第19話「カラオケに、レッツゴー!」
「よーし。今日は、ここまで! ……っと、その前に」
渋江先生の、終わりの言葉を合図に、いつも1番に、教室を飛び出る男子生徒が、思わず、つまずき床に転がった。
あいつは、たしか……陸上部の沖田、だった気がする。
「沖田、大丈夫か?」
うん。合ってた。
沖田は、何でもスタートの合図にするクセがあって、常日頃から目立っている。だから、この僕でも、その名前をなんとなく知っているのだ。
「お前、それ、フライングだぞ?」
「先生、それは、ズルいですよ」
渋江先生と沖田のやり取りに、クラスが笑いに包まれる。
「ハハハ。悪い悪い」
「で、先生。まだ何か、話あるんですか?」
「おー、そうだった。来週から、欅祭のイベント申請が始まる。お前らも、既に、去年経験しているから、わかってるだろうが、文化祭は、年間行事の中でも、特に盛り上がる行事だ! 我が校において、最も重要なイベントであると言っても過言ではない!」
渋江先生の発言に、クラスがドッと湧く。
たしかに、この欅祭を目的に、うちの学校を選んだ人も多いだけに、欅祭の盛り上がり方は、毎年半端ない。
「というわけだから、欅祭に向けてミーティングを行う。各自、来週までに、やりたいことを考えておくように! それじゃ、解散!」
珍しく、キレっキレだった渋江先生。
去り際に、教壇から颯爽とジャンプ! ……したまでは、よかったのだが、着地に失敗し、右足首を捻挫したあたりは、先生らしかった。
「ねぇねぇ、今年の欅祭、何やる?」
「そーだなぁ。去年は、うちがいたクラスは、お化け屋敷やったんだよね」
「あー! それ、知ってる! てか、私行ったよ。めっちゃ怖かった!」
「本当!? うっわー嬉しいな。そう言ってもらえると、頑張った甲斐があったよ! ほのちゃんとこは、何やったっけ?」
「私のクラスは、和風カフェやった」
「そこ! うち行ったよ! なんか、あんことかクリームが、たっぷり入った丸いやつ、食べた! めっちゃ美味しかった!」
「それ、看板メニューだった次郎焼きだね。何か、駅前に昔からあるお店とコラボしたんだって。あれ、めっちゃ評判良かったんだよ」
「やっぱりー!」
美馬さんと、大鷲さん、なんか、すごく楽しそうだな。
去年の、欅祭の話しで盛り上がる2人を見ていると、こっちまで楽しくなってくる。
けど、実際には、僕の中に、去年の欅祭が楽しかったという思い出はない。自分のクラスが何をやっていたのか、ほとんど覚えてないし、ただただ、言われるがままに、何か段ボールに色を塗っていたという記憶しか残っていない。
「音谷さん! 音谷さんは、去年何やったの?」
「え? えっと……よく覚えてない」
「そうなんだ。じぁさ、今年は、思い出になるようなの、やらなきゃだね!」
「う、うん。そうだね」
「角丸くんは? 何かやりたいものある?」
突然、美馬さんから、話を振られた音谷が、ビクリと体を震わせ、こちらを向く。
「えっと……まだ、何も考えてない。けど、ぼ、僕は、化学部の出し物を手伝わないといけないから、クラスのは、ほとんど手伝えない、かも」
「あー、そっか。文化部は、部活が優先だったよね。ってことは、音谷さんも?」
「え? あ、えっと……」
返答に困った僕が、あたふたしていると、すかさず音谷のフォローが入る。
「うん。音谷さんは、化学部の副部長だから、なおさらかな。美馬さん、ごめんね」
「ううん。いいんだよ。角丸くんも、音谷さんも気にせず部活優先で! こっちはこっちで、何とかなるよ」
「ありがとう」
「ところでさ、2人とも、この後、空いてる?」
僕は別に、これといった用はないけど……音谷は? ないよな。僕ら2人とも、家に帰るだけだもんな。
「と、特にないけど」
「わ、私も」
「ならさ! みんなで、カラオケ行こうよ! このあいだは、行けなかったでしょ?」
「ほのちゃん。それ、いいね!」
「でしょ! 角丸くん、音谷さん、どう?」
行きます! と即答したい気持ちを抑え、音谷を見る。
「え、えっと、僕は……」
ムッ! これはいかん! このままだと音谷のやつ、断るに違いない! ならば、先手必勝!
