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孤独なシーソーゲームその6

本格派の恋愛小説です。

単行本で換算すると300ページ超になる予定

よろしければ、お立ち寄りください。

 うまく付き合うには、言わない方がいいこともある――そうアドバイスを送る人もいるけど、僕は常々、自分を正当化するための方便だと思っている。いや思っていた。

 ――ついさっきまでは。

 詩織と楽しく過ごした花火大会の余韻に浸る間もなく部屋に鳴り響いた携帯電話。予想通り架純からだった。エレクトーンの古めかしい音で始まる「バーン」。伝説のハードロックバンド、ディープ・パープルの名曲だ。日本語の題は「紫の炎」。時には激しく、時には静かに燃え上がる彼女の印象にピッタリだと思い、専用の着ウタに採用していた。

 「掛かってくると思っていたよ」僕はモシモシも省き、開口一番にそう言った。

架純とは、祇園祭でいい雰囲気になって以来、一度も会っていなかった。バイトが忙しいのと、たまの休みは詩織との時間を大切にしていたからだ。詩織に実の妹がいると聞いて以来、僕の頭の中は彼女のことでいっぱいだった。鴨川でお互いの気持ちをぶつけあい、せっかく元通りの関係になった架純とは、メールのやり取りだけで精一杯。たまに電話で近況報告をしていたが、こちらから誘うことはしなかった。そして、花火の帰り道で鉢合わせし、詩織とのデート現場を見られてしまった。別にやましいことをしているわけではないのに、心が苦しかった。

 「ひと月も顔を見せてくれないけど、元気にしていますか?」架純は、僕の態度をさぐるような言い回しをしてきた。聞きたいことなら承知している。ここで世間話をしてもしょうがないので、僕から祭りの話に誘導した。「友達と来てたんだ」

 「う、うん」架純は少しためらったものの、本来の目的にスイッチした。

 「ハルトくんが一緒にいたのは、前に私が大学で見たひとだよね。詩織さんだったっけ。気品があって浴衣が似合うきれいなひとだね」

 「うちが運営している学生寮、知ってるだろ。そこに今春から暮らしてる」

 「そうなの。同じ大学じゃないよね」

 「うん、ネスレ女学院の2回生。1学年上だけど、僕は一浪しているので同い年。不思議とウマが合うっていうか」

 「えっ―あのお嬢様学校の」架純は一瞬声を詰まらせた。お嬢様がなんで寮住まい? という驚きに聞こえたが、そのへんの事情は説明したくなかったのでスルーした。

 「で、電話してきたからには訊きたいことがあるんだろ。まー察しはつくけど」

 「じゃあ、遠慮なく。バイトが忙しいとか言って誘ってくれないのに、詩織さんとはデートしてるんだね。ひんぱんに会っているのかな?」

 「そりゃー、寮が教会のそばにあるからな。夕方に散歩するとか、いろいろだよ」

歯切れが悪い僕に対し、架純が攻撃モードに切り替える。

 「前に宣戦布告って言ったこと覚えてるでしょ。ハルトくんに好意を持っているのはオープンにした。 小学生のわたしも思い出してくれた。デートにも誘ってくれた。ふたりの距離が徐々に縮まればと願っていた。すぐに認めてくれなくてもいい。でも……、でもね。他のひととデートしているのを見たら嫉妬しちゃった。あれから2時間も経っているのに、今でも胸が痛い」電話越しの声がとぎれとぎれになる。

そして最後の力を振り絞った。

 「だから、はっきりさせて」

 そんなこと簡単に決められない。僕はこれ以上、電話では話せないと判断し、明日会う約束をした。先に切断ボタンを押すこともできず、携帯を耳に当てたまま、しばらくツーツーツーという不通音を聞いていた。

 夏休み中の大学は閑散としており、陽炎がたつほどの蒸し暑さだった。図書館は開いているが、一般の学生が寄り付こうとしないのも当然だ。時折ちらほらと見かける連中は、ゼミの実験で忙しい理工学部か、まだ就職先が決まっていない4回生。資料集めに奔走する姿は悲壮感が漂い、自分の3年後を見ているようで、いい気がしなかった。もちろん、一般企業に入社するつもりでいるからだ。『お前は将来が決まっているから気楽でいいな』なんて、知ったふりを抜かす輩もいたが、それも昔のこと。最近は喋る相手を選んでいるせいか、その手の話題はまったく耳に届かなくなった。

