第24話「音谷ママは、能力者?」
ごくり。
何度も唾を飲み込みながら、かれこれ5分は経過したであろう、高級寿司との睨めっこ。
そう、僕は、見慣れない1人前の寿司桶に、妙な緊張感を覚え、普段の、まぐろの赤みから食べ始めるルーティーンを、完全に見失っていた。
「あれー? 萌ちゃん、いただかないの?」
「あまりお腹が、空いてなかったかい?」
「ううん。な、何から食べようか、迷ってるだけ」
僕が、一向に箸をつけないことを心配した音谷パパとママが、僕の顔を覗き込む。
2人して、そんなに見つめないで! ただでさえ、初顔合わせで緊張してるっていうのに、余計に緊張感増すから!
「そっかー。久しぶりだもんね。福陣さんのお寿司。ママも迷っちゃうなー」
「そうだね。そうしたら2人とも、好きなものから食べたらいいんじゃないかな?」
「そうするー! それじゃママは、ホタテから!」
「パパは、イカからにしようかな」
「あ、えっと、わ、私は、たまご」
「お、たまごからなんて、萌。なかなか通だね」
へ? 通って、どういうこと?
僕が、たまごを選んだ理由は、たまたま視線の先に見えたってだけで、深い意味はないんだけどな。
「あらー。萌ちゃん、すごい! って、パパ? たまごからだと何で通なの?」
「ママ、いい質問だね。福陣さんのたまごは、見ての通りシャリがないよね?」
「あら、ほんと。これは、たまご焼きね」
「そう。たまご焼きなんだ。たまご焼きはね、一概には言いきれないけど、その職人さんの腕前がわかる、なんて言われてたりしてね。味や見た目もお店によって違うから、こだわりをもって、自慢の一品にしているところも多いんだよ」
「そうなんだ! さすがパパ。ものしりさん。でもでも、お寿司屋さんのたまご焼きって、何で甘いのかしら?」
音谷パパは、得意気な笑みを浮かべると、メガネをクイッと上げ、話しを続ける。
「それはね、ママ。これも一概に、全てのたまご焼きが甘いというわけではないのだけれど、甘いものが多いのには、この辺りだと、江戸前寿司の歴史に関係しているらしくてね。江戸時代、お寿司は屋台で提供していた、今でいうところのファーストフードだったから、保存のために酢や砂糖が多く使われていたんだ。当然、たまご焼きにもね」
「あ! だから甘いのね」
「うん。そういうこと」
へぇ、すごい! 音谷パパ、本当にものしりだ。
「おっと、ごめん。ごめん。ついつい長くなってしまったね。話は、ここまでにして食べようか」
「そうね! それじゃ、あたらめて、いただきます!」
「「いただきます」」
小皿に醤油をたらし……たまではよかったけど、お寿司にも食べ方のマナーってあるよね? 角丸家だったら、大して気にしないけど、音谷家は、そうはいかないよね?
チラっと音谷パパとママの様子を伺うと、2人とも、ネタの先に、ちょんと醤油をつけ、そのままひと口で食べている。
そうそう。醤油は、ネタの先に少しつけて、シャリにはつかないようにするって、前にテレビでも見た気がする。
僕は、2人の真似をして、たまご焼きの先に、ちゃんっと醤油をつけると、そのまま口の中へ運んだ。
うっま! 何これ!
舌鼓を打つとか、ほっぺたが落ちるってあるけど、こういうことを言うんだね。
ん? 待てよ。そもそもたまご焼きって、醤油つけてよかったのかな?
「萌ちゃん。たまご焼きの醤油は、つけてもつけなくても、どっちでも大丈夫よ?」
「……そ、そうなんだ。よかった」
怖っ! 音谷ママ、何で僕の思ってることわかるの? もうこれ、勘が鋭いとかいう領域じゃない気がするんだけど。能力者か何かですか?
