第38話「いきなりの告白」
放課後の理科室。
今日は、いつものような甘い香りは漂っていない。それどころか、物音ひとつなく静まりかえっている。
それもそのはず、そもそも、この教室には、誰もいないからだ。
「さぁ、まずは、発声練習からだよ。僕に続いて、お腹の底から、声を出して! せーの! あー!」
「「「「あー」」」」
「もっと!」
「「「「あー!」」」」
「声が小さい! もっと! もっと!」
「「「「あ――!!」」」」
僕と音谷に、美馬さん。それと矢神。
僕たち4人の前には、白馬先輩が、立っている。
そう、僕たちは、演劇部の部室に来ているのだ。
それは、15分前の事。
帰りのホームルームが終わり、大鷲さんと、前島が、早々に教室を出て行った後、続けて、僕と、音谷と、美馬さんが、理科室へ向かうため、教室を出た時だった。
「やぁ、角丸くん。音谷くん。美馬くん。待っていたよ」
廊下に出た瞬間、聞き覚えのある声がした。
視線の先に立つ、綺麗な女生徒……いや、男子生徒。
美しい巻き髪を、くるくると指に絡める仕草は、間違いなく白馬先輩だ。
ん? その後にも、誰かいるぞ?
「み、皆さん。こんにちは」
矢神だ。あいつも、白馬先輩に連れてこられたのか。
「あの。白馬先輩。今日は、どのようなご用件で?」
「ん? 角丸くん。覚えていないのかい?」
相変わらず、白馬先輩に塩対応な音谷。
にもかかわらず、白馬先輩は、何も気にしていない様子。
「ひょっとして、演技の件、ですか?」
「ちゃんと、覚えてくれているじゃないか。練習は、僕たちの部室で行う。ついて来てくれたまえ」
「そんな、いきなり」
「いきなり? 角丸くん。事は一刻を争うのではないかな? 放っておく時間が長ければ長いほど、解決が困難になる、と僕は、思うのだが……君たちは、どう思う?」
「はい。対応は、早いにこしたことないと、私は、思います」
「うむ。音谷くんは、僕と同じ意見のようだね。3人はどうだい?」
「私も、早い方がいいと思います!」
「ぼ、ぼくも。そう思います」
「そ、それは、そうだと、思います」
美馬さんに続き、矢神が賛同し、最後に、音谷も小さく手をあげ、賛同した。
「だとすれば、すぐにでも練習を始めよう。さぁ、着いて来たまえ」
というわけで、急ではあるが、演劇部の部室での、白馬先輩による演技指導が始まったのである。
発声練習開始から1時間。
白馬先輩が、手を叩き、練習が中断する。
「うん。声は出てきたようだね。一旦休憩にしよう。それにしても、4人とも、なかなか筋が良い。どうだい? このまま、演劇部に入らないか?」
「い、いえ。それは、やめておきます」
「ハハ。冗談さ。音谷くんは、素直で実に可愛い。では、今から10分後に、練習を再開するとしよう。それまでは自由に過ごしてくれたまえ」
白馬先輩は、そう言うと、部室から出て行った。
「グハァ、疲れたぁ」
ぐったりと床に座り込んだ美馬さんが、ため息をつくように言った。
「白馬先輩の練習、想像以上に厳しいね。練習が始まるまでは、姫に見えてたけど、今は、悪役令嬢に見える」
「「「わかる!」」」
僕の言葉に、音谷、美馬さん、矢神、3人の声が重なる。
みんなも、やはり同じ思いだったか。
「練習、あと、どれくらい続くのかな?」
「どれくらいだろう。このあと、何をするか、わからないから、想像がつかない」
「だよね」
美馬さんと、僕の会話を側で聞いた音谷と矢神も、肩を落とし、ため息をついた。
「さぁ、練習を再開するとしよう」
部室に戻ってきた白馬先輩が手を叩く。
もう、10分経ったのか。
「ここからが、本番だ。大鷲くんと、前島くん。2人にアタックするシーンを想定した演技練習を行う。まずは、男女のペアを作ってくれ」
