第36話「美(び)ケメン」
いつの間にか止んでいた雨。
切れた雲間からは、天使の梯子が、かかっていた。
普段なら、見て見て! あれ、凄くない? とはしゃぐ美馬さんと大鷲さんに、どこどこ? なんて、前島が話に混じり、僕と音谷も呼ばれ、みんなで景色を眺めるところだが、今の僕たちに、その美しい景色を楽しむ余裕はなかった。
なにせ、誰だかわからない生徒が、いきなり入ってきたかと思えば、音谷を名指ししてきたのだから。
「え? え? ウソ! 姫様⁈」
「あわわわ。ほ、ほんとだ。姫だ!」
美馬さんと大鷲さんが、興奮した様子で抱き合い、わなわなと震えている。
「お、俺、姫様をこんな間近で見るの初めてだ。やっぱ、すげー綺麗な人だな」
「カ、カメラ、カメラ」
前島もぽぇーっとした顔で、こちらに向かってゆっくりと歩いてくるその人に見惚れている。
矢神は、慌ててカメラを探しているようだけど、手が震えて上手く見つけられないようだ。
4人が、それぞれ尋常じゃない反応をみせる中、ポカンと口を開けている部員が2人。
そう、僕と音谷だ。
「だ、誰?」
「誰って。まさか、音谷さん……姫様を知らないなんて言わないよね?」
首を横に振る僕に、美馬さんは、目を丸くして驚いているようだけど、僕としては、いつどこから出したのかわからない、その右手に持ったチョコバーの方が、よっぽど驚いてるけどね。
「これは、失礼。僕は、演劇部の部長で、3年の白馬純。以後、お見知りおきを」
「美人の僕っ娘」
思わず、そう呟いた僕に、美馬さんが、グッと顔を寄せてくる。
「でしょ! 凄く綺麗でしょ! でもね、先輩。男子なんだよ」
「うぇ!? だ、男子!?」
どこから、どう見ても、どこぞの令嬢のようにしか見えない美人のこの人が、男子⁈ 声だって、めっちゃ女子だったよ?
聞けば、白馬先輩は、姫の愛称で呼ばれ、学校中の女子だけでなく、男子からも絶大な人気を誇る人なのだという。
今思えば、そんな話、どこかで聞いたような気もする。
けど、白馬先輩みたいな人は、僕のようなモブ陰キャとは、住む世界が違うから、そういう話を耳にしても、気にしたことがなかったんだよな。
「さてと、君は美馬さんだね。お隣は大鷲さん。だとすると、君が音谷さんだね?」
名前を呼ばれた美馬さんと大鷲さんが、きゃーっと黄色い声をあげ飛び跳ねる。
白馬先輩は、背中まで伸びた美しい巻き髪を、クルクルっと左手の人差し指で巻き上げると、僕に視線を合わせた。
その仕草は、美しいという言葉がぴたりとはまる。
彼女、ではなく彼は、イケメンを通り越して、もはや美ケメンと言っても過言ではないだろう。
「それで、そんな姫様が、うちの音谷さんに何の用ですか?」
こんな美ケメンを前にして、なぜか不機嫌そうな顔をしている音谷。前島とはタイプが違うから、好みではないということなのかな?
「突然押しかけてしまい申し訳ない。君は……?」
「僕は、角丸碧人といいます。音谷さんとはクラスも部活も一緒です」
「碧人くんか。いい名前だ」
「あっ……」
スッと音谷の顎に右手を添え、軽く押し上げながら瞳を覗き込む白馬先輩。
その妖艶さ半端ない目力に押された音谷が、頬を赤らめる。
「ところで、碧人くん。君は、音谷くんとは、どういう関係なのかな? 友達? もしくは……彼氏、なのかな?」
「い、いえ。彼氏、というわけでは……ない、です」
なんだ。なんだ。そのぎこちない返しは。いつものお前なら、違うって、即否定するくせに。白馬先輩の雰囲気に呑まれすぎだろ。
「ふむ。その様子からすると、まだ、というところかな?」
「え? そうなの? 角丸くん、音谷さんのこと」
「ち、違うから!」
口元に手を当て、目を見開く美馬さんに、すかさず返す音谷。
そう、それだよ。それでこそ、いつもの音谷だ。
「音谷さんは、どうなの? 角丸くんのこと」
「音ちゃん、そうなの? カッくんのこと、やっぱり」
そう言って、僕に顔を近づける美馬さんと大鷲さん。
おっと、僕にもキラーパスが回ってきたぞ。
「そ、そんなんじゃないよ。そんなんじゃ……」
なんでだろう。キッパリ否定してやるつもりだったのに、出来なかった。
なんか、よくわからないけど、言い切ったらいけない気がして、口篭ってしまった。
「角丸、そうなのか?」
「いや、だから、違うって」
元に戻った音谷が、前島の言葉をバッサリと切った。
「そういう君は、どうなのかな?」
「え? 俺ですか? 俺は……正直、音谷さんのこと、気になってます」
「え? マジで? それマジだったの? 前島、あんた、ほのちゃんはどうなったのよ?」
「あーもう。大鷲、お前は、いつもいつも。あーそうだよ。俺は、美馬さんのこと気にしてるよ。それは、今でも変わらない。けど、音谷さんのことも、同じくらい気になっちまったんだから、しょーがねぇだろ?」
「ついに、白状した!」
「そういうお前も、角丸のこと、好きなんだろ?」
前島の言葉で、全員が黙り込んだ。
その沈黙を破ったのは、もちろん大鷲さんだ。
「そうだよ。うちは、カッくんのこと、好きだよ! でもね、こんな形で知られたくなかった! ……ごめん。うち、先帰るわ」
そう言い放つと、大鷲さんは、足早に理科室を出て行ってしまった。
「あ、ちょっと、あやちゃん! 前島くん、さすがに、これはないよ。私も行くね。あやちゃん!」
美馬さんは、前島に向かって指を差し、少し怒り気味に言うと、大鷲さんを追いかけ、理科室を後にした。
「……ごめん。俺のせいで、なんか空気悪くしちまった。俺も、帰るわ」
前島は、僕たちに向かって、カクッと頭を下げ、一瞬苦笑いを浮かべた後、理科室を出て行った。
「えっと、僕も帰りますね」
あ、そういえばいたね、矢神。
化学部での部活動初日がこれとは、不運だったな。
気をつけて帰れよ。
「すまない。何やら、僕がやらかしてしまったようだ」
「そうですね」
音谷! 僕もそう思うけど、どストレートすぎるだろ!
