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恋慕エンヴィー(1)

 大学の食堂で一人奈津乃を待っている。

 今日は私の方が少し早めに授業が終わるから、自分の席の目の前にカバンを置いて彼女の分も席を取っておいた。

 すぐに来るはずだから、私は奈津乃の分も頼まれていた昼食を買っておいた。

 最近は暑くて食欲がないそうだから、冷やしうどんと葡萄のゼリー。

 目の前に座り、美味しそうに食事をする奈津乃を想像すると笑顔が浮かぶ。


「あれ、相原一人?」


 ふいに掛けられた声に振り向くと、同じ学科の津田が定食を手に後ろに立っていた。


「奈津乃待ってる。津田こそ、一人?」


「そ。三限が休講になったろ? そしたらみーんな帰りやがってさ」


 メシ食ってから帰ればいいのに、とぼやきながら津田は許可も取らずに私の隣へと腰を下ろした。

 私の友達というのは、大概が同席するのに許可を取らない。いちいち聞かれるのも面倒だから、私もそれでよしとしている。

 暑い中で熱々の坦々麺を食べる津田は凄いと思う。

 猫舌で甘党な私には信じられない。


「しっかし、お前ら学科違うのにいつも一緒だよな」


「そうだね。私が奈津乃を大好きだからかな」


 仲いいんだな、と笑うと津田は真っ赤な汁の絡んだ麺に息を吹き掛けた。

 仲がいい、なんて言葉で表せる関係じゃないけど、それを口に出すことはしない。

 好きという言葉の意味が、食い違っていることを津田は知らない。

 だからといって、私が奈津乃に抱く気持ちは完全な恋心なのだなんて言えるわけがない。


「相原と斉川って正反対だよな」


「ん?」


「相原って背も高いし中身も格好いい感じで、女にもてそうじゃん?」


 私は複雑な気持ちで頷いた。

 実際、高校時代は男子よりもチョコもらっていたから否定も出来ない。


「で、斉川は完璧女って感じ。若干小悪魔って感じもするけど」


 小悪魔、か。

 津田の言葉に若干のひっかかりを感じつつも、私は曖昧に頷いておいた。

 隣から、ずるずる~と盛大な音が聞こえた。


「お前、そんだけで足りるの?」


 津田は箸で私の手元にあるパンを差した。

 人の昼飯の量なんて、ほっとけ。


「汚いな、汁飛んでるぞ」


「あー、悪い」


 慌てて津田は箸を戻す。

 無意識のうちにため息が出てきた。


「別に誰かに盗られるわけじゃないんだから、ゆっくり食べればいいじゃん」


「相原の口調って、なんでそんな男勝りなんだ?」


 私の話は無視か。

 もごもごと麺をほうばり喋る津田。


「飲み込んでから喋ればいいだろ……」


 んー、と頷き津田は麺を飲み込んだ。

 子供のように落ち着きのない津田。

 正直ちょっとだけ面倒臭い。基本的には良い奴なんだけど、暑い日なんかはちょっと鬱陶しくなるタイプだ。


「で、何で?」


 何で、て言われても口調なんて気が付けばこうなっているものだからわからない。

 昔から、こんな感じだったからなおさらに。


「男兄弟に囲まれて育ったからじゃないかな」


「へー。上、下?」


「両方。兄一人と弟一人」


 本当にこれが原因かはわからないけど、兄弟と喧嘩になったときなんかは女らしくなんて言っている余裕はなかった。

 相手が女であっても、兄弟だからか兄も弟も容赦がない。戦争のようなものだ。

 その名残なのか、男友達には少しきつめになってしまうのも不思議な話ではない。女友達にはもっと柔らかい口調で接しているはず。

 それにしても、奈津乃遅いな。

 なんかあったのかな。

 いつもならもう来るんだけど。

 課題が出ててこずってるのかな。

 もし体調が悪くなってたりしたらどうしよう……。

 心配になり、思考の大半を奈津乃が占拠し出したが、それも津田の声で現実に引き戻される。


「お前さ、見た目はいいんだから、性格直せばもてるんじゃね?」


 手を止め、じっと俺を覗き込む津田。

 見た目がいい?

 それは、私のことか?


