第29話「美馬ジックと新入部員」
「はい。おーちゃん」
「萌さま。ありがとッス!」
「はい。大鷲さん」
「音ちゃん。ありがと」
「はい。美馬さん」
「音谷さん。ありがとう」
「はい。角丸くん」
「……あ、ありがとう」
5段重ねになったホットケーキを、1枚ずつ小皿に移し替え、それぞれの前に並べていく僕。
ホットケーキの目前にいる音谷ではなく、テーブルを挟んだ先にいる僕が、なぜ、ホットケーキを取り分けてまわっているのかというと、音谷が、桜花部長と大鷲さんに、ピッタリ挟まれ、身動きが取れなくなっているからだ。
「あ、あの。部長、大鷲さん……」
「なんスか? 角丸くん」
「なーに? カッくん?」
「……近すぎ」
2人は、恥ずかしがる……わけもなく、ひとまず、互いに音谷から数センチ離れ、座り直した。
「ん? どうかしましたか? 部長」
部長は、どうやらテーブルで隠れて見えない手を使って、音谷を指で突き、自分の方へ振り向かせたようだ。
部長は、素早くフォークで、ホットケーキをひと口大に切り分けると、音谷の口元に運んだ。
「角丸くん、あーん」
「あーんじゃない! 部長さん! 抜け駆けはダメ!」
音谷の口元まで来たホットケーキが宙を舞う。
大鷲さんが、部長の腕を掴んだ拍子に、ホットケーキが、フォークから離れてしまったのだ。
もったいないと思った次の瞬間、ホットケーキは、テーブルにも床にも落ちる事なく、気づけば、美馬さんのフォークに刺さっていた。
出た! 美馬マジック!
僕は、思わず小さく拍手をしてしまった。
それと、ぜんぜん関係ないけど、美馬マジックって、なんか言いにくいな。今度から、ちょっと略して、美馬ジックって呼ぼうかな。
「抜け駆けなんかじゃないッスよ? 角丸くんに、味見してもらおうかなって思っただけッス」
「それも、抜け駆けのひとつです! あーんって言ってたし」
部長は、大鷲さんから目をそらすと、チッと舌打ちをした。
「あーんは、するのも、されるのも、決着が着くまで、禁止!」
「桜花部長も、あやちゃんも! そんなことより、食べ物を粗末にしちゃダメだよ! 罰として、2人のホットケーキは、私が半分ずつ食べます!」
美馬さんは、そう言うと、受け止めた部長のホットケーキを、パクリと口に頬張り、フォークを高々と掲げた。
「美馬さん。食べ物を粗末にしちゃいけないってのはわかるッス。でも、そのあとの話は、おかしいッスよ!」
「そうだよ。ほのちゃん。それとこれとは、話が違うじゃん」
「えへ。バレたか。いっただきまーす!」
美馬さんは、舌をちょこんと出し、おどけてみせると、自分のホットケーキをおとなしく食べ始めた。
あれ? ホットケーキって、たしか5枚あったよね?
みんなに1枚ずつ取り分けて、最後の1枚が残ってたはずなのに、どこいった?
ひとりひとりの顔を順に見ていくと、1人だけ、不自然に目をそらした人物がいた。
疑いたくはないが、ほぼほぼ、あの人の仕業に間違いないだろう。
だって、食べ始めたばかりだっていうのに、もう既に、口の周りが、ホットケーキのカスまみれになってるし。
美馬ジック。恐るべし。
とはいえ、結局、最後の1枚のホットケーキを食べた犯人は、分からずじまい。まぁ、そもそも僕以外、そんな犯人探しなんて、してないんだけどね。
「ねぇ、音谷さん。なんか、ドアの方から視線みたいなの、感じない?」
え? ちょっと、美馬さん。怖いこと言わないでよ。
恐る恐るドアの方を見ると、閉まっていたはずのドアが5センチほど開いていた。
そして、そのドアの隙間からは、たしかに視線らしきものを感じる。
「私、見てくる」
「え? 大丈夫なの? 音谷さん」
「分からないけど、確かめないと」
そう言うと僕は、視線を感じる方からなるべく姿が見えない様、身を隠しながらドアに近づいた。
心配そうにこちらを見る美馬さんと、アイコンタクトを交わし頷いた僕は、一気にドアを開けた。
「あ!」
「……あ」
開けたドアの先には、身を屈めた前島の姿があった。
「前島くん? 何してるの?」
「あ、いや。べ、別にやましいことは何もしてないよ?」
僕がジト目を向けると、前島がさらにテンパる。
「い、いや、えっと、ほら! なんか、廊下に出たら、すげー良い匂いがしててさ。その匂いに誘われるがままに歩いてたら、ここにたどり着いたってわけ。だから、何もやましいことはないだろ?」
「でも、覗いてたよね?」
「そ、それは……えっと」
早くも、言い訳のネタが思い浮かばなくなった前島が黙り込む。
「あ! 前島くんじゃん」
僕の後ろから、ひょこっと顔を出した美馬さんが、前島を見つけるなり、声をかけた。
美馬さん、いつの間に僕の背後に? チーズケーキやホットケーキの時もそうだったけど、いっさい気配ってものを感じないんだよな。
もしかして、美馬さんって、忍者だったりして!
僕が、そんな妄想に浸っているうちに、美馬さんと前島の会話が始まっていた。
「今さ、部活でホットケーキ作ってたんだよ」
「だから、この匂いがしてたのか……」
美馬さんの後ろ、理科室のイスに座る面々が視界に入った前島が固まる。
「……ここに、音谷さんに美馬さんがいて、むこうには大鷲と……生徒会長⁈ なに、このメンツ」
まぁ、驚くよね。ちなみに、僕の名前、上がってこなかったけど、ちゃんと見えてる? 部長と大鷲さんの間にいるよ?
