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3 孤独なシーソーゲーム その3

 まさしく青天の霹靂だった。

 長くうっとうしい梅雨が明け、まぶしい夏の青空が広がる。鼻歌も調子よく、詩織と一緒に過ごす夏休みの計画でも立てようと喜び勇んで帰宅した。しかし、ルンルン気分は一転し、カミナリにうたれたような衝撃が走った。前期試験が終わり、ホッと息をついていたのも束の間、新たなる試練が僕にのしかかる。長い夏休みを楽しく有意義に過ごす計画は、早くも崩れ去るのであった。

 詩織に会えるかもしれないと思い、教会前の広場に向かった。しかし、待っていたのは見知らぬ女子高生だった。まぶしいくらいの真っ白な半袖シャツ。少しウエーブのかかった髪の隙間から制服の赤いリボンが揺れる。すらっとした美脚にチェックのスカートがよく似合う美少女。物憂げな瞳が印象的だ。彼女の視線を受け流すように、さりげなく通り過ぎよとしたが、予想通り「氷室さんですよね」と声を掛けられた。先輩からのデータから推測していた外見は、ズバリ当たっていた。

 烏丸美里が突然、訪ねて来た。順平からの情報を期待していたが音沙汰なく、気にかけていたところだった。心配しているとかではなく、悪い予感が的中するのではないか、と。順平を飛び越えて、この場所に現れたということは、面倒な手続きを省き、直接行動に踏み切ったわけだ。

 「お姉ちゃんなら、居ませんよ。さっき部屋に行ってきましたから。と言っても、チャイムを鳴らして確認したわけじゃないですけど」

 遠慮なくハキハキと喋る姿はイメージしていた通り。想像にたがわぬ難敵のようだ。一応、名前でも確認しておくか。口を開きかけると、彼女は頭を下げてあいさつした。

 「失礼しました。改めて自己紹介します。烏丸詩織の妹、美里といいます。今後ともお見知りおきを」

 「こんにちは。詩織さんから話は聞いているけど、妹さんが何の用?」

 ごあいさつだな、とばかりに、勝気な性格むき出しで鋭い視線を投げかけてきた。触らぬ神に祟りなし。深く関わる気はもうとうなく、さっさと用件を済ませて立ち去りたい気分になった。しかし、彼女は、腹ペコの犬に骨をちらつかせるがごとく、僕が絶対興味を示すエサを投げてきた。

 「氷室さん、姉さんの秘密、知りたくないですか? 姉さん自身も知らないことを」

意地悪な顔だった。僕の好奇心を軽く揺さぶる。本当かどうかも分からないが、すぐさま退散するという選択肢が消えたのは確かだった。やり過ごすのは、彼女が提示してきたエサの真偽を判断してからでも遅くはない。

 「失礼な言い方だけれども、君のことをよく知らないし、信用もしていない。だから内容によっては、すぐに失礼する」と僕は冷たい口調で先を急がせた。

 「私もバカじゃないから、あなたの拒絶気味な態度は察しています。……で、私と姉さんが本当の姉妹でないことは、ご存じですよね」

 彼女は、僕がどこまで把握しているのかを探ってきた。ある意味、賢明な選択だ。擦れた感じが気に入らないけど、頭がきれるのは認めざるを得ない。そしてこの物怖じしない態度から、ただの女子高生でないのは明らかだった。彼女の脳裏にはたくらみが潜んでいるのかもしれない。でも僕はそれを承知で、詩織の義妹を受け入れることにした。

 「拒絶されたついでに、お聞きしたいことがあります。私はウソが嫌いです。だから正直に答えてください。祇園祭で女の人と一緒でしたよね。どういう関係の方ですか」

まさか、あの三条大橋の。では架純が見たという順平の相手は……。あいつは約束を反故にしていたのか。脳内から消え去っていた記憶が一瞬のうちに駆け巡る。

なぜだ。女にだらしないやつだが、信頼していたのに。

 この子が出した疑問に答えるか、逆に問いただすべきなのか。迷った挙句、順平との関係を問い詰めることにした。『ウソは嫌い』の発言を信じてみることにしたのだ。いくら詩織の妹であっても、口先だけの女なら、こちらも答えてやる義理などない。

