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孤独なシーソーゲーム その5

 長い休みの期間中、僕が一番楽しみにしていた夏祭りに、詩織とふたりで出かけた。待ち合わせをした神社の鳥居に現れた詩織は浴衣姿だった。黒髪をアップにした彼女は、いつも以上に艶やかで色っぽい。紺地に薄紫とピンクの朝顔が咲く大人っぽいデザインが、彼女の端正な顔立ちを際立たせる。正装ともいえるバイオリンを持つワンピース姿が一番好きだ。でも、それに引けを取らぬほど、大和撫子ぶりは並んで歩くのがもったいないくらいに輝きを放っていた。

 赤い鼻緒の下駄をカランコロンと鳴らして、小俣で歩く。僕はそのペースに合わせて、いつもよりゆっくりと足並みを揃えた。メイン会場が近づくにつれ賑やかさが増していく。昼間の主役だった神輿が役目を終え、ひっそりと展示されている。担ぐ人もいなければ、大勢の人目にさらされることもない。どこか寂しそうなのは、観客の関心がお目当ての打ち上げ花火に移っているからだ。ザワザワした雰囲気は、学生が溢れかえった大講堂での講義に似ていた。ところ狭しと並んだ夜店には、夜の主役が始まる前にお腹を満たそうとする客が列をつくっていた。焼きそばやフランクフルトの焼ける匂いが食欲をそそる。一方、射的、ヨーヨー釣りの屋台では子どもたちの元気な声が響き、お祭りムード一色に染まる。詩織が突然下駄の音を止め、金魚すくいをやりたそうに眺める。

 「俺、子どものころ名人と言われたんだぜ。一緒にやろうか」

 「えーほんとに。じゃあ、私、初めてだから教えて」

 帯上の朝顔が萎んで見えそうなくらい鮮やかな笑顔がパッとはじける。五百円玉をおじさんに渡し、ピンクの枠に薄紙が張られたポイを三つ受け取る。中をよく見ると、黒くて長いヌルヌルした物体が入っていた。

 「見て見て、ウナギがいるよ」詩織が嬉しそうに叫ぶ。

テレビで視たことはあったが、夜店にいる実物は初めてだ。「これもすくっていいんですか」念のため確認すると、オヤジは『捕れるものなら捕ってみな』というような顔をして頷いた。たぶん、客寄せのために入れているのだろう。こんな小さいポイですくえるわけがない。しかも敵は全身ヌルヌル。手で掴むのも容易ではない。かねの器を水面に浮かべ、いざ挑戦。浴衣を腕まくりしている詩織は本気モードのようだ。

 「欲張って大きいやつを狙っちゃだめ。一匹ずつ丁寧に。小さい和金を端に追い込むと、すくいやすいよ。まず俺がやるから見ていて」講釈通り、自信満々に見本を示したつもりだったが、あっけなく紙が破れたてしまった。横で詩織が、クスクス笑う。なにせ十年ぶりなので、感覚がつかめないのか、破れやすい紙を使っているせいなのか、無様なところを見られてしまった。大口をたたいたのが恥ずかしい。

 「じゃあ、次は私。何匹すくえるか勝負だよ」詩織はアドバイスに従って、小さいのを隅に追い詰めて、さらりとすくっておわんに入れた。浴衣の袖をめくり、「やったー」と叫びながら力こぶをつくる。そのあと僕は一発逆転の出目金を狙ったが見事に返り討ちに遭った。初めてでも筋が良いのか、詩織は次々と仕留めて器を赤く染めた。三角のビニール袋に和金が2匹。寂しい寮で飼うのだと言い、持って帰ることにした。

 詩織は、見るものすべてに瞳を輝かせて、イカ焼き、綿菓子を食べてまわった。夜店など来たことがないのだろう。無邪気にはしゃぐ彼女を見ていると、可愛くて思わず抱きしめたくなる。でも、そんなことはできないのはわかっている。まだ、手もつないでいないのに。詩織を想う気持ちが強すぎるから? なんて言ったらいいか、先を焦って嫌われたくないというのも違う。見栄でもなく、矜持でもなく――。

――心から大切に想う女性には、男は軽々と手が出せないのだ。

当然、ドドドーーーンと身体に響く大きな音とともに、夜空が明るくなった。花火の始まる時間を失念していたので、急いで浴衣の袖をつかみ、よく見える堤防へと移動する。人ごみをかき分けていると、詩織がぎゅっと僕の手を掴んだ。ハッと思ったが、そのまま握り返して土手に駆け上がった。

