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僕は、もしかするとヒロインになるのかもしれない。  作者: 玄ノロク(くろのろく)


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第25話「死にかけ女子は、死にません」

 ここって、家庭科室なのかな? と錯覚するほど、甘く香ばしい香りが漂う放課後の理科室。

 フロランタンの焼き上がりを、イスに座って待つ僕と音谷(おとや)に対し、桜花(おうか)部長は、張り付くように、オーブンを間近で覗き込んでいる。


「はぁー、なんて良い香りなんスか。もう、この香りだけで、意識が飛びそうッス」


 部長。よだれ、よだれ。

 えっと、ティッシュは……どこだっけ?


「部長、口のまわり、拭いて下さい」


 僕が、ポケットティッシュを探してい間に、音谷が部長にハンカチを手渡した。


「おお、角丸くん。気が利くッスね。ありがとうッス」


 部長は、口の両端からダダ漏れするよだれを、ハンカチで拭うと、再びオーブンを覗き込んだ。


 ……部長、拭いた側から、もう、よだれ垂れてますよ?

 今度は、僕がこのティッシュを渡そう。


「桜花部長」

(もえ)さま。いつも通り、おーちゃんって呼んでほしいッス」


 えぇ!? そう言われても……正直、困る。

 音谷なら簡単に、そう呼べるだろうけど、素の部長にまったく慣れていない僕に、おーちゃん呼びは、かなりハードルが高い。

 とはいえ、部長、めっちゃ頬膨らませてるし……やるしかないか。


「お、おーちゃん」

「はい! 萌さま! なんスか?」

「これ、使って下さい」

「ティッシュ? あ! 私としたことが! また、よだれ垂らしてたんスね! お恥ずかしいッス!」


 部長は、僕からティッシュを受け取ると、慌てて口のまわりを拭った。


「んっふふ。やっぱり、このミニキッチンとオーブンを理科室(ここ)に入れてもらったのは、正解だったッスね。予想通り、お菓子作りのグレードがアップしたッス」

「これって、部長が入れてくれたんですか?」

「萌さま。おーちゃん」

「え、えっと、これって、おーちゃんが入れてくれたんですか?」

「はい! 校長先生をはじめ、各方面の先生方に理解してもらい、実現したッス!」

「さ、さすがですね」

「んふー。こう見えて私は、生徒会長ッスからね」


 僕からすると、その生徒会長姿の方が、普段の桜花部長の姿なんですけどね。

 それにしても、理科室にキッチンやオーブンを設置させてしまうなんて、本当、凄い人だよな。いくら生徒会長だからって、そうそう出来ることじゃないと思う。


 ピー、ピー、ピー。

 オーブンから、焼き上がりを告げる音が鳴ると同時に、部長が、目をキラッキラに輝かせ、僕の顔を覗き込んで来くる。


「萌さま! 焼けたんじゃないッスか?」

「えっと……」


 音谷をチラ見すると、音谷はコクリと頷いた。


「はい。焼けました」

「うふぁー! やっぱり焼けたんスね!」


 部長は、オーブンから一歩引くと、小刻みに体をくねらせる。その様子は、さながら尻尾を振る子犬のようだ。


「音谷さん、ここは僕がやろう」


 音谷はそう言うと、両手にミトンをはめ、オーブンの扉を開けた。


「ゔわぉーん!」


 オーブンから、一気に理科室内に飛び出したアーモンドの香ばしい香りに、部長がのけぞり倒れる。


「部長!」

「お、おーちゃんで!」


 さすがは、部長、いや生徒会長だ。

 半分白目を剥きながらも、名前の呼ばれ方に、ツッコミを入れてくるブレの無さに、僕は思わず感心してしまった。

 ならば、僕も、その意思に応えなければなるまい!

 もう、ここからは、おーちゃん呼びに躊躇(ちゅうちょ)しないと心に誓った僕は、部長の顔を凝視しながら言う。


「おーちゃん! 大丈夫ですか!?」

「大丈夫ッス! なんか、キレイな川の対岸で、去年死んじゃったはずのおばあちゃんが手を振ってたんスけど、川を渡ろうとしたら、急に険しい顔で、シッシッってされたから、戻ってきたッス」


 部長……それって、かの有名な、あの川なんじゃないですか? 危ない! 危ない! マジで死にかけてるじゃないですか!


