第27話「桜花部長は、僕のことが気になるご様子」
化学部の部活動と称したお菓子作りが、今日も通常通り行われている放課後の理科室。
電気コンロの上に置かれた1つのフライパンを覗き込む、僕と音谷。
しかし、今日は、そこにもう1人、女子生徒の姿があった。
そう、新部員の美馬穂乃果さんだ。何とも信じ難い光景だが、事実なのである。
「ねぇ、ねぇ。今日は、何作るの?」
「ふふふ。美馬さん、いい質問だね。今日は、化学部らしく、粉と水を用いた膨張実験を行う!」
おっと、このセリフの言い回し、どこかで……うん。思い出した。音谷パパだ。さすがは親子。そっくりだ。
「え? 角丸くん。それじゃ、今日は、お菓子作らないの?」
ちょっと、残念そうな顔で首を傾げる美馬さん。
僕は、そんな美馬さんの左腕を、右手の人差し指で軽く突く。
「美馬さん、角丸くんの持ってるもの、見て」
「持ってるもの? ……あ、あれは!」
音谷が、手に持つビニールの小袋を見た美馬さんの目が輝く。
「海永のホットケーキミックス! ってことは、今日は、ホットケーキを作るんだね!」
「結論からすると、美馬さんの言う通り、ホットケーキが完成する予定だ。けど、これは、あくまで実験! 決して単なるお菓子作りではないのだよ! 明智くん!」
「明智くん? 誰それ。私は、美馬だけど?」
「あ、うん。そう、だね」
え? 音谷、何それ? 勢いで言ったんだろうけど、まさかそれ、明智小五郎のことじゃないよね? 前に読んだ怪人二十面相で、似たような言い回しがあった気がするけど……使い方、間違ってないか?
なんとも、いたたまれない状況に、なぜだか、僕の心まで痛む気がする。
ガラガラガラ。
そんな、微妙な空気を一変するかのようにドアが開くと、聞き覚えのある声とともに、見覚えのある生徒が入って来た。
「萌さま、角丸くん、お疲れッス! 今日も2人で、やってるッスか?」
桜花部長だ。
それはそうと部長、言葉のチョイス、もう少し気をつけませんか?
「ん? おお! さっそく、美馬ちゃんもいるッスね! で? 萌さま、今日は、何作るんスか?」
「部長、実験です」
「ん? 角丸くん、萌さまと同じようなこと言うんスね」
「まぁ、化学部に入部して、一緒にいることが増えましたから」
「なるなるッス。そんじゃ、あらためて。今日は、何の実験するんスか?」
「粉と水を用いた、膨張実験です!」
「おお! つまりそれは、その手に持つ海永のホットケーキを焼くってことッスね!」
「部長、これは、たまたま膨張実験に適していると思ったから、実験道具として使うことにしただけで、決して最初から、ホットケーキを焼こうという意図はありませんよ?」
「なるなるッス。理由はどうあれ、あっちは、甘いものが食べられれば、それでいいッス」
「お、音谷さん。何で、生徒会長がここに来るの?」
音谷と部長のやり取りを、なぜか、僕の後ろに隠れるようにして見ていた音谷さんが小声で言った。
「何でって、桜花先輩は、化学部の部長だからだよ」
「えぇ!? 生徒会長って、化学部の部長さんだったの!?」
「あれ、知らなかった?」
「初耳だよ。この間だって、なんで生徒会長が、化学部の勧誘してるんだろうって、疑問に思ってたし」
まぁ、僕も化学部に入部する直前まで、桜花先輩が、化学部の部長だってこと知らなかったけどね。
「それに、なんか、いつもと雰囲気違くない? あの厳しい生徒会長はどこに行ったの? ってくらい、もう別人級の変わりようなんだけど。実は、桜花生徒会長って双子だったりしないよね?」
桜花先輩双子説! 考えてもみなかったけど、言われてみれば、そういう可能性も……ないな。
さて、美馬さんにどう説明しよう。
あ、でも、桜花先輩が、素を見せてるってことは、別に変に誤魔化したりしなくても良いってことだよな。
「美馬さん、よく聞いて。あれが、桜花先輩の、本当の姿なんだよ」
「えぇ!? 本当に⁈」
目を見開き、部長を凝視する美馬さん。
「そう思うよね。私も、最初、そうだったから」
「それじゃ、生徒会長の時の桜花先輩は? なに?」
「あれは、生徒会長モード。つまりは、生徒会長を演じてるんだって」
「……まじかぁ。桜花先輩って、大女優じゃん! ちょっと今度、演技のしかた、教えてもらわなくっちゃ」
ジューっと、フライパンの上で、何かが焼ける音がすると、甘い香りが、全員の鼻をくすぐった。
「おお! 角丸くん。上手いッスね。手慣れてる感があるッス。もしかして、普段からお菓子作りしてるッスか?」
「そうですね……やってます」
やってません! それは、音谷のことだろ? なんなら僕は、そのホットケーキすら危ういレベルだぞ?
