自然に笑えた私。
禿げオヤジが消えてから4時間と少し。
気になって数時間ごとにトイレを見に行ったけどオヤジはトイレに現れることはなかった。
さすがにゴキブリって言われたら誰でも傷つくけどさ……。だってしょうがないじゃん。あれしかおじいちゃんをごまかす方法なかったんだからさ……。でもやっぱり悪いことをしたかなって思い返してみる。すると、しょげているあのオヤジの姿が頭に浮かんだ。笑いが込み上げる。いけない、いけない。私は今、反省してるんだから笑ったら失礼……。「ぷっ」やっぱり面白いことに変わりはなかった。
しょげて小さくなった禿げオヤジ。
振り向いた時のあの顔……。
なんかちょっと……、ホントにちょっとだけだけど可愛かったな。って思った。
やっぱり……、やっぱりさ、謝った方がいいよね。例えあのオヤジが幽霊だったとしても例え変態だったとしても。私の言葉で傷つけてしまった……。傷つくのは誰だって嫌なこと。あのオヤジだってそう。そう思った途端、あのオヤジに酷いこといっぱい言ってたなって思い出した。
禿げ頭の人(幽霊)に禿げの連呼はやっぱり傷つくよね……? 決心した私は自分の部屋の扉を開けた―。
トイレを目の前にする私……。一回、大きく深呼吸……。私はトイレの扉を開けた―。
扉の先にオヤジの姿はない。それでも構わない。私は誰もいないトイレに向かって話した。
「あ、あの、さ……」
言葉が詰まって出てこない。人に謝るのってこんにドキドキするんだっけ? あっ。あのオヤジは幽霊なんだけどさぁ。
「大西さん……。あ、あのね……。ご、ごめんなさい」私は誰もいないトイレに向かって頭を下げた。私は話を続ける。「おじいちゃんをごまかすとはいえ大西さんをゴキブリ呼ばわりしたことは悪かったと思ってる。そ、それと、大西さんのこと禿げ禿げ言ったこともごめんなさい。」
しばらくの間、と言っても数秒ぐらいだと思う。見つめていた床にいきなり光が反射する。光はチカチカ点滅した後パッと明るくなった。トイレの照明が点いた。私は咄嗟にそう思った。おじいちゃんとおばあちゃんはさっき出かけたし……。私はトイレの明かりを点けてはない……。私は意を決して頭を上げた―。
私の目に映ったのはトイレの便器に座るあのオヤジだった。
「やっとちゃんと謝ってくれたなお嬢ちゃん。わしかて傷つく時は傷つくんやで? どんな人間だって傷つかんことはない。お嬢ちゃんだってせやろ?」
関西弁の訛りの効いたオヤジの言葉に私は素直にコクんとうなずく。
「お嬢ちゃんもちゃんと反省しとるようですし許しましょうかね。で、何のようなん? あれ!? もしかしてもしかするとこの男前過ぎるこのわしに会いたかったん? もしかしてもしかしてぇー、寂しかったん? もうっ! そんなら勿体つけずにはよ謝ればよかったやんっ!」
許すと言った後から途端に態度を変えたオヤジ……。そうそう……。そうだった……。この禿げオヤジはこんな奴だった! 顔……。顔、顔、顔! あの顔だ……。あのクッソ腹が立つ顔に届くのであれば全力でビンタしてやりたい……。私の身体の中に腹黒い感情が渦を巻き始めた。
「……ねぇ。ねえ!」
私は開かれたトイレのドアを思いっきり殴った。
「ちゃんと聞いてくれるかな?」
私はオヤジを睨みつける。
「……へ?」
目が点になるオヤジ。
「調子こくのもいい加減にしなよ?」
なぜだか私は今笑っているような気がする。笑うっていっても面白くて笑うというのとは違うような感覚を感じる。
「……え? ちょ、お嬢ちゃん? さっきまで反省してたやん。なんで……」
キョトンとしているオヤジの言葉を私は遮った。
「さっきまで確かに反省してたよ? でもさ、その態度はないんじゃない? そうやって人を小馬鹿にしたような態度とるのよくないんじゃないかな?」
私は声を荒げないようにゆっくりと静かにオヤジに言葉を向ける。
「え……。だってこれがわしのあいでん……」
「は!?」
オヤジを見る目に殺気が籠るのが自分でもわかる。それだけ今私は立腹している。
私の顔を見たオヤジはしゅんとして何も言わなくなり下を向いた。
オヤジの顔を見た瞬間だった……。急に笑いがお腹の底から込み上げてきた。私は咄嗟に後ろを向いてしまった。ふぅー、ふぅー、私は息を吐いた。あぶないところだった……。この大事な場面で笑ってしまうところだった。それだけこのオヤジの表情には破壊力がある……。私は再度オヤジに向き直りオヤジを睨みつける。
「こういう時は何て言うのか、大西さんならわかるよね? ね?」
トイレの床を見つめていたオヤジが強張った表情を私に向けた。オヤジの口がぎこちなく動き出した。
「……わ、わしも。調子に乗り過ぎました。……お嬢ちゃん。すまんかった」
オヤジは私に頭を下げてそう言った。
なんだかまた少しだけど、このオヤジがどことなく可愛く見えた。
私は表情を和らげた後、「大西さん。顔を上げて?」そう言うと大西さんが下げていた顔をゆっくり上げた。
私は笑顔を大西さんに向けた。
「じゃあ仲直りねっ?」
……今の私はすごく自然に笑えているような気がした―。