寂しいんだよ
ちょっと旬を過ぎてしまった、季節外れの怪談です。
僕の通う学校では、不思議なことが起こるって噂がある。体育倉庫に少女の霊が出て、かくれんぼが始まる。それで見つかったらどこかへ連れていかれる、みたいな、いわゆる「七不思議」みたいなやつだ。実際に七つあるのかは知らないけどね。
ある日、僕と友達の小野ってやつが、罰ゲームで体育倉庫の噂を確かめることになった。もちろん、初めは信じてないから、夜出歩くのやだな、くらいにしか思ってなかった。でも、夜の学校って、すごく怖いんだ。いつも明るい時間にしか見ないし、「人がいる」っていう気配が全くないからなのだろう。
僕も小野も怖がりだったから、本当は帰りたかった。でも、ここで帰ったらみんなに馬鹿にされる、そう思って、勇気を出して体育館に行った。正面の入り口は鍵がかかっていたけど、体育倉庫の窓だけは鍵が壊れていて、本当は嫌だったけど、窓から入った。
ちょっと埃臭いマットとか、たくさんのバスケットボールとか、跳び箱とかが綺麗に並べてあって、少し不気味だった。暗くて良く分からないけど、少女の霊なんていないように見えた。
「小野、そろそろ帰ろうぜ。」
僕は言った。窓に向かって歩き出しても、小野はついてこない。不思議に思って小野の方を見ると、体育倉庫の隅を見たまま固まっている。指をさしている方を見ると、
白い、少女がいた。
思わず叫びそうになった。でも、声を出そうとすると息が止まったみたいに苦しくて、何も声が出ない。それは小野も同じのようで、お互い一歩も動けずにいた。
少女が口にかすかに笑みを浮かべる。こんな時なのに、少し可愛いと思ってしまった。
「かくれんぼ、しましょ?」
噂の通りに、少女が言う。動かなかった足はいきなり動き出し、何かの呪縛から解放されたようだった。体育館へとつながる扉がひとりでに開く。なんでかなんて、考えている暇はなかった。
小野も一緒に動き出した。でも、一つだけ問題がある。
この広い体育館の、どこに隠れればいい?
外に出られる扉には相変わらず鍵がかかったままで、体育館の中でしかかくれんぼはできないらしい。でも体育館にあるものといえば、バスケのゴール位しかない。かろうじて、ステージのカーテンとかに隠れることはできそうだったが、それではすぐに見つかってしまう。二人で慌てていると、体育倉庫の方から、
「もーいーかい?」
という、少女の声が聞こえてきた。小野が慌てて「まぁだだよ!」と叫ぶ。もうぐずぐずしてはいられない、二人でカーテンの裏に隠れることにした。僕は左側、小野は右側だった。
「もーいーかい?」少女の声。もう僕と小野は何も言えなかった。
「どこかなー?」
無邪気に少女が言う。当たり前なのだろうが、足音は全く聞こえない。自分の鼓動音と呼吸音がとても大きく聞こえる。もしかしたらこの音が聞こえてしまっているのではないかと心配になるほど。
何かひんやりとした気配のようなものが、ゆっくりと確実に近づいてきているのを肌で感じた。小さな笑い声のようなもの、舌なめずりをするような音も聞こえる。僕はただ目をつぶって体を硬くすることしかできなかった。
気配がステージの前に来る。どうやら右に行ったらしい。カーテンで見えない友達の無事を祈りながら、自分が助かることを望んでいる。正直に言うと、僕が助かればそれでよかった。
「みーつけた♪」
少し遠くで声がする。カーテンの隙間から外をうかがうと、座り込んだ小野と、恐ろしい見た目に変化した少女が見えた。声はさっきと変わっていないが、恐ろしさが何倍にも増していた。僕が可愛いと思ってしまった少女の見た目は全く残っていない、ただの化け物がそこにいた。小野は今にも泣きだしそうだった。
少女、いや、化け物がその醜い口を開ける。
この時のことを、僕は絶対に忘れられない。たとえ僕が死のうとも。
化け物の大きな醜い口に、一瞬にして、小野は飲み込まれてしまった。
本当に一瞬だった。なのに、目の前の風景は静止画のように止まって見えた。
少女が元の姿に戻り、こちらの方に向きを変える。僕も小野のようになってしまうのだと、本能でそう感じた。
しかし少女は、何もせず、クスリと笑って消えていった。