「音谷さん、何で生徒会長がいるの?」
この説明、あと何回するんだろう?
さすがにちょっと、面倒くさくなってきたぞ。
「桜花生徒会長は」
「化学部の部長さんでもあるんだよ!」
僕の説明に被せるように、美馬さんが言った。
それも、ものすごいドヤ顔で。
「えぇ!? 生徒会長って、化学部の部長もやってたんだ。知らなかった」
「驚いたでしょ? 私も、ついこの間知ったんだけどね!」
美馬さん、僕からすれば、それ、五十歩百歩だよ? なのに、よくそんな誇らしげな顔できるね。ある意味凄いよ。
「うわ! 角丸!?」
え? 今気づいたの? ウソだろ? 前島。お前、本当に僕の存在に気付いてなかった?
……なんか、入れ替わっても、僕の存在感って、変わらないんだな。これも、ある意味凄いね。
「失礼します! お初にお目にかかります! 2年3組、バスケ部所属、前島司と申します!」
「ほぉ。なかなかに、礼儀をわきまえているじゃないか。少年」
「ありがとうございます!」
「だが、しかし! ここは神聖なる化学部の部室。部外者が、土足で勝手に入って来て良い場所ではない!」
「申し訳ございません!」
前島は、深々と頭を下げると、すぐに上履きを脱いだ。
いや、前島。そういう事じゃないと思うぞ。
「うむ。それでよし」
えぇ⁈ 部長、本当に言葉の意味そのものだったんですか?
「などと、言うはずがないだろ! 即刻立ち去れ!」
ですよね。良かった。生徒会長モードの部長は、やっぱり、生徒会長だった。
「生徒会長、1つお願いがあります」
「お願いだと? 言ってみたまえ」
「角丸、いや、角丸くんと、少しだけ、話をさせて下さい」
「いいだろう。だが、手短にな。話を終えたら、すぐにここを出たまえ」
「はい。角丸くん、ちょっといいかな?」
前島のやつ、音谷を、部屋の角に連れてったけど、何するつもりだろう?
「おい、角丸。このハーレム状態は、何なんだよ?」
「言われてみれば、たしかにハーレム状態だな」
「え? お前、この期に及んで、気付いてなかったなんて言わせないぞ?」
「いや。気付いてなかった。わけでもないな」
「だろ? 頼む! 俺にも、角丸流のそのモテ方、教えてくれ!」
なんか、前島のやつ、音谷にぺこぺこ頭下げてるけど、どうしたんだ? 何かやらかしたのか?
「うぇ⁈ 角丸流のモテ方? そ、そんなのないし、そもそも、モテようなんて、思ったことない」
「モテようと思ったことないだと!? なんてこった。こ、これが本当の、モテるってやつか……」
前島のやつ、今度は、目を丸くして、ガクガク震えてるけど、大丈夫か?
「俺、お前のこと、誤解してたよ」
「誤解?」
「ああ。俺、お前のこと、クラスの中でも、特に目立たない陰キャだと思ってたけど、本当は、違ったんだなって」
「え? 違くない。前島くんの言う通り、僕は、モブ中のモブ陰キャだよ」
「謙遜するなって。音谷さんや美馬さん、大鷲に生徒会長。こんな美女たちに囲まれておいて、モブ中のモブ陰キャだなんて言えるわけないだろ。実はお前、ほっといてもモテちゃうから、わざと陰キャを演じてたんだろ?」
「陰キャを演じる? ないない。僕は、本当にモブ中のモブ陰キャだよ」
音谷の発言に、前島の顔が曇る。
「角丸。それ以上言ったら嫌味になるぞ?」
「……」
「話は、終わったかね?」
「あ、生徒会長。長くなってしまい、申し訳ございません」
「うむ。終わったなら、今すぐ出て行きたまえ」
「はい。でもその前に。最後に1つ、生徒会長にお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何だ? 言ってみたまえ」
腕を組み、体を少し斜めに傾けた部長の顔は、少し不機嫌そうだった。
「生徒会長と大鷲は、角丸くんを挟んで、何をしていたんですか?」
「ん? 見ていたのか。あれはだな。大鷲くんと私で、角丸くんのあーんをかけた、バスケットボールのフリースロー対決をしようという話をしていたんだ」
「角丸くんのあーんをかけた、フリースロー対決⁉︎ ちょっとすみません……おい、角丸。どういうことだよ?」
「話の流れで、そうなった」
「……対決はいいんだ。問題は、そこじゃない。問題は、どっちが勝っても、お前があーんできることにある! そんなの、そんなのって……羨ましすぎるだろ! 俺もやりたい! なぁ、化学部ってさ、兼部できたりしない?」
何を言ってるのか、ところどころ不鮮明ではあるが、やっと聞こえてきたぞ。
そうか。前島のやつも、あーんやりたいのか。とはいえ、兼部はさすがに無理なんじゃないか? もし、仮に入れたとしても、あーんが確実に出来るとは限らないし。
「兼部なら、認めるが?」
「え? いいんですか?」
え? 部長? 兼部って、ありなんですか?
「現に私は、生徒会と兼部している」
たしかに!
「それじゃ、俺も化学部に入れて下さい!」
「いいだろう。入部を認める。ここに、名前を書きたまえ」
「よっしゃー!」
前島は、右手を天井に向かって勢いよく突き出すと、ノリノリで、入部届に名前を書いた。




