表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/57

No.54 静かなままで

それから、玲音は何度も病院に通った。


晴の体調次第で、会える日と、会えない日があった。


病室のドアを開けるたび、

玲音は少しだけ息を整えた。


晴は、よく眠っていた。

起きている日も、話せるのは短い時間だけだった。


「今日は、どう?」


「……前よりは、まし」


それ以上、言葉は続かなかった。


無理に話させない。

聞きたいことも、聞かない。


そういう時間が、増えていった。



ある日、晴が前を見たまま言った。


「最近、匂い、薄いね」


「……『匂い』?」


玲音が聞き返しても、晴は何でもないと首を振るだけ。


病院の帰り道、

玲音はいつも遠回りをした。


魔法のことを、考えないために。



けれど、夜になると、

晴が前を歩く夢を見る。


彼はいつも半歩だけ先にいる。


目が覚めると、

胸の奥が、静かに痛んだ。



ある日、看護師が話しているのを耳にした。


「最近、少し……進行が早くて」


詳しい説明は、なかった。


玲音には、それで十分だった。


病院の外は、季節が変わっていた。

それだけが、はっきり分かった。



ある日、いつものように病室のドアを開けた瞬間、

玲音は、息を詰めた。


晴は、前に会ったときよりも痩せていた。

ベッドの上で半身を起こしてはいるけれど、

白いシーツの上にある体は、どこか輪郭が曖昧なように見えた。


それでも、晴は気づいた。


視線を上げて、

いつもと同じ調子で、静かに言う。


「来たんだ」


責めるでもなく、驚くでもなく。

まるで、来ることを知っていたみたいに。


「……うん」


玲音は、それ以上の言葉が出なかった。

椅子に腰を下ろすと、手を膝の上に置く。

指先が、少し冷えている。


「今日は、調子いい日?」


「まあね。話せるくらいには」


晴は小さく息を吐いた。

それだけで、少し疲れたようにも見えた。


沈黙が落ちる。


以前なら、気まずくならなかった沈黙。

けれど今は、

何かを隠したままの沈黙だった。


晴は、ふと視線を逸らし、

窓の外を見たまま言った。


「……レノさ」


名前を呼ばれた瞬間、

胸の奥が、微かに揺れた。


「最近、眠れてないでしょ」


「……なんで」


「匂いが、違う」


玲音は言葉を失う。


晴は時間をかけてゆっくりと瞬きをする。

彼の目には玲音にまとわりつく、黒く泥のようなものが映る。


晴は目を合わせることのない玲音へと目を向け、口を開く。


責めるつもりも、確かめるつもりもない声だった。


「前はさ、もっと静かだった。

今は……ちょっと、ざらざらしてる」


玲音は、思わず目を伏せた。


否定しなかった。

できなかった。


晴は、それで十分だと分かったように、

小さく息を吸う。


「やっぱり、気づいたんだね」


魔力過敏症候群。

あの病名が、頭をよぎる。


「……僕が」


言いかけて、止まる。


何を言えばいいのか、分からなかった。

助けたい。

その言葉が、もう危ういことを、

自分でも感じていた。


晴は、ようやく玲音を見る。


その目は、驚くほど澄んでいた。


「『それ』、ぼくのため?」


玲音の喉が、詰まる。


答えは、決まっているはずなのに、

声にならない。


晴は、静かに続けた。


「だったらさ……やめて」


否定じゃなかった。

拒絶でもなかった。


ただの、願いだった。


「ぼくはね、

それで生き延びても、嬉しくない」


玲音が顔を上げる。


晴は、少しだけ困ったみたいに笑った。


「レノが、レノじゃなくなるのは、嫌だよ」


その言葉は、

父の言った「魔法は悪いものだ」と、

まったく違う形をしていた。


晴は、魔法を恐れていない。

ただ、代償として玲音を失うことを拒んでいる。


「……僕はさ」


晴は一度、言葉を切った。


「たぶん、そんなに長くはいられない」


玲音の胸が、きつく締めつけられる。


「だから、今日みたいに話せる日も、

そんなに多くない」


それでも、声は穏やかだった。


「それでもね」


晴は、ゆっくり言う。


「君が、こっちに来る理由には、なりたくない」


玲音は、唇を噛みしめた。


何かが、胸の奥で崩れていく。

同時に、

踏みとどまっていた何かが、

ようやく形を取り戻す。


「……僕」


声が震えた。


「僕は、どうすればいい」


晴は、少し考えてから答えた。


「そのままでいて」


それは、命令でも答えでもなかった。


「それだけで、十分だから」


窓の外で、風が揺れる。


しばらくして、晴は目を閉じた。

話すだけで、もう限界だったのだろう。


「……今日は、ここまで」


玲音は立ち上がり、

何も言わずに、深く頭を下げた。


病室を出るとき、

背中に、まだあの静かな気配が残っていた。


守られたのは、

命じゃない。


——選択だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