連れてきて、匂いを追わせるだろうと。だから、私もこうして罠をはった。結果、君たちをそこへ閉じ込めることに成功したわけさ。ただ、未だに、犬無しで、どうやってここまで辿りつけたかは、謎なんだけどね。さてと、ここからは、交渉といこう」
岡楯先輩は、案の定、この部屋から出してほしければ、残りの9万円を用意するように言ってきた。
「それは、出来ません!」
「そうですか。それは、残念ですね。では、私の要求がのめるまで、そこにいてもらいましょうか」
「ちょ、ちょっと、角丸くん。それじゃ、ここから一生出してもらえないんじゃない? そうなったら、私たち全員、ミイラになっちゃうかもよ?」
「美馬さん。大丈夫。もうすでに、手はうってあるから」
「へ? そうなの?」
「うん」
音谷がそう言ってるなら、大丈夫なのだろう。
「それで、どんな手をうったの?」
「RUINで、桜花部長を呼んだ」
なるほど。桜花部長に助けを求めたのか。
たしかに、それなら安心だ。なにせ、会長モードの先輩は、とにかく頼りになるからだ。
そんなことを思い浮かべているうちに、ドアの先から、聞き覚えのある声がした。
「そのようなやり方では、観客の心は掴めないよ。岡楯くん」
うん。この声は間違いない。桜花部長だ。
「桜花生徒会長⁈ な、なぜ、生徒会長が?」
「フッ。私は、生徒会長であり、化学部の部長でもあるのでな」
「な、なに!?」
「我部員がずいぶんと世話になったようだね」
「クッ」
「君のしている事は、校則違反どころでは済まされないのではないか? このままでは……」
桜花部長の含みのある言葉に、岡楯先輩の顔が青ざめる。
「は、廃部」
「場合によっては、そう成りかねない」
「ま、待ってください! ぼ、僕は、部長として、この写真部が、存続していけるようにしたかっただけで」
「だから、手段は選ばなかった、と?」
「そ、それは……」
「今すぐにでも、職員会議の議題として、持ち込んでもいいのだが?」
「そ、それだけは! お願いです。待って下さい!」
岡楯先輩が、床に両膝をつき、頭の上で手のひらを擦り合わせる。
「仕方がない。君が、悔い改めるというのであれば、チャンスを与えてやれなくもないが……どうする?」
「はい! 改めます!」
「では、まずは、我部員と矢神くんを解放してくれるかな?」
「はい! よろこんで!」
「それで、僕は、何をしたら?」
「そうだな。欅祭で、学校公認のカメラマンをしてもらう、というのは、どうかな?」
「え? い、いいんですか?」
「ああ。これまでのような、盗撮まがいな写真や映像を撮るのではなく、ちゃんと欅祭での、生徒たちの活動を記録してくれれば、それを写真部の正式な活動と認めよう。どうだね? やってもらえるかな?」
「はい! よろこんで!」
ほどなくして、僕たちは、桜花部長のおかげで、暗室から解放され、矢神も無事自宅に帰ることが出来たという。