音谷ママの特殊能力? に怯えながら、たまご焼きを胃におさめ、次に、目についたいくらの軍艦に箸をつけたまでは覚えるんだけど……その後は、気づいたら寿司桶が空になってたんだよね。
「萌ちゃん、早い! ぺろっと食べちゃったね」
「そ、そう言う、ママも」
「そうなのよね。もう、すごく美味しかったから、途中から何食べてたか、わからなくなっちゃった。気がついたら、空っぽなんですもの。びっくり」
……なるほど。これは、母親譲りってやつか。
「あら、パパはまだ半分?」
「ハハ。2人が早いだけなんじゃないかな」
「ふふ。そうかも。萌ちゃん、お風呂出来てるから、お先にどうぞ」
「はい。あ、でも、ママは?」
「私は、後でいいの。パパと入るから」
今、サラッと凄いこと言ったな。でも何だろう。不思議と音谷パパとママなら、そういうことしててもおかしくないというか、普通って感じがするんだよな。
逆に、うちの両親なんか、絶対一緒にお風呂なんて入らない……うぇぇ。せっかくのお寿司の余韻が台無しになりそうだから、これ以上、変な想像するのはやめよう。
1番風呂をいただいた僕は、リビングで仲良く旅行の思い出話をしている音谷パパとママに、おやすみなさいの挨拶をすると、音谷の部屋に戻り、ラノベがずらりと並ぶ本棚の前に立った。
さてと、どれから読ませてもらおうかな? お! あの勇の原作あるじゃん。アニメは観てるって言ってたけど、原作もちゃんと読んでたか。むむ! これは! 炭酸娘の恋は短い、略して炭恋の最新刊じゃないか! 発売日に買いそびれて、未だに買ってなかったんだよな。よし! 今日は、これにしよう。
はぁ、やっぱり炭恋は良いな。その名の通り、シュワっと弾けるような爽やかな恋。でも、相思相愛のはずなのに、なぜかいつも長続きしないってのが、このシリーズの面白いとこなんだよな。
「やばい。もう、2時じゃん」
思わず時間を忘れて、一気読みしてしまった。
早く寝なくちゃ……ん? ちょっと待て。危うくスルーしてしまうところだったけど、あの壁掛け時計って、ヒロインの超絶破天荒ぶりが人気の、かのルルこと、彼女に僕らのルールは通用しません。の原作小説初版購入特典の抽選で当たる景品じゃなかったか? しかも特賞だったはず。
急ぎ携帯電話で検索をかけると……出てきた。
やっぱりそうだ。特賞は3本。そのうちの1つがここにあるだなんて! なんという奇跡!
僕は、その奇跡をひとり堪能しながら、眠りについた。
次の日、1日の授業を終え、集合した放課後の理科室。
見違えるようにきれいになった教室の一角に立つ僕と音谷の前には、なぜか目新しい小さなキッチン。
「角丸くん。準備はいいかね?」
「はい! 音谷先生!」
「うむ。それでは、始める! 粉!」
「はい! 先生!」
「砂糖!」
「はい! 先生!」
「汗!」
「はい! 先生!」
……って、お菓子作りって、こんなだっけ?
まるで、医療ドラマで見る手術かのような光景に、僕は首を傾げた。
「ところで、音谷。写真部の……」
「矢神か?」
「そうそう、矢神くん。もう、あの返事したの?」
「まだしてない」
「そっか。音谷さ、あの時は、僕もそうなんだけど、ラノベ50冊って聞いて、思わず舞い上がっちゃっただろ? 週末挟んで、落ち着いた今でも、コンテストに出たいと思ってる?」
「……正直出たくはない」
「だよな。実は僕もそう思ってる。本当に付き合ってなくても、カップルのフリをするだけでラノベ50冊は、おいしい話だけど、周りからしたら、僕らが本当のカップルだと思われてしまうリスクが非常に高い。もし参加するなら、そこを僕らがどう消化するか、だと思うんだけど?」
「フっ。角丸、お前は、何をそんな自意識過剰になってる」
「え? 自意識過剰?」
「そうだ。よく考えてみろ。私と角丸が付き合っている、付き合っていない、なんて話、そもそも誰も気にしないだろ?」
「いや、音谷。それは、ちょっと考えが浅いな」
「なに⁈」
「少し前までなら、音谷の言う通りだったと思う。だけど、最近、僕らの周りには誰がいる?」
「誰って……前島くん!」
「……他には?」
「美馬さんや大鷲さんがいる」
音谷がハッとした顔をする。
「気づいたか?」
音谷が、高速でコクコクと頷く。
いまや、クラスの人気者で、学園カースト上位の3人と一緒にいることが増えた僕らを、周りが、前のようにモブ陰キャとして扱うわけがない。
「まぁ、僕は、その、なんだ……音谷と付き合ってるって周りから、そう思われたとしても、別にかまわないけど、音谷はどう思う?」
「嫌だ」
即答!? ちょっと、さすがに傷つくな。
最近は、一緒にいることが多いから、それくらい気にしない、なんて言ってくれるかもって、思った僕がバカでした。
「ど、どストレートな返答、ありがとうございます。だったら、やっぱりコンテストは、参加しないほうがいいと思う」
「……ラノベ50冊、惜しい。けど、ウソでも角丸と付き合ってるなんて、誤解されるのは屈辱」
なんか、ショックを通り越して、腹立たしくなってきたぞ。
とはいえ、音谷は、まぁ、そういうやつだし? 今ここで、もめても仕方ないから、ふっかけるのはやめてやるよ。どうだ? 僕は、大人だろ?
