間違えたレイチェル
憎しみに彩られたアンナの続編になります。
アンナは13の年で第二王子殿下の婚約者候補となった。
他の候補は、同じ公爵家の姉であるレイチェルだった。しかし、アンナへの度重なる嫌がらせや、日々の非常識な言動から、実父である公爵から、神殿への奉仕活動を言いつけられたのだ。奉仕するといういう名の下、実質勘当だった。
レイチェルは、度々夜会でアンナのドレスを裂き「下賎な平民の出で、この場所に相応しくない」と言い放ち、周りの顰蹙を買っていた。
自身が大声を出し、淑女としてあるまじき行動をとってきたのだ。これに眉をひそめたのは、王子殿下の母である大后陛下だった。
陛下と大后陛下の一声で、レイチェルは、婚約者候補から外されたのであった。
王族と縁を結ぶ者は、貴族は勿論、市井のもの者からも受け入れられる必要があった。
平民から憎しみを買うのは以ての外。だがレイチェルは街の人々からの評判も芳しくなかった。
常に高慢で理不尽な要求をする令嬢。
平民が馬車の前に飛び出しただけで、幸せな家族を鞭で撃ち殺す。
「公爵令嬢の前に飛び出すな」「目を合わせるだけで鞭打たれる」
それがレイチェルの評判だった。
一方アンナは、公爵家の正当な血を引き、市井の出身。
道具屋で店番をしていたことから皆に可愛がられており、両親が公爵令嬢に残虐に害されたことも広まっていた。
アンナは小さな頃から神殿での奉仕活動にも積極的で、皆も親しみを持っていた。
婚約者候補となった現在もそれは変わらない。
「アンナ。今から神殿へ向かうのか」
「はい。お父様。神殿で預かる子供達へ慰問の予定ですわ。
アンナのそつのない返答に公爵は満足げに頷く。
アンナは公爵の望む道を順調に歩んでいた。
そしてアンナは、良い意味で街の人々と線を引き、平民の気持ちを理解している貴族の立場を崩さなかった。
平民からは親しみを持たれ、貴族からは敬意を払われる。アンナはそんな存在に登りつめていた。
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この国には、二人の王子殿下がいる。
王位継承権一位の第一王子殿下は、大国の姫君との婚約が既に決定していた。
この国の地盤を強固にするためには、将来、陛下の補佐となる第二王子と公爵家を縁付ける必要があった。
レイチェルは幼い頃から、第二王子殿下の婚約者候補として教育を受けてきた。
しかし魔力の少なさから、常に別の候補を立てる話が出ていたが、見合う爵位の令嬢がいなかったため婚約者候補としてあり続けたのだ。
彼女は両親にも平民になった従姉妹と比べられ、年齢とともに魔力が増えるわけでもなく、公爵令嬢という立場のみが最後の拠り所だった。
「ああもうイライラするわ。私は努力しているのに誰も認めてくださらないのですわ」
レイチェルは常に鬱々とした気持ちを抱えており、使用人に厳しく当たることもあった。
公爵家といえども、市井の人々も出入りする。暴言を吐き、日常的に暴力を振るうレイチェルを見て、徐々に平民の間に冷血令嬢の名が広まっていったのだ。
レイチェルが夜会に出れば、婚約者候補という肩書きだけが一人歩きし、おべっかばかりの上辺だけの会話がされていた。
街歩きをしても、ヒソヒソと腫れ物を触るように噂される。会話する者たちは皆、どこか怯えている様子だった。
レイチェルは苛立っていた。どうしようもできない自分に、周りに当たってしまう自分に。
そんな時、馬車が大きな音を立てて止まったのだ。
馬車の前に飛び出した者が、平民である従姉妹のアンナだったことは彼女達にとって、偶然の不幸だった。
「アンナさえいなければ、私は比べられない」その考えがレイチェルを支配する。
彼女は囚われてしまったのだ。
冷たく、鞭を打つように指示するレイチェルは、これで自分が救われると、瞳の奥で微笑んでいた。
しかし、レイチェルはこの時、選択を間違えたのだ。
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「私は間違えたの?」
アンナの両親を嬲り殺し、結果孤児となったアンナ。
アンナはレイチェルの妹になり貴族となった。
そんなアンナに婚約者候補の立場を奪われ、公爵令嬢としての存在も危うい状態になったレイチェルは考えた。
自分は何を間違ったのだろうと。どこで間違ったのだろうと。
司祭見習いの助祭として神殿に入ったレイチェルが、自分を見つめ直す日々を過ごす中、アリアと出会ったのは偶然だった。
人気の少なくなった夕暮れ時、熱心に祈りを捧げるアリアを見かけたのだ。
赤い夕日が差し込む神殿は、全ての輪郭をぼかしており、アリアの波打った金髪が輝いていた。その風景を見て、美しいと感じ、なぜかレイチェルは素直になれる気がした。
「熱心に祈っているのね」
声をかけたのは無意識だった。
「はい。日々の幸福を与えてくださる神に感謝の祈りを捧げております」
「神は本当に救いの手を差し伸べてくれるのかしら」
頼りなげな小さな声で思わずこぼれ出た言葉に、アリアも小さく答えた。
「きっと、神は何も与えてくれないと思います。
救いの手は差し伸べてくれなくても、選択肢は与えて下さると思います。
望むのではなく、分け合うことで答えて下さるのだと思います」
「分け合う?」
「ええ。生意気を言って申し訳ありません。
小さな幸せなら分けあえると、私は信じています」
アリアはひざまずいたまま、レイチェルのローブの裾を持ち上げ軽くキスをした。
「助祭様に幸せが訪れますように。小さな幸せが訪れますように」
そっと立ち上がり、立ち去るアリアの後ろ姿が見えなくなるまで、レイチェルはなぜか動けなかった。
アリアがキスした場所は聖魔法の残滓が煌めいていたが、魔力の少ないレイチェルは気づくことはできなかった。
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公爵令嬢として育ったレイチェルは、掃除洗濯など何一つできなかった。
唯一、子供達に、文字を教え、読み聞かせをすることはできたが、他の奉仕者には子供が集まるのに、レイチェルの側にはほとんど近寄らなかった。
「お姉ちゃんはいつも怒ってるの?」
ある日何も知らない小さな女の子が言った。
「どうして怖い顔をしているの?