「何言ってんだか。私を好きになるような物好きいるわけない」


「は? お前本気? 鏡見てみろって」


 津田の視線が、頭の先から爪先までを品定めでもするように私の体を這いずり回る。

 まるで、津田の手が肌の上を滑っているようで、気持ちが悪かった。


「興味ない」


 拒絶を籠めた冷たい一言を吐き捨てる。

 男なんて、興味ない。元々恋愛だって、嫌だったんだ。

 だけど、今の私には奈津乃がいる。

 奈津乃がいれば、他のものなんていらないのだから。

 それなのに津田は私の気なんて知らずに、舐め回すのをやめない。

 不愉快な視線に、自然と眉間にしわが寄せられていく。


「いや、ホントにもったいねーよ。相原ってスタイルいいし、美人じゃん。中身の男勝りを少し丸くすれば、絶対彼氏出来るって」


「だから、いらないんだよ、そういうの」


 性格が女らしくないことくらいわかっている。

 可愛くないことも知ってる。

 それをわざわざ口に出す津田は何様なのだろう。本当に腹が立つ。


「お前と斉川が並んでると王子様とお姫様みたいだけどさ、結局お前って女なわけじゃん」


 へらへらと口を動かす津田の目の前から、移動したい。

 でも、すでに学食には人が溢れ、もう二人分の席は確保出来そうになかった。


「女の子の王子様になれるのは、男だろ? 相原もいい加減格好付けるのはやめてさ、女らしくなってみたら?」


 津田の言葉を、私はどこか遠くで聞いていた。

 ぼんやりとした視界の中で、不快な言葉の羅列が浮かぶ。

 自分が女だってことくらい、知ってる。

 王子様になれないことくらい、とっくにわかっている。

 それでも、奈津乃と一緒にいたいのはいけないことなのか?

 女が一番近くにいたら、駄目なのか?

