第2章 熊本藩主殺害事件 2−4 一族会議
翌日、旗本板倉家の屋敷では、藤姫と菊姫が板倉勝該の前に並んで座っていた。二人の表情は険しい。
まず、藤姫が火蓋を切った。
「聞きましたよ。昨日、宗家のお屋敷で刀を振り回して暴れたそうですね」
「……」
「黙っていないで、お答えなさい」
「 相模守と摂津守の3人で飲み比べをしていたことまでは覚えているのですが、その後のことは覚えていないのです」
うなだれた勝該に向かって、菊姫がなじる。
「また、覚えていないのですか! 2度目ですよ。そんな言い訳が通るとお思いですか」
「お菊の言う通りです。覚えていないなんて通りませんよ」
「本当に覚えていないのです。通らないと言われても、他に言いようがありません」
「たとえ覚えていなくとも、暴れたことが無かったことにはなりません。この責任をどう取るつもりですか」
「責任ですか。謝罪して許しを乞うしかないと存じます」
「婚礼の後、二度とこのようなことは起こしませんと謝って回ったのを忘れたのですか」
「……では、どうしたら良いのですか」
勝該を追い詰めた藤姫は、少し間を置いてしゃべり出す。
「腹を切れとは申しません。隠居しなさい」
勝該の顔が強張った。
「なんと……隠居とは。跡継ぎがいないのですから、隠居したら家が潰れます。できる訳がない」
「養子を迎えればよいのです」
「養子など、お菊が許すはずがないでしょう」
菊姫は実子を跡継ぎにしたいと願っているはずだと思っている勝該は、当然同調するだろうと菊姫を見た。
「殿には、愛想も小想も尽きました。殿の子を儲けるつもりはありません。養子を貰うことに、反対はしません」
まさかの返答だった。勝該は呆気に取られて言葉が出なかった。
「兄の4男の大蔵が確か14になったはず。大蔵を養子に貰いましょう。兄も断らないでしょう」
「叔父の子なら、異論はありません」
藤姫と菊姫は若年寄の勝清の子を貰うつもりでいる。勝該は絞り出すように声を出した。
「この家の当主は自分です。養子を迎えるかどうかは自分が決めます。口出ししないでいただきたい」
勝該は立ち上がり、どうするつもりなのかと見つめる二人に向かって「養子を貰うつもりはありません」と、言い放って部屋を出た。
板倉勝該が養子を貰わないと宣言してから数日後、板倉勝清が勝該以外の板倉一族を自分の屋敷に集めた。
勝該の家督相続の祝宴に参加した板倉勝澄、板倉勝興、板倉勝承の3当主に加え、それぞれの家老も加わり、6人が座敷に着座して待っていると、板倉勝清が入ってきた。
「ご足労いただき申し訳ない。今日、お集まりいただいたのは修理のことを相談するためじゃ。先日の宴席で、修理が刀を抜いて暴れたことは知っているじゃろう。そのことで、修理の家に嫁いだお藤に泣き付かれてのぉ」
勝清は言いづらいのか、その先を続けない。焦れた勝澄が促す。
「それで、お藤殿は何と」
「『勝該が記憶を失くして大暴れしたのは、これで2度目。この先も騒動を起こすに違いありません。一族内で問題を起こしている内は、内々で片付けることができるでしょうが、一族外に及べば公にならざる得ないでしょう。そうなれば、当家は改易、一族にも累が及ぶということになりかねません』と、言うのじゃ。一族全体に及びかねないと言われたら、儂一人で決めることはできぬでな。じゃから、こうして集まってもらったのじゃ」
一同は「一族にも累が及ぶ」という部分に反応した。ざわつく中、宗家の当主としての役割と思ったのか、勝澄が口火を切る。
「お藤殿の心配はもっともです。捨て置いては、その通りになりかねません。一族として何とかしなければならないでしょう」
一同は頷く。
「どうしたら良いのか……」
勝興のつぶやきを制するように、勝清が語り出す。
「お藤の話には続きがあってのぉ。『当家に養子を迎え、勝該を隠居させたいのです。嫁のお菊も賛成しています』と言っておった」
「まさか、キツネ様……、いや、修理殿は隠居するのですか」
「お藤とお菊が隠居を迫ったそうじゃが、修理は隠居も養子を取ることも拒んだそうじゃ」
「修理殿はまだ若いし、当主になったばかり。まあ、拒むでしょうね」
「だが、お藤は頑なじゃ。どうしても隠居させたいらしい。皆も知っていると思うが、修理の父の重浮殿は、あの堀田正信の孫じゃ。お藤は、堀田正信の狂気の血が修理に流れておるから乱心すると思っておる」
板倉勝該の曽祖父・堀田上野介正信は、老中・堀田正盛の嫡男で佐倉藩2代藩主であったが、「幕政の失敗によって困窮している民や幕臣を救うため、領地を返上する」と上申して無断帰国したために、領地没収、流罪となった人物である。正信は民の救済を理由にしているが、正信が領民に課した重税を止めさせるために、佐倉惣五郎が将軍に直訴したという事件も起きている。正信の本心は闇の中だが、幕府は堀田一族に罪が及ぶことを避けるために正信を狂人扱いした。だから、正信は世間的に狂人ということになっていたのである。
勝澄と勝興は、勝該が乱心した姿を思い出していた。勝清は話を続ける。
「お藤の思い込みは困ったことじゃが、お藤はもっと困ったことを言い出してな。儂の4男の大蔵を養子に欲しいと言うのじゃ。大蔵の養子先が決まっている訳ではないが、『修理が養子を拒んでいるのじゃから無理じゃ』と言ったんじゃが、聞かんのじゃ」
各家の当主に付き添っていた家老たちの顔付きが急に変わった。勝清は困ったと言っているが、本心は自分の子を旗本板倉家の養子にしたいのだと深読みしたのである。
「主家の一族のことに口出しするのは、はばかれますが、お藤様のご主張はもっともなことだと思いまする。修理様のご乱行ぶりは常軌を逸しておりまする。修理様にはお気の毒ですが、お家のために身を引いていただくしかありますまい。それが修理様のためでもありまする」
家老の一人がそう言うと、他の家老も頷いた。家老たちは若年寄の意向に沿うよう斟酌したのであるが、それに気が付かない勝澄が異を唱える。
「身を引いてもらうと言うが、お藤殿とお菊殿が迫ってもダメだったというではないか。我らが言っても、修理殿が自ら隠居を願い出ることはなかろう」
「一族の総意ということで、幕府に願い出、当主を交代させることはできまする。他家ではそういう例もありまする」
勝澄と家老のやり取りを聞いていた勝清が、口を挟む。
「修理の乱行は公になっておらん。幕府に願い出れば、広く知られることになる。板倉一族の名に泥を塗ることにならんか。それに儂は幕閣じゃ。儂の立場も考えてくれぬか」
若年寄の言葉は一同にとって重かった。自分の立場を考えてくれと言われれば、従うしかない。では、どうするか。皆が思案していると、勝興が口を開いた。
「無理やり隠居させれば、修理殿が何をするかわかりません。今度は他家を巻き込むかもしれず、そうなれば大変です。ここは、相模守殿が宗家の当主として修理殿に意見する、ということでいかがでしょうか」
「修理殿は分家といえども年上。素直に聞き入れるとは思えぬが」
勝澄は渋ったが、勝興は続ける。
「もし上手くいかなかったら、また一族で集まって考えればよいではないですか」
「そうするしか、ないじゃろな」
勝清の一言で決まった。皆が追従したため、勝澄は面倒なことになったなと思いながらも引き受けた。