 「ごめん、打ち上げの時間忘れてた」

 僕は詩織の顔をのぞくと、彼女はそろりと握っていた手を引っ込めた。ほんのり頬がピンクに染まっているようにも見えた。これは花火の色が反射しているのではないと思った瞬間、僕にも緊張が伝染してしまい、ふたり並んでしばらく無言で大輪を見つめた。

 〈なんで、こんなに切ないんだろう〉心のつぶやきが身に染みる。

高校の同級生だった彼女と祭りに来たときは、こんな気持ちにはならなかった。お互い好きだったという確信はある。花火を見て盛り上がった後、ひとけのない神社でキスもした。でもなにかが違う。言葉では言い表せないなにかが。失いたくない。詩織の代わりになる女性などいるわけがない。胸がキューっと締め付けられるこの感覚。

――愛は理解の別名である――ふとインドの詩人が残した名言を思い出す。

彼女を理解すればするほど想いが深まっていく。誰にもこの感情は止められない。もっと詩織のことを知りたいという欲望がさらに強まっていく。夜の礼拝堂でもらした実家に対する複雑な心境、自分を追い詰める美里ちゃんへの葛藤、そして実の妹の存在。守りたい、守らねば、絶対に守る――再会を果たしてから三カ月余り。僕しか知らない詩織の秘密が増えるたびに昂揚していくのだ。

 「きれいだね。私、花火なんてほんと久しぶり。子どものとき以来かな」

沈黙を破ったのは詩織だった。風が出てきたせいか、煙が流されて、さっきより色鮮やかになった。巾着からスマホを取り出し、目線より上に突き出してシャッターをきる詩織。カシャ。撮影した画像を確認してから、もう一度挑戦する。カシャ、カシャ。

 「やっぱり上手く撮れないね。いくら性能がよくなっても花火は無理」

横から画面を覗き見ると、ほとんど真っ黒の中にぶれた光が点線を描いていた。

 『いやいや下手にも程があるでしょ』と僕は思ったが口には出せない。

 ふふふと笑うと、詩織は口をへの字に曲げた。

 「そうだ」何かを思い出したように彼女が言った。上手く撮る方法でも考えついたのか、と期待していたら、それをはるかに上回るアイデアだった。

 「ねえ、陽斗くん。あとで記念写真、撮ろ」

 僕は異常に『記念』という言葉に反応してしまった。二人にとって特別な日。詩織もそう思っていてくれたことが嬉しい。コーヒーをまろやかにするミルクのような存在。僕の心を溶かす一言だった。ツーショット写真はまだない。スマホなんかじゃなしに、ちゃんとした一眼レフを持ってこなかったのを悔やんだ。せっかくの浴衣姿なのに……。

 花火が終わって混雑が解消され、撮影スペースが確保できるようになったので、神輿をバックにスマホを突き上げた。二人が画面に入るよう出来るだけくっつこうとしたが、今の僕らにはまだ限界があるようだ。近くで顔を寄せ合って写真を撮るカップルみたいにはいかない。こんなに自撮り棒がほしいと思ったのは初めてだ。リモコンを使わずに自分の姿をカメラに収めるための補助器具。三十年ほど前に日本人が発明したが、まったく普及せず。近年、アメリカの有名雑誌に取り上げられると、世界中で大ヒット商品となった。その話題を見たときは、『誰が使うんだ、こんな珍品』と散々馬鹿にしていたのに。

せめて待ち受け画面にする詩織のポーズ写真をスマホに収めることにした。

 「ブレないようにじっとしてて」構図を決めた瞬間、ちょうど真後ろから突き刺さるような視線を感じた。詩織が僕の背後を窺っていたからだ。

 「氷室くん、偶然だね。来ていたの」

 聞き覚えのある少しハイトーンな声が背後を襲う。後ろめたいことは何もしていないが、肝試しで黒い影でも見たようなゾクッとする寒気がした。いつもと違ってよそいきの声だったが聴き間違えるわけがない。架純だ。振り返ると、女友達2人と一緒に立っていた。詩織と面識がないので見て見ぬふりをして、僕の後ろを黙って通り過ぎることもできたはず。しかし、架純はそうしなかった。瞬時に詩織と対峙する覚悟を決めたのだ。

