第十二話
「待ておばば、ザリガニは4つだ! 金ならちゃんと払う!」
「2つで十分だろォ~」
「4つだ!」
「ザリガニだって貴重なんだよ、分かってくれよォ~」
おばばはしぶしぶといった様子でザリガニを丸ごと二匹、追加で載せる。スバルは満足げに頷くとそれをマキタの目の前に置く。
「……!」
茹で上がったザリガニが4匹、どんぶりに頭を乗せてこちらを見ている。アツアツの湯気に生臭さは無く、エビの様な芳醇な香りの中にトマトと、ニンニクの香りがマキタの食欲を刺激する。
「さぁ食べろ。うまいぞ! このザリガニ丼は……」
「……トマトとザリガニを煮込んで、隠し味にわずかなラー油、ニンニクで香り付け……」
「! 来たことがあるのか?」
「いえ……でも……僕が考えたから……」
「またそれか? フフ、懲りない奴だ」
マキタは箸を割って一礼すると、勢いよく食べ始める。
「……ハフハフ……想像してた……味の通りだ……!」
「うまいか?」
「美味しい……美味しい……!!」
マキタは丼を頬張りながら泣いていた。訳の分からない事が次々と起こり、ヤバイ殺し屋に命を狙われる中、スバルのやさしさと自分の知る味に触れたことで、ふと実家に戻ったような安心感を覚えたのだ。
「泣くほど旨いかァ? もう占いやめて、メシ屋にしようかな……」
「ふふ……良い食べっぷりだな、マキタ」
スバルは、そんなマキタの様子を隣で頬杖をつき、少しだけ笑みを浮かべて眺めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あの、、、ごちそうさまでした。きっと、高かったですよね?」
「気にするな。大したことない。それから、こいつは"おまけ"だ」
そう言うと、スバルはワンピースの左足のスリットに手を入れてたくし上げる。
「えっ……あっ……!?」
中年サラリーマンの宿敵、コンプライアンス案件だ。敏感なマキタは反射的に目を背ける。
「? 食後の一本でもどうだ?」
スバルは太ももにホルスターを巻いており、そこからタバコとジッポを取り出す。
「……! スバルさん、吸うんですか?」
「私は吸わない。でも、あげると客は喜ぶ」
そう言って、スバルはニッコリと笑ってみせる。確かに、亜未夢の中はそこら中喫煙者だらけという設定にしていたし、マキタ自身も喫煙者だった。
「ありがとうございます……」
貰ったタバコを見るとパッケージに『さくら』と書かれている。スバルは慣れた手つきでジッポを擦り、マキタの咥えたタバコに火を灯す。
桜の香り……というよりは、桜餅のような甘い味わいだ。
「何があったかは、聞かないが……」
「え?」
「きっとこの先、いいことがある。今のマキタはハッピーエンドに向かっている途中なんだ」
「……!」
「マキタの人生だ。マキタが主人公だろう?」
「主人公……ですか」
再び、マキタの脳裏をアイコの言葉がめぐる。
―――アナタの人生、アナタが脇役になっていませんか?―――
「違うんです……僕は……僕の人生でさえ、脇役で……」
「ハハハ、何だそれは? 誰かに言われたのか?」
「あっ……いや、まぁ……」
「気にするな。そいつはきっと格好つけて上手い事を言いたいだけさ」
そう言って、スバルはマキタにきちんと向き直り目を見ながら言う。
「お前の人生は、お前が主人公だ。 単純だろう? もし上手くいかない時は……足掻いたらいい。主人公らしく」
そう言って、スバルはニッコリと笑って見せる。
廃墟の様な荒んだこの世界で、それはとても美しい笑顔だった。マキタはスバルの笑顔を見て、何だか前向きになれる気がした。
「主人公、か……。 ありがとうございます」
「さて………これからどうするんだ? ここに住むなら私が仲介してやろうか?」
「いえ……折角ですけど、元いた場所に帰らなくちゃ……!」
「……そうか。良い心がけだ」
「あの……最後に、お願いしてもいいですか? そのジッポ……僕に貸してくれませんか」
「……!」
「必ずお返しします! 戻って……決着をつけたら、必ず……!」
「"必ず返すので貸してくれ"ってのは、ここじゃ"絶対返さないからよこせ"、だ」
「! いや、そんなつもりは……」
しかし、スバルは言葉とは裏腹にジッポをマキタに渡してやる。受け取る時、マキタの指にスバルの指が少しだけ触れる。細く、華奢な指だ。
「必ず……返しに来い。その時は、私にザリガニ丼をおごれ。約束だぞ?」
「あっ………ありがとうございます!」
マキタは差し出された手からジッポを受けとろうとするが、スバルは渡した手を中々離そうとせず、いぶかしげにマキタの顔を覗き込む。
「……?」
「お前……変な事考えてないだろうな」
「え? いやいやちゃんとお返ししますって……」
「そうじゃない……さっきと違って、随分覚悟というか……肝の据わった目をしている」
「……それは……」
マキタの中で、ある仮説が現実味を帯びていた。この世界の主人公、スモーキンドッグが何故かか存在しない。"いるらしい"というだけで、誰もその姿を見ていない。ならば――――
「……"この物語の主人公らしく"、足掻いてみようと思って」
「……必ず返しに来い、マキタ。『Bar Bee』に来ればいつか必ず会える」
「……分かりました」
そう言って、マキタはスバルと別れた。