「おーちゃん! 本当に大丈夫なんですか?!」

「大丈夫ッスよ。ほら」

「えぇ? で、でも……ん?」


 心配する僕の右肩に、音谷の左手が乗る。


「本当に大丈夫だから。おーちゃんは、よく死にかけるけど、死んだことない、死にかけ女子だから」

「し、死にかけ女子?」


 僕の右耳の側で、ささやくようにそう言った音谷は、僕から離れると、ドヤ顔で下手くそなウインクを飛ばしてきた。

 そうなんだ。なら、良かった。ってことには、ならないだろ! だって、きれいな川が見えて、その対岸に亡くなったはずの、おばあちゃんがいたんでしょ?

 もうそれ、本物の三途の川じゃん。おばあちゃんが追い返してくれたからなんとかなったけど、あと少しで、本当に、あの世行きだったじゃん!

 それに、死にかけ女子って何? そんなジャンル、初めて聞いたんだけど?

 今まで死んだことないって言ってたけど、それ、単に運が良かっただけでしょ?


「ほら、萌さま。見て見て」


 部長は、僕の前に立つと、力こぶのちの字もない、細い両腕を一生懸命曲げ、元気をアピール。

 部長って、背のちっちゃさも相まって、なんか小動物みたいで可愛いな。


「さ、部長、角丸くん。おふざけは、そのくらいにして、こっちに来て。フロランタンが完成したよ」

「わはー! 美味しそう!」


 部長は、焼き上がったフロランタンを前に、両手を胸の辺りで組み、ぴょんぴょん飛び跳ねた。


「角丸くん! もう、食べてもいいッスよね?」

「……」

「ダ、ダメなんスか⁉︎」

「……」

「こんなの、拷問ッス! 生殺しッス! 食べられないなら、いっそのこと殺してくれッス!」

「……どうぞ」

「キャうーん! 角丸くんのいけず! いただきまッス!」


 部長は、目にも止まらぬ速さで、両手にフロランタンを握りしめると、いっぺんにかぶりついた。


「キャわわわーん! 美味しすぎるッスーーーー!」


 先端を噛み切ったフロランタンを握りしめた両手を、横いっぱいに広げ、天井に向かって叫んだ部長の動きがピタリと止まる。


「ねぇ、音谷。おーちゃん、どうしたの?」

「フロランタンに感動して、死にかけてるだけだから、大丈夫」

「あー、死にかけてるだけか。なら、心配ないね」


 ……本当に、心配ないのか? ぴくりとも動かないし、今度こそ、帰ってこないかもしれないぞ?


「ただいまッス」


 あ、帰ってきた。音谷の言う通り、部長の死にかけは、今後、心配する必要はないのかもしれない。


「萌さま。これなら、間違いなく、確実にスイーツ大好き女子を落とせるッス! 善は急げッス! これを持って、今すぐ、その女子生徒のところに行くッスよ!」


 部長の勢いに押された僕たちは、自分たちのクラスである2年3組の教室へと向かった。


「失礼するよ」


 先ほどまでが、嘘であるかのように、笑顔が消え、完全に生徒会長モードに切り替わった部長が、その足をゆっくりと教室に踏み入れる。

 教室に残っていた数人の生徒は、桜花生徒会長の姿を見るなり、顔をひきつらせ、教室から出て行った。


「ふむ。ここには、いないようだね。音谷くん、角丸くん。他に心当たりはないか?」

「えっと、基本的には帰ってしまう事が多いみたいですけど……そういえば」


 僕は、つい先日、美馬(みま)さんと大鷲(おおわし)さんの間に挟まれ、なぜか参加させられていた2人の会話を思い出した。

 

「この間、体育館で大鷲さんとバスケ観てきたとか、第1講堂で、みんなで集まってボードゲームしたとか、食堂で仲良くなった調理のおばちゃんにまかないもらったとか、言ってた気がします」