 「あの夜、僕らを見張っていたのか」

 「うーん半分当たりかな。でも半分は間違いですよ。探してはいたけど、偶然見つけたんです。鴨川に来るというのは私の勘ですけど」

 のらりくらりと話す態度にイライラしたが、どうやらウソはつかないようだ。容姿は優等生っぽいのに、ギャル風の喋り方を交ぜるのが、いただけない。

 「なんで順平と一緒にいたんだ。利用したのか?」

 「越野さんと取り引きしたんですよ。あなたを紹介してもらう代わりに、エッチなことしていいよって」

 目の前で小悪魔が不敵な笑みを浮かべる。僕は怒りの感情を抑えながら叱咤した。

 「女の子が滅多なことを軽々しく口にするものじゃない」

 「優しいですね。さすが、お姉ちゃんが認めた男子」

 「ふざけるな」手玉に取られている感じがして思わず叫んでしまった。

 「ふざけてなどいません。越野さんとどうなったか知りたくないですか」

 「まさか、お前」

 「あれからホテルに行きました」

 頭に血が上った僕は、反射的に彼女の手を押さえつけていた。声も出さず抵抗もしない少女の顔を間近に見たら心が萎えていく。自然と力も抜けていき、握っていた手を放した。

 「どうしたんですか? 殴られると期待していたのに」

期待していた、だと。初めて会ったばかりなのになぜ? まったく理解に苦しむ。僕らの間には関係すら成立していない。もし深い仲だったとしても女に手を挙げるなんてできるはずがない。小娘のペースに嵌っている自分に嫌気が差し、投げやりな気分になった。

 「君の話にはつき合っていられない。ウソをつかないのは立派なことだけど、人を傷つけないためには、ついていい嘘もあるんだ。それと、もう少し自分を大切にしなよ」

 このまま別れるつもりだったので最後の言葉を贈った。心身ともに汚れるのはまだ若すぎる。外見にふさわしい純真な少女でいてほしいと願う、心からの忠告だった。

 自宅に戻ろうと反転したら、「待ってください」と僕を引きとめる声がした。

 「もう君と話すことはないって言っただろ」

 掴まれた腕を振り払おうとした瞬間、彼女の眼と口が切り札を主張した。

 「お話したいのは、姉さんの出生に関する秘密です」

 僕がビクッとなったのを彼女は見逃さなかった。「少し顔が蒼くなったようですが大丈夫ですか」としたり顔をつくる。まったく意図が見えない。ポーカーフェイスを何とか崩して、こちらのペースに持ってきたいのに糸口すら見えない。僕にそれを告げて、なんの意味が、彼女にとってなんのメリットがあるのか。少し考える時間がほしいが、敵はたたみ掛けてくるつもりだ。ここで怯んではなるまいと大見栄を切った。

 「何が目的か知らんが、俺は動じないし、詩織への愛は変わらない」

 「そんなことはどうでもいい。ただ、氷室さんが知っておくべきだと思ったから、わざわざ会いに来たのです」

 ふふふと薄笑いを浮かべながら、平静を装う僕の心臓にドスンと風穴をあけた。

 「姉さんには実の妹がいます」

 ステレオのボリュームが最大になっているのを知らずに再生ボタンを押し、スピーカーが重低音を鳴らしたときのような圧迫を感じた。――何をバカなことを。詩織が知らないことをなんで血の繋がらないこいつが知っているんだ。そんなことあり得ないだろ――動揺する気持ちを抑えて心の中で叫ぶ。いくら否定しても、嘘をつく根拠が見つからない。詩織が知らないってどういうことだ。頭に強力な電気が流れ、思考回路がショートした。思わず天を仰ぐ。反撃の態勢すら取れない僕に、彼女はさらなる追い打ちをかけた。