「角丸くん! 白馬先輩だって、悪気があったわけじゃ」
「わかってる。けど、悪気がなければ、許されるってわけじゃない」
「でも!」
「2人とも、喧嘩はやめてくれたまえ。君たちが争う理由はない。角丸くんの言う通り、僕が元凶だ。本当にすまなかった。3人にも、後でちゃんと謝罪するつもりだ。音谷くん、君には、日を改めてまた会いに来たいと思う。今日のところは、僕も失礼するよ」
白馬先輩が出て行った後も、なんとも言えない気まずい雰囲気が漂い続ける理科室。
僕と音谷も、その雰囲気に包まれ、しばらくの間、何もしゃべることが出来なかった。
「あのさ、音谷。1つ、変なこと聞いてもいい?」
僕は、この雰囲気を変えるべく、思い切って音谷に話しかけてみた。
「な、なに?」
「さっき、大鷲さんが、僕のこと好きって言っただろ? あれ、どう思った?」
「……正直、どう受け止めていいか分からなかった。だって、この体はお前だろ? でも中身は私。私から言わせれば他人事だけど、今はそうじゃない気もしてる。自分で何を言ってるのか、よくわからないけど、そういうことなんだ」
「うん。わからないけど、わかる気がする」
「角丸は、どうなんだ?」
「どうって?」
「前島くんに、その……気になってるって言われたこと」
「あー、あれね。僕は、正直、ちょっと嫌だったかな」
「い、嫌だった⁈ な、なんで?」
「んー、なんとなく? さっき音谷が言ってたのと同じような感じかな」
「……そ、そうか」
音谷には、そうはぐらかしてしまったけど、本当は、体が音谷だとはいえ、僕が前島とラブラブしてる場面を想像したくなかったっていうね。
あとは、よくわからないけど、音谷が、前島と付き合うのが、なんとなく嫌だって思ってしまったのも、理由の1つかな。
「えっと、音谷的には、もし、前島が、このまま告ってきたら、どうする?」
「こここ、告白される? 私が? 前島くんに⁈」
「落ち着けって。さっきの話からすれば、なくもない話だろ?」
僕の言葉で、顔を赤らめながら、両手の人差し指をクイクイと合わせ、下を向いていた音谷が、スッと顔を上げる。
「わ、私的に言えば、もし前島くんが、告白してくれたなら、それに答えたいとは思う。ずっと気にしてきた人だから。だけど、今のままで告白されても、断ると思う。この体と心が、ちゃんと元に戻ってからがいいから」
「だよね。僕もそう思うんだ。仮に大鷲さんが、本当に、面と向かって好きって言ってくれたとしても、このままじゃ僕も、彼女の気持ちに答えることができない」
って、待て待て。僕たちなんて話してんだ? お互いに、告白されたらどうするだの、今だったら断るだの。自惚にも程があるだろ。
「……えっと、音谷。この話は、ここらへんでやめようか」
「……そ、そうだな。けど、1つ確認しておきたい。もし、大鷲さんが、こ、告白して来たら、私は、どう答えたらいい?」
「えぇ!? えっと、それは……」
「お前のことだ。さっきは、断ると言ってたが、本音は、キープしたいだろ? なにせ、相手は大鷲さんだものな」
それはそうだよ。
これまで、ずっとモブな陰キャで、彼女はおろか、女子の友達すらいなくて、まともに異性と会話したことのなかった僕に、美馬さんとクラスを2分するほどの美少女である大鷲さんが、彼女になってくれるのだとしたら、僕たちが元に戻るまでの間、音谷にキープしていてもらいたいと思って当然だ。
だけど、なんだろう。さっきもそうだったけど、そうしちゃいけない気が、僕の中で、ずっとしてるんだよね。
「もし、もしもだよ。そうなったとしたら、こ、断」
「断ればいいのか?」
「断るんじゃなくて! その、キープとは違うというか、返事を先延ばしにしてほしいというか……」
音谷が、ジト目を向ける。
わかる。わかるけど、その目は、やめて。
「ずるい男だな。お前は」
はい。ずるい男です。
でも、それは、音谷も同じなんじゃないのか?
「そ、そういうお前は、どうなんだ? 前島が告って来たら? 僕は、どうしたらいい?」
「ま、万が一にもそうなったら、断ってくれていい。わ、私は、いつになるかわからないけど、元に戻れた時、まだ彼のこと、気にしてたら、自分から告白するから」
音谷――! お前、やっぱり、僕なんかよりずっと、男前だよ!
そう、心の内で叫んだ僕は、どこか安堵した。
「……わかった。そうする」




