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55/57

No.55 終わってから始まる

その日、晴はほとんど話さなかった。


目を閉じている時間が長く、

呼吸の合間が、少しずつ伸びていく。


玲音は椅子に座ったまま、

ただそこにいた。


名前を呼ばなかった。

手を伸ばすことも、なかった。


しばらくして、

晴が微かに目を開ける。


視線は、合わなかった。


「……匂い、しないね」


それだけ言って、

また目を閉じた。


玲音は、

胸の奥にあったざらつきが、

気づいたときには、もう消えていた。


何かを失った実感は、

そのときは、まだなかった。


病室を出るとき、

振り返らなかった。


それが、

最後だったと知るのは、

ずっと後のことだった。



晴がいなくなった後のことは、

玲音の中では、あっという間に終わっていた。


泣いた記憶も、

叫んだ記憶も、はっきりしない。


気づいたら、

病室は別の人のものになっていて、

名前はどこかの一覧から消えていて、

季節だけが、先に進んでいた。


黒い服の中で、空だけが晴れていたことも、

誰かが声をかけてくれたことも、

あとから聞いた話みたいに遠い。


「大丈夫?」


そう聞かれるたび、

玲音は反射みたいにうなずいた。


本当に大丈夫かどうかを、

考える前に、

日常が戻ってきてしまった。


学校へ行って、

席に座って、

ノートを取る。


前の席は、もう空いていなかった。


それでも、

歩く速さだけは、

無意識に、半歩遅いままだった。


夜になると、

夢も見なかった。


思い出す前に、

時間が終わってしまう。


晴がいなくなったことは、

悲しみになる前に、

過去になっていた。


そして玲音は、

そのことに、


ずっと後になってから気づく。



ある学校の帰り道、

公園の横を通る歩道を歩いていた。


低学年くらいの子どもたちが、

フェンスの向こうでボール遊びをしている。

玲音は、特に気に留めなかった。


「わっ——!」


幼い声と一緒に、

視界の端から何かが飛んできた。


考える前に、体が動いた。


玲音は反射的に目をつむり、

顔の前に手をかざす。


来るはずの衝撃は、

いつまで経っても来なかった。


代わりに、

ぱん、と音がした。


「すげー!」

「はね返した!」

「見た!?今の!」


子どもたちの歓声。


玲音は、ゆっくりと目を開ける。


目の前に、

黄色く光る魔法の壁があった。


ボールは、

その壁に弾かれて、

地面に転がっていた。


「……」


息が、止まる。


子どもたちがこちらを見る。


「ねえ、今の」

「魔法使い!?」

「すげー!」


その言葉が、

胸の奥に落ちる。


嬉しさでも、

恐怖でもない。


ただ、

ここにいてはいけない、という感覚だった。


玲音は何も言わず、

かざした手を下ろし、

足早にその場を離れた。


呼び止める声も、

後ろからの視線も、

振り返らなかった。


歩きながら、

自分の手を見る。


さっきまで、

何もなかったはずの手。


今は、

何かを“してしまった”手だった。


でもその内側で、

確かに何かが、

もう隠しきれない形になり始めていた。


玲音は、

それを受け止めていた。


ただ、

親に知られないように、

もう少しだけ、

静かに生きようと思った。


——それが、

魔法師になってしまった日の記憶だった。

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