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NO.25 鍵のない孤独

日が傾きはじめた放課後の教室。

帰り支度をする生徒たちのざわめきが、遠くで波のように揺れていた。


神坂 梨亜は、机に置いた手帳を開く。

そこには、今月のカレンダーが載っており——

その中でもただひとつ、濃く印がつけられた日にちがある。


指先が自然と、その日をなぞった。


——「それなら、私がボディーガードをやりましょう」


思い返すだけで、胸の奥がわずかに熱を帯びる。

鈴菜が真っ直ぐに向けたあの視線。

その申し出は、あまりにも暖かかった。

冷え切った心には沁みるようなものだった。


気づくと、胸の奥に沈んでいた水面が、静かに波紋を広げはじめていた。

触れられただけで揺れる心。

そのさざなみは、無意識に深く沈めていた記憶へと手を伸ばす。


手帳をなぞる指が小さく震えた。

思い出してしまう。

封じ込めたはずの記憶が、こじ開けるように浮かび上がる。


視界がじわりとかすみ、

教室の光景は遠ざかり、輪郭を失っていく。


ざわめきが次第に遠くへと押し流され、

代わりに耳の奥へ響いてくるのは——

あの日の、むき出しの怒号。


空気を切り裂くような、鋭い声。

胸を掴んで離さない、あの音。


その瞬間、梨亜の意識は暗がりへと沈んでいった。



まだ幼かった頃。

神坂家の屋敷は、世界のどこよりも広く、どこよりも息苦しい場所だった。


果てしなく続く廊下。

磨き抜かれた黒檀の床は、光を吸い込み、冷えた艶を放っている。

歩くたび——硬質な靴音が乾いた空気に突き刺さる。

その音さえ、静寂を破った罪のように重く響いた。


壁一面には、歴代当主や名を残した魔術師たちの肖像画が並んでいる。

誰も笑っていない。

どの瞳も、値踏みするように鋭く、幼い梨亜の背中へ容赦なく突き刺さる。

まるで、ここには失敗を許す空気など存在しないと告げているかのようだった。



いつだったか。

扉に触れた感触も、ノックした音も思い出せない。

けれど、気づけばもう——

梨亜は父の職務室の中央に立っていた。


机を挟んで向かい合う形で立たされ、

幼い梨亜は視線を合わせられず、ただ真っ直ぐ立つしかなかった。


中は薄暗く、重厚な木材で作られた家具が並び、

部屋の中央には大きな机。

その向こうに、父が座っていた。

父は分厚い魔導書を閉じ、机上に叩きつけるように置く。

乾いた音が室内に響いた。


「——魔術の構成を言ってみろ」


重たい沈黙が、鋭い刃のように降りかかる。


言わなければならない。

できなければ、また失望される。

また切り捨てられる。


胸の奥で何十回も繰り返したはずの言葉が、

喉元で絡まり、息と共に掻き消える。


「……っ」


声にならない吐息。

小さく震える肩。

拳に爪が食い込む。


父の顔に苛立ちの影が走り、

深く重い溜息が部屋の空気を鈍く揺らす。


「覚えられないのなら——」


魔導書の角が机に再び叩きつけられ、

低い響きが全身を震わせた。


「神坂家の名を名乗る資格はない」


その言葉は刃だった。

幼い胸の中心に、まっすぐ突き刺さった。


痛みで視界が揺れる。

涙がこぼれそうになる。

でも、ここで泣けば終わる。


——泣くな。

——弱さを見せるな。

——捨てられるな。


息が詰まる。心臓が軋む。

それでも梨亜は必死に立ち続けた。

立つしかなかった。


なぜなら、この家には

味方が一人もいないから。


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