「そうッスか……お菓子が作れる男子……スイーツ男子……いいッス、ね」
部長、スイーツ男子って、そういう意味じゃない気がするんですけど? って、なんか、部長。音谷にくっつきすぎじゃないですか? 雰囲気もなんとなく艶っぽくなってるし。
見れば、桜花部長は、ホットケーキを焼く音谷に、ピッタリと寄り添っている。
「部長、そんなにくっつかれたら、危ないです」
「おっと、これは失礼したッス」
さっきまで、フライパンの中で膨らみはじめたホットケーキを凝視していた部長が、今は、音谷の横顔を見つめている。
「角丸くんは、萌さまと、付き合ってるんスか?」
「うぇ!? つ、付き合ってなんていません! ね?」
慌てて、同意を求めてきた音谷に、僕は、こくりと頷き返答した。
「ふーん。付き合ってないんスね。じゃあ、彼女はいるんスか?」
「いないですよ。クラスでも目立たない陰キャでモブなこの僕に、彼女なんているわけないじゃないですか」
ぐぬぬ。音谷よ。言ってることは、間違ってない。間違ってないけど、そうハッキリと、しかも流暢に言われると、なんか少しへこむから、もうちょっと、マイルドに、オブラートに包んでくれるとありがたいんだけどな。
「ふふーん。彼女、いないんスね」
彼女がいないと聞いて、微笑する部長。
部長まで、あんな顔するなんて。しかも、ちょっと嬉しそうに、体くねくねしてるじゃないですか。
2人に、小バカにされた気がした僕は、ちいさく頬を膨らませた。
「音谷さん。どしたの? 怖い顔して」
「え? いや、別に何でもない、です」
「……ひょっとして、音谷さん。妬いてない?」
「え? や、妬くって、なんのこと?」
「あれ、違った? 音谷さんが角丸くんと、桜花部長を見る目、実は、そうなのかなぁって思ったんだけどな」
「ないない!」
美馬さんは、少し残念そうな顔で笑うと話を続ける。
「そっか、音谷さんはないかぁ。私の見立てだと、部長のあの顔、ちょっと、角丸くんのこと気になりはじめてると思うの」
「え? 私は、小バカにしてるのかと思った」
「ふふん。そうとも取れるけど、あの顔は、そっちじゃないよ。だって、桜花部長のあの表情と態度、乙女のそれだもん」
言われてみれば、先輩のあんな顔見るのはじめてだ。
って、えぇ!? 本当に? 先輩、僕のこと、気になりはじめてるってこと? もし、そうで、事が発展したら、僕は、桜花先輩と付き合えちゃうってこと? 先輩が、僕の彼女になってくれるってことだよね? ヤバ! 本当にそんな奇跡が起きたら、僕、どうなっちゃうんだろ?
でも、何で? ……お菓子作りのせいか。さっき、お菓子が作れる男子だとか、スイーツ男子だとか言ってたもんな。
でもそれは、音谷が、いつも通りやってるだけで、僕の実力じゃないんだけどな。
あとは、音谷がうまくやってくれることを祈るしかない。もちろん、恋愛に発展しない方向で。
だって、入れ替わりが戻ったとして、桜花先輩の彼氏できる自信、僕にはないからね。
「私、桜花先輩が、角丸くんのこと気になるの、ちょっとわかるな」
「わかる?」
「うん。だって、角丸くん。お菓子作れるんだよ?」
あー。美馬さんも、そこなのね。まぁ、当然と言えば当然だよね。美馬さんは、お菓子を含めた食べ物全般好きだし、桜花先輩も甘いものが大好きだし。お菓子が作れる男子がそばにいたら、そりゃ気にもなるよね。
って、もしかして!? まさか美馬さんも僕のこと!? ……いやいや。僕は、何を自信過剰になってるんだ。美馬さんの話で、つい、良い気になってしまったけど、そもそもありえないから。
ひとり反省した僕は、深く深く深呼吸をし、心を無にすると、黙ってホットケーキの焼き上がりを待った。