「角丸くん。せっかく誘ってもらったし、今回は、行こうよ?」
音谷は、一瞬、顔を引きつらせたが、観念した様子で、コクリと頷いた。
「やったー! それじゃ、カラオケに、レッツゴー!」
カラオケ屋に到着し、個室に入ると、美馬さんが手慣れた様子で、ドリンクバーを人数分、それとスナックやフードをサクッと注文。その間に、大鷲さんが、1曲目を選曲し、カラオケがスタートした。
「うち、1番手いきまーす! はい。次、誰でもどぞー」
テーブルに置かれたリモコンを、美馬さんが手に取る。
「じゃあ、次、私いくね!」
ササッと選曲を終えた美馬さんは、リモコンをテーブルに置くと、アップテンポな流行りの曲を歌い出した大鷲さんに合いの手を入れる。
「ハイ! ハイ! あやちゃん! 最高ー!」
トップバッターを務め終えた大鷲さんが、何の気無しに、音谷の隣りに座る。
「はぁ、楽しかった。次、ほのちゃんだね!」
続けて美馬さんが、話題のアニメ主題歌を歌いはじめる。
「み、美馬さんって、アニソン歌うんだ」
目を丸くした音谷が、大鷲さんに問う。
何気に僕も、驚いたけどね。
「ん? ほのちゃんは、なんでも歌うよ? アニソンもそうだし、アイドル系も、なんならラップもいけちゃう」
「す、凄いね」
「そだね。ほのちゃんは、凄いよ。で、カッくんは、何歌うの? やっぱりアニソン?」
「え? う、うん。で、でも僕のは、昔のやつだから、みんなには、わからないと、思う」
「そうなんだ。でもさ、うちらのカラオケは、そういうのぜんぜんオッケーなやつだからさ。それ、歌ってよ。はい、入れて」
「うぇ!? ほ、本当に歌うの?」
「あったりまえじゃん。せっかく来たんだから、うちはカッくんの歌、楽しみにしてたんだから。ほらほら」
「じゃ、じゃあ……」
なんか、大鷲さん。学校にいる時より、更にグイグイいってる気がするけど、音谷、大丈夫か?
「おっわりー。次は? 角丸くん?」
「ほーい。カッくん、入れましたー! いってみよー」
「わー! 角丸くん! 頑張ってー!」
マイクを両手で握り、棒立ちする音谷。
こころなしか、震えているように見えるのは、モニターの明かりのせいだろうか。
曲のイントロが始まると、モニターには、その曲が主題歌だったアニメの映像が流れる。王道のバスケットボールアニメだ。
年代でいうと、僕らの親世代がリアルタイムで見ていたアニメで、これをきっかけに、バスケを始めたなんていう人も多かったと聞いた事がある。
「あ! これ! うち、めっちゃ好きなやつ!」
おっと。美馬さんに続いて、これまた意外。
アニメとは縁遠いと思っていた、体育会系ギャルの大鷲さんが、まさか、これを知っているとは。
とはいえ、今は、VODで観れるし、大鷲さんは、元々バスケやってたわけだから、知っていても不思議じゃないか。
「角丸くん。歌、上手いね! めっちゃいい声してるし!」
「ほんと! カッくん、イケボじゃん!」
うん。たしかに聴いていて、自分でも驚いた。僕って、案外いい声してるかもしれないと。
でも、僕自身だったら、こんなには、歌えてないはずだから、音谷の歌い方が上手いんだと思う。
コンコン。
ドアを叩く音がしたかと思うと、美馬さんが、素早くドアを開けた。
「ご注文のオニオンタワーと、マルゲリータピザ、スパイシーポテトにのり塩チップス、チョコスティックでございます。ドリンクバーは、部屋を出た左にございます。では、ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます!」
テーブルの上を占拠する注文品の数々。
み、美馬さん。こんなに頼んで大丈夫なの?
僕の心配をよそに、美馬さんは、積まれたオニオンリングを1つ、パクリと口に放り込んだ。
「はい。音谷さん。何歌う?」
美馬さんは、指についたオニオンリングの油と塩を、ペロっと舐めながら、僕にリモコンを寄せる。
「え?! えっと、そしたら、私も、アニソンを……」
僕は、いろいろと悩んだが、結局、今期話題のラブコメアニメの主題歌を選曲した。
「お、音谷さん。それ、良い」
さすが、音谷は知ってるね。
美馬さんと、大鷲さんは、たぶん知らないであろう顔をしているが、場の雰囲気を読み、しっかりとノってくれている。
僕が、歌い終わると、3人は、盛大な拍手と耳に心地よい言葉で、褒めてくれた。
「音谷さんも、歌上手いね! 声も可愛いし」
「ね! 音ちゃんの声、アイドルみたいで、いいなぁ」
「わ、私は、美馬さんの澄んだ声も、大鷲さんのちょっとハスキーな声も、どっちも好き出し、羨ましい」
「本当? 音谷さん。ありがとう! 嬉しいな」
「うちも、自分じゃ濁声だと思ってるから、ハスキーって言ってくれると、ちょっと照れるな」
音谷は、何も言わなかったが、ニヤリと小さな笑みを浮かべながら、グーサインを向けて来たから、たぶん、音谷の中での及第点はもらえたんだと思う。
「私、ドリンク取ってくるね。みんな何飲む?」
「ほのちゃん、うちが取りに行ってくるよ。トイレにも行きたいし」
「いいの? じゃあ、あやちゃんにお願いしよっかな」
「うん。任せて。で、何飲む?」
「私は、コーラ」
「音谷さんは?」
「えっと、わ、私もコーラで」
「オッケー。カッくんは、一緒に来て。ひとりじゃ持てないからさ」
「え? あ、うん」
「それじゃ、行ってくるねぇ」
「い、行ってきます」
なぜ、大鷲さんは、音谷を連れて行ったんだ?
ドリンクなら、トレーを使えば4人分くらい、1人で運べると思うんだけど……でも、まぁ、4ついっぺんに運ぶとなれば、それなりに重い、か?
少々、大鷲さんの行動に、疑問を抱いたが、今それを考えたところで、何も答えは出ない。そう結論づけた僕は、ピザとスパイシーポテトを、満面の笑みで頬張る美馬さんを眺めながら、大人しく2人の帰りを待つことにした。