そんな僕の、心の内で呟いた言葉は、伝わるはずもなく、音谷はそしらぬ顔をしている。
「……それで、コンテストは、どうするの?」
「……やめておく」
「そうだな。それがいい」
なんだか、気まずい雰囲気が漂ってしまったが、作業の手を止めない音谷のおかげで、お菓子作りは、着々と進んでいく。
「ふぅ。あとは、オーブンで焼き上げれば、完成だ」
「おお! 楽しみ」
それ以上の会話はなく、ひたすら無言の時間が過ぎていく。別に、僕も音谷も悪いことを言ったわけじゃないのに……なんか、辛い。
ガラガラ。
突然、ドアが開いたかと思うと、見覚えのある人物が入ってきた。
「お邪魔しまっス! 萌さま、ご機嫌麗しゅう。お! 角丸くんもいるッスね」
この声は、桜花先輩! よかった。先輩がいれば、きっと、音谷の機嫌も良くなるだろう。
って、あれ? 今、角丸くんって言った? この間は、角丸殿って呼ばれてた気がしたんだけどな。気のせいかな?
「部長。お疲れ様です」
「うん。角丸くん。お疲れっス」
やっぱり。気のせいじゃなかった。殿じゃなくて、くんって呼ばれた。それに、今日は、なんかすごくフランクというか、接し方が音谷と同じようになった気がする。
「ぶ、部長。お疲れ様です」
「萌さま? 今日は、なんで、おーちゃんって、呼んでくれないんスか? あ! わかったッス! 角丸くんがいるからッスね! それなら安心してください。角丸くんも正式な化学部員になったッスから、お2人の前では、会長モードは解除するッス!」
会長モード。なるほど、いつもの近寄りがたい雰囲気の桜花先輩は、そういうキャラを演じていたってことか。
僕の知る桜花先輩は、完全に会長モードの方なんだけど、本当はこっちが、素の先輩なんだよね。これは、しばらくは慣れなそうだ。
「んーいい香りッスね。萌さま、今日は、何をつくってるんスか?」
「フ、フロランタンです」
「フロランタン!? なんて心地よい響き! どんなお菓子か知らないッスけど、楽しみッス!」
「おーちゃん。それは」
「おっと、角丸くん。いくら君が、正式な部員となったからといっても、私のことをおーちゃんと呼べるのは、萌さまだけッスよ?」
「失礼しました。部長、それは同じクラスの美馬さんに渡す予定のお菓子で」
「え? 私の分はないッスか?」
「いえ。あります」
「角丸くん。人が悪いッスよ。ここまできて、食べられなかったら、私は死んでしまうところだったッスからね。で、萌さま。なぜ、その美馬という子にあげるんスか?」
「化学部への勧誘のためです。美馬さんは、食べることが大好きな女子生徒なので、このお菓子でつれば、入部してくれると思いまして」
「ほうほう。なるほど。それは……いい考えッスね! それじゃ、お菓子が出来上がったら、さっそく、その美馬って子を勧誘するッス!」