 落ち合う場所にわざわざ学校を選んだのは、ふたつ理由がある。部活やサークル、バイトなどに明け暮れている僕たち1回生は、貴重な時間を学校なんかで費やすはずもなく、知人に出くわす確率が低いこと。そして、架純と二人きりで会うのは、『大学なら許容範囲だ』という、僕なりのみっともない拡大解釈を成立させたかったからだ。

 当然のことながら学食や行き付けの喫茶など生協が管理する施設はすべて閉まっていた。何の当てもなく自主登校したので行き場を失う。どこかゆっくり話せる場所はないかと頭を働かせたが、真っ先に思いついたのは詩織との〝密会場所〟だった。それだけは避けなければならない。架純が『場所も決めてないの』と疑問を呈する前に、自販機で適当に缶コーヒーをふたつ買い、神学館以外の空教室に潜り込んだ。焦って決めた割には、適当な広さで意外と落ち着ける空間だった。架純を椅子に座らせて、僕は机にポンと飛び乗り腰掛けた。何から話そうか迷っている僕を、架純は眼を逸らさずに見上げてくる。

 そして「ハルトくんはずるい!」と言い放った。

 強い圧を感じた僕は缶の開け口に掛けた手を一旦止めた。いつもの冗談かどうかは判別がつかなかったが、冷静に今の状況を考えれば、本気で怒っているに違いない。

 「ほんと用意周到なんだから。詩織さんが大切なのはわかるけど、ちょっとはわたしに対しても気を使ってよね。なんで待ち合わせが学校なのよ」

 頭のいい架純は、僕がなぜここに呼び出したのか理解しているようだ。口を尖らせる彼女を見たら『言い訳なんてしてもしょうがない』と腹をくくらざるを得なかった。

 「まいった。すべてお見通しなんだな」

 「当たり前でしょ。好きなんだから」

 『好き』と面と向かって言われたのは初めてだった。照れもなくさらりと言葉にするのは、彼女なりの覚悟の現れなのだろう。逃げ場のない袋小路に追い込まれる気がした。

 「なにもかも正直に話すよ。鴨川で約束したもんな」

人差し指をひっかけたままだったプルトップをあけ、ゴクゴクと勢いよくコーヒーを飲んだ。『少しの気遣い』という言葉に反応した訳ではないけど、架純にあげたコーヒーを手に取り、缶を開けて「どうぞ」と渡した。彼女の眼が『こんなことをしてほしいのではない』と訴えている。「あのね、ハルトくんさ。女の子は普通、缶コーヒーなんて飲まないんだよ。買ってくれたのに文句は言いたくないけど。もし詩織さんだったら、何を飲みたいか絶対に訊いてるんじゃない?」

 「またやっちまった」悔いの言葉が口をついて出る。なぜ架純に対しては、こうなるのだろう。いつも気遣いが及ばなくなってしまうのだ。ひょっとして安心感? そうだ、無意識のうちに冷たい態度を取るのは、彼女には少々無理を通しても大丈夫という甘えが、心のどこかに存在するのだ。僕を絶対嫌いにならないという自信が。

 「正直に話してくれるのなら考え込む必要はないじゃない。はやく答えてよ」

 「分かってるよ」と言って机から飛び降り、念のため教室のドアを閉めてから今度は椅子に座り直した。そして息を大きく吸い込み、ゆっくりと架純の方へ膝を向けた。

 「俺たち、付き合っているんだ。正確に言うと、僕は付き合っていると思っている。きちんと告白したわけじゃないから、正式なカップルとは言えないかもしれないけど、詩織も僕を彼氏と認めてくれているはずだ」

