NO.40 名を呼ばれた日
階段を上がると、空気が変わった。
一階のざわめきが嘘のように、二階は静かだった。
足音も、会話も、どこか遠く感じる。
「ここが、魔導大図書館の二階です」
鈴菜が短く告げる。
正面にはカウンターがあり、その奥に一人の女性司書がいた。
落ち着いた佇まいで、年齢は少し判断しづらい女性司書だった。
二人が近づくと、司書は顔を上げ、メガネをくいっと押し上げた。
「申請ですか?」
「はい。まだ決まっていませんが、
魔導大図書館の業務一覧が欲しくて」
鈴菜がそう答えると、司書は頷き、棚の一角を示す。
「書類はこちらです。
閲覧は自由ですが、外への持ち出しは禁止になります」
それだけ告げて、視線はすでに手元の書類へ戻っていた。
事務的で、余計な感情はない。
それがかえって、この場所の“日常”を感じさせた。
梨亜は、自然と本棚へ目を向ける。
高い棚が規則正しく並び、
背表紙には、魔術式、呪術史、魔法師記録――
見慣れない文字が整然と並んでいた。
一歩だけ、前に出る。
ここは戦場じゃない。
けれど、確かに“戦いの記録”が眠っている場所だった。
その横で、鈴菜は申請用の書類を受け取る。
「神坂さん、少し見てきてもいいですよ」
声をかけられて、梨亜ははっと振り返った。
「ちょうど、助っ人を呼んでいるので。
その合流待ちなんです」
鈴菜はそう言って、書類に視線を落とす。
梨亜は小さく頷き、再び本棚へ向き直った。
背表紙の一つに指先をかけ、おもむろに本を開く。
その背後で、鈴菜は梨亜から目を離し、
横を向いて手を上げる。
一つ足音が近づき、鈴菜が短く言葉を交わす。
そのやり取りが終わると、今度は梨亜の方へ人影が向かった。
「お久しぶりです。神坂さん」
不意にかけられた声に、梨亜はページをめくる手を止めた。
顔を上げる。
そこに立っていたのは、帽子を被った少年だった。
まだ幼さの残る顔立ちだが、どこか落ち着いた雰囲気がある。
梨亜が戸惑ったまま視線を向けると、少年は一瞬だけ言葉に詰まったように目を伏せた。
「あ、すみません。僕は水内玲音です。
この前ちょっとだけお会いしましたよね」
名乗りながら、軽く会釈をする。
その距離感は近すぎず、遠すぎず。
けれど、はっきりと“向き合っている”位置だった。
「ええ。神坂梨亜よ。よろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
鈴菜が二人の様子を確認し、短く頷く。
「レノ君は、私の後輩です。
今日の助っ人は彼のことです」
そう言って、司書から受け取った書類を玲音へ渡す。
そして、肩に下げた手提げを漁る。
「私は溜まってる報告書を片付けてくるので」
そう言い、持ち手を開いて二人に中身を見せる。
その手提げには何枚もなる報告書がどっさりと入っていた。
「なので、彼に交代しますね。
彼は私よりも詳しい『情報屋』なので、なんでも聞いちゃってください」
玲音は鈴菜を横目にクスッと笑う。
「じゃ、レノ君よろしく」
そう言って鈴菜は図書館内のテーブルと椅子に向かっていく。
鈴菜の背中が見えなくなると、空間に静けさが戻った。
本棚に囲まれた中で、梨亜と玲音は向かい合った。
「スズナ先輩から、話は聞いています」
玲音は穏やかな声で続けた。
「呪術師と戦うかどうかも、急いで決めなくていいと思います。
ゆっくり考えてください」
それから、少しだけ表情を緩める。
「神坂さんは、スズナ先輩と同い年なんですよね。
僕は一つ下なので……よければ、名前で呼んでもらえたら嬉しいです」
打って変わって明るくそう言われ、
梨亜はその勢いに少しだけ戸惑ってから答えた。
「じゃあ、玲音くんで。
私のことも、梨亜でいいわ」
「梨亜さんですね!」
そのやり取りをきっかけに、
二人の間に、ゆっくりと言葉が流れ始めた。