 僕は「よう」と言って、軽くあいさつを交わす。3人とも浴衣だったが、ひいき目なしに架純が際立っていた。儚げな詩織とは違う華やかな美しさ。架純と初対面だった詩織は、あわてた様子もなく軽く会釈をする。

 「前に話したことあったろ。面白いやつがいるって。彼女が大学の同級生で、名前は岡崎架純さん」なるべく自然に紹介した。

 「初めまして、烏丸詩織です」しとやかに頭を下げる。こちらもごく自然な自己紹介となった。女同士の火花が散るかとヒヤヒヤしたが、二人はいたって穏やかな表情をつくっていた。ただ違っていたのは、詩織は心からの笑顔で、架純の方は氷の微笑だった。どうやら対抗心に火をつけたみたいだったが、友達の手前もあり、あっさり引き下がる。そして自己紹介だけを済ませ、詩織から目線を逸らした。

 「じゃあね氷室くん、あたし、友達と一緒だから、また学校で」

 架純は僕を一瞥して去って行った。呼び慣れた『ハルト』ではなく『ヒムロ』に戻っていた。『また学校で』というのも引っかかる。まだ夏休みは半分が過ぎたばかり。詩織の手前、気を使って『また連絡する』と言わなかったのだろう。それとも……。僕が怪訝そうな顔をしていると、詩織は何事もなかったように、私たちも帰ろうと言った。

 いつもは自宅から少し離れた公園で別れるのだが、今日だけは僕から一緒に帰ろうと懇願した。もう親父に見られたって構わない。男らしく正式に告白してはいないけれど、彼女は僕を受け入れ、互いの立場を認め合っている。小さな恋から大きな恋へと移りゆく予感。今日最大の収穫は、曲がりなりにも手をつなげたことだ。

 気が大きくなると、行動も大胆になる。ベンチで詩織を待たせて、自宅との往復をダッシュ。自慢の一眼レフカメラを持ち出した。この機会を逃してなるものか。三脚まで用意する念の入れ方に、詩織は口に手を添えて笑った。

 〈自然な笑顔。今が一番のシャッターチャンスなのに〉焦る気持ちを抑えた。

 「夏祭りの思い出に浴衣姿の君を収めたくて。ここなら記念になるし」

 照れ隠しに人差し指と親指で四角いフレームを作って彼女をそーっと覗き込む。被写体が抜群にいいから、誰が撮っても絵になるのは一目瞭然だった。詩織をベンチの中心より右側に座らせ、三脚でカメラを固定し、まずはフレーミング。シャッタースピードと絞りを決め、タイマーを7秒に設定してから格納型のストロボを登場させた。最後にピントを合わせてからシャッターを押し、走って詩織の横に滑り込む。赤いシグナルが4回点滅したあと、辺りが真っ白になった。

 液晶を拡大して確認すると、詩織の笑顔はばっちりだったが、僕はぎこちない表情。撮るのは好きだが、撮られるのは苦手だ。「なんてこった」とつぶやき、詩織に頼み込んであと3回撮り直した。最後のカットが、お気に入りの一枚となった。その後、カメラを三脚からはずして、艶やかで色っぽい詩織のポーズ写真を撮りまくったのは言うまでもない。彼女は恥ずかしそうにしていたが、嫌がる様子もなく最高のモデルとして応えてくれた。五十枚ほどシャッターを切っただろうか、ストロボ多用のため電池の残量がなくなったところで撮影会はお開きとなった。

 「また連れて行ってね。必ず浴衣着てくるから」詩織が恥ずかしそうに言った。

気持ちがいいほど僕の心は見透かされていた。あんなに熱中して撮れば当たり前か。でも、考えようによっちゃ、次の約束を取り付けたことになる。詩織の秘蔵写真もゲットした。もろ手を挙げて叫びたいくらいに嬉しい。

 「プリントしてね。大切にするから」

すべてはこの白いベンチから始まった。祭りの会場でなくても、思い出たっぷりのこの場所での写真に価値があるのだ。蒸し暑い空気がふたりを包む。詩織はいつものように涼しい顔をしている。ふと空を見上げると、魔女が腰掛けるような三日月。必死に動き回り汗だくの僕を見守りながら笑っていた。


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