「え? えっと、それじゃ、私は……角丸くんと、組もっかな?」
「うぇ!?」
音谷と矢神の顔を、交互に見た美馬さんが、誰よりも先に、そう口にすると、音谷が、青ざめた表情を浮かべた。
本来なら、僕と音谷がペアを組むのが、お互い1番気を遣わなくて済む。
だけど、美馬さんが、僕を選ぶ理由もわかる。
それは、僕がいいというわけではなく、あくまで消去法にすぎない。
だって、美馬さん、矢神とは、ほとんど面識がないからね。
僕が、美馬さんだったとしても、間違いなく同じ選択をする。
そして、音谷が、顔を青ざめている理由も何となくわかる。
矢神に関しては、この間の欅祭関連のやり取りにしても、ここへ転部してきたことにしても、腹の底で何を考えているのか、何を企んでいるのか、まったくわからない。
美馬さんよりは、面識があると言ったって、たかが数日の話であって、僕たちだって無いに等しい。
そんな、素性のわからない、怪しげな相手とペアを組むのは、誰だって気が乗らないのは、当たり前の話だ。
僕の体は、美馬さんが、ペアの相手になるだけだから、特に問題ないが、音谷の体は、そんな矢神と組まされるのだから、気が気ではないだろう。
「ふむ。では、女子は大鷲くん役に、男子は前島くん役になり、それぞれのパートに分かれ、彼らを化学部に呼び戻すシーンを想定した演技練習をはじめてくれたまえ」
「白馬先輩。そうは言われましても。僕は、そういった経験がまったくありませんので、何をしたら良いのか、想像できないのですが。そのあたり、もっと詳しく、ご教授いただけないでしょうか?」
真っ先に手をあげ、白馬先輩に食らいついたのは、意外にも矢神だった。
正直、お前だけじゃなく、僕たち全員が同じことを思っていただけに、それを代弁してくれたことは、すごくありがたかった。
「おっと。これはすまなかった。つい4人が、もう、うちの部員かのように思ってしまっていたよ。一度、僕のところへ集まってくれたまえ」
僕たちが、集合すると、白馬先輩が説明を始める。
今回、男女のペアを作ったのは、先ほど、白馬先輩がチラッと言ったように、女子が大鷲さん役を、男子が前島役を務め、それぞれの呼び戻しシーンを想定した実践形式での演技を練習する。
例えば、今回のペアだと、僕が、大鷲さん役の場合、実際の場面を想定すると、矢神が大鷲さんを説得するシーンを考えることになる。
白馬先輩いわく、各々の個性を活かしたシーンを想定し、セリフを決め、演技に当たってほしいといい、その演技をより迫真あるものにするため、白馬先輩が、力を貸してくれるのだと言った。
「と、いうわけだ。各ペアごとに、シーンを考え、練習を開始してくれたまえ。僕は、それを見て回り、都度アドバイスさせてもらうからね」
僕たちは、それぞれ、相手のペアから離れると、部室の端で練習をはじめた。
「じぁさ、角丸くん。私が、あやちゃんの真似するから、化学部に戻ってくるように、言ってみて?」
「う、うん」
さっそく、音谷美馬ペアの声が聞こえてくる。
お、さすがは、美馬さんだ。大鷲さんとは親友だもんな。その真似も、お手のものというわけか。
「それじゃ、矢神くん。私たちも、はじめようか?」
「……」
「ん? どうしたの?」
「……」
「もしかして、具合、悪い?」
「……い、いえ」
矢神、どうした? 具合が悪いわけでもないなら、いったいなんだっていうんだ?
「……お、音谷さん。べ、別の場所で……例えば、屋上とかで、練習、できませんか?」
「は? ここじゃダメなの?」
「いえ、そういうわけでは、ないのですが……」
ちょ、ちょっと待ってくれ。さすがに怖くなってきたんだけど。矢神、お前、何なん?
