第23話「音谷パパ、ママ、初めまして」
14時をまわったウオンモールのフードコートは、ピークを過ぎたとはいえ、空席を探す人の姿が絶えない。
食事を終えた僕たちの席にも、チラチラとその視線を感じる。
「音谷、そろそろ行こうか」
「ほえ? そ、そうだな。ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
僕は、ラス1のポテトを噛み締めていた音谷を、現実に引き戻すと、ウオンモールを出て、駅へと向かった。
「音谷。明日は特に、何もないよな?」
「うん。ないと思う」
「それじゃ、また来週学校で。だね」
「うん。また来週……そうだ! 角丸!」
たった今、僕に背を向けたばかりの音谷が、くるりと体を反転させる。
「どうした? 何か忘れた?」
「ううん。忘れたとかじゃない。今日、パパとママ、旅行から帰って来るから、よろしく」
右手の人差し指で、僕の左肩を突き、ニッと笑う音谷。
「ええ!? 今日だっけ?」
「うん。さっき、RUIN来てたから間違いない。ほら」
音谷は頷くと、僕に携帯電話の画面を見せてきた。
たしかに、そこには、音谷の母親から、今日の夕方には家に着くという旨のメッセージと、お土産と思われる画像が映っていた。
「本当だ。うう。緊張するな」
「大丈夫。角丸家とそう変わらない。気まずかったら、私の部屋にいればいい」
「そりゃそうだけど……あ、そうだ。部屋で思い出した。音谷に、聞こうと思ってたことがあるんだけど」
「な、何だ? また、余計なことか?」
ジト目を向ける音谷。
これまた、すごい軽蔑の眼差し。いくらなんでも僕だって、余計なことばかり考えてるわけじゃないぞ? ……って、そもそも余計なことってなんだ?
「いやいや、別に普段から、余計なことなんて、そんな考えてないし」
「そんな? というとは……そういうことを、考えてたってこと、認めたな!」
「み、認めてないし。そういうことって、どういうことだよ?」
「そ、そういうことは、そういうことだ……そんなこと、私の口から言わせるな! この、へ、変態!」
変態って……音谷のやつ、いったい何を考えてんだ? まぁ、いろいろと? 余計なことを、まったく考えてないと言えば、ウソになるけど、たぶん、音谷の思い描いているようなことは、考えていないと思うな。
「話、逸れたの、戻してもいい?」
「あ、うん」
「えっと、その……本棚とか、ベットの上とか、部屋にあるラノベ。あれ、読んでもいい?」
「ラノベ? なんだ。そんなことか。もったいぶるから何かと思った」
「いや、だって。勝手に読んだら悪いかなって」
「……わ、私は、角丸のラノベ、勝手に読んでる……なんか、ごめん」
そうだった。音谷は、もう、勝手に読んでたんだった。なんなら、学校に持って来てるしな。
「いや、それは別にいいって。気にしてないから」
カバーをつけていないのは、ちょっと気にしてるけどな。
「わ、私のラノベも、好きに読んでいい、から……い、今更だけど、角丸のも、読んでもいいか?」
「もちろん。僕のおすすめは、2人の恋にラー油は必要ですか? あたりかな?」
「おお! それ、気になってたやつ! 角丸、持ってたのか! 主人公とヒロインの間に、いつも割って入ってくる辛口おせっかい女子との三角関係ラブコメ、だったよな?」
「そうそう。その辛口おせっかい女子が、実は幼馴染で、んぐっ!」
続きを話そうとした僕の口を、秒速で音谷の手が塞ぐ。
その顔は、まさに鬼の形相。
「角丸。サラッとネタバレするな。私は、まだ読んだことない!」
「ご、ごめん」
音谷はふんっと、荒い鼻息を飛ばすと、横を向いてしまった。
まずい、何か話題を切り替えないと。
「そ、そうだ、音谷。そっちは、特に何もない?」
「特にって?」
「いや、だから、家でっていうか、姉さんとか、母さんとか?」
「あー、うん。だいぶ慣れてきた。お父さんにも、この間初めて会った。けど、何も気づいてなかった」
「そっか。それなら良かった……そ、それじゃ僕は、そろそろ帰ろかな」
よし。話題もラノベから、無事切り替えられたことだし、このまま帰ろう。帰って、待ちうける音谷の両親との対面を乗り切らねば!
「待て、角丸」
「ヒッ!」
やっぱり、まだ機嫌直ってなかった?