 「なんで私が知ってるのかと思っているでしょう。それは当然の疑問ですよね。ではゆっくりと説明します。パパと義母が深夜に話しているのを偶然聞いてしまったんです。姉さんの実父が育てていた娘、つまり姉さんの実妹をうちに引き取るかどうかで二人がもめていたところを。ご存じのとおり、実現していませんが」

 理屈は一応通っている。が、テレビドラマによくある設定。誰にでも考えうるお粗末な内容だった。半分信じかけていた心の扉が閉じる。しかし、僕の判断が間違っていたことを即座に思い知らされる。最初、彼女は冷静な語り口調だったが、自信に満ちた表情は影をひそめ、だんだん早口になった。そして、心中に隠していた姉に対する素直な気持ちを思い起こすかのように感情をぶつけ始めた。

 「当然、私はショックを受けました。なんで今ごろ? 家族4人、平和に暮らしていたじゃない。考えれば考えるほど憂鬱になった。心地いい私の居場所がなくなると思い始めたときは手遅れだった。仲の良い自慢の姉ちゃんを奪われてしまう。だって私は血の繋がりがないんだもの。負の感情が重なり、マイナスのループに陥った。絶対反対しようと思った。なんとしても阻止してみせる。でも、盗み聞きしたのが後ろめたくて、いつの間にか本音を心の中にしまい込んだ。ずっと針のむしろに座らされているようだった。審判を待つ日々。とうとう、うつ状態になり、怒りの矛先を姉に向けてしまった。その話は立ち消えになったけど、私のお姉ちゃんに対する憎しみは増幅していった」

 横から洟をすする音が聞こえたので、彼女の様子を盗み見る。ボリュームある髪の毛が顔全体を隠し表情は分からないが、放心状態にあるのは確かだった。

 「ごめんなさい」を連呼する少女。相槌を打ちながら、彼女の心の叫びを聴くこと十数分。いつしか感情移入する僕がいた。とぎれとぎれだったが、充分過ぎるほど心の葛藤が伝わってきた。これで騙されたなら本望だ。変な自信が湧き上がってくる。

 「そう。まったくの逆恨み。だから私………」

最後は泣き声に変わり、完全に言葉が途切れてしまった。

姉に恨みを抱いていた原因はハッキリした。なんの落ち度もない詩織を苦しめ続けた事実は許しがたい。けれど、小さな背中を丸めて嗚咽するきゃしゃな身体を目の前にすると、怒る気持ちは失せていく。むしろ、慰めてやりたいという感情が勝ってくるから不思議なものだ。はやり女に弱いダメな男。複数の謎は解けたが、ひびが入った義姉妹の関係を思いやると、やるせない気持ちでいっぱいになる。髪を振り乱す姿は痛々しく、過呼吸しているかのように、息がはずむ。背中をさすってやりたいけど、初めて会った子に触れるのは気が引けた。しばらく落ち着くのを待った。

 「美里ちゃん」初めて彼女の名前を口にした。心の底から素直に呼べた。

 詩織の母親と美里ちゃんの父親が再婚したのは、詩織が4歳のときだと聞いている。物心がつく前のことだ。離婚したのは当然、その前ということになる。僕自身の幼い記憶を辿っても、思い出せるのはせいぜい保育園の頃が限界だ。実の妹の存在を知らなかったとしても不思議ではない。しかし、なぜ隠す必要があったのか。そして十年以上も経ってから引き取らねばならない理由。どんな事情が起こったのだろうか。疑問はまだ数多くあるにせよ、僕が知ってしまった以上、詩織に隠しておくのは不誠実だと思った。美里ちゃんに「全部話してもいいか」と尋ねると了承してくれた。というか、彼女は、僕を訪ねてきた時点で、そういう算段だったらしい。

 「今は後悔してるの。お姉ちゃんが出て行って分かった。私を実の妹のように可愛がってくれた、そのぬくもりと優しさが。家の中に空いた空間を埋め戻したい」

 美里ちゃんは感極まって大泣きした。今度は人目もはばからず、まるで赤ちゃんのように。運悪くたまたま親子連れが通りかかった。小さい子がこちらの方向を指さす。『あっちを見たらダメ』という母親の声が聞こえてきそうだ。真っ昼間から女子高生を泣かせている悪い男にしか見えないだろう。