「音谷くん。情報提供感謝する。情報を整理すると、今日、体育館を使用している部活は、バレー部とバドミントン部だ。よって、体育館にいる確率は低いと思われる。次に第1講堂だが、あそこは放課後、全校生徒に解放されているため、確率は未知数。実際に行って確かめるほかないだろう。最後に、食堂だが、調理のおばちゃんからまかないをもらえるほどの仲であるというなら、ここも、いる可能性はある」

「なら、とりあえず第1講堂と食堂へ行ってみましょうよ」

「そうだな。角丸くんの言う通りだ。ここで、いくら推理していても(らち)が開かない。行ってみよう」


 まずは教室から近い第1講堂から探ってみる。


「んー。残念ながら、ここにはいないか。それにしても、先ほどまで沢山の生徒がいたというのに、今は静かなものだな」


 それは、桜花生徒会長の成せる技だと、僕は思いますが。


「だとすると、後は食堂ですね」

「うん。音谷くんの言うように、食堂へ行ってみようではないか」


 食堂へ移動した僕たちは、意外な光景を目にする。


「あれ? 美馬さん?」

「音谷さんに、角丸くん!」


 食堂に、美馬さんが、いたはいたのだが……なぜか、僕たちは、食堂と調理室を隔てる受け渡しカウンターを挟み、顔を見合わせていた。


「美馬さん、そこで何やってるの?」

「何って、バイトだよ」

「バイト?」


 僕が首を傾げると、美馬さんは、携帯電話を取り出し、その画面に並ぶアプリの1つを指さし言う。


「そうこれ。音谷さん、最近流行りのタイムーって、知らない?」

「タイムー?」

「す、好きな時間に働ける、バイトアプリ」

「そう! 角丸くん正解! いやさ、今月ちょっとお金使い過ぎちゃって、お小遣いなくなっちゃったんだよ。だから」

「ふむ。アルバイトは、我高では基本禁止となっている」

「うぇ?! せ、生徒会長!? ヤバい。どうしよう。私、校則違反で、退学?」

「たしかに、既に君が知っているように、我が校では、基本、アルバイトは禁止されている。場合によっては退学もありうる」


 美馬さんが、半泣き状態で目を潤ませる。

 なんともいたたまれない光景だ。


「しかし、先に言った通り、基本は、だ。家庭の事情等、やむを得ない場合、アルバイトを許可することも、これまで多々あった。今回の、君の事情もそれに値するのではないか?」

「へ? で、でも私のは」

「値すると思います! 僕も生徒会長に同感です! ね、美馬さん」

「え? 角丸くん、でも」

「ね?」

「……うん」


 腑に落ちない表情をみせる美馬さんだったが、音谷の半ば強引な押しに負け、頷いた。


「まぁ、そういうことだ。今後も私は、君のアルバイトに口を挟むつもりはない。君の自由にしたまえ。ただし、武蔵野欅高校の生徒として、逸脱した行為は慎みたまえ」

「は、はい!」


 美馬さんは、生徒会長の言葉に、両手の指先までピンと伸ばし、背筋を正した。


「さて、それはそれとして、お初にお目にかかる。生徒会長の桜花舞(おうか まい)だ。以後よろしく頼む」

「こ、こちらこそ! 私は、2年3組の美馬穂乃果(みま ほのか)です! 音谷さんと、角丸くんとは同じクラスで、2人は友達です!」

「うん。少しだが、君の話は2人から聞いているよ」

「ふぇ?! 2人とも、生徒会長に、何話したの?」

「いや、私は別に、変なことは何も」

「ぼ、僕も」


 とはいえ、桜花生徒会長に、ああ言われたら、不安になって当然だよね。僕が、美馬さんの立場だったら、確実に不安になるもん。それは、きっと音谷も同じだと思うよ。


「美馬くん。そのタイムーとやらは、いつまでなのかな?」

「え? あ、えっと、あと1時間です」

「1時間。なら、ここで待たせてもらおう」

「へ? な、なんで生徒会長が、私のバイト終わりを待つんですか?」


 疑問と不安が頂点に達してしまいそうな美馬さんが、目を白黒させる。


「君に大事な用があるからだよ。美馬くん」

「だ、大事な用? 私に?!」

「穂乃果ちゃん! ちょっと、こっち手伝ってくれる?」


 厨房から、調理のおばちゃんの声がする。


「あ、はーい。えっと、それじゃ、また後で」

「ああ」

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