 わかっていたこと、どうしようもないことを理不尽にぶつけられ、私の頭は思考を停止した。

 津田の言葉を、ただ聞き流すことに決めた。

 しかし、次に発せられた津田の言葉に、私は急速に現実へと戻されるのだ。


「つーかさ、斉川っていろんな奴とヤりまくってるって話だろ? そんな奴と一緒だとお前も遊んでるとか思われちまうぜ?」


 その一言で、完全に私の堪忍袋の緒は切れた。

 津田は奈津乃のことなんて、全然、何も知らないくせに何を言うんだ。

 確かに奈津乃は簡単に男と寝る。

 でもそれは、ある意味仕方がないんだ。

 だって、私じゃあ奈津乃を気持ち良くさせてあげられない。満足させられない。

 奈津乃は、自分の愛を信じられない。

 奈津乃は、優しい子なんだ。わかりにくいけど優しくて、そして凄く寂しがり屋で臆病なんだ。

 奈津乃の行動が世間的には悪いと噂される部類のものとはわかっている。

 それでも、奈津乃を非難する権利なんて誰にもあるはずない。

 特に、何も知らない、奈津乃と寝たわけでもない、奈津乃になにか被害を受けたわけでもないただの男に、そんな権利なんてあるはずないんだ。

 体の中心から、沸々と沸き上がる怒り。

 それらは早く早くと俺を急かし、私は津田の胸ぐらへと手を伸ばした。


 掴み掛かった、はずだった。


「お待たせぇ、ハルちゃん」


 ふんわりと体を後ろから包み込んだ甘い香り。

 伸ばしかけた私の手の上には、背後から伸びた白い手が絡み付いている。

 背中に感じる小さな二つの膨らみと、首筋をくすぐる髪の感触。

 ゆっくりと首を後ろへむけたら、口元にゆったりと弧を描き、目を細めて俺の首へと絡み付いた奈津乃がいた。


「奈津乃。遅かったね」


「うん。課題に手間取っちゃったのよ」


 やんなっちゃう、と色っぽいため息を吐くと、奈津乃は津田に対し、まさしくにっこりと表現される笑顔を向けた。


「ハルちゃんのお友達かしら? 会うのは初めてね」


「あ、あぁ……」


 津田は曖昧に頷くと、ばつが悪そうに目を逸らした。

 その理由はあからさまで、私はさっきの津田の言葉で奈津乃が傷ついていないか心配になった。

 聞こえていないならそれが一番なのだけれど。

 振り仰いだ奈津乃の表情は、用意された笑みが浮かべられたままだった。


「アタシ、別にあなた程度にどう思われても気にしないわ。ハルちゃんがわかってくれていれば、十分だもの。だから、そんなに気まずそうな顔しないで?」


 奈津乃の手が、私の手の甲をそっと撫でる。

 ひんやりと冷たい、さらりとした手触りが気持ち良くて、私の津田に関する苛立ちは丸く抑えこまされてしまった。


「ハルちゃんも、この程度の悪口気にしなくていいのに。……でも、アタシのために怒ろうとしてくれたのは嬉しい」


 奈津乃は私の首に絡まる力を強め、無邪気に頬を綻ばせた。

 そんな奈津乃が可愛くて、私も空いた手で奈津乃の頭を撫でる。

 ふわりと巻かれた黒髪に、私の指が沈み込む。

 絡めた指を折り曲げて、深く巻き付けると奈津乃はくすぐったそうに身をよじった。

 反対に、しがみ付く力は強まる。離れないように、ぎゅっとまるで子供みたいに。


「ねーえ、ハルちゃん。今日のお洋服、肌出すぎじゃない?」


「え?」


 私の肩に顎を乗せ、奈津乃は視線を私の胸元へと注ぐ。

 淡いオレンジのタンクトップに、七分丈のシャツを羽織り、ショートパンツにサンダルという、そこまで露出はひどくない格好。

 梅雨が明け、七月に入った今、薄着をしたいがエアコンが寒いので上着も必要なのだ。

 季節に合った丁度いい格好だと思うんだけど。

 奈津乃の言葉の意味がわからず首を傾げると、奈津乃は呆れた様子で頬を膨らませた。


「胸元! そのタンクトップ開きすぎ」


 やや口調を荒くし、奈津乃は上目に私を睨みあげた。

 睨む、といっても膨らませた頬が怖さよりも可愛さを強調していて、むしろ微笑ましい。

 奈津乃の手が私の手から離れ、するりと首筋に触れた。

 冷たい感触に、ぴくりと体を震わせる。耳元で、奈津乃は悩ましげなため息を吐いた。


「あのねぇ、ハルちゃん。もっと男の視線に気付くべきだよ?」


「視線?」


 私みたいながさつで男勝りな女が、と反論をすると奈津乃はふっと耳に息を吹き掛け、私の言葉を無理矢理に止める。


「なっ、奈津乃っ……」


「ばぁか。気付いてないの? この男さっきからずぅっとハルちゃんの胸とか足ばっかり見てるじゃない」


 奈津乃が鋭く突き刺さる視線を津田へと向ける。

 まさか、と思ったが、私が目を向けたとき津田はひどく狼狽した様子で目を逸らした。


「言葉遣いを改めろ? 女らしくしろ? 貴方、何様のつもりなの? ハルちゃんはハルちゃんのままで十分素敵じゃない」


 するりと奈津乃が私から離れ、淡々とした口調で津田を責める。

 背中を向けているから表情は見えないが、声に抑揚のないときの奈津乃は、氷のように冷たい瞳をしている。


「それとも、なぁに?」


 首を傾げ、奈津乃は津田を見下ろした。

 人を小馬鹿にした猫なで声は、奈津乃が故意に出す他人を挑発する声だった。

 案の定、津田は不快そうに眉をしかめている。


「男みたいな言葉使われたら、勃つものも勃たないって感じかしら?」


「なっ……何言って」


「やーだ、図星? 顔真っ赤よ?」


 くすくす、と笑み奈津乃は私を振り返ると、両手を伸ばす。

 座っていたままの私は頭を抱き抱えられ、奈津乃のお腹へと顔を沈める。

 その時ちらりと見えた津田の顔は、確かに赤くなっていた。


「奈津乃、人前でそういうことは言うべきじゃないよ」


「あら、でもこの男は白昼堂々ハルちゃんをそういう目で見てたみたいだけど?」


 奈津乃はいつもこうだ。

 男の下心に敏感で、下心を持って私に近づく男を見つけると、鋭利な刃物のような言葉を構えて牽制にかかる。


「まぁね、男の子だからやらしーこと考えちゃうのは仕方ないと思うのよ。だけど、アタシは貴方みたいに女なら誰でもいいような男がハルちゃんに近づくのは許せないの」


 奈津乃は、きつく津田を睨み付ける。

 ゴミでも見るような冷たい視線には、津田も息を呑み目を逸らした。


「男勝りな部分も好きだって言えないような奴が、ハルちゃんに近づくなんて、思い上がりもいいとこだわ。お昼ご飯が不味くなっちゃうから、さっさと視界から消えてよ」


 一度でも敵意を向けると、奈津乃は容赦がない。

 言葉を選ぶような真似はしないのだ。


「やらしー目で見るのは勝手だけど、貴方の欲望のためにハルちゃんのこと傷つけないで。ヤりたいだけなら、そういう子を探せばいいのよ」


 奈津乃は口角を吊り上げて、津田にとって最も屈辱的と思われる言葉を的確に選びとる。


「アタシみたいに、ね」


 先程、奈津乃に対する軽蔑を口にしたばかりだ。

 同じに扱われ、津田は真っ赤な顔のまま立ち上がる。

 頭に血が上っているのは明らかだ。

 私も慌てて立ち上がる。


「お前……黙ってりゃ調子に乗りやがって!」


「黙ってる? 反論が出来ないの間違いでしょう? 今更何を格好付けてるのかしら……」


「うるせぇ!」


 津田が拳を振り上げた。

 私はすぐに奈津乃の体を引き寄せる。

 昔から男に交じって喧嘩をしていたため、私も力はそれなりにある。

 津田は体格に恵まれた方でもないため、私でもその拳を受けとめることは出来そうだった。

 奈津乃を抱え、津田の拳を止めるために手を伸ばしたが津田の手は横から伸びてきた別の人物の手によって、止められてしまった。


「女相手に手を出すとか、流石にルール違反だろ」


 津田を止めた手の主は、俺のよく知る人物で、奈津乃も好感を持っている男。

 私の幼なじみ、長谷川裕理だった。


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