その日どうやって家に帰ったのか覚えていない。そして、それ以来、小野は行方不明になってしまった。
☆
何か月か過ぎたころ、今度は女子たちの間である噂が流行った。二階南校舎の女子トイレの奥から三番目の個室に「トイレの花子さん」が出て、なんでも願いをかなえてくれるというのだ。何人かすでに願いをかなえてもらった子がいるとかで、かなり話題になっていた。
そのうちに、また別の噂が流行り始める。「トイレの花子さん」に願いをかなえてもらう時は、必ず自分の何かを捧げなくてはだめで、それが出来ないときは花子さんにトイレに引きずり込まれてしまう、そんな噂だった。この噂を信じている子はあまりいなかったようだが、だんだんと、女子たちの間では「花子さん」という存在自体が忘れられるようになっていった。
噂が忘れられてから少し経った頃、隣のクラスの佳奈という女子が花子さんに引きずり込まれそうになった、という話が広まった。なんでも、最初の願いの時は自分の爪を、二回目は10cmほどの髪の毛を、三回目は……と繰り返しているうちにだんだん捧げるものを用意することが難しくなり、「あとちょっとだけ待って」と言ったら、「用意できなかった時はお前を引きずり込んでやる」と言われたらしい。この話を聞いた時、ほとんどの人が「どんだけ欲張りなの」とあきれてしまったらしいが、本人は相当気にしているらしく、いつの間にか学校に来なくなった。
そしてある日の放課後。二階の南校舎で、女子の叫び声が聞こえた。その時たまたま近くにいた僕は、女子トイレではないことを祈って声のした方へ走った。
信じたくはなかったが、声がしたのは思った通り、女子トイレだった。こういう時、男である僕は女子トイレに入っていっていいのだろうか。もしこれで違った場合、どうすればいいのだろう。しかしそんなことを考えている場合ではない。僕は女子トイレに駆け込んだ。
奥から数えて三番目の個室。そこだけがこの世ではないような、変な感じがした。トイレからおかっぱ頭の少女が腕を伸ばし、私服姿の女子、佳奈の足をつかんで引っ張っている。僕は思わず
「大丈夫か!」
と叫んだ。よっぽど必死になっているのか、僕の声は聞こえていないようで、見向きもしない。その代わり、花子さんと目が合った。
花子さんはまるであの時の体育倉庫の少女のようにクスリと笑い、ものすごいスピードで佳奈をトイレに引きずり込んだ。声を出す暇もなかった。もうトイレに何かがいた形跡はなく、いつもの見た目に戻っている。遅れて駆け込んできた先生たちに見つからないようにして僕はトイレを出た。さっきのことを説明できる自信も信じてもらえるという確信も無かったからだ。いや、純粋に、ただ怖かった。
僕は、ひどい奴なのだろうか。
☆
もう学校に行く気も、何もなかった。目の前で同じ学年の子が二人も消えたのを、この目で見てしまったからだろうか。自分はああなりたくないという恐怖からだろうか。そんなことはわからなかったけど、家の外に出たくなかった。
その日の夜、ベッドで眠っていたら、突然目が覚めた。眠気はどこかに行ってしまって、夜の静寂を全身で感じることが出来た。時計の秒針と僕だけが動いている。この感覚がなぜだか心地よかった。
学校に、行きたい。
なんでだろう。ただ、僕のこの辛い思いは学校に行けば消えてなくなるような気がした。午前二時。そこまで都会ではないこの町で、この時間に出歩く人はまずいない。さっきあれほど行きたくないと思っていた学校が、今はまるで天国のように思えている。そこに行けば苦しみから解放される、僕はそこに行くしかないんだ、そう思っている自分がいた。
親を起こしてしまわないよう、息をひそめて外に出る。パジャマの上から夜の冷気を感じていた。頭上には恐ろしいほど美しい月が浮かんでいる。狂ってしまいそうだった。夜とは、こんなにも魅力的なものなのか!明かりのついていない町と空に浮かぶ月は、こんなにも美しかったのか!
僕は明るい足取りで、しかし静かに、学校へと向かった。
☆
校門には鍵が掛かっていなかった。校庭に、他にもクラスメイトが来ているのが見えた。皆困惑の色を顔に浮かべている。勿体ない!こんなにも夜は妖しく美しいのに!