 架純の表情が一瞬変わったが、僕は唾をのみ込んでから続けた。

 「〝恋人〟の関係になったのは、8月になってから。順を追って説明すると、前期試験が終わった日、僕は偶然、詩織の秘密を知ってしまった。そう、祇園祭の数日後。もちろん詳細は話せないけど、詩織の家庭環境を巡る複雑な事情だった。それ以来、寝ても覚めても彼女のことが頭から離れない。胸が締め付けられ、愛おしくてしょうがない。逢いたい。守りたい。願いを叶えたい。日ごとに想いが大きくなっていった。彼女も僕に心を許し、悩みを包み隠さず打ち明けてくれた。好きな女性を想うことで、こんなに胸が苦しくなるのは初めてなんだ。だから今の僕には詩織がいない生活など考えられない。だから……。だから君とは、このままいい友達でいたい」

 一気に思いをぶつけた。両手の中でコーヒーの缶がつぶれていた。

 力が入る僕とは対照的に、架純は一拍おいてから冷静に言葉を選んだ。

 「それって、勝負がついたってことなのかな。詩織さんとの立場が逆転する望みがないなら、『もう君とは会えない』ってハッキリ宣告してくれた方が救われるよ。このままじゃ、わたし……。新しい恋もできないもん」

 「えっ!」とっさに言葉の意味が理解できないフリをする。さっきまくしたてた勢いは完全に消え失せ、目の前にあった防御の壁が粉砕された。鉄壁だとは思っていなかったが、こんなにも脆い材質だったとは。三匹の子ブタに登場する長男が造ったワラの家以下だ。

 いい友達でいてくれ――そんな都合のいい話があってはならない。架純の一言が鋭利な刃物となって僕の胸をえぐる。そして心の底から自分を恥じた。さっき僕の口から出た言葉の渦は、架純にとっては耐え難いものばかりだったと痛感する。要約すると、好きなのは詩織だけど君も傍にいてほしい、だ。これじゃ、不倫相手に別れを切り出された男の言い訳と、なんら変わりはしない。架純を失いたくないのが本心だとしても、言ってはいけないことだった。

 沈黙が続いた後、彼女の唇が『う・そ・つ・き』となぞる。ドクンと心臓が一度だけ大きく弾む。声に出された方がマシだった。架純は不敵な笑みを浮かべ最終確認をした。

「正式な彼女ができたから、お払い箱ってことだよね」

 「……」

 「ねえハルトくん、答えてよ」

 「……」詰め寄る架純に反応できない。

 「この前、なぜデートに誘ってくれたの? 楽しかったのは私だけなの? 祇園祭でも優しくしてくれたじゃない。あれは全部ウソだったの?」

 「いや、それは違う。僕も心から楽しかった」

 「じゃあなに。詩織さんとわたしを天秤にかけていたの。それで……」

攻撃的だった架純の声がかすれ、涙声へと変わりフェードアウトしていく。僕は何も言い返せなかった。机に向かって両腕をつき大泣きする架純。口を付けていない缶コーヒーが倒れないようにあわてて引き取る。こんなことしかできない自分に幻滅する。

 〈気を利かせるのは、そんなことじゃないだろ〉正義面したもう一人の自分がざわめきたつ。待ち合わせてから架純は正しいことしか言っていない。出会ってから一度として間違ったことは言ってないのではないか、と思い返してみた。すると、楽しかった思い出と架純の笑顔しか浮かんでこない。いま目の前で起こっている現実が夢であることを願う。しかし奇跡など起こるはずもなく、架純は洟をすすりながら僕にトドメをさした。

 「お前とは終わりだって、はっきり言ってよ。このままいい友達なんかでいられるわけがないじゃない」

 その小さな叫びが、大きな剣へと変身を遂げ僕の胸を突き刺した。どちらも傷つけたくないなんて、そんな虫のいい話があるわけない。恋愛というのは、傷ついて、傷つけ合って成長していくものなのだ。神に仕える身の親父だって、結婚するまでに紆余曲折があり、いくつもの山を乗り越えてきたと聞いたことがある。一度も喧嘩をしたことがないと豪語していたカップルの方が、一緒になってから理想が崩れていくのだと。けれど今の僕には、架純の想いを受け止めるだけの度量がないことも理解している。

 それ以降、架純は涙でくしゃくしゃになった顔をあげることはなかった。

 『はやく言い訳してよ』という叫び声がいつまでも耳に響く。

 昨夜、架純から電話があったときから決まっていたのだ。

 僕たちの間には『優しい嘘』など存在しないと。


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