 「もういい。美里ちゃん、もういいんだよ」

 人目を気にして慰めたわけじゃない。自然に発した言葉がそれだった。肩を震わせる少女に、気の利いた言葉すら掛けてやることもできなかった。本来の姿に戻った美里ちゃんは、詩織本人に言うこともできず、相談できる相手もいなかったので苦しい日々が続いたことを打ち明けた。「なぜ僕を選んだの」と尋ねると、彼女自身も分からないという。

 「姉が好きになった人だから、信用できるかなって」

 ややあってから、ぼそっと付け加えた理由は嬉しいものだった。詩織と僕に対する最上の褒め言葉のような気がした。

 「それと、さっきの誤解を解かなければなりません。ホテルというのはウソです」

 氷室さんに嫌われたくないので――と付け加える。

「祇園祭の帰り、越野さんの下宿には行きましたが、キスされそうになったので、突き飛ばして逃げました。だから……」

 もうその先は言わなくていい。恥じらう美里ちゃんに、そう声を掛けてやりたかったが、言葉にならなかった。「アイツ」と舌打ちをする。すぐにでも呼び出して、謝罪させたいぐらい腹が立つ。僕との約束を裏切ったこともさることながら、いたいけな少女の弱みに付け込んだような行為は絶対に許せない。美里ちゃんが順平に油断したのは、僕の友人だから信頼したところが大きい。今度会ったら容赦はしない。

 「顔を見たら一発殴っておくよ。だから許してほしい」

 「私が悪いから。持ちかけたのは私の方です。すべてあなたの気を惹くためにしたことでした。本当にごめんなさい」

 謝られても困る。特に僕が迷惑をこうむったわけではない。そりゃ、気分を害したのは事実だけど、よくよく考えてみれば彼女を叱る理由がない。やはり悪いのは順平だ。そう結論に至ると、また殴りたくなってきた。絶対に許さん。明日にでも呼び出してやろう。

 「もうその話はなかったことにしないか」

 「怒ってないですか」

 「心配しないでいいよ。聞かなかったことにするから」

 美里ちゃんにようやく笑顔がこぼれた。いつの間にか、そよ風が吹き始め、真っ白な制服を撫でていく。どんよりとした空気が取り払われ、夏空同様の明るい雰囲気になった。

 なにはともあれ、未遂で終わったことにホッとする。もしもホテルに行ったのが本当だったらシャレにならなかった。詩織と北山先輩に申し開きができない。当人に口止めし、僕もその事実を隠し通して墓場まで持っていくしかなかっただろう。

 「あのー」今度は美里ちゃんが急にモジモジしだした。分かりやすい子だ。

 「お願いがあります」話が横道に逸れたが、美里ちゃんには大切な目的があった。

 「分かっているよ。詩織と仲直りしたいんだろ」

 美里ちゃんの表情が、ぱっと明るくなった。庭に咲いた一輪の真っ白なバラのようだ。こんな顔もできるのかと思ったが、間違いだったことにすぐ気づく。これが本来の美里ちゃんだ、と。この笑顔に惹かれて北山先輩も交際を望んだのだろう。この子が普通の高校生であるのを失念していた。1年以上も演じてきた悪役の仮面が真っ二つに割れると、穏やかな十七歳の少女が現れた。あどけない表情は、会った時とはまるで別人だった。

 情にほだされ、すぐにでもセッティングする用意はあったが、彼女が付け加えたのは、意外なものだった。出来ることなら自分自身の力で解決したいという。戦闘地域への取材敢行や無謀なヨット横断計画など、世間では自己責任が問われている。自分が蒔いた種だから決着も自分で、ということなのだろう。考え方は大人をはるかに凌いでいた。

 「絶対無理しないこと。相談には乗るから、いつでもおいで」

 少女の無垢な眼差しを信じて、僕は約束した。美里ちゃんの決断を尊重し、連絡を待つと。助け舟の依頼がないことを祈りながら。


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