第34話「頭脳戦の報酬」
辺りが、薄っすらと暗くなり、道ゆく人の姿もまばらになってきた駅前へ続く大通り。
道の端で、僕と音谷の帰路を塞いだまま、1歩も譲る気の無い矢神が、さらに迫る。
「さあ、さあ。どうします?」
ぐぬぬ。もうこれ以上は……コンテストに出るしかないんじゃないか?
半ば諦めかけていた僕の肩に、音谷が手を乗せ言う。
「僕たちは、コンテストには出ない」
マジで? 断って大丈夫なの? この状況で?
「そうですか。しかし、これも想定済み」
なんだと⁈ 矢神のやつ、音谷が断ってくることを予測していただと⁉︎ もう、僕には、この2人の頭脳戦にはついていけない。
「フフフ。これなら、どうです?」
矢神は、再びリュックサックに手を突っ込むと、何か本のようなものを取り出し、僕たちの前にかざした。
「な!? そ、それは! まさか、朝わたの新刊⁈」
「その通り。これは、朝起きたら、私が2人になってたんですけど? 通称、朝わたの新刊です」
「待って、角丸くん。朝わたの新刊は、来週発売のはず」
「ということは、よく出来ているようだが、それも写真と同じで、偽物というわけだな」
「ククク。浅い」
矢神は、不適な笑みを浮かべながら、ラノベをめくり、僕たちに中身を見せてきた。
「ち、ちゃんと書いてある! 扉絵も挿絵もある! か、仮に、それが本物だとして、どうやって?」
音谷が、驚くのも当然だ。
あれを偽物と呼ぶには、あまりにも精巧な作りをしている。
「フフフ。場所は言えませんが、少々遠出となりましたから、苦労しましたよ。この辺りの書店では、皆無でしたからね」
「ま、まさか! フラゲ⁈」
僕が、思わず声をあげると、矢神がドヤ顔で、フッと鼻息を飛ばした。
「ふ、ふらげ?」
ん? 音谷のやつ、フラゲを知らないのか?
「フラゲというのは、フライングゲットの略で、発売日よりも前に、手に入れることを言うんだよ。書店の中には、発売日前に、店頭へ並べるところがあるからね」
「ほほぉ。知らなかった」
僕が小学生だった頃は、商店街にあった小さな本屋が、週刊マンガを、よく発売日前に並べてたな。
ショッピングモールが出来て、店が潰れちゃってからは、そういったフラゲできるところが、この辺りには無くなってしまったけど、やってるところは、まだあるんだな。
でも、近場には、本当にないから、矢神のやつ、相当頑張ったんだろうな。
「フラゲしたということは、それは……」
「音谷さん、あなたの察しの通り。間違いなく本物ですよ。ここで、コンテストへの参加を即決して頂ければ、これは、あなた方に差し上げます。無論、50冊のラノベもお約束いたします。いかがです?」
なんてこった。矢神のやつ、まさか、こんな強カードを用意しているとは!
音谷、どうする? これは、さすがに屈するレベルじゃないか?
なにせ、朝わたは、アニメが始まった影響で、急激に注目されて、原作の文庫本が、ネットでも書店でも、在庫切れが相次いでる状態だからな。その最新刊ともなれば、売り切れ必至。当日に買える保証はない。
「さっきも言った通り。僕たちは、コンテストには出ないよ」
「な、なんだと!? こ、これでも断るとは……信じられない」
音谷の言葉に、よろめくように後退する矢神。
「角丸さん! なぜです? なぜ、あなたは、これを断れるんですか? どう考えても、今の状況は、あなた方にとって不利なはず。そして、僕の提案は、ラノベ好きなあなた方には、申し分ないはずだというのに」
「たしかに今の状況なら、僕たちの方が不利だし、君の提案は、喉から手が出るほどだ。けどね、矢神くん。それは、今、の状況ならって話だよ?」
音谷の言葉に、矢神が顔をしかめる。
「角丸さん。それは、どういう意味ですか?」
「言葉の通りだよ。状況が変われば、形勢は逆転する」
「と、言うと?」
「……ふぅ。出来れば、この手は、使いたくなかったんだけどな」
音谷は、そう呟くと、上着のポケットから携帯電話を取り出し、開いた画面を矢神に向けた。
「ん? なんですか? ……イッ⁈ そ、それは」
音谷の、携帯電話の画面を見た矢神の顔が青ざめる。
矢神、めっちゃ震えてるじゃん。音谷のやつ、いったい何を見せたんだろう?
