表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/57

No.57 借りた記憶

「……重い話でしたか?」


玲音がそう言うと、

梨亜は小さく首を振った。


「ううん。聞いてただけ」


間が落ちる。

梨亜は目を伏せ、ゆっくり息を吐いた。


「……“後”しか知らないって言ったけど」


言いかけて、梨亜はそこで止めた。

ページの端に触れていた指先が、そっと力を抜く。


代わりに、ほんの少しだけ口角を上げた。


「あなたが見てきた雪谷さんを、借りただけ。今日は」


玲音は言葉を探し、見つけられないまま頷いた。

胸の奥に残ったものが、言葉になる前に沈んでいく。


「……ありがとう」


梨亜はそう言って、本を閉じた。

背表紙が机に触れる小さな音が、やけに大きく聞こえる。


梨亜は自分の手のひらを見下ろした。


魔法はある。

呪術師と戦う力は、持っていた。


――でも、覚悟だけが決まらなかった。

彼女たちと、同じ場所に立つことを。


一度「私も行く」と言ってしまえば、もう戻れない。

彼女たちが背負っているものに、触れてしまうから。


けれど、玲音くんの話を聞いて分かった。

雪谷さんは最初から強かったわけじゃない。

それでも前に出たのだ。


なら、もう距離を取る理由はない。


梨亜は顔を上げる。

迷いの抜けた目で、玲音を見る。


「玲音くん。私、決めたわ」


短く、確かに言い切った。


「呪術師と戦う。……あなたたちと一緒に」



鈴菜は机に積み上がっていた報告書の山に、最後の一枚を重ねた。


紙の端を揃え、インクが乾くのを待つように一呼吸。

肩の力を抜くと、ようやく自分の身体が“終わった”と理解する。

椅子の背から身を起こし、必要な書類だけを手持ちのカバンに納める。


鈴菜は廊下へ出る。

魔導大図書館の夜は、いつだって音が薄い。

足音だけが、石の床に淡く残る。


一階の受付へ向かって歩きながら、鈴菜は指先を軽く握り直した。

疲れているはずなのに、心は妙に冴えている。

こういう日は、嫌な予感が当たりやすい。


――早く帰って、眠りたい。


その願いは、階段を降りる途中で、あっさり叶わなくなることを知らないまま。



一方、別室では。

玲音は机の上に紙を広げていた。


魔導大図書館の“仕事一覧”。

いくつかの項目が整然と並び、横には小さなチェック欄がある。


梨亜はそれを覗き込み、淡く眉を上げた。


「……ずいぶん、色々あるのね」


「あります。図書館の仕事って、書庫整理だけじゃないので」


玲音はペン先を走らせながら答える。

そして、迷いなく一つの項目にチェックを入れた。


——呪術師の阻止。


紙の上の小さな黒い印が、思いのほか重く見える。

梨亜の視線が一瞬そこへ留まり、すぐに別の文字へ移る。


「……『孤児院のボランティア』、ってなに?」


玲音の手が止まった。

短い沈黙。説明を組み立てている。


「魔術と魔法が見つかってから、孤児が増えました」


玲音は淡々と、けれど硬すぎない声で言った。


「呪術師の暴走で親や身内を失う子もいる。身元が曖昧な子も増えた。だから養子制度が、以前より積極的に回るようになったんです」


梨亜は小さく頷く。目が真剣になる。


「町外れに孤児院があって……そこに手伝いに行く役割です。掃除、配膳、勉強の補助。行事の準備も」


「なるほど」


梨亜はその文字を指でなぞったまま、黙って続きを待っていた。


玲音は紙面を目で追い、ペン先を止める。

「孤児院のボランティア」の行で、ふっと視線が留まった。


「……そういえば」


玲音が小さく呟く。


加原(かはら)颯馬(そうま)先輩も、元孤児の方なんです」


言いながら、自分の中で情報が繋がっていくみたいに、言葉が少しずつ整っていった。


「今は加原道場の家に養子として入ってます。道場の息子、って立場ですね」


「道場……?」


「魔術や魔法を、習い事みたいに訓練できる場所です。基礎の型から、制御、実戦の連携まで。先輩は、そこで育った人たちの“師匠”みたいな存在で」


玲音は少しだけ言い淀んだ。

言葉が、自然に鈴菜の影へ触れそうになる。


「……鈴菜先輩も。師匠と弟子、の関係で。颯馬先輩から魔法を教わった、と聞いています」


梨亜の表情が、ほんの少し柔らぐ。

それは懐かしさではなく――理解に近い温度だった。


「……そう」


梨亜は紙の上のチェック欄を見つめる。

しばらく迷うように指先が止まり、やがて、すっとペンを取った。


「私、子どもは好きよ。そういう場所なら……行きたい」


そして、孤児院のボランティアの項目に、小さくチェックを入れる。

けれど、先ほどの“呪術師の阻止”とは別の意味で、確かな決断だった。


玲音はそれを見て、わずかに目を細める。


「……無理はしないでください。現場は、きれいごとだけじゃないので」


「分かってる。だから行くのよ」


梨亜はペン先を紙から離すと、インクの乾き具合を確かめるように一拍置いた。

そして、もう書き足すものはないと言うみたいに、ペンを机に戻す。


紙の端を指で揃え、すっと前へ滑らせた。

チェックのついた項目だけが、きっぱり残る。


「……これで以上、ね」


梨亜はさらりとそう言って、紙を玲音の方へ押し戻した。


「それで、次は?」


玲音が答える前に。


遠くから、図書館の大きな扉が開く気配がした。

空気が一度だけ動く。



一階の受付。


鈴菜は最後の階段を降りきり、正面のカウンターへ向かう。

受付の灯りは相変わらず柔らかく、司書の姿が影のように行き交っている。


その中で、鈴菜は一瞬、歩みを止めた。


見慣れた背中。

背筋がまっすぐで、立っているだけで場の空気が少し整う。


端正な横顔が、受付灯の下で淡く切り取られる。


鈴菜の喉が、ほんの少しだけ詰まった。


「……颯馬」


青年が振り向く。


静かな視線が、鈴菜を捉える。

加原颯馬だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