「べ、別に、変な事をしようとか、そういうことを考えているわけでは、決してありません。少しだけ、僕が、化学部に転部したわけとか、練習の前に、お話できたらと、思いまして」
「……それ、今じゃなきゃ、ダメなのかな?」
「えっと、その、音谷さんと、2人きりになれることは、そうそう無いと、思いまして」
まぁ、たしかに、普段なら、お前が、僕と2人きりになるなんて、音谷のやつが許さないだろうから、矢神にとっては、千載一遇のチャンスなんだろうな。
「わかった。けど、角丸くんや美馬さん、白馬先輩にも聞いてみるよ?」
「……はい」
僕は、矢神をその場に残し、音谷と、美馬さんの元へ駆け寄った。
「ごめん。角丸くん。美馬さん」
「ど、どうした?」
「どうしたの? 音谷さん」
「あの、矢神くんが、ここだと、どうしても緊張しちゃうみたいだから、私たち、少しだけ屋上で、練習して来てもいいかな?」
「うぇ!? そ、それはさすがに」
「そうだよ。音谷さん。彼、どんな人か、よくわからないのに、2人きりは、ちょっと危ないよ」
「大丈夫。矢神くん、別に変なこと考えてるわけじゃないって言ってくれてたし、もし何かあったら、大声で叫ぶから」
「……わ、わかった」
「もし、音谷さんの声が聞こえたら、私、猛ダッシュで助けに行くからね!」
僕は、そばで様子を伺っていた白馬先輩にも声をかけ、その了承を得た。
まだ、知り合って間もないから、仕方がないことなんだけど、あんな反応を返されたら、僕なら正直へこむだろうな。
あらためて思うが、信用って、大事だな。
しみじみとそんな事を思いながら、僕は、矢神のところへ戻った。
「お待たせ。それじゃ、行こうか」
「だ、大丈夫だったんですか?」
「うん」
「音谷さん。ありがとうございます」
僕と矢神は、校舎の屋上に出ると、フェンス近くのベンチに座った。
「それで、練習前に、話したい事って、何?」
「……はい。僕が、転部した理由、なのですが……」
「うん」
「……」
矢神は、よほど言いづらいのか、しばらく小刻みに震えながら、何度も深呼吸をしている。
これは、矢神が落ち着くまで待つしかないな。
矢神が黙り込んでから、10分は経っただろうか。
「あ、あの……」
ようやく、矢神が、その口を開いた。
「僕が、写真部を辞めて、化学部へ転部して来た理由ですが……ぼ、僕は……その……お、音谷さんの、ことが……」
え? この流れって、まさか……うそだろ? いいか矢神、わかってるよな? 早まるなよ?
「……す、好きなんです!」
あー。言っちゃったよ。
マジで? 何で? いつから?
「好きって、え? 矢神くん?」
「すみません。突然、こんなこと言ってしまって。でも、それが、僕が、化学部に転部して来た理由なんです! 僕は、音谷さんの事が好きになってしまった。もちろん、はじめは、写真部を立て直すためだったんです。あの時、ウワサになっていた、あなたと角丸さんのスクープを撮って、それをネタに欅祭のコンテストに出てもらおうと」
「うん。それは、知ってる。私たちが、もし、コンテストに出たら、その写真を撮りまくって、売りさばくつもりだったんだよね?」
「……はい。でも、現像した写真に写るあなたを見る度に、フェンダー越しに見る度に、音谷さんって、すごく可愛い人なんだって、僕は、いつの間にか、あなたに心惹かれるようになっていたのです。そうしたら、僕がカメラをあなたに向ける理由が、もはや、写真部を立て直すというところに無いことを自覚してしまったんです。僕は、純粋に、1人のカメラマンとして、あなたという1人の女性を、被写体を、美しく撮りたいと、そう思ったんです。ですが、それを強く思えば思うほど、あなたにレンズを向けられなくなってしまいました」
「え? どうして?」
「何故だかは、正直、僕にもわかりません。けれども、僕の中にある、あなたが好きだという感情が、あなたに、レンズを向ける事を拒んでいるのです。罪悪感を覚えるのです。だから、僕は、写真を取ることができないならば、せめて心のシャッターを切ろうと、あなたを、そばで見ていることのできる化学部への転部を決意したのです!」
「……そ、そうなんだ」
んんー。それは、それで、その理由を音谷が知ったら、たぶん、キモッてバッサリ切られると思うな。
「ま、まぁ、心のシャッター切るくらいは、問題ない、かな? でも、あんまりジロジロ見たりは、しないでね?」
「もちろんです! えっと、その、一応告白もしましたし、よかったら、お返事聞かせてもらえませんか?」
「は? 返事?」
「はい」
矢神、お前。空気というものを読めないのか?