「ねぇ、何を見せたの?」
「ああ、これ」
「うぇ⁈」
携帯電話の画面には、僕が制服からジャージに着替える姿と、着替えている僕にカメラを向ける矢神の姿が映っていた。
「盗撮じゃん。矢神くん、これは、さすがにマズイんじゃないかな?」
「音谷さん! ま、待って下さいよ。僕、こんな写真撮った覚えないです!」
「でも、現場、しっかり抑えられてるよね?」
「たしかに、これは僕ですけど、こんなことは、本当にしていません!」
んー。本当にやってないかは、わからないけど、今の矢神は、何となく嘘を言っているようには見えないんだよな。
「角丸くん。これ、いつ撮ったの?」
「撮ってない」
「へ?」
音谷よ。撮ってないって、どういうこと?
「これは、合成写真」
「えぇ!? 偽物なの? これが?」
目を凝らしてみても、僕にはこの画像が、合成であるようには見えなかった。それくらい自然な仕上がりになっているからだ。
音谷のやつ、とんでもないスキルを持ってるな。
「ほらね。だから言ったじゃないですか。僕は、撮ってないって。まさか、角丸さん。これが、今の状況を変える、あなたの秘策だなんて、言わないですよね?」
「いや、これが僕の切り札だよ」
「ハハハ。笑わせないで下さい。角丸さん、あなた自ら白状した偽物ですよ? それのどこが、切り札になると言うのですか?」
音谷がニヤリと笑う。
「矢神くん。この画像が、本物か偽物かなんて、関係のないことだよ? それは、君が1番よくわかってるんじゃないかな?」
「え? 角丸くん、どういうこと?」
「音谷さん、すぐにわかるから黙って聞いてて」
音谷の言う通り、みるみるうちに、矢神の表情が険しくなっていく。
「そういうことでしたか。手法は違えど、僕と角丸さんがやろうとしていることは、同じ」
音谷と矢神が同じことをしようとしてる? って、どういうこと? 2人は既にわかってるみたいだけど、僕は、まだわからないから、もう少し様子をみよう。
「つまりは……印象操作、ですね?」
「正解。今回、もし、僕の画像と矢神くんの写真が、他人の目に触れた場合、どちらが、インパクトが大きいか、もう、わかるよね?」
矢神は、悔しそうに下唇を噛んだ。
「もちろん、角丸さん。あなたの画像の方が、僕の写真の何倍も、いや何百倍も効果があるでしょう。それに、僕はこの写真を大鷲さんに渡すだけですが、あなたは、SNSに拡散するつもりだった、違いますか?」
「その通りだよ。矢神くん。君は頭の回転が速い人だ」
「それは、角丸さんもですよ。あなたは、本当に怖い人だ。今回は、完敗です。角丸さんと音谷さんの、コンテストへの参加は諦めます」
音谷。お前、凄いな。
僕と音谷は、互いの右手を差し出し、グータッチをすると、足止めをやめた矢神の横を通りすぎた。
「角丸さん! 音谷さん!」
矢神が、僕たちを呼び止める。
なに? まだ、何かあるの?
僕と、音谷が同時に振り返ると、そこへ矢神が駆け寄る。
「これ、差し上げます」
そう言って、矢神は、僕たちの前に、朝わたの新刊を差し出した。
「え? いや、だってこれは、交渉が成立した時の報酬でしょ? 今回は、受け取るわけにはいかないよ」
「角丸さん、いいんです。これは、僕の用意したゲームに勝った景品だと思って受け取って下さい。それに、僕が持っていても仕方のないものですから。あ、でも、ラノベ50冊は勘弁して下さいよ?」
「ハハ。それはもちろん」
「では、受け取ってもらえますね?」
「ありがたく頂戴するよ」
矢神から、朝わたの新刊を受け取った音谷は、矢神と固い握手を交わした。
「角丸さん、音谷さん。今回は、僕の負けでしたが、僕は、今後も、あなた方のスクープを狙ってますからね。それだけは忘れずに。では、さようなら」
まったく。結局懲りてないんだから、食えないやつだな。
「音谷、今回は、ありがとう……ってお前、よだれ。ほら、これで拭けって」
「お、おう」
既に朝わたの新刊に夢中で、ハンカチを渡した僕に目もくれない音谷。
おーい、無視かーい。
人がせっかく感謝の気持ちを伝えようとしてるってのに、お前ときたら。それじゃ、どこぞの部長さんと同じだぞ?
まぁ、でも、僕も人のこと言えないだろうな。
なにせ、楽しみにしてた新刊だ。
読み始めたら、きっと、僕も、お前みたいに没頭するだろうな。
それ、読み終わったら、回してくれよな。待ってるから。