僕が学校に足を踏み入れると、校門はひとりでに閉まった。しかしそんなことはどうでもいい。
僕はみんなに近づいていった。
「ねえ、みんな……」
僕が口を開こうとしたら、クラスメイト達が先に口を開いた。
「なあ、俺たち、何で学校にいるんだよ。」
「しかもこんな夜中にな。帰ったら親に怒られちゃう。」
「なんかさ、家で寝て、気が付いた時にはここにいたんだよ。なあなあ、これってもしかして、夢遊病とかってやつ?」
「だとしたら、みんな集まらねえだろ。」
クラスメイト達はなんでここに来たのかわからないらしい。おかしいな、僕は自分の意思でここに来たのに……
そのとき、放送が鳴った。深夜なのにもかかわらず、校庭にいても聞こえるほど大音量だった。
「みなさん、こんばんは。これから0時限目、「体育」を始めます。」
皆の顔に恐怖の色が浮かぶ。それは放送が入ったことによるものではなく、声の主が今は行方不明のはずの佳奈だったからだ。
放送が続く。
「今日の体育では、皆さんと「鬼ごっこ」をします。ルールは簡単。皆さんが鬼に捕まらないように逃げるだけ。範囲は学校全体。朝まで逃げ切れれば皆さんの勝ち。もしも逃げ切れなかったら……」
一瞬の間が空く。
「皆さんは、消えてしまいます♪」
状況を理解していない人がほとんどのようだった。ボーっと立ったまま動かない。
「スタートまで、5、4、3、2、1……」
校門に、何かがいるのが見えた。皆もそれには気づいたらしく、女子たちの何人かは今にも叫びだしそうだった。
体育館で僕が出会った、化け物だ。
「0!」
恐ろしい速さで化け物がこっちに向かってくる。転びそうになりながらも、みんな必死に逃げていく。逃げ遅れた何人かは、化け物に、そう、あの時小野がされたように、飲み込まれてしまった。
僕は動けなかった。これ以上目の前で誰かが消えてしまうのを見たくなくて、目をつぶって下を向いていた。それなのに、化け物は一匹も僕の方へは向かってこない。
少しして、前を向くと、そこには小野が立っていた。
前よりもまなざしが冷たくなったようだが、小野には違いなかった。
「小野……!お前、いったい」
僕が口を開こうとしたら、さえぎられた。
「マジか。おまえ、まだ自分が生きてるって思ってるんだ。」
冷たく小野が言い放つ。なにをいっているのか、すぐには理解できなかった。
「いいか、良く聞け。お前は俺が体育館で消えた日の、一か月前に死んでるんだ。交通事故でな。それがなぜか生前の記憶を全部残したまま幽霊になって、ずっと自分は生きている、って錯覚してたんだよ。よく考えてみろ。体育倉庫に言ったあの日、俺はお前の会話に応じたか?お前が帰ろうとしたとき、俺は反応したか?「まぁだだよ!」って言ったのは俺だっただろ?そして、化け物はお前を襲わなかった。死んでるからな。花子さんの時もそうだ。佳奈はお前が助けようとしたとき、反応しなかっただろ。お前はずっと前に死んでるんだよ。」
何も言わない僕を見てイライラしたのか、小野が続ける。
「今日だって、みんなが学校に来たのは死んだお前が強く願ったからだ。無意識のうちにな。自分では気づいてなかったのかもしれないけど、お前はずっと孤独だった。誰とも喋れない。誰にも見てもらえない。だからお前は無意識のうちに皆を呼んだ。それに俺と佳奈は協力してやってるんだよ。この鬼ごっこで捕まえれば、孤独じゃなくなるからな。」
頭の中で言われたことを整理していた。もしかしたら、あんなに夜に魅力を感じたのも、僕がすでに死んでしまっていたからなのだろうか。
「まあ、お前がどうするかは自由だけどな。寂しいんなら、自分で行動した方がいいぜ。」
そういって小野は消えていった。
今は自分が死んだとか生きてるとかは問題じゃなかった。
僕は、寂しいのは嫌だ。
明かりのついていない校舎に向かって走り出す。もう存在していない肉体は、驚くほど軽かった。
☆
廊下で、逃げているクラスメイトを見つけた。目の前に僕が現れて、二重の意味でびっくりしたのだろう。そのままそこに座り込んでしまった。
良かった。こいつを捕まえてしまえば、僕は孤独じゃなくなる。それから、もっともっとたくさんのクラスメイトを捕まえよう。
「なあ、僕は寂しいんだよ……」