あのね、食堂のアリアが言ってたよ。
笑ってると幸せがやって来るんだって」
レイチェルは何も言えなかった。
翌日も少女は笑顔で言った。「お姉ちゃん笑顔だよっ」
ぎこちなく笑うレイチェルに、少女は無邪気に毎日笑顔を求め続けた。
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新米助祭のレイチェルの笑顔が自然になった頃、アンナが公爵令嬢として慰問に訪れた。
レイチェルは神殿で自分を見つめ直す日々を過ごし、今までの自身が、わがままで残酷だったことに気がついた。
自分の内面を見つめ直し、反省し愕然とする。
今まで怯えられることはあっても、人に感謝されたことはなかった。
自分が笑顔を浮かべることで、相手から笑顔を帰ってくることを初めて知った。
神殿で笑顔で過ごすことで、感謝され、感謝することを覚えたのだ。
人々からの怯えた壁を隔てた視線は、自分の鏡。
レイチェルは八つ当たりで、アンナを鞭打とうとし、庇ったアンナの両親を殺した。
アンナから幸せの全てを奪ったのに、レイチェルは幸せになれなかった。
人の幸せを奪っても、自分の幸せが加算される訳ではないのだ。
子供達に囲まれながら、お菓子を配るアンナの姿を見て、レイチェルは気がついた。
アンナの笑顔がどこか悲しげだということに。
アンナの笑顔を奪ったのは自分だということに。
「私はなんて酷いことを……」
レイチェルは後悔した。自分が行ったことに気がついた時、もう何もできないことにも気がついたからだ。
謝罪をしても、アンナの両親は戻ってこないし、アンナの人生も戻らない。
このままレイチェルは懺悔する日々を送るしかなかった。
「自分が愚かなことに気づけたのは小さな幸い。
神様、どうかこの幸いをアンナに届けることができますように」
それからのレイチェルは人が変わったように、常に柔和な笑顔を浮かべていた。
「私にできることは、アンナの姉として、彼女に迷惑をかけないこと。
彼女の評判を落とさないことだけだわ」
毎日、奉仕と祈りを捧げる。そんな日々を過ごしていたレイチェルは、アンナと話をする機会があった。
レイチェルは、謝ることが自己満足なのではないかと思っていたが、祈りの合間にアリアから「腹を立てている相手が反省していないと思ったら、いつまでも腹が立ったままなのよ」と言われて気がついたのだ。
アンナは、私レイチェルが反省していることを知らない。きっとそんな自分を腹立たしく思っているはずだと。
どんな言葉を投げかけられるか怖い。でも、レイチェルは自分の罪を受け入れるために、慰問に訪れたアンナに話しかけた。
「アンナ。お父様とお母様のこと、ごめんなさい。
私は自分の罪に向き合って、償いをしなければいけないとやっと気がついたの」
気持ちを込めてレイチェルは言う。自分が間違っていたことを謝罪する。
許して欲しいのではなく、反省していることを知って欲しい、その一心でレイチェルは謝った。
ただひたすらアンナに笑って欲しい。アンナの未来が幸せであって欲しい。その一心で。
「私、間違っていたの。本当に申し訳ないことをしたわ。
ごめんなさい。
私は一生かけて罪を償うわ。
だからお願いアンナは幸せになって。愚かな私の願いを聞いて」
「私、自分の罪を認めないお姉様を許せない。でもやっとお姉様は罪を認めるのね」
「ええ。アンナごめんなさい。あなたのご両親を殺めたのは私の罪よ」
「そう。やっと罪を認めたのね。これでやっとお姉様を憎めるのね。ありがとう、お姉様」
罪を犯した人間は、決して罪を償えない。
罪に巻き込まれた人間は、決して罪を忘れない。
でも、過去の罪に囚われて、未来の幸せを掴めないのは悲しいこと。
小さな幸せは幸せを呼ぶけれど、
大きな憎しみは分け合うことで薄れて行く。
二人の道は永遠に交差しないが、憎しみが薄れるための一歩が、やっと踏み出されたのだった。