この状況で、それ、聞くか? 普通。
答えは、No! に決まってるだろ。こんなん絶対音谷に言えないよ。
「ごめんなさい。矢神くんとは、お付き合いできません」
「それは、やはり、角丸さん、ですか?」
なんで、そうなるんだよ。
こいつ、こんなんじゃ、一生彼女できないぞ。
まぁ、僕も人のこと、強く言えた義理じゃないけど。
「……ご想像にお任せします」
「……そうですか。わかりました。僕も男です! 音谷さん!」
「はい?」
「僕の好きになった女性に、好きな人がいるならば、僕は、キッパリあなたから身を引きます! そして、陰ながらその恋、応援させて頂きます!」
あら、急に男らしい。
ま、でも、本人が、そうしてくれるって言うなら、それが1番だよ。
一時は、どうなるかと思ったけど、なんだかんだ自己解決してくれて、良かった。
とはいえ、音谷との仲を変に応援するのは、やめてもらいたいが。
「では、音谷さん。演劇部の部室に戻りましょう! 練習! 練習!」
「え? あ、うん」
矢神のやつ。言いたいこと言い終えたら、めちゃくちゃ元気になったな。
「ただいま」
「お、おかえり。大丈夫だったか?」
「うん。この通り。ほら、矢神くんも見て。元気になったでしょ?」
「ほ、本当だ」
「屋上で、練習したらさ、緊張解けたみたい」
「そ、そうか。良かった」
「それじゃ、私たちもあっちで、練習、続けるね」
「うん」
それから、1時間弱。僕たちは、白馬先輩のアドバイスをもらいながら、各々想定したシーンの演技練習を続けた。
「うん。そろそろいいだろう。本当に君たちは、飲み込みが早い。お世辞抜きに、演劇部に入ってもらいたいよ」
「それは、勘弁してください。白馬先輩」
「音谷くんは、1番才能があると思うのだが……残念だ。さて、これで、僕が教えられる事は、ほぼ教え込んだのだが、実際には、誰が誰に声をかける予定なのかな?」
「あ、それは……」
言われてみれば、それ、決めてなかったな。
僕と音谷、それと矢神が首を傾げていると、美馬さんが、スッと手をあげた。
「あやちゃんはさ、角丸くんが適任だよね」
「うぇ!? ぼ、僕?」
「うん。だってさ、あやちゃん、角丸くんのこと、気にしてるでしょ? だから、角丸くんが、その白馬先輩お墨付きの演技で誘えば、あやちゃん、絶対戻ってくるよ」
たしかに、大鷲さんは、音谷が攻略するのが、1番だろう。となると、前島は……僕、だよな?
「となると、前島くんは、私、だよね?」
「そだね。音谷さんにお願いするのが、1番だね。前島くん、音谷さんのこと、ね?」
僕たちの会話を静かに聞いていた白馬先輩は、何やら楽しそうに小さな笑みを浮かべると、決定だなと呟き、両手をパンッと合わせた。
「幸運を、祈っているよ」
「「「「はい!」」」」
白馬先輩の言葉に、返事を重ねた僕たちは、演劇部の教室を出ると、学校を後にした。
すっかり、日の暮れた空には、星が瞬き、全員の頬を撫でる少し冷たい風が、移りゆく季節を感じさせる。
「ねぇ、私、思ったんだけどさ、私と矢神くんは、練習する必要なかったよね?」
「あ、それ、僕も、思いました」
「でも、まぁ、大変だったけど、楽しかったからいっか」
「ですね。僕もそう、思います」
僕たちは、顔を見合わせ、ゲラゲラと笑いながら、街灯の灯りに照らされた道をゆっくりと歩き、それぞれの帰路に着いた。