「ママなんだけど、妙に勘が鋭いとこあるから、気をつけろ」
「そ、そうなんだ。うん。わかった。気をつける」
「何かあったら、RUINしろ。それじゃ、また学校で」
「うん。また学校で」
よかった。ひとまずネタバレの件は、大丈夫そうだ。けど、一難去ってまた一難。音谷のお母さんの勘が鋭いというのは、気をつけなくては。
とはいえ、どう気をつけるべきか、わからないんだけどね。
音谷と別れ、音谷邸に帰ると、既に窓には明かりがついていた。
うわー。まじか。もうご両親、帰って来てるじゃん。
とりあえず、音谷にRUINしよう。
って、音谷から、何かメッセージ来てる。
――パパとママ、予定より早く帰ってきた。どこか出かけてるの? ってメッセージ来てたから、友達と買い物に行ってる。もうすぐ帰るって返信しておいた。適当に話合わせて――
僕が既読するなり、音谷から電話がかかってきた。
「もしもし?」
「やっと読んだ。角丸、よく聞いて。RUIN送った通り、パパとママ、もう家に帰って来てる。ママには、友達と買い物って送っちゃったけど、私、普段友達と買い物行くことなんてないから、根掘り葉掘り聞かれるかもしれない」
「ええー。なんで送っちゃったの?」
「……買い物、楽しかったから、つい。メッセージ送ってから、やばいって気づいた。すぐ既読になっちゃったから、消せなかった。角丸と、だなんて正直に答えて、男子だってバレたら、面倒なことになる。だから、美馬さんと行ったことにして。もし、美馬さんって? って聞かれたら、クラスメイトの女子って答えて。あとは……適当に話合わせて」
「わ、わかった。やってみるよ」
電話を切ると、何のキャラクターかわからない、デフォルメされたロボットが頑張ってと両手を動かすスタンプが、送られて来た。
音谷のやつ、珍しくテンパってたな。
よし! とにかく、男子である僕と買い物してたことは、絶対にバレないようにしないとだな。
僕は、気合いを入れ、玄関のドアを開けた。
「萌ちゃーん! おっ帰りー!」
玄関をくぐるなり、音谷の母親と思わしき女性が、勢いよく飛びついて来た。
「ママね。びっくりしちゃった。帰ってきたら、萌ちゃんいないでしょ? それで、RUIN送ったら、友だちとお買い物に行ってるって返ってきたから、えぇ――! って、パパと大騒ぎしちゃった」
「そ、そうなんだ」
音谷のママって、勝手に音谷と同じ感じだと思ってたけど、真反対っていうか、全然性格違うんだな。
「それじゃ、ママは晩ごはんの支度の続きしてくるから、萌ちゃんは、手洗いうがいしたら上がって来てね。パパー! 萌ちゃん、帰ってきたわよー!」
音谷ママ、テンション高!
パタパタとマンガの様な足音を立てながら、2階へと上がっていく後ろ姿を見送った僕は、言われた通り手洗いとうがいを済ませ、2階のリビングへ上がった。
「萌。お帰り」
「た、ただいま。おと、じゃなかった。パ、パパもお帰りなさい」
「うん。ただいま」
にこやかな笑顔に柔らかいトーン。少しスローペースなしゃべり方で、落ち着きのある雰囲気が漂う音谷パパ。近いと言えば近いのかもしれないけど、音谷パパも音谷とは、性格違うな。
角丸家は、今でこそ、姉さんがちょっとギャルっぽくなったけど、昔はどっちかっていうと陰キャ寄りだったから、みんな似たものどうしって感じの家族だけど、音谷家は、それぞれ違う個性の集まりって感じで、世の中、いろんな家族の形があるんだなって思うと、なんか面白いな。
「萌ちゃん、ずるーい!」
「ず、ずるい?」
「そう! パパには、おかえりって言ったのに、ママには、まだ言ってくれてないー!」
……音谷ママ、ちょっと面倒くさい人かもしれない。
「萌ちゃん。今、ママのこと、ちょっと面倒くさいって思ったでしょ?」
うぇ!? これが音谷の言ってた、勘の鋭さか! なるほど。気をつけないと。
「そ、そんなことない。ママもお帰りなさい」
「はーい! ただいまー! パパ、聞いた? 萌ちゃん、ママにもお帰りなさいって、言ってくれたわ!」
「そうだね。良かったね。ママ」
「うん!」
音谷ママは、上機嫌で、人数分の皿と箸、それとグラスをテーブルに並べると、ソファーに座った。
「準備完了ー!」
「ありがとう、ママ」
……ん? 準備完了って、料理は?
「萌ちゃん。安心して。お料理はもうすぐ届くから」
うぇ⁈ 音谷ママって、読心術でも会得してるの?
そう思えるほど、的確に、僕の心の内と言葉を重ねてきた音谷ママに、僕は少し恐怖を覚えた。
ピンポーン。
「あ! 来たみたい」
「僕が、取りに行ってくるから、2人は待ってて」
「パパ、ありがとうー!」
おお! 音谷パパ、身のこなしが、実に紳士的! これは、少し見習わないとだね。
「んっふふ。おっ寿司。おっ寿司」
音谷ママは、ちょっと忙しないとこあるけど、常に楽しそうで良い。見ているこっちまで楽しくなる。
「お、お寿司なんだ」
「いけない! 私ったら、サプライズにするつもりだったのに、ついつい口に出しちゃったわ。ごめんね。萌ちゃん」
「ううん。大丈夫」
「萌ちゃんは、優しいね!」
「お待たせ。今日は、萌の記念日だから、ママと相談して、ここのお寿司がいいかなって、お願いしてみたんだ」
記念日ってなんだろう? もしかして、今日って、音谷の誕生日だったりする?
え? それより、ちょっと待って。この寿司桶に書かれてる福陣って文字……まさか、あの、福陣?
「えっと、福陣のお寿司?」
「うん。特別にお願いして握ってもらったんだけど、ダメだったかな?」
「あら、萌ちゃん。ここのお寿司好きじゃなかった?」
いやいやいやいや。好きも嫌いもなにも! 福陣って言ったら、僕でも知ってる超有名な老舗高級寿司店じゃないですか!
僕みたいな高校生が、口にする機会なんて、まずありえない、そんなお店の出前をお願いできるって、本当、音谷家って、何なの?
「す、好き」
僕は、当然食べたことも、見たことすらないけど、さっきの音谷パパとママの口ぶりからすると、音谷は食べたことがあって、しかも、きっと好きなんだよね? ここのお寿司が。だから、好きって、そう答えたよ? 合ってるよね?
「そうか。よかった」
「はぁ。安心した。それじゃ、いただきましょう。パパ」
「うん。萌のお友達と買い物記念日を祝して」
は? お友達と買い物記念日? 何それ。
え? 音谷家では、友達と買い物に行っただけで、記念日になるの? そして、そのお祝いが福陣のお寿司? もう次元が違い過ぎて、僕には理解できません!
「ママ、萌、一緒に手を合わせて。いただきます」
「いただきます!」
「い、いただきます」




