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No.52 来る日と、来ない日

それから、晴はときどき、玲音の前の席に座った。


来る日もあれば、来ない日もある。


それが、玲音には妙に心地よかった。


席替えで、晴は本当に前の席になった。

視線を上げるだけで、背中があった。


休み時間、晴はよく本を読んでいた。

分厚い物語だったり、図鑑だったり、

玲音の知らない世界が、いつもそこにあった。


「それ、面白い?」


ある日、玲音がそう聞くと、

晴は少しだけ考えてから言った。


「すぐは面白くならないけどね。最初は」


それだけだった。


けれど、次の休み時間、

その本は玲音の机の上に置かれていた。


「今のところまででいいなら」


貸すとも言わず、渡すとも言わず。

ただ、そこに置く。


それだけだった。


返す時も、特に何も言われなかった。


放課後、帰る方向が同じだと分かってからは、

並んで歩くことも増えた。


けれど、ある日、晴が前を向いたまま言った。


「魔法使いってさ」


玲音は、少し驚いて顔を上げた。


「……知ってるの?」


「うん。全部は分からないけど」


晴は前を見たまま続ける。


「魔法って、ただ強いだけじゃなくてさ、

ヒーローになれる力だと思うんだ」


一拍。


「物語みたいで」


玲音は、しばらく黙ってから言った。


「……わかる」


それだけだった。


二人とも、詳しいことは知らない。

ただ、


遠い昔から続く話や、

誰かを助けた魔法の噂を思い浮かべるだけで、

胸の奥が、少しだけあたたかくなる。


「いつかさ」


晴が、ほんの冗談みたいに言った。


「本物、見てみたいね」


「うん」


玲音は、即答した。


「……かっこいいと思う」


その言葉に、晴は何も返さなかった。

ただ、歩く速さを、

ほんの少しだけ、玲音に合わせた。


帰り道で、誰かとすれ違う時、

晴は無意識みたいに、半歩だけ前に出た。


そのまま、何事もなかったみたいに歩き続けた。


けれど、沈黙が気まずくなることはなかった。


晴は、何も言わなかった。


名前のことを、誰かが茶化した時、

晴は笑いもしなければ、怒りもしなかった。


ただ、いつも通り、

玲音の名前を呼んだ。


それが、周りにいちばん効いた。


玲音が教室でうつ伏せになる日は、

いつの間にか、ほとんどなくなっていた。



——ある日、晴が学校に来なかった。

それが、初めてだった。


最初は、誰も気にしていなかった。

風邪じゃない?

そんな声が、教室のどこかで聞こえた。


玲音も、最初はそう思おうとした。

一日くらい、誰だって休む。


けれど、次の日も、

その次の日も、

晴の席は空いたままだった。


前の席に座るはずの背中はなく、

代わりに、机の上に積もったプリントだけが増えていく。


休み時間、

無意識に前を見る癖が抜けなかった。


何もない。

それが、やけに目についた。


三日目の朝、

担任が出欠を取る時、少しだけ間を置いた。


「……晴君は、今日も、お休みです」


それだけだった。

理由は言われなかった。


放課後、帰り道。

いつも隣にいたはずの足音が、今日はひとつ分足りない。


玲音は、歩きながら、

あの分厚い本のことを思い出していた。


「すぐは面白くならないけどね」


あれは、

最後まで読めば、どうなる話だったんだろう。


四日目、

晴の机の中を整理する当番の子が、声を上げた。


「薬、入ってる」


教室が、一瞬だけ静かになった。


担任がすぐに制して、

「それは触らなくていい」と言った。


その声は、少しだけ固かった。


昼休み、

玲音は保健室の前で立ち止まった。


中から、カーテンを引く音がして、

薬品の匂いが、かすかに流れてきた。


晴は、ここに来ることがあっただろうか。


思い返せば、

体育の後、いつも少し遅れて教室に戻ってきた。

夏でも、無理に長袖を着ていた日があった。

息を整える時間が、他の子より長かった。


――気づいていなかったわけじゃない。

ただ、深く考えなかっただけだ。


五日目、

担任はようやく、簡単に説明した。


「持病があってね。

 今は、少し体調を崩しているだけだから」


“少し”という言葉は、

安心させるための形をしていた。


けれど、

そのあとに続いた

「しばらく、学校はお休みになる」という一言が、

すべてを裏切っていた。


玲音は、その日、久しぶりに教室でうつ伏せになった。


前の席は、

相変わらず、空っぽだった。


静かで、

やけに広かった。

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